32‐3
「お、に……?」
ローヴが呆然とつぶやいた。
皆の脳裏に昨日のシグルドの話がよぎる。
『大型で凶暴な魔物の群れに襲われ、橋にいた人間の多くが亡くなりました』
『魔物の様相から人々はやつらを“鬼”と呼んで恐怖し――』
ずん。
足元に振動が伝わってくる。
ずん。
それは徐々に大きくなり。
ずん。
そして鬼は現れた。
緑色の肌。盛り上がった筋肉に浮き出る血管。鋭く輝く赤黒い瞳。そして額に一本の角。
4、5メートルはあるであろう巨大なそれは、露店を次々と破壊しながら前進する。
――その手に人間だった血肉を持ち、引きずりながら。
「あ、ああ……」
その圧倒的な存在感に、オルディナは身を震わせながら一歩後退した。
「何だよ、あれ……」
ザジが呆然とそう言うが、答えられる者はいない。
こんな巨大な存在が一体どこから湧いて出たのか。
橋の向こうにいた人間はどうなったのか。
どの質問にも答えられる者はいない。
「引くか、攻めるか……どうする?」
鬼から視線を外すことなく、ノーウィンがそう問う。
「引くに一票入れたいとこだが」
問いに答えるアクティーは目を閉じ、証の力で周囲の人間の様子を探っていた。
「大渋滞だな、こりゃ。引くに引けねえわ」
やがて目を開けると、武器を手にする。
「相手にとって不足はない、って余裕ぶりたいとこだけどねえ……」
大きなため息をつくと、ガレシアも武器を構えた。
「どうしてこう面倒なことばかり……」
「……全くだ」
セルファとイブネスも文句を言いながらも、臨戦態勢を取る。
その様子を見て、ザジは狼狽する。
「お、おいおいおい! まさかお前らあれと戦う気かよ!」
「面倒くさいけど、仕方ないから」
ため息交じりにそう言うと、ラウダも剣を抜き放つ。
「ああ、そうだ。太陽の証なら消滅したから、もうないよ」
「……は?」
とんでもない流れで、さらっととんでもないことを言われ、ザジは開いた口が塞がらない。
そんなやり取りをしている間にも鬼はどんどん近付いてくる。
やがてこちらの敵意に気付いたようだ。
武器を構える一行を視界に入れるなり、鬼は手にしていた肉の塊をぶんと投げ捨て、虚空へ向けて吠えた。
グオオオオオオオオ!!!!!
「先手必勝だ!」
先陣を切って飛び出したのはアクティー。
「エンチャント……アイス!」
続けてイブネスが剣に冷気をまとわせ駆け出した。
「オルディナ、無理なら下がっててもいいんだよ」
「え?」
涙目になっているオルディナに、ガレシアは落ち着いた様子で声をかける。
「今回は並大抵の相手じゃない。だから――」
「い、いえ! やります! 大丈夫です!」
オルディナは言葉を遮ると、ごしごしと涙を拭いた。そして杖を握り直すなり、魔法に集中し始める。
どことなく危なげな彼女の様子を心配するも、ガレシアは気持ちを切り替えると、仲間たちに続いた。
そんな中、ネヴィアもまた銃を手に相手を見据えていた。
「逃げるなら今のうちだ」
背後にいるザジに振り返ることなくそう告げると、彼女は敵の頭部に狙いを定める。
「お前は逃げないのかよ!」
「今のところその予定はないな」
慌てふためく少年に冷静にそう返すと、ネヴィアは雷弾を一発放った。
光速で飛ぶそれはどの攻撃よりも真っ先に敵の眉間に命中する。
大したダメージは与えられなかったが、怯ませるには十分だったようだ。
鬼はうめきながら、片手で顔を覆った。
その好機を逃すまいと、風の刃と氷の刃が鬼の両足を切り刻んだ。
だが相手は倒れない。それどころか前衛の2人に拳を振り下ろす。
「トールメ!」
そこでオルディナの魔法が完成し、鬼の動きが鈍くなった。
2人は飛び退き、拳はそのまま地をたたく。
「うおおっと……!」
その影響で辺りに少しばかりの揺れが起き、ザジが焦るが、橋にはひび一つ入らなかった。
どういう造りかは知らないが、とりあえず橋が沈む、壊れるという心配はいらないらしい。
だがそんなことを気にしている余裕はない。
すぐさま飛び出したガレシアとノーウィンがその拳を打った。
「イグニス!」
「ロック!」
さらに敵が次の行動へ移る前に、ローヴとセルファが初級魔法で顔面をたたき、怯ませる。
「おお!」
流れるような見事な連携にザジは1人、興奮したように歓声を上げていた。
対する鬼は、相手の一方的な攻めに腹が立ったようだ。今度はがむしゃらに拳をたたきつけてくる。
とはいえオルディナの魔法が効いているため、動きは遅いまま。
地をたたきつけたところを、今度はラウダが横に斬り払った。
ア、ア……
四肢に傷を負った鬼はよろめき、数歩後退する。
押し通せる。
そう判断した一行はさらに追い打ちをかけんと飛び出した。
だが。
アアアアアアアアアア!!!
