5‐3
扉を開け順に中に入ると、カウンターにいた老婆が一礼した。
ノーウィンはそちらへ歩み寄ると部屋を借りる旨を話し出す。
丸太を組み合わせて作られたログハウス。
中にある本棚や机、椅子、カウンターなど全て木製の温かみのある宿だ。
しかしベギンの街の宿屋に比べればちっぽけなもので、入ってすぐに受付、その隣が食堂、食堂を通った先に客室が3つあるだけ。
宿の経営者も、あちらでは何十人もの人がいたのに対し、老夫婦が2人で営んでいる。
ラウダは、さすがにこういう場所なだけあって客はいないようだ、と思いながら食堂をのぞいてみると、奥の丸テーブルに大柄な男が1人、ビールジョッキを片手にどっしり座っていた。
身なりからしてこの村の人間でないことは一目瞭然だった。
顎から口へとぼさぼさの髭面。同じく髪もぼさぼさ。
服装も深緑のジャケットに、元は灰色だったのであろう黒く汚れたズボン。
何より、テーブルに立てかけられた大剣がその証拠である。
その様を遠くからまじまじと見つめていたが、突然男がこちらを見る。
目が合った。
なんとなく気まずいと思い目をそらそうとしたが、そうはさせまいと言わんばかりに
「お前は旅人か!」
と無駄に張りのある大きな声で言った。
ラウダは思わず辺りを確認してから自分に話しかけているのだと気づく。
そう言われてよくよく考えてみると、自分はもともと街に住む一般人である。だが今は元の世界に帰るべく旅をしている。
ならば旅人なのだろう、か。
「多分……」
曖昧なままに返事をすると、曖昧な答えが出てしまった。すると再び男の声が飛ぶ。
「はっきりしろ、はっきり! まったく、最近の奴らはすぐに微妙とか多分とか適当なことを答えやがる」
何事かを話すたびに、男の顎に蓄えられた髭がぼそぼそと動く。
そしてジョッキに並々と入っていたビールを思いっきり飲み干すと今度は
「そんなところに突っ立ってないでこっちへ来い! 酌をまかせてやる」
と呼び寄せる。髭に白い泡。
何故自分が酌をまかされなければならないのかと思ったが口には出さず、困った様子で離れた場所にいるローヴとセルファをちらりと見ると、セルファの方は無表情のままこちらを見返してきた。
その目が相手にするなと言っているように見えなくもない。
ローヴの方は困ったような顔をしてから、男の方へと歩み寄った。どうやら一言言ってくれるらしい。ラウダもそれに続いた。
男の隣に立つと、男はまじまじと2人を見つめた。2人も思わず男を見てしまう。
でかかった。
遠目でしかも座っているために気づかなかったが、身長がノーウィンほど、いやそれ以上ある。
そして横にもでかい。太っているのではなく、筋肉質でごついのだ。
若者、ではない。40代半ばといったところだろうか。髭のせいでもっと年上に見えないこともない。
視線を移して机の上を見てみると、1人で食べたとは思えない量の皿が積み上げられ、ジョッキが並んでいた。
男はローヴの方へ目を留めると何やら指を差してきた。
「そっちの坊ちゃんは良いもん持ってんな」
ひっく、としゃっくりを上げながら見つめるそれは、ローヴが首からかけている大切なペンダントだった。
「高値で買ってやるぞ。いくらがいい?」
その言葉にローヴは顔をしかめた。
「……いくらでも売りません」
少し怒った声でそう言い返すが、男は変わらず
「そう言うなよ! そんな高価なものならいくらでも出すぞ」
とへらへらしながら一方的に交渉を続ける。
その態度にローヴはため息をつくと、
「これは母の形見なんです。だから売れません」
きっぱりと答えた。
すると男は突然大声で笑い出した。
訳が分からず困惑する2人だが、男は意外にもローヴに
「なら大事に持っとけよ、坊主」
と言っただけであった。そして再び料理に手をつけ始めた。
何故だかからかわれたような気がして、ローヴはむすっとした顔になった。
「ボクは女です!」
彼女の言葉に男は手を止め、再びまじまじと2人を見た。今度は身を引いて見る。その後元通り座り直したかと思うと
