34‐2
澄んだ水で渇きを潤し、体を休め、ようやく余裕ができた頃にはまた夜が訪れていた。
「あれ? セルファは?」
ローヴの言葉を聞いて初めてセルファがいないことに気がつく。
皆で周囲を探すも、姿はない。
「ど、どこに行ってしまったんでしょうか?」
オルディナが慌てていると、アクティーが何かに気づいたようだ。廃墟の奥を指差した。
「見ろ、火だ」
言われて見てみると、確かに2か所、ぽつぽつと火が灯っている。
「行ってみよう」
ノーウィンの言葉にうなずくと、一行は火を目指して歩き出した。
廃墟へと足を踏み入れると、オアシスから大して距離が離れているわけではないのに、空気が変わったような気がして、その冷たさに思わず身震いする。
静まり返った廃墟に響くのは、乾いた風の音だけ。
だが、建物の間を通り抜けてくるそれはどこか物寂しい音を立てており、訪れた者に一層の不気味さを感じさせた。
闇夜の中、辺りを見渡しながら慎重に歩を進めていると、あることに気づく。
家の壁に黒い染みがついているのだ。それも大きな染みが複数の家に。
勢いよくついたであろうそれが何なのか――誰も口には出さなかったが、皆すぐに解した。
「……新しいな」
不意にアクティーがそうつぶやく。
何の話か分からず、首を傾げる仲間たちの顔を見て、彼は真剣な表情で口を開いた。
「てっきりここは何十年も前に捨てられた集落跡かと思ったが、そこまで風化しきってないし、崩れているとはいえ造りも比較的新しい」
「最近まで誰か住んでたってことかい?」
ガレシアが辺りを見渡しながらそう尋ねる。とてもではないが、そうは見えない。
「最近っつってももう5、6年は経ってるだろうがな」
アクティーは側に佇む家を見つめたまま、それに、と言葉を続ける。
「捨てられたってのも違うな。これは、壊されたんだ」
壊された家々。壁の染み。これだけですでに良い想像はできない。
さらに先へ進むと、今度は広場のような場所に出た、が――広がる光景を目にし、皆が息をのむ。
壊れたオブジェを中心に、広場一帯を埋め尽くすように置かれた手のひら大の石。
どこも決まって3つ4つ積まれたそれがただの飾りでないことは明白だった。
「墓……」
ノーウィンがぽつりとつぶやく。
元々は集会場か何かだったのかもしれない。だが今ここは、墓地と成り果てていた。
その周囲に散乱しているのは、古びた槍や折れた剣、ボロボロの盾。
――戦いの跡だった。
奥を見ると、地面より一段高い石造りの台が設置されている。
左右に灯された火で照らされた台上では、ゆらりゆらりと一つの影が動いていた。
見慣れたその影に一行は歩み寄る。
セルファはそこにいた。
墓地が一望できるその場所で、舞っていた。
緩やかに。軽やかに。四肢を思い切り伸ばし。
跳躍し。弧を描き。
こちらに気づいているのかいないのか。瞳を閉じて、舞い続ける彼女に声をかけられる者は一人もおらず。
ひらり。くるり。またくるり。
月の光を受けて舞う幻想的な姿に皆すっかり見入っていた。
そうしてどのくらい舞っていたのだろうか。
こまのようにその場で何度も回転した後、緩やかに動きを止めた。
セルファは息を整えると、ゆっくりと目を開く。
どうやら一行の存在には気づいていたようだ。微塵も驚くことなく、台から軽やかに飛び下りると、こちらへ歩み寄ってきた。
本来なら素晴らしい舞への拍手を送りたいところだが、ここは墓場だ。
死者の眠る地でそのようなことをするのは自然とはばかられた。
「私はここで生まれ育ったの」
どのような反応をすべきか皆が悩んでいると、やってきたセルファがそう告げた。
地の神殿を守護する一族。彼女がそれで、ここの出身だということは知っていたが――
「ここで……」
