31‐7
「……ある人が言ったんだ」
「あん?」
昼休憩中のラウダは食べかけのおにぎりを手にしたまま、ぽつりと話す。
少年のものより二回りほど大きなおにぎりを食べ終えたビシャスは、指に付いた米粒を一粒一粒食べながらそれに返事をした。
「嫌なことをそこまで一生懸命にやる必要ないって」
ラウダの脳裏に、その言葉を語った時のキュレオの顔が浮かぶ。
淀みない純粋な笑み。真っ直ぐな瞳。
「…………」
ビシャスは黙り込んだ。きっと怒られるだろうなと思いながらもラウダは次の言葉を発した。
「それを聞いて僕は救われた気分になった」
すると意外にも男は髭を触りつつ、ふーんと言うだけ。
「ま、分からんでもないな」
「……怒らないの?」
恐る恐る尋ねると、ビシャスはボリボリと頭をかいた。
「なんで怒るんだよ。そいつの言う通りだ。嫌なことにエネルギー使うより、好きなことにめいっぱいエネルギー使った方が楽しいだろうが」
「うん、でも……」
「勇者のことか?」
ラウダの暗い横顔を見て、男はすぐにピンと来たようだ。
言い当てられたラウダはこくりとうなずく。
「……困ってる人がいて、その人を助けられる力がある。なら使うべきだとは思う。でも世界を救えなんて、正直、しんどい」
それを聞いたビシャスは、はあ、と大きなため息をついた。
「そりゃ世界規模で考えるから辛く感じんだよ」
「え?」
「そうじゃなくて、単純にお前が守りたいものだけ守るって考えたらどうだ?」
目をぱちくりとさせるラウダを真剣に見据えたまま、ビシャスは言う。
「てめえの信念のためだけに戦うってのでも良いし、誰か1人のためだけに戦うってのでも良い」
「そんなので良いの……?」
訝しむラウダに、男は肩をすくめて見せた。
「さあな。でも勇者に型なんてないだろ? じゃあ好きにやってやりゃいい」
「…………」
ラウダは考える。
言われてみれば、かつての勇者がどうしたかなどこれっぽっちも知らない。
いつしか本や伝承で知るもののように戦い、振る舞わなければならないという固定観念に縛られていたようだ。
自分が本当になしたいことは。
不意にビシャスが大声で笑い出した。
「悩め悩め! そんで行動しろ! 思い通りに動き回れるのは若ぇうちだけだからな!」
言うことが随分爺臭いなと思いながら、ラウダは残りのおにぎりにかぶりつく。
「さて、それ食ったら再開だ」
「むぐ……」
もぐもぐしながら、またもみくちゃにされるのかと少年は渋い顔を浮かべる。
しかしその表情とは裏腹に、心は不思議とすっきりしていた。
* * *
「イグニスボール!」
突き出した両手から飛び出した巨大な火球が、正面に立つ的に命中した。
わらで作られた人型の的はメラメラと燃え上がる。
火の中級魔法を放ったローヴはひざに手をつくと、荒い呼吸を繰り返した。
彼女が疲れているのも無理はない。ネヴィア指導の下、ありとあらゆる属性の魔法を試し、適した属性魔法の中級レベルまでを急ピッチでひたすら練習。さらにその状態で、修行結果を師であるビシャスに見てもらうため、順番に使ってみせた。
そのため今の彼女はマナが枯渇し、ふらふらになっている。
だが、それでもなお倒れることなく、彼女は顔を上げた。
「ど、どうですか!?」
その視線の先には、ラウダとの修行を終えたビシャスが立っている。
男は腕を組み、厳しい表情のまま動かない。
何を言われるのか――内心ドキドキのローヴをじっと見つめるビシャスだったが、おもむろに口を開いた。
「火と光か」
ローヴが適していた魔法の属性である。
他に雷や氷系の魔法も試したのだが、こちらの方は初級でもからっきしだった。
ふっとビシャスが笑う。
「上出来だ」
突然褒められてローヴは一瞬ぽかんとするも、すぐにぱあっと顔を明るくさせた。
「特に光魔法は扱いが難しくてな。よほどの才がないと使えねえと言われてるが、お前なら大丈夫だな」
「あっ、ありがとうございますっ!」
ローヴは背を正し、勢いよく礼をするも、その勢いのまま地面に倒れてしまう。
その様にビシャスが大声で笑った。
「よくやった! それでこそ俺の弟子だ!」
「えへへ……」
倒れたままだらしない笑顔を見せるローヴ。
褒められたことがよほど嬉しいようだ。
「ネヴィアによれば治癒系や支援系にも向いてるっつー話だが、時間も限られてるからな。今回はここまでだ」
