6‐1
ベッドに入るとすぐに眠りにつくことができた。
小さな村の宿なので部屋は狭く、ベッドも2つしかないため、男女2組に分かれて窮屈な思いをしなければならなかったが、疲れていたため気になることもなかった。
翌朝。ラウダは激しい揺さぶりに目を覚ました。
何事かと寝ぼけ眼で身を起こすと、すぐ隣にローヴが立っていた。
「……約束忘れたの?」
呆れ顔でそう言われ、ラウダはぼんやりと思考を巡らせた。
「……クレープ?」
その口から出た言葉に、ローヴは大きくため息をついた。
「昨日、ビシャスさんと約束しちゃったでしょ。戦闘の何たるかを教えてやるーって」
そこまで言われてようやくラウダの目がしっかりと開かれた。
ベッドから転がり落ちるように起き上がり、上着を羽織ると、ふとあることに気づいた。
「あれ? 2人は?」
隣で寝ていたはずのノーウィンと、ローヴと共に眠っていたはずのセルファはおらず、荷物も見当たらない。
「情報収集に行くって、少し前に出て行ったよ。あ、髪」
一瞬何のことか分からず、指摘だと気づくとすぐに鏡をのぞき込んだ。
鏡は少し曇っていたが、そこには確かにぼさぼさ頭が映っていた。
「でもこの村小さいから、すぐ戻ってくるって」
話を聞きながら素早く手で髪を整え、星型のヘアピンをつけるとそちらに向き直った。
ローヴは髪がきれいに整ったのを見て、よしとうなずくと、軽剣を手に先に部屋を出た。
昨日の落ち込みから一変。どうやらやる気満々のようだ。
ラウダも負けじと剣を手にし、後に続く。
そして2人して呆然とした表情を浮かべ立ち止まった。
「遅えぞお、お前らぁ!」
彼らの視線の先には食堂。そこには片手に酒瓶を持った男の姿があった。
その顎髭、大柄な体格。間違えようもない、ビシャスである。
そして2人を手招きしている。
2人はため息をつくと、彼の側へと歩み寄る。
机上には昨日の夜と同じく大量のジョッキと酒瓶が置かれていた。
「ビシャスさん、何……してるんですか……」
呆れきった声でローヴが尋ねると、ビシャスは酒瓶を振りながら嬉しそうな顔をした。
「見りゃ分かるだろうがよお! 俺は酒を飲むことが生きがいなんだぞお」
昨夜は、強い奴を育てるのが生きがいと言っていたというのに、これ如何に。
完全に出来上がっている。そのためか昨日よりも声が大きい。
昨日散々飲んでいたにも関わらず、朝からこんなに飲むとは一体どういう神経をしているのだろうか。
「ほーら、お前らも飲め飲め!」
挙句、酒瓶を振りながら押し付けてこようとする。
瓶の中で軽くちゃぽちゃぽと音がする。ほとんど残っていないようだ。
「飲みません! それより特訓は! どうするんですか!」
その態度にローヴは腰に手を当て、半ば怒ったような口調でそう言った。
しかし対するビシャスは、んーと声を上げるともう一方の手で指差してきた。
「お前らあ、先人の言葉を知らねえのかあ」
2人は互いに顔を見合わせると首を横に振った。
「腹が減っては戦はできぬ、だ。飯はきちんと食え!」
そう言うとビシャスは再び酒を飲み始めた。
その有り様に2人とも、果たして本当に教える気があるのかと不安になり始めていた。
しかし空腹なのも確かで、ひとまず朝食を取ることにした。
カウンターに立っていた老主人に朝食を頼む。言われるがままに朝食を作るが、その間も男の様子を心配そうに見ていた。無理もないのだが。
パンにコーンスープ、新鮮なサラダと採れたて卵で作った目玉焼き。
全てこの村で生産されたものである。
この村は基本的に自給自足の生活を送っているが、たまにベギンの街まで馬車で行き、村のために資材や植物の種、食料、牛や馬を買いに行くという。
これは昨日ノーウィンから聞いたことである。
そんなことを思い出しつつ、しかし特に会話もなく、朝食を終えビシャスの方を見ると、片手に酒瓶を持ったまま、顔を机に突っ伏している。
どうやら今度はすっかり眠り込んでいるようだ。
その姿にもはや何も言えず、とりあえず起こすことにする。
「ビシャスさん。起きてください!」
ラウダが思いっきり揺らしても何の反応もない。
段々とこれも特訓の一環なのかと思い始めていた、その時だった。
「さあ! やるぞ!」
ビシャスが大声で叫びながら、がばっと顔を上げたのだ。
思わずぎょっとなった2人に、再び声が飛ぶ。
「何をぼさっとしてやがる! さっさと行くぞ!」
それだけ言うと、椅子から立ち上がり、机に立てかけてあった大剣を手に外へ出て行った。
あまりにも突然のことで、2人ともしばらく呆然とそこに立っていたが、すぐに慌てて後を追いかけた。
外に出ると、宿の横の少し開けた部分で大剣を軽々と片手に持って立っていた。
「ぼやぼやするな!」
そう言われ、駆け足で近寄る。口が裂けても、人のことが言えるのか、とは言えない。
「ようし! それじゃ、ビシャス様特別戦闘講座1日目開始だ!」
先程までのだらしなさはどこへやら。すっかりやる気モードを展開させていた。
そこでふと、ローヴが気になることを尋ねた。
「あの……ビシャスさん。ちなみにそれはどのくらい……?」
戦闘向けの特訓。
彼は剣と魔法とを教えると言っていたが、そうなると果たして何日かかるのか。それが気になったのだ。
セルファはラウダに世界を救えと言うが、結局自分たちとしては元の世界に戻るまでの間、戦えればそれでいいと考えていた。
「4、5年だな」
しかし、平然とした顔でビシャスがそう答えた瞬間、2人は愕然となってしまった。
この男は4、5年もこの村に留まり、ひたすら特訓しろと言うのだろうか。
そんな2人に気づいていないのか。ビシャスは話を続ける。
「戦闘の基礎から多くの訓練を重ね、真の戦士として世に出すにはそれくらいかかって当然だろ」
確かに彼の言うとおり、ノーウィンのように何者にも通用する力も、セルファのように多くの魔物を同時に打ち倒せる魔法も、習得するのは容易ではないだろう。
だが、2人は別に戦士になりたいわけでも、まして軍人になりたいわけでもないのだ。
困り果てながらも何かを言うべきだと、ラウダが口を開こうとした途端、ビシャスがにやりと笑んだ。
「と言いたいところだが、お前らも急ぐ身だろうしな。戦闘の基礎だけにする」
それを聞いて、思わず安堵のため息をついた。
ほっと一安心する2人にビシャスは2本の指を突き出した。
「2日だ。2日でお前たちに俺の知る技術をたたき込む」
再び驚愕。
戦士となるべく受ける特訓が最低でも4、5年だというのに、この男はその基礎部分を2日でやると言うのだ。驚くのも無理はない。
いくらなんでもそれでは雑になってしまうのではないかと思った矢先、
「ただし! 2日に詰め込む分、ビシバシやるからな。覚悟しとけ」
恐ろしいほどにやりと口の端を上げた。目が怪しく光った、ような気がした。
ラウダは思わず身震いした。
この男の性格からして、優しく楽しく教える、などまずありえない。
そしてその嫌な予感は見事に的中してしまうのだった。