「お前らが紛らわしいカッコしてるからだ!」
と文句を言い始めた。
その言葉に思わず2人は互いに顔を見合わせた。どうやら性別を勘違いされていたようである。
ようやく酌をしろと言われた意味が分かり、ラウダは思わず呆れ顔になってしまった。
一方のローヴは、すっかり酔っ払いに絡まれてしまったなと思い、この男から離れる方法をあれこれと考えていた。
しかしそこで突然男の表情が変わった。
「さて、くだらない話は終わりだ」
先程まで馬鹿でかい声で叫んでいたのが嘘のように、ピンと張り詰めた静かなものへと変わった。そしてその表情も、先程までのおちゃらけた酔っ払いとはまるで別人のような凛々しいものへと変わっている。
2人が驚き口を開くよりも早く、男は物々しく口を開いた。
「お前らはそんなので旅なんて続けられるのか?」
突然まじめな話に変わってしまったため、どう対応すればいいのか分からず、2人は男を見つめたまま黙り込む。
「そのひょろひょろの体で何ができるんだ? 薪割りの1つもできないだろ」
そう言ってまるで自分の筋肉を見せつけるかのように左腕を持ち上げた。そこにはノーウィンよりも盛り上がった筋肉があった。
男の口調から半分馬鹿にされているのだと分かる。だが言い返せぬまま、またも素早く口を開かれた。
「武器はただの飾りじゃない。まして脅しの道具でもない」
そう言いながら見たのはローヴの方だった。
「お前は戦いをなめてんのか? そんな新品の剣を持ち歩いたってお守りにすらならねえぞ」
思わずラウダはローヴを見た。
気づかなかった。
前々から様子が変だとは思っていた。しかし、今まで何度か戦闘を経験した中で一度も剣を振るっていないとは思わなかった。そんなことは考えてもいなかった。
彼女は唇を強くかんだまま黙っているだけ。
「戦わずして勝てるなんて思ってるんじゃないだろうな? そんな甘い考えは捨てろ」
その間にも男の説教は続く。
「戦場は死ぬか生きるか、どっちかだ。その間なんてないぞ」
男の姿からして恐らく戦闘経験は豊富なのだろう。
その言葉は正しいのかもしれない。しかしそれに我慢しきれなかったのか、ついにローヴが口を開いた。
「でも、でもボクには……分からない! 命を平気で奪える行為が分からない!」
自分でも分からなかった言葉の続き。ずっと持っていた思いを吐き出すように叫んだ。
ラウダはその言葉に思わず、胸を押さえた。鋭い痛みが走ったような気がした。
しかし男の次の言葉でローヴは反論できなくなった。
「失くすことが怖くて人間なんてやってられるか!」
失くすこと。人間は生きているうちに何かを失くしてしまう。
人間だから失くすのか。
失くすから人間なのか。
何度も繰り返し問うていた記憶がふと思い起こされた。
「怖いなら戦わなくていい。私たちの後ろでじっとしていればいい」
そこへ別の声が飛んできた。ラウダが振り返るとそこには最初から事の成り行きを見ていたセルファと、部屋借りの手順を済ませたノーウィンが立っていた。
「あんたの言い分も最もだが、全ての人間が戦えるかって言ったらそういうわけじゃないからな」
普段のノーウィンにしては珍しく、その表情には穏やかさがなかった。
突然割り込んできた男女に男は目をやりまじまじと見つめた。そして
「お前らは何だ」
それだけ問う。
ノーウィンはラウダとローヴに目をやると、
「そこの2人の連れ、だな」
と言い、再び男に視線を戻した。
男はしばらく黙っていたが、再び今度はゆっくりと口を開いた。
「お前らは旅をして結構長いようだな。戦士の目をしている。だがそれなら、どうしてこいつらに武器を渡した?」
その質問にノーウィンは顔をしかめたが、すかさずセルファが答えた。
「彼らの力が必要だったからよ」
「こんなに非力なのにか」
すぐさま返ってきた言葉に今度はノーウィンが答える。
「悪いが、あんたが思ってるほど弱くはないぞ」
その言葉にラウダは少し恥ずかしくなった。
