33‐2
出航から5日後。
慌てた様子の船員に声をかけられ、一行はそれぞれの部屋にこもっていた。
それまでは思い思いに安らぎの時間を過ごしていたのだが、突然雲行きが怪しくなってきたのだ。
事前にオルディナから手渡された苦い薬を飲み、嵐の海域に備えていると、それまで静かに航行していた船が揺れ始めた。
各部屋の家具は激しく揺れてもずれたりひっくり返ったりしないように固定されている。
あとは自分たちの身を案じるのみだ。
一行が部屋で大人しくしている一方、シグオーンはコンパスを片手に舵を握っていた。
脇には海図を手にした船員が控えている。
やがて頭上には黒雲が広がり、ポツリポツリと雨が降ってきた。
それは数分も経たぬうちに風と雷を伴い、強烈な嵐に変わる。
激しい雨風に吹きさらされる中、男はにやりと笑った。
「さて、行くか」
* * *
ぐわんぐわんと揺れる一室で、ラウダは1人ベッドに横になっていた。
たびたびギシギシと木材が軋む音は聞こえるが、それ以外は人の声も特に聞こえず、静かだった。
「2人目の精霊、か……」
小さくそうつぶやくと、己の右手を見やる。
このまま各地の精霊に会って、また塔へ行って、証を取り戻して――
「僕は、何がしたいんだろう……」
ティルアの考えが知りたいと思い行動しているものの、それだけなら勇者の証など取り戻さなくてもいいはずだ。
結局今も誰かに、何かに従っているだけ。
そしてこのまま行けば、きっとまた勇者の使命とやらに従わされることになるのだろう。
ふと、7年前の記憶が蘇る。
あの時の手の感触。彼女の愕然とした表情。
僕では勇者になどなれない。
その時、突然ドンッと下から突き上げられるような揺れが生じ、壁にかかっていたランタンの火が消える。
真っ暗になった船室内。
「ラウダ……」
聞こえてきたのは覚えのある少女の声。
ぎょっとなって跳ねるようにベッドから身を起こすと、白くぼんやりした小柄な人影が部屋の入り口で揺れていた。
そんなはずはない。そんなはずはないのだが。
「ティルア……?」
呆然と彼女の名を呼ぶ。
返事はない。
ただ、もやもやとしていてはっきりとした表情は見えないが、どこか悲しげに見える。
「思い出して……大切なこと……」
以前も夢で同じことを言われた。
その真意を問いただそうと口を開くよりも先に、彼女が言葉を続ける。
「あの日……君が何を考えていたか……」
あの日。恐らく7年前、ティルアが死んだときのことだろう。
「覚えてないよ……そんなの……」
ラウダは正直に答えた。
7年も前の、子供の時に考えていたことなど覚えていない。
それに思い出したくもなかった。
きっとその時の自分の考えなど、真っ黒で、ドロドロで、汚らしいものだったに違いないのだから。
「ダメ……思い出して……そこに、答えが……」
少女の影が大きく揺らぎ始めた。
「ティルア?」
今にも消えてしまいそうな様子に、慌ててラウダはベッドから立ち上がる。
「私は……君を……」
その言葉を最後に、影は消えた。
「ティル」
再び名前を呼ぼうとしたその時、今までとは比にならないくらいの大きな揺れに襲われる。
耐えかねて後ろに転んだラウダはベッドの縁で後頭部を強打し、そのまま意識を失った。
* * *
「ラウダ……」
聞こえてきたのは覚えのある少女の声。
それに反応しようとするも、体が重くて動かない。
「ラウダ」
再び、今度ははっきりと名前を呼ぶ声が聞こえた。
「う」
返事をしたつもりだったが、何とか絞り出した声がこれだ。
相手の声がしなくなった。
これで、また、静かに――
バシャー
「う……ぶっ!」
突然顔に大量の水を注がれ、ラウダは目を覚ます。
目をぱちぱちと瞬かせると、まず最初に、無表情で桶を手にしたローヴの姿が見えた。
その後ろには困ったように笑うノーウィンとオルディナ。
ローヴがにこりと笑った。
「起きた?」
「何して……げほっ……しょっぱ!」
そこで初めて自分にかけられたのが海水だと気づく。
「水の神殿の近くの海水は綺麗だから大丈夫!」
「いや……ええ……?」
きっぱりと言い切ってみせるローヴだが、そういう問題ではない。
困惑するラウダだったが、ふとローヴの言葉に引っかかりを覚えた。
「水の神殿……? もしかして到着したの?」
「ああ、数時間ほど前にな」
笑いながら答えたのはノーウィンだ。
聞けば、船には故障箇所がいくつか出たらしいが、乗組員は皆無事らしい。
体調に関しても、事前に飲んでおいたオルディナの薬が効いたのか、誰一人崩さずに済み、まさに奇跡的な状態だという。
「もうとにかく揺れがすごかったんだからね! 座ってたら軽く宙に浮いちゃって! かといって立つこともできないし……」
興奮した様子でそう話すローヴ。
無事嵐の海域を抜け、水の神殿に船をつけた後、船員が部屋に呼びに行ったのだが、ラウダだけ反応がなかったので仲間たちが呼びに来たというわけだ。
「ボクなんかベッドにしがみついてるので精一杯だったっていうのに、ラウダときたら普通にベッドで爆睡してたし……」
「ベッドで、寝てた……?」
自分はベッドの縁に後頭部をぶつけて床に倒れたはずでは。
しかし頭をさすってもこぶどころか痛みもない。
では、ティルアに会ったのも、話をしたのも全て――
「夢……?」
「何ブツブツ言ってるの? ほら、早く起きて起きて! みんな待ってるよ!」
頭の中がもやもやしていたが、桶を小脇に抱えたローヴに急かされ、ラウダは渋々起き上がるのだった。




