32‐1
世界一長い橋ことオーリバラント大橋を再訪した一行。
今回はマルメリアで発行してもらった通行許可証があったため、すんなりと検問を通り抜けられた。
「あの、橋守長のシグルドさんは今どちらにいらっしゃいますか?」
許可証の発行にはシグルドの協力もあった。その礼をと思い、オルディナは近くにいた橋守――もといブリッジディフェンダーに声をかけたのだが。
「シグルド殿なら今は橋内の巡回をしてらっしゃいます」
「巡回? 長が直々にそんなことするのか」
そういうのは通常下っ端に任せるものでは、とアクティーが首を傾げた。
その様子を見たブリッジディフェンダーは笑う。
「やっぱり普通そんなことしませんよね。でも、シグルド殿はこの仕事に誇りを持っておりまして」
確かに以前会話した際、彼はこの橋を自由の象徴と呼び、とても大切に思っていたようだった。
「実はシグルド殿のお父上もこの橋の長を務めていたのですよ。それに憧れて自分も橋守に、と」
「わあ、素敵なお話ですね!」
父に憧れ、同じ職業それも同じ立場についたという話に、オルディナは胸を打たれる。
「じゃあ父親にとっちゃ自慢の息子ってわけかい。そりゃあ鼻が高いだろうねえ」
ガレシアが明るく言うと、不意にブリッジディフェンダーの表情がふっと陰った。
「どうでしょう……もしかしたら、どうして自分と同じ職に就いたんだって嘆かれてるかもしれませんね……」
「え? どうしてですか?」
不思議そうに小首を傾げるオルディナに彼は少々悩んだ後、声を落として話し始める。
「シグルド殿のお父君は殉職されたんです」
「え……」
「この橋は過去に一度魔物の襲撃に遭っていて……多くの人が惨殺され、お父君もその際に――」
「何の話かな?」
背後からかけられた声にブリッジディフェンダーはびくりと肩を揺らす。
彼が慌ててそちらを向くと、そこにいたのはうわさの橋守長。
「シ、シグルド殿!」
すぐさま敬礼するブリッジディフェンダーだが、じろりとにらみつけられた彼はそそくさとその場を離れていった。
「おや、あなた方は」
シグルドは一行の姿を確認するなり、表情を明るくした。
「通行証の件、ありがとうございました」
オルディナがぺこりと礼をすると、彼は首を横に振る。
「いえ、余計なお節介かとも思ったのですが、お役に立てたのなら何よりです」
それからシグルドに案内されて橋内に入る一行だったが、部下の目が届かぬようになったところで、彼は大きくため息をついた。
「皆さん、不快な思いをさせてしまい申し訳ない」
「え?」
「父の話ですよ」
やはり気軽に聞いて良い話ではなかったと一行は気まずさを覚えるが、彼は首を横に振る。
「部下が勝手に話したことですから。どうかお気になさらないでください」
「魔物の襲撃があったってのは事実なのか?」
アクティーがそう尋ねると、シグルドは静かにうなずいた。
「当時はまだ検問などあってないようなものでして。そこを大型で凶暴な魔物の群れに襲われ、橋にいた人間の多くが亡くなりました」
「そんな……」
「魔物の様相から人々はやつらを“鬼”と呼んで恐怖し、その後の数年間は誰もが橋に寄り付かなかったほどです」
話を聞いたアクティーは、何か気がかりでもあるのか、1人考え込む仕草を取る。
「すみません、暗い話ばかりで」
「いや、それも重要な話だ。教えてくれて助かる」
申し訳なさそうに謝罪するシグルドに、ノーウィンは礼を述べ微笑みかける。
それを見た彼は気を取り直し、笑みを見せた。
「今は橋の警備も強化されていますし、何より巨人様の加護もありますから。心配なさらないでください」
「巨人様?」
その言葉にローヴは不思議そうに首を傾げ、オルディナの方を見やったが、彼女も知らないらしく、同じように首を傾げていた。
「ああ、伝承の存在です。この大橋は、いつ、誰が、どうやって作ったものなのか未だに解明されておらず、古い言い伝えでは巨人が海に立って人々のために建造したと言われているんです」
「へえー! 何だか面白い話ですね!」
ローヴが興味を持ち、顔を輝かせると、彼は恥ずかしそうに頭をかく。
「まあ、こんな話を信じているのは子供たちと私くらいのものですがね」
そう言うとシグルドは昔を懐かしむように宙を見やった。
「父が……子供の頃からこの橋が好きだったんです。それで父の父や祖父に聞いていたのを私も教えられまして」