男はほお、と言うと黙り込んだ。というより何かを考えているようだった。
「俺たちは疲れてるんだ。早く部屋で休むために話を終わらせてもらってもいいか?」
ノーウィンが話を切ろうとしているのに気づき、ラウダは安堵の表情を浮かべた。
しかし、男が左手を突き出した。待ってくれと言っているのだ。
「お前ら、名前は?」
やれやれと肩をすくめると、
「俺はノーウィンだ。こっちがセルファ」
自身と隣にいた少女の名を名乗った。
「僕はラウダ。それで隣にいるのが」
「ローヴです」
先程まで散々に言われたことがショックだったのだろう。彼女の声には元気がなかった。
男は右手で顎髭をさすりながら4人の顔を順番に見ていった。
「俺はビシャスだ。こう見えても戦闘のプロフェッショナルでな」
そう名乗ってふんと鼻を鳴らしたが、机上に散乱する大量の皿とジョッキからはそんな威厳は微塵も感じられなかった。
その有り様にノーウィンが深いため息をついた。そして親指を後ろに向ける仕草をした。
彼らの後ろにはカウンターがあり、そこには老いた男性が困った表情を浮かべていた。
ビシャスは一瞬何事かを考えるような顔をした後、大声で笑い出した。
「ああ、すまんすまん! ここの飯が美味いからうっかり食べつくすところだったな!」
ぎしりという音と共に椅子から立ち上がると老人の方へ行き、
「美味かったよ、ご主人。ごちそーさん」
一言礼を言った。いつの間にか先程までの凛々しい表情はどこかへ行き、元の酔っ払いと化していた。
4人の方へ向き直ると、今度はセルファとノーウィンを交互に見つめる。
「まだ何かあるのか」
その性格にそろそろ呆れ始めていたノーウィンがため息をついた。
「いや何、緑髪の嬢ちゃんは魔法を使いこなすようだが、兄ちゃんは使わないんだなと思ってな」
名乗ったにも関わらず、名前で呼ぼうとしない相手の図太さにさすがのセルファすら呆れていた。
「そんなこと分かるんですか?」
しかしローヴはビシャスの言葉に驚いたようだ。先程までの落胆した表情はどこかへ行き、目を丸くして尋ねた。
「匂い」
答えたのはセルファだった。たった一言だったがビシャスも同意するように大きくうなずく。
しかし意味が分からないローヴは首を傾げただけだった。
「長年魔法を使ってるとな、自然と分かるのさ、魔法の匂いってやつがな」
ビシャスが笑いながら説明したが、要は長年の勘ということなのだろう。
さすがに自分ではそれは理解できないと認め、ローヴは再び黙り込んだ。
そこへビシャスが何事かを提案した。
「お前らも使ってみたいと思わないか?」
いや、既に提案してあったのかもしれない。その爛々とした目を見るとそんな気がした。
どちらにしろ、唐突すぎてラウダとローヴは思わずぽかんとした表情を浮かべてしまう。
「魔法だ、魔法! どうだ?」
どうだ、と聞かれてもとっさに答えられず、2人はノーウィンを見る。
ため息をつくと、2人に代わってノーウィンが話を続けた。
「どうせ金を取るんだろ? 悪いがそんな金」
「金なんぞいらん!」
はない、と言うより早くビシャスがそれを否定してしまった。
金を取らずに魔法を覚えられるなど、そんな旨い話があるはずがない。
ノーウィンは顔をしかめた。
「どういうつもりだ?」
ビシャスがにやりと笑う。
「俺は強い奴を育てるのが生きがいなんだよ。人が強くなる過程を見るってのは、そこらの娯楽なんかよりずっと面白いもんだぞ?」
それから視線を再び2人に向ける。
「俺が一から戦闘の何たるかをたたき込んでやる。いいな?」
「いいも何も……」
ラウダが困ったような顔でつぶやくが、相手は大笑いをしながら
「よおし! 明日からビシャス様特別戦闘講座開始だ!」
勝手に決定していた。どうやら最初から拒否権はなかったらしい。
1人張り切る男をよそに、4人はため息をついた。
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