29‐1
キュレオと別れた一行は、オルディナの案内で都市の中心に立つ一際大きな建物を訪れる。
「ここは魔術ラボ。魔術を普及するために様々な研究が行われている所です」
一行はきょろきょろと建物を観察するが、目を引くのはやはり、建物がある敷地の中心に立つ高い塔だ。
「あの塔も研究所の一つなのか?」
ノーウィンがオルディナに尋ねるが、彼女はうーんと考え込む。
「恐らくそうだと思うんですが、あそこだけ普通の人は入れてもらえなくて……」
「っつーか、ラボ自体出入り自由なのか? 大抵そういう所は関係者以外立ち入り禁止だと思うんだが」
アクティーが怪訝な顔でそう問うと、今度はにこっと笑んだ。
「それならわたしがいれば入れてくれるはずですよ」
関係者以外立ち入り禁止には違いないようだが、彼女がいれば入れる。
一体オルディナは何者なのか。
皆が首を傾げる中、入り口の前に立っていた衛兵が不審そうにこちらへやってきた。
「おい、こんな所でぞろぞろと何をやっている」
「あっ、ごめんなさい。わたしたちウーテン様にお会いしたくて」
「ウーテン様に? って君は……」
最初は訝しんでいた衛兵だったが、オルディナの顔を見るなり驚き、すぐに謝る。
「すまなかったね。何か連絡いただいていたかな?」
「いえ、それが急用で……」
申し訳なさそうなオルディナを見て、衛兵はふむ、と何事かを考えていた。
「ウーテン様はいつも通り忙しくされているが……まあ君なら問題ないだろう。証明書はあるかな?」
オルディナはうなずくと、カバンから紐のついた白いカードを取り出し、衛兵に見せる。
「確かに。それじゃあ他の方々はゲストとしてカードを渡しておこう」
「ありがとうございます」
一行は手渡された黒いカードをしげしげと眺めた後、オルディナがしたように首から下げた。
あっさりとラボの内部に通された一行だが、ふとガレシアが気になったことを口にする。
「こんな時間だけど大丈夫なのかい?」
というのも今はすっかり日が暮れてしまっており、普通こういう重要な場所は入れないであろう時間だ。
すると、オルディナは困ったように笑った。
「ウーテン様はその……昼夜逆転型で今くらいの時間が一番元気なんです」
「なんじゃそりゃ……」
アクティーが呆れる。一体どんな人物なのだろうか。
ラボ内部には見たことのないいくつもの装置が乱雑に置かれていた。
恐らく魔術を使うための道具なのだろうが、どれも使い方がさっぱりである。
そして奥の部屋にその人物はいた。
「まずはここを、その次はあっちを……それから……」
向こうを向いている小太りの男は、ぶつぶつとつぶやきつつ、立ったまますごいスピードでガリガリと何かを紙に書き込んでいる。
「ウーテン様!」
オルディナが親し気に名を呼ぶが、彼が振り返る様子はない。
「いやそれよりも……いや違う……」
「ウーテン様?」
手は止まったが、今度は何事かを考えている様子で、やはり振り返らない。
「ウーテン様!!」
「待て待て……やっぱり……」
あまりにも振り返る様子がないので、オルディナは次に大きく息を吸い込んだ。
「ウー・テ・ン・さ・ま!!!」
彼女が大声で名を叫んだ直後、彼はばあんっと机をたたく。
「きぃいいいいいっ!!! さっきから吾輩の計算を邪魔する輩は」
そこまで言うと、ばっとこちらを振り返った。
「どこのあんぽんたんネ!!!」
瓶底のような分厚い眼鏡越しに、ずらりと立つ見たことのない集団をにらみつけると、眉間にしわを寄せ、こちらを指差し叫ぶ。
「ここは関係者以外立ち入り禁止ネ! 衛兵は何をしていたアルか!」
そんな彼の前にずいっとオルディナが出た。
「ウーテン様、わたしです!」
「うん? ううううん?」
ウーテンは眼鏡をくいくいっと持ち上げると、やがて驚いた声を上げる。
「オルディナ? オルディナか!?」
「はい! お久しぶりです!」
明るく笑う少女の肩を、彼は嬉しそうにぽんぽんとたたいた。
「おおおお! 本当に久しぶりネ! 元気にしていたアルか?」
「はい! ウーテン様こそお元気そうで何よりです」
先ほどまでの不機嫌さはどこへやら。ウーテンは嬉しそうにオルディナと会話している。
赤と緑の帽子にチョビ髭で小太り。ちょっと不潔感漂う脂ぎった顔の男。
「なんつーか……」
「……それ以上は言うんじゃないよ」
随分と濃いキャラの登場に、アクティーが何か言いたげだったが、ガレシアがそれを制した。
「それにしてもオルディナ。今は見聞の旅をしていると聞いていたが、急にやってくるなんてどうしたネ?」
「それが実は……」
ウーテンの問いにオルディナは、旅の途中で太陽の証を持つラウダや他の仲間たちと出会ったこと、例の塔のこと、精霊に会ったこと、そして今は他の精霊を探していることを話す。
「水の精霊様の居場所は分かっているんですけど、“惑わずのコンパス”という魔具がないと行けないらしくて……博識なウーテン様なら何かご存じかもしれないとここまで来たんです」
彼女の相談に、ウーテンは黙り込んでいた。
「ウーテン様?」
あまりにも静かなので、オルディナが名を呼ぶと、彼は早口でぶつぶつとつぶやき出す。
「太陽の証を持つ勇者が現れたうえ、あれだけ調査して何も分かっていなかった例の塔の起動、おまけに精霊との対話……」
一行が顔を見合わせていると、彼は突然うおおと雄叫びを上げた。
「オルディナッ! お前はなんと貴重な経験の数々を……っ! 吾輩はお前が羨ましくてたまらんアル!!!」
「え、えっと、ありがとうございます……?」
戸惑うオルディナに構うことなく、ウーテンは頭を抱えてぶんぶんと振るい出す。
「あああああできることなら吾輩もお前の旅に同行して……いや! 今からでも遅くないアル! 一緒に」
「ウーテン様」
そこへさっそうと白衣を着た男がやってきた。恐らくここの研究員だろう。
ウーテンはそれをきっとにらみつける。
「何アルか!!! 吾輩は今忙し」
「プロジェクトの進捗報告に参りました」
男の言葉を聞いて、興奮――というより暴走気味だったウーテンがはっとなった。
「もうそんな時間アルか!?」
「はい、そんな時間です」
どうやらウーテンの扱いに慣れているらしい男は、冷静にそう言うと、手にしていた複数枚の紙を彼に手渡す。何かの資料のようだ。
渡された資料をパラパラとめくり、素早く目を通していたウーテンだったが、不意にその動きが止まった。
「この不備というのは何アル?」
「マナの圧縮率が想定通りの数値を出せないのです」
「むぐぐ……吾輩の計算に狂いはないはず……」
「ええ、ですから妖精のゼリーを素材として用いようかと」
「妖精の?」
「はい、それなら圧縮率もクリアできるうえ潤滑油にもなり、さらに速度が上げられるかと」
「なるほど。しかし妖精のゼリーというとヤツらが……」
そこでウーテンは何気なく、何の話をしているのかさっぱりでほったらかしとなっていた一行の方を見た。
視線を資料に戻した後、もう一度見た。
すごく嫌な予感がする。
ここは撤退するべきかもしれない。
が、そうはさせまいとウーテンがにたりと笑った。
「ちょうど良いのがいたネ」