6‐3
「おかえり」
宿に戻ると、食堂で席に着いていたノーウィンが笑顔で出迎えた。
しかし、出迎えられたラウダは笑顔を返す余裕もないほど、疲れきっていた。
「その様子じゃ、相当しごかれたみたいだな」
「しごかれたなんてレベルじゃないよ……」
ようやっと言葉を返すと、ラウダは雪崩れ込むように彼の正面の席に座った。
「ははっ、でもそのおかげで変な癖は直ったんじゃないか?」
ノーウィンは軽く笑うと、頬杖をついた。
「癖?」
髪を整え直していたラウダは思わずその手を止めた。
「うーん……何て言うか、剣を振った後に動きを止める、って感じに」
言いながら、ノーウィンは剣を振るような動作をした。
ラウダは顔をしかめた。
「気づいてたの? どうして言ってくれなかったの。おかげですごく怒られたよ」
そう言ってラウダは修業の内容を思い出す。
構え方が既におかしいと言われ、手首の角度を調整したり、顔の向きを合わせるように首を引っ張られたり。
魅せる動作は必要ない。戦うことに集中しろと言われた。
剣を力強く、素早く振るためにはその支えである足の踏ん張りが必要だとも言われた。
そして何よりも大切なのは、隙を与えないこと。
結局一日中あれこれ指示されて怒られての繰り返しだった。もし日記に書くならば「今日はひたすら剣を振っていた日だった」と、一行で終わることだろう。
そのくらい多くのことをしすぎて頭が回らなかったのだから。
「いや、俺は槍しか使わないから、剣のことはよく分からないんだ。だから俺が変に教えない方がいいと思ってな」
それを聞いて、確かにそれもそうなのかもしれないと思い直すことにした。
「ところでローヴはどうしたんだ?」
「まだ外だよ。もう少し魔法の練習するって」
ラウダがひたすら剣の修業だったのに対し、ローヴの方は力が足りない分を補うため、剣術と魔法と両方を教えられていた。そのためラウダよりもずっとハードな内容だった。
彼女は、とにかく集中力を持続させろと言われ続けていた。
なんでも、魔法というものは集中力がないと全く使えないそうだ。
意識を集中させ、それを解き放つことによって初めて魔法は完成する。
そのため、それっぽい言葉を並べて呪文のように唱えたり、体でリズムを取ったり、中には魔法を形でイメージしたりと、意識を集中させやすいように工夫する人間もいるという。
つまり、自分の集中しやすい形さえあれば、特に規定がないのが魔法である。
「ノーウィンは魔法を使わないの?」
ふと、ビシャスがノーウィンに言った言葉を思い出して尋ねる。
「ん? ああ、俺には武器があるからな。まあこだわりってやつかな」
それを聞き、思わずこだわりという言葉をつぶやいた。
そして以前この世界の説明をしてもらった時のことを思い出す。
「この世界では生活にも魔法を使うんだよね。だったら不便じゃない?」
そこでノーウィンは悩むような表情をしたが、すぐに肩をすくめた。
「俺には才能がないからな」
才能のある人間は成長と共にあらゆる魔法を身につける。以前セルファがそう言っていた。
「セルファは才能を持って生まれてきた人間の1人だ。勉強すれば10年はかかるような魔法でも扱えるんだと。中には俺みたいに武器のみで戦うやつもいる。まあ、魔力ってのはみんな持ってるものだから習いさえすれば使えるんだけどな……正直面倒でさ」
ローヴがビシャスに教えてもらっているところを見ていたラウダは、面倒という言葉に納得した。
集中力など、つけようと思ってそう身につけられるものではない。
それを勉強するというのだから面倒なことに違いはないだろう。
第一、ノーウィンほど力がある人間ならば魔法などなくても問題ないだろうとも思った。
「真面目だな、ローヴは」
感心したようにノーウィンが微笑んだ。しかしラウダはそれを聞いて小さくため息をついた。
「真面目というより、努力家……かな。でもそれで無理をすることもあるから……」
その様子を見て、ノーウィンはしばらく何かを考えていたが再び微笑むと、
