31‐1
「暇だ……」
そう言うとアクティーはベッドでごろごろと転がる。
「暇だー!」
四肢を思い切り伸ばすと、今度は思いきり叫んだ。
すると隣の部屋から、どごんっと思いきり壁をたたく音が響く。うるさいという意味だ。
「ガレシアか……」
「……よく分かるな」
たたいた人間の名をつぶやくアクティーに、本を読んでいたイブネスが呆れたように顔を上げた。
「壁たたく女なんて、メンバーでガレシアくらいしかいないだろ」
「……意外とセルファかネヴィア辺りかもしれない」
「ないな。2人とも冷たい目で見てくるタイプだから」
「……よく分かるな」
「そりゃお前、大人の観察眼ってやつよ」
ドヤ顔で言ってのけるアクティーだったが、返事がない。
ベッドから起き上がってそちらを見ると、イブネスは再び読書に戻っていた。
話を聞いてもらえず、ぶすっとするが、ふと気になったことを聞いてみる。
「お前それ何の本読んでんの?」
「……嵐の海域の伝承」
嵐の海域といえばこれから向かう目的地で、水の精霊がいるとされる神殿がある場所だ。
「……勉強熱心なことで」
退屈そうにあくびをするアクティーだったが、不意にイブネスの方から話しかけてきた。
「……1つ良いことを教えてやる」
「あん?」
「……その精霊は白波の如き美しい肌に、水の流れの如き美しく長い髪を持ち、透き通った声で歌う。その美しさに魅了されぬ船乗りはおらぬ」
本の一節を読み上げられたアクティーが固まる。
数々の女性を見てきた彼が、脳内に美しき精霊の姿を浮かべるのは容易だった。
「……え、マジ?」
「……マジ」
真剣な顔で問うアクティーに、イブネスが本に目を落としたまま返事をする。
アクティーが勢いよくガッツポーズをした。
「うおー! 早く行こうぜ水の神殿ー!」
「……まだ2日はここを動けないがな」
ガッツポーズをしたままアクティーはぼふんと後ろに倒れ込む。
「暇だー!」
隣の部屋から、どごんっと思いきり壁をたたく音が響いた。
* * *
マルメリアを出立した日の夜、再びエルテの町を訪れた一行は、以前と同じく宿で受付を済ませ、食堂へと向かった。
だが、彼らはそこである人物を見つけてしまう。
「いやー! ここの肉は何度食っても美味いな!」
大柄な男が1人。周りの客がじろじろ見るのもお構いなしで、入り口に背を向けてガツガツと食事をしていた。
その机上には食べ終えた大量の皿と大量のジョッキ。
そして――机に立てかけられた大剣。
「師匠!?」
忘れたくても忘れられないその人物をローヴが大声で呼んだ。
「うん?」
師匠と呼ばれた男はくるりと振り返り、こちらを見た。
男はじっくりとこちらを見た後、大声で笑い出す。
「ラウダにローヴか! 随分大所帯になってたもんで気づかなかったぞ!」
男の名はビシャス。旅を始めたばかりのラウダとローヴに剣術と魔法をたたき込んだ人物だ。
「おう、そんなところに突っ立ってないでこっちで一緒に」
そこまで言うと、楽しそうに一行を食事に誘おうとした男の表情が突然真面目なものになった。
ある一点を見つめて――
「お前……ネヴィアか?」
「え?」
まさかビシャスの口からその名が出るとは思わず、驚いたローヴが彼女の方を振り返る。
しかし彼女は黙ったまま何も言わない。
何やらただならぬ雰囲気に、一行は顔を見合わせた。
ビシャスとネヴィアが知り合いなどという話は聞いたことがない。
男は一行と彼女を交互に見ると、何かを察したようだ。
「……そういうことか」
彼は突然大剣を手に立ち上がった。
男の性格を知るノーウィンとセルファが、何をしでかすのかと慌てて身構える。
「飯食ったら町外れに来い」
だがビシャスは彼女に対してそれだけ言うと、食堂を出ていった。
「…………」
それまで1人でにぎやかに食事をしていた男が、突然雰囲気を変えて立ち去った。
そのことに一行はおろか、その場に居合わせた客やウェイターも皆が黙り込む。
「あ、あー……め、飯にするか……」
ノーウィンが仲間たちに声をかけた。
だがその気まずい空気にとてもではないが食事気分になどなるはずがなく。
おまけに周囲の人々からちらちらと見られ、居心地が悪く、一行は非常にささやかな食事を済ませると逃げるように部屋へと帰るのであった。
* * *
ビシャスに呼び出しを食らったネヴィアは、1人町外れへと行ってしまった。
その間に一行は部屋に集まると、ビシャスについて知っていることを共有する。
「戦闘のプロフェッショナル、ねえ……」
「……うさん臭いな」
リースの村での話を聞き終えると、ガレシアとイブネスが呆れた様子で感想を述べた。
「いや、2人に師がいたっつー話は聞いてたけどよ……あんなおっそろしいオッサンとは聞いてねえぞ……」
アクティーは思い悩むように頭を抱えている。
「確かに師匠は厳しい人だったけど……」
ローヴは腕を組み、うーんとうなっていた。
彼女の知るビシャスは厳しい指導や真面目な話こそしたものの、豪快に笑う明るく気の良い男だ。
しかしネヴィアを見た途端表情が一変した辺り、彼女との間に何かあったとしか思えない。
そこでローヴがはっとなった。
「まさか……!」
「何か分かったのか?」
仲間たちがローヴの方を見ると、彼女は真面目な表情で言葉を続ける。
「師匠と弟子の禁断の恋……!」
「…………」
皆が黙り込んだ。
「あ! もしかしてネヴィアさんは師匠の隠し子とか!?」
「ない。絶対ない」
目を輝かせるローヴの言葉を、ガレシアがすぐさま否定する。
さらにうーんうーんと考え込むローヴを呆れた様子で見ていると、部屋の扉がノックされた。
「私だ」
ネヴィアの声だ。どうやら戻ってきたらしい。
彼女は扉を開けると、仲間たちを見渡した。
「ああ、皆ここにいたのか」
「あ、あの、お話は終わったんでしょうか……?」
おずおずとオルディナが問うと、彼女はふむと目を閉じて黙り込む。何かを悩んでいる様子だ。
「ネヴィア?」
ノーウィンに名を呼ばれた彼女は目を開けると、再び皆を見渡した。
「その、すまないが一緒に来てもらえるだろうか。師匠から皆を連れてこいと言われてな」
一行は顔を見合わせる。
全員渋い顔をしていた。