31‐4
「よお、起きたかい」
そう言って俺の顔をのぞき込んできたのは長身に筋肉質で、隻眼の男だった。
「…………」
「しゃべれねえのも無理ねえさ。ここに漂流してきたお前さんは全身傷だらけで衰弱状態。助かったのを奇跡と言わずして何というって状態だ。一体どこの戦場をほっつき歩いてきたんだか」
「…………」
「ま、しばらくは動けんだろうし、うちでゆっくりしていけ。動けるようになったら町に送ってやるよ」
大怪我を負って話すことができない俺は、その時まだ何も考えることができなかった。
でも次第に、自分が何者で、どうしてこんなことになっているのかが思い出せないことに気が付いたんだ。
ようやく話せるようになった頃にそのことを男に告げると、大層驚かれたもんだ。
「まさか記憶喪失たあな。こりゃとんでもないもん拾っちまったか」
「…………」
「よし。今日からお前さんのうちはここだ」
「……え?」
「んん? 今日から、じゃねえな。もうすでにここはお前さんのうちだったか」
「えっと……」
「そうだ。名前がねえと不便だな」
「あの……」
「よし。今日からお前はノーウィンだ。俺のことはそうだな、親父とでも呼べばいい」
「…………」
「うん? 悪い、何か言いかけたか?」
「ううん。ありがとう」
「お、良い顔で笑ってるな。笑顔は健康長寿の秘訣だ。忘れるなよ」
こうして俺はその男、ディッセル・スティクラーと暮らすことになった。
ディッセルはかつて世界を渡り歩いた凄腕の傭兵で、戦場では“隻眼の死神”と呼び恐れられるほど強かったらしい。
そんな親父に俺はいろんなことを教えてもらった。
世界のことだけじゃない。戦い方や料理、生き残るための方法。昔話なんかもしてくれた。
「なあ親父。ノーウィンってどういう意味なんだ?」
「うん? 意味なんてないぞ?」
「え? じゃあなんで俺の名前をノーウィンにしたんだ?」
「直感」
「……じゃ、じゃあなんで俺を息子にしようと思ったんだ?」
「運命を感じた、から?」
「…………」
「ははは! まあ細かいことは気にするな!」
何でもそつなくこなすと思いきや、がさつなところがあったり、でもそんなこと気にせずにいつでも楽しそうに笑う。
片目が見えないことを気にする俺に、眼帯代わりの赤い帯を渡してくれて。見えないのはおそろいだななんて言われたこともあった。
俺はそんな親父が大好きで、尊敬していた。
だが、その3年後。
その日、親父は雨の中、武器を手に出かけていった。
お前は待ってろと笑顔で俺の頭をわしゃわしゃとなでて――けど、俺はずっと胸騒ぎがしていた。
そして、忘れもしない。あれは夕食の準備をしている時だった。
少し離れた森から、家の中にいても聞こえるほどの爆発音が響いた。
俺はすぐに家を飛び出した。必死に森の中を走って――血だらけで倒れている親父を見つけた。
「親父! 親父! しっかりしろ!」
抱き起こした親父はかすかに息はしていたが、返事はなかった。
「何があったんだ!?」
「黒い……騎士…………が……」
「黒い騎士……?」
「…………」
「親父?」
「…………」
「親父……? 嘘だろ、親父……!」
「…………」
「……っ、うっ、ああああ……!」
あっけない最期だったよ。あんな豪胆な人でも死ぬんだなって。
その体には無数に斬られた跡があった。そして黒い騎士という最期の言葉。
親父は殺されたんだと確信した俺は、かつての親父のように傭兵として旅に出ることにした。
* * *
「これが今から4年前の話。その後は傭兵としてずっと各地を旅して回ってた」
そう言うとノーウィンは困ったように笑った。
「湿っぽい話でせっかくのお茶も台なしだな」
ネヴィアは静かに首を横に振る。
「いや……話してくれたこと、感謝する」
相変わらずの無表情で彼女は何事かを思案した後、口を開いた。
「ディッセルのうわさは私も耳にしている。師匠がよく話していた」
それを聞いてノーウィンが驚いた顔で身を乗り出す。
「まさか、知り合いなのか?」
「ああ、恐らく。戦った中で一番骨のある男だと言っていたからな」
ネヴィアの話を聞いたノーウィンは静かに座り直した。
「そうか……あの男が親父のことを……」
「ただ、師匠に話を聞いても何も答えないと思う」
「そうなのか?」
ネヴィアはうつむく。
「師匠は過去について多くを語らない人でな……弟子の私でさえ知らないことは多い」
「そんな素性も分からない人間に弟子入りしたのか?」
怪訝な顔を浮かべるノーウィンに対し、彼女は首を横に振った。
「弟子入りしたのではない。せざるを得なかったのだ」
ノーウィンはしばし考えた後、首を横に振る。
「……分からないな。そもそもただの旅人がそこまで強さを求める必要があるのか?」
そこでネヴィアは再びカップに口をつけた。
空になったカップをすっと机に置くと、静かに告げる。
「兄を探している。義理のな」
初めて聞く話、それも不穏そうな話に、ノーウィンの表情が険しくなった。
しかしそれに構うことなく、ネヴィアは静かに語り出す。