「ラウダはローヴのこと、よく分かってるんだな」
と言った。
「幼なじみだから」
それに対してラウダは単純に答えた。だが一方のノーウィンは
「幼なじみ、か……」
どこか寂しそうにつぶやいた。
ラウダはそんな様子に首を傾げ、そこでふと気になっていたことを尋ねた。
「ノーウィンとセルファはどういう関係なの?」
今度はノーウィンが首を傾げた。
「前に言わなかったか? 相棒だ、って」
「いや、それは聞いたけど……なんていうか、2人とも性格とか全然違うのにどうして一緒に旅をしているのかなって」
「性格が違うと一緒に旅をしちゃいけないか?」
的を射た質問返し。ラウダは思わず困った顔になった。
そんな彼の顔を見て、ノーウィンは笑い出した。
「冗談さ。まあ、確かに俺とセルファじゃ色々と違うな」
そして口元を微笑ませながら、何かを思い出すように目を閉じた。
「あれは3年前だ。その頃俺は1人で旅をしていてな。いつものように依頼を受けて、森へ入った」
言いながらゆっくりと目を開き、ラウダの方へと視線を向けた。
ラウダはただ静かに視線を返した。
「そこで偶然、女の子がたった1人で複数の人間と戦っているところを見つけた。一対多数で、しかも女の子相手になんて見過ごせないと思って、俺はそれを助けたんだ」
ラウダはじっと話し手の言葉に耳を傾けていた。
「その子は怪我だらけで、でも無言無表情のままだった」
「それが……」
「そう、セルファだ」
驚きを隠せなかった。今でさえ自分より年下の彼女は、そんな昔から1人で戦っていたのだ。
「その後あいつは俺に、助けてもらった恩返しをするって言って聞かなくてな。それからずっと一緒にいるってわけさ」
昔話が一通り終わり、ノーウィンは一息ついた。ラウダの方は何事かを考えた後、ゆっくりと口を開いた。
「2人とも、そんな昔から旅をしていたんだね……」
「まあな。でもそういうことで一緒にいるわけだから、実はセルファがどういう経緯で旅をしているのか、詳しいことは俺も知らないんだ」
「じゃあ、ノーウィンは? 旅をしている理由とか」
「何の話をしているの」
あるの、と続くはずだった言葉が不意に飛んできたセルファの声で妨げられた。
何の物音もなかったため、すぐ後ろに立っていたことに気づかなかったのだ。
ノーウィンはセルファの方を振り返ると軽く首を横に振った。
「大した話じゃないさ。それよりもう寝るのか?」
「……もう寝る時間だと思うのだけれど」
そう言われて初めてノーウィンは食堂に掛けられた時計を見やった。
「おっと、少し話し込みすぎたか」
そしてセルファはラウダの方を見ると
「……彼女、高台にいたわよ」
と告げた。
それを聞いて思わず顔をしかめた。ローヴのことだ。恐らくまだ魔法の練習に励んでいるのだろう。
「呼びに言った方がいいんじゃないか? 明日もあるんだろ」
そう言ってノーウィンは再度剣を振る動作をした。
ラウダは軽くうなずくと、椅子から立ち上がり宿屋の玄関扉に手をかけた。そして思い出したように食堂の方を振り返り、
「2人は先に休んでて」
と声をかけると扉を開けた。ひやりとした夜風が舞い込んできた。
「足元気をつけて」
セルファからそう言われて、足元を見、そして固まる。
そこには大の字になって横になっているビシャスの姿があった。
昼間の威厳はどこへやら、しっかり熟睡していた。しかもいびきがうるさい。
「……何をどうしたらこうなるんだろ」
ぼそりとそうつぶやくと、ラウダは踏まないように慎重にそれを乗り越え、高台へと向かった。
* * *
さすがに夜遅いこともあり、村はしんと静まり返っている。おまけに外灯などもないため、ほとんど真っ暗闇である。
途中で何度かつまずきながらも高台に向かうと、セルファの言うとおりローヴが1人、ぽつんと立っていた。
「ローヴ。もう夜も遅いし、そろそろ寝ないと明日起きられないよ」
ラウダはそっと近寄り、その背に話しかけた。しかし反応がない。