ノーウィンがそうつぶやき、辺りを見渡す。
廃墟と化した集落跡。外に広がる不毛の砂漠。
実に、寂しい場所だ。生まれ故郷というには、あまりにも。
「ここは古来より地の精霊を、ひいては太陽神と月女神を崇めるファ族の村」
同じようにセルファも辺りを見渡す。
「ファ族は、才と占いによって先を見定められ、ひとりひとり必ず役割を与えられる。ある者は祈祷師に。ある者は農家に。互いを支え合い、神への祈りを欠かすことなく、多くの伝承や風習を守りながらこの地で生きてきた」
そう話す彼女は己の左手を見つめると、少し間を置いてから再び口を開いた。
「15年前、左手に地竜の証を宿した子どもが生まれた。それにより、遠くない未来に世界規模の災いが起こることを予見した長老は、その子を戦士として育てることにしたの。いつか現れるであろう太陽の証を持つ勇者に仕える存在として」
こちらに背を向けるセルファの表情はうかがい知れない。
「でも、戦士だった父親はその子が生まれる前に事故で、体が弱かった母親はその子が生まれたときに、亡くなった。生まれながらにして身寄りのないその子は、とある少女に預けられたわ」
セルファは空を仰ぎ見る。一行には見えない、何かを見ているようだった。
「その少女は齢15にして一族最強の戦士だった。たとえ力の及ばない相手でも、機敏さと両手の短刀、そして強力な魔法で向かうところ敵なしだったわ。おまけに知識も豊富で、一族で重要視される舞も上手で、厳しくて……でも、優しかった」
相変わらず表情は読めないが、その口調は実に穏やかで。話の人物がセルファにとってとても大切な存在であったことはすぐに分かった。
「物心ついたときにはすでに毎日が修行で、辛いことも多かった。嫌になることもあった。どうしてこんな堅苦しい掟なんかと思うこともあった。だけど、その子にとって少女は実の姉同然だったから……ただ褒められたい。その一心で、何でも頑張ったわ」
一見すると幸せそうな話だが、それが決してハッピーエンドで終わらないことを一行は知っている。
「4年前、やつらはどこからともなく突然やってきた。鱗に覆われた青緑色の肌、太く長い尾、二足歩行で手に武器を持った――」
「リザードマン……」
挙げられた特徴を元にアクティーが敵の正体を口にすると、セルファがこちらを振り返り、うなずいた。
「ただのリザードマンではないわ。やつらは人語を話し、十数体の群れで行動していた――ボスであるドラゴニュートに従って」
ドラゴニュートという言葉に皆が驚愕する中、いまいちぴんと来ていないローヴとラウダにオルディナが説明する。
「ドラゴニュートは古い書物などに描かれている伝説上の生物なんです。人型でありながらドラゴンの頭や尾、翼を持っていて、竜人とも呼ばれています」
「……大昔に実在したと言われてはいるが、未だ確証はない存在だ」
そう補足するイブネスは、信じられないと言いたげに首を左右に振った。
「あれは紛れもなくドラゴニュートだった。赤い鱗に覆われていて、人語を話して、あとはその特徴通り」
それに対し、決して間違いなどではないと、セルファはきっぱりと言い放つ。
しかし唐突な伝説上の存在の登場に、皆思わず黙り込んでしまった。
「……気づいたときにはすでにこの集落はやつらに取り囲まれていたわ」
セルファは再度話を始める。
その人ならざる来訪者は明らかな殺気を放っており、ファ族の者たちはすぐさま臨戦態勢を取ったが、敵はこちらに何かを要求することもなく、片端から次々に惨殺し始めたという。
「その日、私は集落の奥で舞の練習をしていた。でも朝から何だか嫌な予感がしていて――」
『2人とも、ここにいたか!』
番兵を務める男が駆けこんできたのは、集落の入り口から悲鳴が聞こえた直後だった。