ローヴはごろんと仰向けになり、大きく深呼吸をする。
すっかり遅くなってしまったため、今は空に星が輝いていた。
「しっかし、ネヴィアのやつも人に教えるだけでなくこの早さで魔法をたたき込むたぁ、なかなかやるじゃねえか」
ビシャスはネヴィアを褒めるが、彼女はすでに宿へと帰っている。
修行結果を見る際、ビシャスが彼女を先に帰したのだ。
ローヴはそれを不思議に思っていたのだが、結局聞けずじまいだった。
「さて」
不意にビシャスが呆れた様子で、仰向けに寝転ぶローヴを見下ろす。
「聞くつもりだったんだろ?」
「え?」
「俺とネヴィアの関係だ。お前のことだから、どーせあれこれ勝手に言って1人で盛り上がってたんじゃねえのか?」
「…………」
「図星だな」
「うぐ……」
何も言い返せず気まずくなるローヴだったが、意外にもビシャスは真面目な顔で話してくれた。
「見ての通り、あいつは俺の弟子だ。初めて会った時、あいつは12、3歳ってとこでな。今でこそ立派な戦士になったが、当時は動きも鈍かったし、体力もなくてな。戦士には到底向いてなかった。それでも数年間、血のにじむような修行をしてあの戦闘スキルを身に付けた」
「そんな幼い子が数年も……どうしてそこまで?」
「……あいつはな、兄貴を探してるんだ」
「え?」
ネヴィアに兄がいる。それが初耳だったローヴは驚愕する。
「義理の兄貴でな。ある日突然行方不明になった。それを捜し出すために強くなりたいっつーことで俺の弟子になったんだ」
行方不明の兄。それを聞いたローヴは不意に昔のことを思い出した。
兄の背を追って走っている時に転んでしまい、泣き出す自分。
慌てて駆け寄ってきて、背負って家まで連れ帰ってくれた兄。
確かその時、太陽のようにとびきり明るい笑顔で大丈夫だと言ってくれた気がする。
でもそんな兄の顔も、もうぼんやりとしか思い出せない。
「そんな話、ネヴィアさん一言も……」
彼女の身の上話を聞いて、それが自分と重なって。力になりたいと思った。
だがその考えを見透かしたかのように、ビシャスは首を横に振る。
「この話をしたことはネヴィアに言うな。それから他の連中に言うのも禁止だ。絶対にな」
「え? どうしてですか?」
「これはあいつの話だ。あいつが自分から話すまで何も言うな」
「でも」
反論しようとするローヴに、ビシャスは手をグーにして見せた。
「守れないってんなら守れるようになるまで殴ってやる」
「守りますっ!」
言ってることも恐ろしいが、真顔なのがまた恐ろしくて、ローヴは即答する。
「けど、それならどうしてボクに話してくれたんですか?」
「……誰かには知っておいてほしかったからな」
そこでビシャスがローヴに手を差し出した。
素直にその手を取ると、ぐいと引き起こされ――そのまま肩に担がれてしまう。
「ちょっ」
「自力で立てもしないやつが部屋まで帰れるわけねえだろうが」
このまま宿まで運ばれるのは恥ずかしいが、男の言う通り、自力で帰れるかどうか怪しいところだ。
仕方なく、ローヴは大人しく担がれたまま帰ることにする。
「……なあ、ローヴ。1つ頼まれてくれねえか」
ローヴがむすっとしていると、不意にビシャスが話しかけてきた。
「師匠が頼み、ですか?」
まさかこの男に頼まれ事をするなどとは思わず、ローヴは驚く。
「そうだ。師匠の頼みだ」
宿へ向けて歩きながら、ビシャスはそう言った。
ふざけた様子がないことから、何か重要な内容だと察したローヴは静かに耳を傾ける。
「もしネヴィアの身に何かあった時は、あいつを助けてやってくれ」
「……え?」
師匠譲りの戦闘スキルを持ち、ずば抜けた洞察力と思考を持ち合わせるネヴィア。
そんな彼女の身に何が起こるというのだろう。想像もつかない。
いや、そもそもそんな状況になったとして自分などが助けられるのだろうか。
悩むローヴに、男は言う。
「俺じゃ、無理なんだ」
理由を問いたかったが、きっと答えてくれないだろうと思ったローヴは、ただ笑顔で力強くうなずいた。
「任せてください! ネヴィアさんは大切な仲間ですから!」
「仲間、か……そうだな……」
ローヴに聞こえないよう、ビシャスはぽつりとつぶやく。
直後、ガハハと大声で笑った。
「頼もしいな! さすが俺の弟子だ!」
またしても褒められたローヴはえへへと笑う。
そうして師弟は宿へと帰るのだった。