31‐6
大の字に倒れたラウダの目に映るのは、見事な夕焼け空。
限界を超えて剣を振り続けた彼は呼吸するのがやっとの状態だった。
以前の戦闘講座も大概厳しいものではあったが、今回はその比でない。
投げ飛ばされるわ、たたきつけられるわ、怒声は飛んでくるわで肉体的にも精神的にも辛く苦しいものだった。
――それがもう1日あるわけだが。
「人生ってのは痛みと苦しみの連続だ」
「ふぇ……?」
不意に隣に座っているビシャスが口を開くも、疲れ果てているラウダはまともな返事もできなかった。
だがそれに構うことなく、男は話を続ける。
「だから耐えかねて逃げ出すやつもいる。別にそれは悪いことだとは思わねえ。人間にも色々いるからな」
意外な意見にラウダは目をぱちくりとさせる。
この男のことだ。てっきり「逃げ出す輩は弱虫だ」とでも言うと思っていた。
「けどお前は違う。死ぬこともできなけりゃ逃げ出すこともできない、生きることも怖がるような半端モンだ」
「…………」
今のラウダに反抗する元気はなく、大人しく聞いているしかない。
このまままたあれこれ言われるのだろうかと思っていると、男はまたしても意外な話をする。
「けどな、お前は忘れてる」
「え……?」
「お前の周りにいる連中は何のためにいる?」
ラウダの脳裏に、共に旅してきた8人の姿が思い浮かぶ。
しかしビシャスが何を言いたいのかいまいち分からず、彼は次の言葉を待つ。
「死にたいと思うなら、逃げたいと思うなら、生きるのが怖いと思うなら、ちゃんと言え。あいつらは手を差し伸べてくれるだろうさ」
そう語る男の口調は修業時と異なり、至って静かで穏やかなものだった。
「…………」
正直なところ、彼らのことを鬱陶しいと思う自分がいた。
いや、彼らだけではない。元の世界にいた友人たちやこの世界で知り合った者たち、皆の存在が煩わしく感じていた。
ティルアがいなくなってからというもの、世界から色が失われてしまったようで、彼には何も感じられなくなっていた。
誰かが話す声はノイズとなり、誰かが見せる姿はモザイクとなる。
モノクロの世界で自分1人だけが取り残されていく。
だからラウダは本来の自分とは別のラウダの皮をあつらえ、かぶり、演じることにした。
世界に順応するために。
そうしてラウダは一躍スターとなった。劇団の仲間たちともうまくやれていた。街の人々からの信頼も厚かった。そして、新たな幼なじみもできた。
ラウダの演技は完璧だった。誰もラウダが本当は何も感じられなくなっているとは気づかなかった。
だがこの世界へ来て、日常が変わって、新しい環境が訪れて、世界に順応しきれなくなったラウダの演技は少しずつぎこちなくなっていく。
やがて、ティルアに再会してしまったことにより、中に閉じ込めていたものが溢れ出し、彼は皮をかぶっていられなくなってしまった。
そして今また、モノクロの世界で1人取り残されている。
「……ティルアに、会いたい」
気づけばそんなことを口走っていた。
「会えば答えをくれる……そう、思って……」
「そりゃ、すがる相手を間違えたな」
ぽつりぽつりとつぶやくように発した言葉を、男は笑わなかった。
「……うん」
すがるべき相手は彼女ではない。そんなこと本当はとうの昔に分かっていたのに。
今ラウダの目に映るのは、にじんだ赤い夕焼け空。
* * *
夜、宿に戻ってきた皆はそれぞれ考え事をしていた。
そのため夕食も部屋に戻ってくるタイミングもバラバラ。
ラウダに至っては詳細不明のまま、ビシャスの部屋に泊まらせられることになった。
そんな宿の裏手でローヴはビシャスと向き合っていた。
「こんな時間に呼び出し食らうとはな」
「ごめんなさい」
「で? 何の用だ」
何となく不機嫌そうに見えなくもない男に軽く謝るも、相手はお構いなしに用件を尋ねてくる。
ローヴは大きく息を吸うと、勢いよく礼をした。
「お願いします! ボクにも稽古をつけてください!」
「ほお、そりゃまたなんでだ?」
急なお願いにもかかわらず、ビシャスが驚く様子は微塵もない。
まるでこうなることを知っていたかのようだ。
「ボクは、もっと強くなりたいんです! 誰かを支えられるくらい!」
「誰か、ねえ……」
ビシャスは髭をなで、すっとぼけるようにそうつぶやく。
もちろん“誰か”が誰のことを指しているのかなんて丸分かりなわけだが。
「お願いします!」
ローヴはもう一度大きく礼をした。
相手は何かを考えている素振りを見せるが、単にもったいぶっているだけのようにも見える。
「……俺はラウダの面倒を見るので忙しい」
「そんな!」
その答えにローヴは勢いよく顔を上げた。
ショックを受け、しかし諦めきれずにすがるような目でこちらを見てくる彼女の様子に、ビシャスは小さく笑う。
「だから付きっ切りってのは無理だが、課題を与えてそれをこなすって形式で良いならやってやろう」
そう言われるや否や、ローヴはぱあっと満面の笑みを浮かべた。
「はい! それで良いです!」
「言っとくがこの前と同じ難易度だと思ったら大間違いだぞ。あと、俺が見てないからって手抜いてもすぐバレるからな。覚悟しろよ」
「はい! ありがとうございます!」
再び礼をするローヴを見て、ビシャスは楽しそうに笑みを浮かべるのだった。
* * *
翌日も町外れではラウダがビシャスと修業をしていた。
「攻撃が甘い! そんなへなちょこな振りで致命傷を与えられると思うな!」
怒声が響いているのは相変わらずだが、昨日の挑発的なものとは異なり、その内容は戦法を指摘するものばかり。
対するラウダも口答えすることなく必死に剣を振っている。
そうして男たちが汗を流している間に、ローヴは別に指定されていた場所を訪れていた。
「師匠は課題を与えるって言ってたけど……あれ?」
課題に関しては一切教えられなかったため、どういう形式で与えられるのか疑問に思って歩を進めていると、約束の場所にネヴィアが立っているのが見えた。
「来たか」
急いで駆け寄ると、振り返った彼女は一言だけ発する。
「ネヴィアさん、どうしてここに?」
「ローヴが応用魔法を使えるよう稽古をつけてやれ、と師匠に頼まれたのだ」
その言葉を聞くや否やローヴの顔がぱっと明るくなった。
「じゃあ今回はネヴィアさんが先生なんですね!」
「先生だなんて良してくれ。私はただの代理……何故そんなに嬉しそうなんだ?」
「今回の修業は一段と厳しいって聞いてたからちょっと安心しちゃって」
えへへと笑うローヴに、ネヴィアは無情に告げる。
「あいにくと手を抜くつもりはない。限界を超えるまで徹底的にやれ、と言われているからな」
「え」
固まるローヴだが、彼女は構うことなく話を続けた。
「それと、お前は剣より魔法の才に優れているようだから今回は魔法だけを徹底的に鍛えることとする、と師匠からの言伝だ」
「ソ、ソウデスカ……」
甘い幻想を打ち砕かれ、がくりと肩を落とす。
「いつまでも小さな火球を飛ばすだけでは芸がないからな。まずは火炎系魔法の応用から始めるとしよう」
だがせっかく魔法の才を持つネヴィア直々に教えてもらえるのだ。
ローヴは気を取り直すと、びしっと背を伸ばした。
「はい! お願いします!」