33‐1
一行はオーリバラント大橋での戦いの疲れを癒すため、橋守長シグルドの言葉に従い、ハルフの村へ足を向ける。
半夜の来訪であるにもかかわらず、宿の老婆はこれを歓迎し、またしても大量の食事を用意してくれた。
翌早朝。
疲れが完璧に抜けたわけではないが、港にいる船乗りたちをこれ以上待たせるわけにはいかないと、まだ日も昇らぬ中、村を発つのだった。
港に着いたのは、それから4日後。正午を過ぎた頃である。
これでも最短距離でここまでやってきたのだが、道中魔物に襲われることもあり、余計な時間も費やしてしまっていた。
「ローヴさん、体力ありますね……」
ふうと大きく息をつくと、オルディナがローヴに話しかけた。
話しかけられた方はと言うと、汗こそかいているものの、まだ余裕がありそうだ。
しかしあまり自覚はなかったらしく、腕を組んで首を傾げた。
「うーん、こっちの世界に来てから無茶ばっかりしてるから自然と体力がついたのかも」
「むう、うらやましいです……」
「でもそう言うオルディナも初めて会った頃に比べたら体力ついてるんじゃない?」
ローヴにそう言われ、オルディナはうーんと今までのことを思い返す。
「……確かに、頻繁に休憩を取らなくても意外と何とかなってますね。あ、そういえばイブネスお兄さんに背負ってもらうこともなくなりました」
「今まで背負ってもらってたんだ……」
さらっと告白された内容に、ローヴはツッコまずにいられなかった。
「オルディナちゃーん!」
そんなやり取りをしていると、不意に遠くから少女の名を呼ぶ声が響く。
声のする方を見ると、見覚えのある巨大な船の上から数人の船員たちがこちらに手を振っていた。
彼らの姿を見たオルディナはぱっと顔を明るくし、手を振り返す。
「相変わらず人気だな……」
アクティーがやれやれと肩をすくめた。
一行が船に近づくと、1人の男が下船してくる。シグオーンだ。
「よお。惑わずのコンパスは手に入ったか?」
「ああ、これだ」
ノーウィンが差し出したコンパスを受け取ると、シグオーンは針をじっと見つめた。
針はある方角を指し示し続けている。
「ここから南東ってとこか。海図とも一致してるな」
シグオーンは満足そうに笑むと、コンパスを懐にしまい、一行の顔を見やった。
「手間かけさせて悪かったな。さ、乗った乗った」
これでようやく水の精霊に会いに行ける。
安堵する一行だったが、ここからが一番大変だということを、後に身をもって知ることとなる。
* * *
港を出航した後、シグオーンに案内された一行は船長室を訪れていた。
部屋の真ん中にある机の上には、複雑な曲線がいくつも描かれた、古びた海図が広げられている。
恐らくこれが嵐の海域の海図だろう。
そこへ惑わずのコンパスを置くと、シグオーンは一行の顔を見渡す。
「さて、嵐の海域までは大体5日くらいかかる。その間は心の準備をしつつ、体を休めておくんだな」
「心の準備、ですか?」
オルディナが首を傾げると、相手はにやりと笑った。
「嵐の海域の名は伊達じゃない。一流の船員でもその揺れに耐えかねて体調を崩すって話だ」
つまり、相当揺れるから船酔い――のもっと辛い状態に対して心積もりをしておけということだ。
「うげー……」
そう言ったアクティーのみならず、その場にいる皆がその凄惨な様を想像し、嫌悪感を示す。
「え、ええっと……後で船酔いに効くお薬渡しますね……」
オルディナが困った様子で笑んだが、果たして彼女の強力な薬でも効果が得られるのか――
「……なあ、ジェスト家の坊主よ」
皆が不安に陥っている中、1人何かを考え込んでいたシグオーンが不意にアクティーに声をかけた。
「お前さん、確か風の力が使えるんだったな」
「ん? ああ、そうだが?」
「今この船におかしな気配を感じたりはしないか?」
その言葉に疑問を覚えつつも、アクティーは目を閉じ、船内の気配を探る。
忙しなく動き回る船員たち。
それから今回の航海のために入れ替えた様子の必要最低限の積み荷。
他にも各部屋をぐるりと見て回るが、彼の言うおかしな気配というのは感じられなかった。
「……別に問題はなさそうだが」
「そうか」
目を開けてそう報告すると、今度はシグオーンが何事かを思案するように目を閉じる。
「急にどうしたんだい?」
ガレシアが怪訝な顔でそう尋ねると、彼は目を開け、ゆっくりと話し始めた。
「アンタらを待っている間、変わった客人が来てな」
「客人? 誰だ?」
ノーウィンが問うも、シグオーンは首を横に振る。
「詳しいことは分からん。名乗りもしなかったしな。声質や体型から女であることは間違いないが、黒いフードで顔を隠していた」
「……用件は何だったんだ?」
「望みを何でも叶えてやる代わりに、最近この船に乗せた9人組の情報及び身柄を渡してほしい、だとさ」
「なっ!?」
捕らわれるのではないかと反射的に全員が身構えたが、彼はひらひらと手を振って見せた。
「安心しろ。きちんと望みを伝えて帰ってもらった。失せろ、ってな」
それを聞いて皆の気が抜ける。
「はあ……驚かすんじゃないよ!」
ガレシアが文句を言う横で、アクティーは合点がいった様子を見せた。
「だから突然おかしな気配を感じないか聞いてきたわけか」
「ああ。何せ得体の知れない相手だ。密航されてる可能性もあったからな」
ノーウィンがアクティーの方を見る。
「どう思う?」
「まあ名乗らない、顔を見せないって時点で敵と考えていいだろうな。しかし堂々と知人に接触してくるとは」
「しかもあっさり帰ったんだろう? 何がしたかったんだかねえ」
ガレシアは腑に落ちないようだ。腕を組み、うーんと声を漏らした。
「とりあえずそういうことがあったっていう報告だ。船員どもにも警戒させてるが、アンタらも気をつけろよ」
「分かった」
皆うなずきこそしたものの、謎の来訪者の存在に一抹の不安を覚えるのであった。