集中していて聞こえていないのだろうかと思い、もう1度声をかけようとした時だった。
「今ある当然が、次の瞬間にはないかもしれない」
驚き思わず辺りを見回すが、それは紛れもなくローヴの声だった。
意味が分からず問い返そうとその肩に手を伸ばし、そこで初めて気づく。
右手が白く輝いている。セルファがソルと呼んだあの紋様が再び浮かび上がっているのだ。
驚くラウダをよそに、相手は身動き1つしないまま続けた。
「今日が来て、明日が来て、それが当たり前だと思っている。例外は受け入れない。それが命ある者の哀しき運命。だから誰も気づけない。すぐそこにある、世界の――」
そこまで言うと、目の前の幼なじみはくるりとこちらを振り返った。
しかしその目にラウダは映らない。明らかにこちらを向いているのだが、焦点が合っていないのだ。
「ソルは、世界は、貴方を選んだ」
しばしの沈黙。
ラウダはしばらく目の前の人物を見つめ返すことしかできなかった。
目の前にいる人物は、確かにいつも一緒にいる幼なじみ。その声も姿も見間違えようがない。
しかし、今の彼女はまるで別人だった。
ソル。セルファはラウダのことをそう呼んだ。世界に選ばれた存在だとも。
だがソルとは何者なのか。そもそも人なのか物なのか。どうして自分なのか。
分からない。
ただ、何の確証もないはずなのに、もしかすると彼女は全てを知っているのかもしれないと感じた。
相手はただただ、じっと見つめてくるだけ。
何と言うべきか、言葉に詰まったラウダは無言のまま相手の言葉を待つしかできなかった。
だが、彼女は無言のまま再び背を向けると、空を見上げた。
意味が分からず、同じように空を見上げる。そこには満天の星空が広がっていた。
それに何か意味があるのかと問おうとした時だった。
「あれ、ラウダ? いつの間にそこに?」
驚いた顔で、こちらを見つめるローヴがいた。まるで全く気づかなかったと言わんばかりの顔。
ラウダはそんな彼女を呆然と見つめる。
その様子に首を傾げるものの、ローヴはすぐに合点がいったように小さくうなずいた。
「ああ、この村灯りがないから真っ暗だもんね。でもおかげで見えるものもあるんだね」
そして再び空を見上げる。
「ウィダンではこんなに綺麗な星空、見えなかったよね」
ローヴの言葉にラウダもまたぼんやりと空を見上げる。
街灯の多いウィダンでは決して見られない景色。
星々の1つ1つがその存在を主張するかのように強く瞬き、それより一際強く静かに世界を照らす月。今宵は満月。
「ボクたち、このまま……帰れないのかな」
不意につぶやかれた言葉に、ラウダは視線を幼なじみへと転じた。
「ラウダは、家に帰れなくて寂しくない?」
視線を遥か頭上に向けたまま、ローヴはそう聞いた。そしてラウダが何か言う前に、
「ボクはもう、帰りたい……」
そっとつぶやくように、しかしはっきりとそう言った。
暗闇の中で彼女の表情は見えない。泣いているのかもしれない。
何とかなるよと言いたかった。しかしその確信などどこにもなく。
言葉を紡げぬまま黙っていると、ローヴがくるりと振り返った。
「なーんてね!」
そこには純粋な笑顔。
「せっかくこんな不思議な所に来られたんだから、もっと色々堪能しなくっちゃ!」
明るい声でそう言うと、にっこりと笑った。
そんな彼女の態度にどう言えばいいものか分からず口ごもっていると、ついと宿屋の方角を指し示られた。
「それじゃあそろそろ戻ろっか。迎えに来てくれたんだよね?」
「う、うん」
やっとのことでそう返事をすると、ローヴは鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気で歩き始めた。
そんな彼女の背を見つめながら、ラウダは自身の右手を見やる。
先程の出来事は一体何だったのか。
輝きは、消えていた。
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