鬼が虚空へ向けて絶叫する。
怒りとも絶望ともとれるその声は聞いた者たちに、ある直感を与えた。
これ以上これにかかわってはいけない、と。
背筋にぞわりと冷たい感覚。
呼吸するのが苦しい。
汗が吹き出す。
ある者は武器を取り落とし、ある者はその場にへたり込み、またある者は集中力がかき消されて魔法が撃てなくなってしまった。
硬直してしまった皆の耳にビービー、ビービーと何かの音が届いた。
「緊急! 緊急! マリフェルバ側より魔物の襲撃! 大橋にいる者は直ちに避難せよ! 直ちにっ、ぐあっ!」
橋の緊急事態を知らせる男の声は、グシャッ、ビチャッ、という不快音で途切れてしまう。
「ひっ……」
オルディナはひきつった声を出すと、恐怖のあまり目を閉じ、耳を塞ぐ。
「くっ……アクティー! 何が起こってるんだい!」
ガレシアがアクティーの方を振り向くと、彼は目を固く閉じ、急ぎ周囲を感知しているところだった。
「マリフェルバ側の出入り口……気配が急激に減って……いや増えて……?」
「ど、どっちなんだい!」
しかし現状をつかみきれず困惑するアクティーの様子に、自然と仲間たちの焦りも募る。
そこでノーウィンがあることに気づき、叫んだ。
「ラウダ下がれ!」
ラウダが顔を上げると、鬼が拳を振り上げたところだった。
歯を食いしばると、立ち上がりざまに体をねじり思い切り跳躍。
だが相手の動きは先ほどと異なり、速い。
「もう魔法の効果が切れたのか!?」
通常ならばもう少し長続きするであろう弱体魔法があっさりと破られてしまった。
そのことに皆が焦りを感じる中。
「ラウダ!!」
ローヴが、攻撃に巻き込まれ姿が見えなくなった幼なじみの名を叫び、キョロキョロと辺りを見渡す。
すると露店跡の陰から、ラウダがこちらに駆け寄って来ていたのを見つけられた。
どうやら間一髪攻撃を避け切っていたらしい。
ローヴはほっと安堵すると、相手をにらみつける。
「セルファ! ネヴィアさん! もう一度魔法で怯ませよう!」
現状を打開すべくローヴが提案すると、2人はすぐに承諾し、鬼の顔面に狙いを定めた。
そうして再びネヴィアの雷弾が発砲される。
「ロック!」
「イグニス!」
続けて2人の魔法がそれぞれの手から放たれた。
先ほどと同じように怯ませ、皆の連携で押す作戦だ。
しかし。
鬼に迫った雷弾と岩塊、火球が、どこからともなく現れた拳大の氷塊によって打ち消されてしまった。
「何だ!?」
続けて攻撃に移ろうとしていたノーウィンが驚き、動きを止める。
「ゲッヒャヒャヒャー!」
「コロセ! コロセ!」
氷が飛んできた方向、鬼の後方から続々とゴブリンたちが姿を現した。
その中にはマリフェルバ大陸で見た妖精ピクシーや、青い体毛の狼サンダーウルフまで交じっている。
「まさか魔物の襲撃って、これかい!?」
「おいおいおいおい……ここはパーティー会場じゃねえんだぞ?」
ガレシアが驚愕する横で、アクティーはいつものようにジョークを飛ばす。
だが、その顔に余裕はない。