彼の浮かべる懐古の表情の中に、寂しさも交じっていることを感じた一行は自然と黙り込んでしまう。
それに気がついたシグルドは、首を左右に振ると、再び笑顔を見せた。
「引き留めてしまってすみません。こんなに長話するつもりではなかったのですが」
「いえ、お話ありがとうございます」
オルディナが礼を述べると、彼は小さくうなずく。
「それでは私は検問所の方へ戻ります。どうかお気を付けて」
そうしてシグルドはその場を立ち去っていった。
「何か気になるのか?」
立ち去る男の背をじっと見つめるアクティーに、ネヴィアが声をかける。
皆の視線を受けたアクティーは、未だ何かを考え込む様子で口を開いた。
「いや……何でそんな大事件が周知されてねえのかなと」
「俺たちが知らなかっただけじゃないのか?」
ノーウィンがそう答えるも、彼はどうにも納得いかないようだ。
「そうかもしれないが……協会でもそんな話を聞いたことは……」
「とりあえず先に進むべきだ……もうすぐ日が暮れる……」
イブネスと、その意見に同意を示してこくこくとうなずくセルファ。
アクティーは少々黙り込むも、小さく息をつくと、肩をすくめた。
「そーだな。行くか」
そうして一行は手近な所で夕食を買うと、最寄りの休息所へと入るのだった。
* * *
しんと静まり返った夜の橋で、またしてもラウダは1人ぶらぶらと散歩をしていた。
ここの明かりはブリッジディフェンダーが管理しており、人が眠る今は、控えめに辺りを照らしている。
当然ながら人通りはなく、露店はどこもきっちりと片付けられている。
どこか寂しげな光景を見ながら、ラウダは師に言われたことをぼんやりと思い返しつつ、考える。
生きる理由。勇者として戦う理由。
誰のために。何のために。
「難しいな……」
そもそも自分は何がしたいのだろうか。
ティルアに会いたいという気持ちは変わらない。
だが、会ってどうするのだろうか。
今なら分かる。彼女に会っても何も解決しないと。
ではどうすれば良いのか。そもそも解決とは?
同じことが頭の中を堂々めぐり。
結局何も定まらず、ラウダは大きなため息をついた。
「なんだあ……辛気臭い顔しやがってよお……ひっく」
不意に声が聞こえ、そちらを見やると1人の老人が立っている。
辺りを見回すが、周りには誰もいない。
「お前だよ、お前、っとお……」
言いながら老人は足をふらつかせる。
シワシワの顔に骨ばった腕と足。ボロボロの衣服を着たその手には瓶が1本握られている。
どこからどう見ても酔っ払いだ。
「お前もよお、あっちで俺たちと飲もうぜえ? いやーなことなんか、ぱーっと忘れちまってさー……ひっく」
普通なら構うことなく立ち去るところを、どうやら思いの外窮していたらしく、気がついたときにはあることを尋ねていた。
「生きるって、何?」
「は?」
はっとなって何故このような男にそんなことを聞いたのだろうと後悔したラウダは、すぐさまその場を去ろうとする。
「……好きな女と一緒にいることじゃねえかあ?」
しかし意外や意外。返答があった。
答えを返されたラウダは再度老人の方を向き、目をぱちくりとさせる。
「……おじいさん、好きな人がいるの?」
「そりゃあお前、昔は好きな女の1人や2人、いるのは当たり前で……俺ぁ人気者でえ……」
と、そこまで言うと、突然男はぐすぐすと泣き出した。
「今はなぁもうだあれもいねえ……1人になっちまった……うっぐっ、ぐすっ……」
「あ、えと……」
「けどなあ、今の俺には飲み友達がいてなあ? 酒持ってきてくれるいーい奴らなんだよお……ぐすっ……」
詳しい事情は知らないが、どうやら老人の方も困窮しているらしい。
しかし話につき合う気のないラウダは、余計なことを聞くんじゃなかったとさらに後悔する。
そろそろ宿に戻らないといけないというのにどうしたものかと悩んでいると、ふと甘い臭いが嗅覚をくすぐった。
花の香りだろうか。少々甘ったるい臭い。
ラウダは何故かこの香りを知っている気がし、首をひねる。
「おーい爺さん、何してんだ?」
少し離れた所、露店の陰から男の声が聞こえた。
この老人の言っていた飲み友達だろうか。
「おー、こっちになあ、かわええ女の子がいてなあ」
老人が振り返って相手に告げた言葉を聞いて、ラウダの眉間にしわが寄った。
どうやらずっと少女と勘違いされていたらしい。
「僕は男だ!」
ラウダは一喝すると、厄介事に巻き込まれる前にさっさとその場から退避するのだった。