7‐2
ラウダとローヴが2日目の修業を行う日の早朝。
昨日の修業に疲れたのだろう。ぐっすりと眠る2人を横目に、赤髪の男は支度をしていた。
最後に槍を背負うと、一度2人を見やってから部屋を出る。
宿内も暗い。
この村の人間は早朝から生活するのが習慣だが、そんな彼らでさえまだ眠っている時間である。
ゆっくりと宿の出入り口を開けると、小柄な緑髪の少女がこちらに背を向けて空を見上げていた。
「何か見えるのか?」
同じように空を見上げるが、真っ暗な世界が広がるのみ。その中でいくつもの瞬きが、静かな光を放つ満月と共に世界を照らしていた。
「ルナよ……我らの道を照らし続け給え……」
つぶやくようにそう言うと、彼女はそっと両手を胸に当て目を閉じた。
そんな彼女の隣に移動し、様子をうかがう。
しばらくして、彼女がゆっくり目を開くのを確認すると、そっと尋ねた。
「お祈りか?」
彼女は瑠璃色の瞳を自分の立っている方へと向けた。その先にあるのは村の出入り口。
「……行くわよ」
質問に答えることなく、歩き始めた。
彼女はこのように、満月の夜には必ず祈りをささげる。
しかしそれがどういう意味合いのものかは知らない。聞いても今のように答えようとしない。
恐らく何か特別な意味があるのだろう。
「……ああ」
その様子に軽く微笑むと、彼もその後に続いた。
昨日請け負った内容は2つ。
1つは、一行がここへ来る少し前に森へ入っていったきり戻らないという少女の捜索。
もう1つは最近姿を見せるようになったハウリングの退治。
少女の方は、この時期に採れるという薬草を求めて森へ行ったきり。
森とは言っても村からは10分もあれば行ける距離である。
広大な地ではあるが、仮にも村の人間。迷うことなどないはずである。
何事もなければすぐに見つけ出せるであろう。
何事もなければ。
問題はハウリングの方である。
この村へ向かう途中でも大量のハウリングに襲われ、大変な目にあった。
確かに旅人を襲うこともあるが、本来1つの群れの中にいるのはせいぜい10匹程度である。
さらに言うとハウリングには縄張り意識がある。
縄張りを荒らされ襲いかかってきた。と言えばつじつまは合うが、問題はその縄張りの場所である。
魔物には生息地域というものが存在する。
いくら人を襲うとは言え、彼らにも住処があり、それぞれ生活をしているのだ。
そしてハウリングの場合は、主に森を生息地としている。
その証拠に森にある木には彼らが付けた、いくつもの牙の後があるのだ。ここが自分の縄張りだという証が。
それ故に、あれほど多くの数が、まして平原で、一斉に襲いかかるなどということはありえないはずなのだ。
ベギンの街のゴブリンの騒動も同じである。
彼らがあの廃墟を住処にしているのはともかく。あちらでも大量発生が起こり、挙句、巨大化までしていた。
ゴブリンとハウリング。
全く別種の魔物ではあるが、今回の件について関係がないとは言い切れなかった。
となれば、その少女も大量発生したハウリングに襲われている可能性が高い。
「困った人を見ると放っておけない性質、か……」
どこか懐かしむように、ノーウィンはぽつりと零した。
月明かりが照らす道。辺りは静まりかえっていた。
大地の鼓動も、水のせせらぎも、風の音も。全てのものが活動を止めている時間。
だからこそ、この時間を選んだのである。
ハウリングの群れに遭遇したとしても、昼間のように血気盛んに動き回られることもない。
力だけでは解決しないこともある。
そういった時には、タイミングを見計らうべきなのである。
たとえ相手に力及ばずとも、圧倒的に数で負けていても、時を選べば打ち勝つことも可能なのだ。
いわば傭兵の勘というものだ。
ふとセルファが立ち止まった。
少女が行方をくらましたという森の入り口である。
普段から村の人間が通っていると言っていただけあって、あっという間に着いてしまった。
薄暗闇の中、はっきりとは見えないが、彼女が気配を探っているのが分かる。
自覚はないが、これも長い時を共に過ごしてきたからこそ理解できることなのだろう。
しかし、彼女は多くを語ろうとはしない。
何故幼い身で旅をしていたのか。何故襲われていたのか。何故ソルを探していたのか。
だがそれを問い詰めるつもりはない。資格もない。
互いのことを知らぬパートナー。それが2人を表現するに相応しい。
昨日ラウダに問われたように、知らない者同士が共に行動するというのは可笑しな話なのかもしれない。
そうこうするうちにセルファが歩き出した。
彼らが相も変わらず無言なのは、相手から気配を隠すためである。
言葉は使わない。暗闇の中で動きも見えない。
そんな彼らにとっては、共に過ごした時間、その絆だけが頼りであった。
足音さえも消し、歩みを進める。
森の奥に入ると、いくつかの木に触れて確認したが、あちこちの木に牙で木の皮を食いちぎったような跡があった。
ハウリングがここを縄張りとしているのは間違いなかった。
しかし肝心のハウリングはどこにも見当たらない。
さらに奥へと歩みを進める。
辺りを警戒して進むものの、やはりどこにも見当たらない。
「どういうことだ……?」
いぶかしげにつぶやいたノーウィンの言葉が静寂に響いて消える。
セルファはそっとしゃがみこむと地面に手を触れた。
少し湿った土の感触が手に伝わってくる。
ノーウィンはその様子を後ろから静かに見つめていたが、はっと後ろを振り返った。
物音がした。
小さなものではあったが、確かに。
槍を手にすると、慎重に、しかし的確に、すぐ側の草むらへと突き出した。
手応えはない。
杞憂だったかと、伸ばした腕を引っ込めたが、念のため今度は自ら歩み寄り、槍で草むらをかき分けた。
思わず顔をしかめた。
そこにいたのは紛れもない、1匹のハウリング。
しかしそれは横たわり、動かない。血だまりがゆっくりと広がっていく。
周囲を確認するが、気配はない。どうやら1匹だけのようである。
その横にそっとしゃがみこみ、それに触れると、まだほんのりと生きていた頃の温もりがあった。
「……何かに襲われたようね」
振り返ると、セルファが隣に立っていた。
「ああ……その何かから逃げてきたが、力尽きたってところか……」
そっと立ち上がり、セルファの方へと向き直るが、彼が口を開く前にさっと指差した。
「……ちょうど良い道標ができたみたいね」
指しているのは“これ”が走ってきた方向。
点々と赤い標が地面に零れている。
これをたどっていけば、これを襲った何かに遭遇できるかもしれない。
「……気をつけた方がいいわ」
「うん?」
「……何かいる」
どうやらセルファの方でも何か感知したらしい。
いつもと変わらぬ表情ではあるが、どことなく不安がっている。
そんな気がした。
「……セルファも気をつけろよ」
要らぬお節介だとは知っている。
彼女に、気をつけろ、無理するな、などと声をかけると決まって嫌な顔をしてこう言うのだ。
「私なんかを心配してどうするの?」
その言葉に意味があるのかないのか。それは彼の知る所ではない。
だから、先を行く彼女の後ろについていくしかないのだ。
せめてその背は守れるようにと。