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白石を使った通りや家々が並ぶこの町の名は、カノッサ。
近場にある採石場から切り出してきた白石を、レンガや彫刻に加工する職人たちの町だ。
ここの品は石質や職人たちの腕前から、各国で人気が高く、高値で取引されている。
メルスやカルカラに比べれば人の往来は少ないが、緑あふれる町並みの中で、人々は今日も家事に仕事に遊びに精を出していた。
そんな町の最奥に佇む屋敷の応接間には今、張り詰めた空気が漂っている。
12年ぶりに再会した父子だが、そこに感動などというものは存在しない。
睨むような鋭い視線を息子に向ける父の名は、アラガン・グラン・ジェスト。元貴族にして、この町を治める領主だ。
彼は貴族制度が撤廃された今でも、世界で唯一、何ら変わらぬ状態で町を治めている。
それは他でもない町人たちが望んだことだった。
代々カノッサの町を治めてきたジェスト家は、他の貴族のように弱者をいたぶるようなことはせず、常に町の人間たちとの共生を図ってきた。
そのこともあって、制度が消失した今でも町人たちから慕われている。
が、アクティーからすれば、厳格で無表情、必要以上のことを語ろうとしないあたり、何を考えているか分からない頑固親父でしかないため、町の人間たちがそこまで慕う理由が分からなかった。
現に今も自分を呼びつけておいて、口を開こうとしない。
ため息をつきたいのを我慢し、何気なく父の後ろに飾られた大きな肖像画を見た。
長く美しい金髪に、夕日を思わせる茜色の瞳の女性。白いドレスをまとい、椅子に腰かけたその姿に魅了されない者などいるのだろうか。
絶世の美女といっても過言ではないその絵のモデルをアクティーはよく知っていた。
「アクティー」
不意に名前を呼ばれ、彼は視線を元に戻す。
「……何用ですか、父上」
正直話などしたくないのだが、いつまでも2人向き合って突っ立ったままでも仕方ない。
嫌々口を開いてそう尋ねると、相手は呆れたようにため息をついた。
「勝手に家を出ていったかと思えば、見知らぬ輩を大勢連れて突然家に押しかけ、さらに何用か、とはな」
「…………」
「話すべきことがあるのはお前の方だろう」
彼の言う通り、気を失ったラウダを連れて、何の前触れもなく転がり込むように実家に帰ってきたのだ。父として、領主として、彼には話を聞く権利があり、場合によっては彼らを追い出す必要だってあるだろう。
ただ、ラウダが眠っている間に仲間たちで今回の事件を整理はしたが、結局何が起こったのかまでは判然としないままであった。
恐らくただの報告で終わるだろうと思いつつも、ひとまず話をしてみる。
勇者の出現。自分を含む証所有者の3人。ガストル帝国への旅路。そして“塔”での出来事。
腕を組み、険しい顔で話を聞いていたアラガンだったが、一通り話を聞き終えると、意外な言葉を発した。
「あの塔が起動したか……」
アクティーに背を向けると、アラガンは肖像画を見やった。
「お前の母、シルビエーリが生前言っていたことだ。あの塔を起動させてはならないと」
「母上が?」
小首を傾げ、父と同じように母の肖像画を見やる。
体が弱く、ベッドに横たわっていることが多かった母。
厳格な父と異なり、温かな包容力を持つ母に、アクティーはいつもべったりだった。
「あなたの手の証は、善にも悪にもなる力。だから自分の正しいと思うことに使いなさい。そしてその手で得られるものを大切にね」
そう言って自分の手を両手で優しく包み込んでくれた時のことを思い出す。
そんな母は、彼が6歳の時に帰らぬ人となった。
「ここから遠く南東の地にウルゥという風を司る一族が住んでいる」
不意にそんなことを言われ、怪訝な顔をするが、アラガンは息子の方を見ることなく、話を続ける。
「シルビエーリはかつてそこで巫女として風の精霊に仕えていたのだ」
「母上が、巫女……?」
一度も聞いたことがない話を唐突に語られ、アクティーは目を丸くした。
口から出任せ、というわけでもないようだ。第一そんなことをする理由もない。
「ウルゥの者たちなら何が起こったのか知っているかもしれん」
アラガンが再度アクティーと向き合う。
「シルビエーリの息子であり、風雲の証を手にするお前ならば、彼らも話をしてくれるだろう」
お前ならば。つまりアラガンでは話をしてくれない理由があるということか。
物言いに少々引っかかりを感じたが、苦手な父親との会話をわざわざ延ばす必要もない。アクティーは追究しないことにした。
「町から南下した場所に港がある。そこの船で南東へ向かうがいい」
「…………」
父が何を思ってそこまでお膳立てするのか。なぜ今さらになって母の話をしたのか。真意を測りかねるアクティーは無言のままうつむいていた。
何より一番気がかりなのは、自分が家を出たことについてだった。
今のところ、それについて言及されるようなことはない。
「どうした。言いたいことがあるならはっきり言え」
そう言われて、アクティーは重い口を開いた。
「……家を出たことをお怒りにならないのですね」
アクティーが何を言おうとしていたのかはおおよそ見当がついていたのだろう。
「十数年も前の話を掘り起こして怒るほど、私はしつこい人間ではないつもりだが」
アラガンは驚くことなく、あっさりと言葉を返した。
本当に怒っていないのだろうか。少し気になったが、これ以上は余計なことを言わずに退散すべきだろう。
「仲間に相談します」
それだけ言うとアクティーは一礼し、部屋を後にした。
アラガンは閉じられた扉をしばらく見つめていたが、やがて再び肖像画を見上げた。
「……子の成長を喜ばない親がどこにいるというのだ」
ぼそりとつぶやいた言葉を聞く者はいない。
ただ、肖像画の中の亡き妻だけが微笑んでいた。