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水上の一本道を行くと、やがて岩壁へとたどり着く。
そこには両開きの白い岩戸があった。
入り口と違い、押すだけで難なく開いたその先にあったのは、先ほどと同じような広大な空間。
異なる点といえば、ぐるりと円を描くように、水中からいくつもの柱が突き出しているということ。
道は、その円内で途切れている。
「どうやらここが終点のようだ」
シグオーンはそう言うと、手にしていた松明の火を消した。
一行が辺りを見渡していると、突然円内で、それまで穏やかだった水面が荒れ始める。
やがて、海水はごおっと音を立て、柱のように上空へと吹き上がった。
飛んでくる海水が目に入らないよう、反射的に腕で顔をかばう。
次に目を開けると、水上に男が立っていた。
小麦色の肌に、オールバックスタイルの青い髪。上半身に何もまとっていないのは、そのたくましい筋肉を見せつけるかのようだ。
突然の登場に驚き、目をぱちくりとさせる一行を青く澄んだ瞳に順に映すと、彼はゆっくりと口を開いた。
「何を驚いているのだ。私に会いに来たのだろう?」
「あ、ああ」
呆気に取られていたシグオーンは慌ててうなずくと、その場にひざまずく。
「失礼しました。俺はシグオーンといいます。あなたが水の精霊様ですね」
「いかにも。私の名はウンディーネ。水を司るものだ」
その風貌はどこからどう見ても人間そのものだったが、漂わせるオーラが彼は人ならざるものだということを告げていた。
「……おい、イブネス」
ウンディーネと名乗った精霊の姿を見て、アクティーがじろりとイブネスをにらみつける。
「白波の如き美しい肌は?」
「…………」
「水の流れの如き美しく長い髪は?」
「……知らん」
「透き通った声は?」
「……俺に聞くな」
水の精霊について、以前エルテの町でイブネスがアクティーに読み聞かせた本にはそのように書かれていた。
だが、今目の前にいるのは筋骨隆々な男。
内心で美女を期待していたアクティーはがくりと肩を落とした。
「アンタねえ……」
何となくその心中を察したガレシアが冷ややかな目を向ける。
「確かに昔はそのような姿を取っていたこともある」
「へ?」
ウンディーネにも話が聞こえていたようだったが、彼は意外にも怒ることはしなかった。
「精霊とは、世界を構成する元素の象徴。故に時代や環境の変化と共に、姿かたちも変化させるのだ」
「もしかして、ウンディーネという女性名を名乗っているのもそれが関係しているんですか?」
オルディナが尋ねると、ウンディーネは静かにうなずく。
「そもそも我々精霊に名前というものは存在しなかったのだが、人間たちが初めて我々と接触した際に取っていた姿を基に、勝手に名をつけ呼び始めたのだ」
「そうなんですね……」
勝手に名をつけられたことを怒っている。そう感じたオルディナは余計なことを聞いてしまった気がして小さくなった。が。
「とはいえ、呼ばれる名がないと不便だったのも確か。当初は違和感を覚えていたが、今となっては名がない生活など考えられんな」
どうやら名前を気に入っていたようだ。オルディナはほっと安堵する。
ウンディーネがふうと一息ついた。
「いかんな。どうやら久方ぶりに人間と会えて高揚しているようだ。これではまたシルフ辺りにたしなめられかねん」
「ウンディーネは人間が好きなの?」
ラウダが尋ねると、彼はふっと笑う。
「ああ、好きだ。様々な技術を己の力で作り、昇華させていく……こんなにも興味深い存在、他にはない」
そう言うと、ウンディーネはシグオーンを見た。
「そなたの一族と共に生活していたこともある。豪快で快活、実に気持ちの良い人間たちだった」
「俺の先祖が、精霊様と……」
驚くシグオーンにうなずいてみせるウンディーネだったが、不意にその表情が曇る。
「だが、他の精霊はそれを良しとしなかった。精霊たるものが人間などと同様に生活するとは何事か、と」
「…………」
「精霊は世界のためにある。決して人間のためではない。そう主張するものもいる。確かにその考えも間違っているとは言えないが――いや、このような話をするために来たわけではなかったな」
ウンディーネは首を横に振ると、話を止めた。
そして表情を元に戻すと、今度はラウダを見つめる。
「ラウダよ。お前が望むのならば私も協力しよう。どうだ?」
「……うん、お願い」
ラウダの答えに力強くうなずくと、ウンディーネは一行の近くまで水上を滑るように移動してくる。
「イブネス、証を差し出すのだ」
言われた通り証の宿る右手を差し出すと、ウンディーネがすっと手を前に突き出した。
すると、ウンディーネの背後に幾筋もの水柱が立ち上る。
水は大きくうねると、周囲に冷気を伴いながら、勢いよく水鬼の証へと吸い込まれていく。
やがて全ての水を飲み込むと、証は一段と強い輝きを放った。
「水鬼の証の力を強化した」
「……ああ。感謝する」
イブネスは礼を述べると、ぐっと右手を握りしめた。
「それからシグオーン。そなたの船に加護を与えておこう。これであの海域から無事に帰ることができる」
「そんなことが……ありがとうございます」
シグオーンもまた礼を述べると、頭を垂れる。
そして立ち上がると、再び松明に火をつけ、皆の先に立った。
その場を後にしようとしたその時。
「ラウダよ」
ウンディーネに声をかけられた。
「人は誰しも世界を持っている」
突然告げられた言葉の意味が分からず、ラウダは首を傾げる。
しかしそれに構うことなく、ウンディーネは話を続ける。
「世界とはイメージだ。イメージすれば世界はその通りに変わる」
「何の話?」
「何故、そなたの願いは叶わなかったと思う?」
「え……」
いつか誰かが自分を殺してくれる。自分を罰してくれる。
叶わなかった願い。
そして、今なおきっぱりと手放すことのできていない、願い。
「イメージしていなかったからだ。そなたが死ぬイメージを。そなたがいなくなった後のイメージを」
「…………」
「そなたには何か別のイメージがあったのではないか?」
「別の……イメージ……」
「そしてその別のイメージが、そなたの願いの邪魔をした」
「願いの邪魔をした……別のイメージ……」
ラウダが小声で復唱すると、ウンディーネは力強くうなずいた。
「ラウダよ。イメージするのだ。それがそなたの世界となり、未来となる」
彼の言うことを理解できたわけではない。
だが、何かがつかめそうな気がして。
「……分かった」
ラウダは小さくうなずいた。
それを満足げに見届けたウンディーネはその姿を揺らめかせ、次の瞬間には水となり、ばしゃんと海水へと還っていった。