「……物心ついた頃にはすでに兄と2人で暮らしていた。兄から、自分たちが血のつながっていない義兄妹であるということは早くに聞いていたが、そのことを気にしたことはなかった」
彼女は昔を思い返すように目を閉じた。
「兄は私に様々なことを教えてくれた。それこそお前の義父のように」
周囲に町はおろか村もないような辺境の地。
そこにぽつりと建つ一軒家でネヴィアは兄と2人きりで育ったという。
家の近くを流れる澄んだ小川。一面の花畑。
遠くには食べ物が豊富な森が広がっている。
まぶたの裏に浮かぶのは、そんな風景の中にたたずむ黒髪の少年。その後ろ姿。
優しくたくましい兄。我流で剣の腕を鍛え、妹を守っていた兄。
彼の披露してくれるオカリナの音色が好きで、時たませがんだこともある。
幸せだった。
そこでネヴィアはそっと目を開く。
「10年前、兄が行方不明になった」
朝起きた時にはすでに姿はなく、少し遠出して捜しもしたが、見つからない。
置手紙もなければ連絡もない。
「兄が勝手にいなくなるとは思えなかったが、幼い私にはどうすることもできなかった」
兄のいない日々を1人漠然と過ごしていた時、ある男がやってきた。
そんな男にネヴィアは、兄に会いたい一心で助けを求めた。
すると男は彼女に二丁魔拳銃と呼ばれる銃を授け、それを扱うための魔法、そして戦闘技術を教えてくれたという。
その男こそ彼女の、そして今はラウダやローヴにも技術を与えている師、ビシャスだった。
「そして5年前。私は兄を探し出すため旅に出た、というわけだ」
ネヴィアは一通り話し終えると、空のカップの中身を見つめ、一息つく。
「どうして、言ってくれなかったんだ? 話してくれればみんなで協力できたかもしれない」
険しい表情のままノーウィンがそう問うも、彼女は首を横に振った。
「これは私個人の問題。勇者としての旅をするうえで共有する必要はない情報だと判断した」
「けど……」
「実はこの道中でも兄の情報を探していた。成果は上がっていないがな」
さらりと言ってのける彼女だったが、5年も探していて未だに見つかっていないのだ。
顔には出さないが平気であるはずがない。
ここまで話を聞いておいて何もしないというわけにはいかない。そう感じたノーウィンはネヴィアに別の質問をした。
「何か手がかりになるものはあるのか?」
彼が引き下がるつもりがないことにため息をつくと、ネヴィアは少し声を落として話し出す。
「名はエルク・アークロイン。歳は20後半で、黒髪に藍色の瞳という容姿をしている」
そう話しながら彼女は懐から何かを取り出した。
「腕輪?」
3つの細い輪が連なった金色の腕輪。あちこちに小さくキラキラとした石があしらわれている。
「昔、兄がくれたものだ」
「高そうだな……」
辺境の地で暮らしていた人間のプレゼントにしては少々豪華すぎる気がした。
ネヴィアはうなずく。
「ああ。だからこそ何かの手がかりになるかと思ってな」
「何か分かったことはあるのか?」
その問いに彼女は首を横に振った。何も分かっていないらしい。
「鑑定にかけたこともあるが、この石は宝石ではないらしく、作り手はもちろん、産地も分からなかった」
これほど美しく精巧な作りの腕輪に価値がないとは思えず、ノーウィンは怪訝な顔を浮かべる。
ネヴィアは無言で腕輪を眺めていたが、しばらくすると再び懐にしまった。
「この件は他言無用で頼む」
今の腕輪を仲間たちに見せることを提案しようとしたノーウィンが口を開くよりも先に、ネヴィアはきっぱりとそう言った。
「どうしてそこまで頑ななんだ? いくら勇者の旅って言っても」
「言ったはずだ。これは私個人の問題だと」
彼女はノーウィンの言葉を遮り、断固として彼の意見を聞き入れようとはしない。
「それに……色々と、な」
そしてそれだけ言うと、ネヴィアは黙り込んでしまった。
どうやらその“色々と”の中に大きな理由があるようだが、「これ以上は聞くな」と彼女の放つオーラが言っている。
それ以上問いただすことができなくなったノーウィンも仕方なく黙り込む。
2人そろって沈黙すると、途端に周囲の客の明るく楽しそうな会話の音量が大きくなった気がした。
しばし間を置いた後、ネヴィアが首を左右に振る。
「すまないな。私が変な話題を振ったせいで暗くなってしまった」
「いや……」
「そういえばここは1杯無料でお代わりさせてくれるというサービスをやっているそうだ。お前のカップももう空だろう? 一緒にもらってこよう」
「え、ああ……」
これといって拒否する理由もないので、ノーウィンはネヴィアにカップを手渡した。
彼女は席を立つと、店の奥へと歩いていく。
その背を見送った後、今度は卓上のパフェを見つめた。
2人で食べているため量は減りこそしているものの、ガラスカップの中ではアイスやクリームが溶け始めている。
「…………」
頭の中でごちゃごちゃとしている考えを一時的に振り払うように首を左右に振ると、彼は再びパフェを食べ始めた。