21‐5
公演当日の夜。
一行は最上階にある特等席から劇場内を見渡していた。
「すごい人ですね……」
オルディナは立ち上がったまま目をぱちくりとさせて、1階席と2階席を見つめている。
「今日だけじゃなくて一週間分のチケットは完売だとよ」
そう言うアクティーは着席して、すっかりくつろいでいる。
チケットは無期延期を発表した際に全て返金しており、この度新たに販売し直したのだが、まさかの一週間分完売。
逆にこの一週間は代役のため売れないだろうと思っていた団員たちは、皆目を丸くしていた。
どうやら異例の主役交代に、大勢が期待を抱いていたらしい。
その主役を演じるラウダと、サポートに回ったローヴは結局この2日間宿には戻ってこず、劇場の敷地内にある簡易宿泊所で寝泊まりしていた。
ビーという機械音が劇場内に響き渡る。
「皆さま、大変お待たせいたしました。まもなく『星よ、永久に共に』の上演を開始いたします」
そのアナウンスに、ざわついていた劇場内がゆっくりと静まり返っていった。
『これはとある時代、とある国の貧民街で生まれ育った青年エモールと、貴族として生まれ育った令嬢ティルジュの恋を描いた物語――』
その日、エモールは貴族たちの社交パーティーに忍び込んでいた。
色とりどりの豪勢な食事が並ぶ間で話に花を咲かせる者たちもいれば、別の広間で優雅に社交ダンスをする者たちもいる。
「ああ、忌々しい」
エモールは周囲を見渡すと、悪態をついた。
「貴族どもは湯水のごとく金を使うというのに、我々は一滴たりともその水を浴びることを許されない。そう、一滴たりともだ!」
『貧民街出の彼は、毎日を生き抜くために幼少の頃よりスリや盗みを繰り返していました。そして、盗品のスーツを身にまとった彼の今日の目的は、客室に置かれた金品の数々です』
客室が並ぶ通路には全く人がいない。
エモールは予定通り部屋に忍び込むと、金品を漁り始める。
そうしていくつかの部屋を漁った後、同じように次の部屋へ向かおうとしたときだった。
彼はそこで足を止めた。
バルコニーに人がいたのだ。
金色の長く美しい髪には花飾り。薄緑色の豪奢なドレスをまとった彼女は、後ろに人がいることなど気がつかぬまま、夜空を眺めている。
後ろ姿だけであるにもかかわらず、そのあまりの美しさにエモールは目を見開き、すっかり心奪われてしまった。
「もし。そこの美しいお嬢さん」
唐突に声をかけられた女性は驚いた様子でゆっくりと後ろを振り返った。
「かようなところでいかがいたしましたか」
優しく声をかけられた女性は、警戒心を解くと、にこやかに微笑んだ。
『それはまるで伝承に語り継がれる月の女神が浮かべるような微笑み。その女性こそティルジュ。名門貴族として名高い、スティルパック家の令嬢でした』
『やがて2人は些細な話題で盛り上がります。エモールが国にある名所や名産などについて話すと、相手は自身の知らない世界に驚き、逆にティルジュが読み得た知識や物語を聞かせると、相手は興味深く耳を傾けました』
「ああ、何故わたくしは貴族などという縛られた身に生まれたのでしょう。高貴な血も高価なものも、わたくしには必要ない。本当に欲しいのは自由という名の翼だというのに」
ティルジュは嘆く。彼女もまた、自身の血に、身分に縛られた存在だった。
そんな彼女にどう声をかけるべきかを悩んでいると、辺りに鐘の音が響き渡った。
「いけない! 戻らないとお父様に叱られてしまうわ!」
ティルジュはエモールの手を優しく握り、寂しそうな笑顔を見せる。
「また会いましょう、エモール」
そう言うと彼女はドレスを翻し、その場から立ち去ってしまった。
「おお、ティルジュ……君はなんと罪深い女性なのだ……」
エモールは握られた手を、その温もりを忘れぬように、ぎゅっと握りしめる。
『その後、金品が盗まれていることが発覚した会場は騒然。貴族たちが大変激怒する中、ティルジュはエモールの正体に気づいてしまいます。しかしその時すでに彼女はエモールに心惹かれてしまっていたのでした』
数日後の夜。エモールはスティルパック家に忍び込んでいた。
目的はもちろんティルジュに会うためだ。
薄暗い庭を月明りを頼りに行くと、2階のバルコニーに彼女はいた。
あの日と同じように夜空を眺めている。
「こんばんは、お嬢さん」
エモールがそう声をかけると、彼女は驚きでびくりと身を震わせた後、慌てて階下を見下ろした。
「どうしてここへ?」
「愛しい人に会うために理由がいるのかい?」
そう言って笑む彼の顔を見て、ティルジュもまたふふっと笑った。
そうして2人は以前と同じように楽しい時間を過ごすのだった。
『それ以来というもの、エモールは毎日のようにティルジュに会いに家へと通い続けました。ティルジュも彼に会うため、毎夜同じ時間になるとバルコニーへと立つようになります。しかし――』
「もう会うのはこれっきりにしましょう、エモール」
その日も同じように彼女に会いに行ったエモールは言葉を失った。
「何故だ!? 理由を話してくれ、ティルジュ!」
突然切り出された別れにエモールは取り乱す。
しかし彼女はそっぽを向いたまま何も語らない。
「そういうことか」
そこへ突然、厳かな声が響いた。
驚き、そちらを振り返った青年は、その声の主を見ると顔をしかめる。
「お父様!?」
『そこに立っていたのは、スティルパック家の現当主にして、ティルジュの父であるダルモアでした』
「ティルジュ、いつも私の言うことを素直に聞いてきた可愛い娘よ。そんなお前が縁談の話を断り続けてきたのはこのドブネズミのせいだったか」
「縁談……」
ティルジュが別れを告げた理由を知り、エモールは彼女の方を振り返った。
その横顔は憂いを帯びていた。
「ああ、かわいそうな我が娘よ。このような男にたぶらかされ、随分と辛い思いをしただろう。しかし安心しろ」
そう言うと、ダルモアは横に控えていた衛兵たちに指示を出す。
青年の一瞬の油断をつき、衛兵たちは彼を取り押さえ、囲む。
「お父様、お待ちください! 彼は――」
「調べたところによると、先日のパーティーを荒らしてくれたのも貴様だったようだな。貧民出の分際で……それ相応の罰を覚悟しろ」
娘の必死の言葉に耳を貸すことはなく、ダルモアは冷たく言い放った。
「罰だと!? 人々を虐げるだけ虐げて、贅の限りをつくす自分たちを差し置いて何を言う!」
「連れていけ」
無情に言い放つダルモア。
「おのれ、おのれええええええ!!!」
振り絞られた怒声が静かな夜にこだました。
『こうしてエモールは牢に捕らわれることとなりました。数日後、彼は同じ貧民街出身の仲間たちに救い出されましたが、その心は絶望に憑りつかれていたのでした』