21‐4
それからというもの、ラウダは明後日の夜の部へ向けて台詞を頭にたたき込み、ひたすら演技を繰り返した。
いくら演技力が高いとはいえ、彼とて万能なわけではない。
「違う! そこはもっと柔らかく!」
レックスの無茶苦茶な注文が飛んでくることもしばしばあれば。
「ここ、もっと工夫した方が映えると思うのよねー」
仲間たちと切磋琢磨して更に上を目指す。
久しぶりに演技をするため、最初は少々ぎこちなかった動きが徐々に徐々に滑らかに、力強いものに変わっていく。
その感覚が心地よく、ラウダは充実感を得ていた。
やっぱり僕は芝居が好きだ。
僕とは別の誰かになれる芝居が。
「はい、終了ー! お疲れ様ー!」
その言葉を聞くや否や、皆がへなへなとその場に崩れ落ちた。
いくら演じることに慣れているとはいえ、今回はラウダに合わせて一から。しかも期間はわずか2日のみという急ピッチな練習なのだから、無理もないだろう。
当のラウダもすっかり汗だくで、マネージャーから手渡された水をぐいと飲み干すと、シャツで顔の汗を拭った。
(少し風に当たりたいな……)
そう思ったラウダは1人、裏口からふらりと劇場の外へと出た。
外には三日月が笑うように空に浮かんでいる。
適当なところに腰かけると、ふうっと一息ついた。
明日の夜にはいよいよ開演だ。
ラウダは目を閉じると頭の中で一連の台詞と動作をイメージする。
「よっ」
突然声をかけられ、ラウダは目を開けると、顔を上げた。
そこには杖をついたレックスが立っていた。
彼はラウダの横に腰かけると、笑顔を見せた。
「調子はどうだい?」
ラウダは、んーと考えた後、正直に答える。
「75点。一見すると良い線いってるけど、まだまだ高められそうな感じかな」
「ほー。うん、俺もそう思う」
レックスは空を見上げる。
「なあ、アレって嘘だろ」
「アレ?」
不意にそんなことを言われ、ラウダは眉をひそめた。
レックスは相変わらず空を見上げたまま、話を続ける。
「ほら、旅興行の話」
ぎくり。
「なんでそう思うの?」
平静を装ってそう問うと、レックスはふっと笑った。
「あれほどの才能を持った人間が旅興行してるなんて話、芝居馬鹿の俺が耳にしないはずない」
そこでようやくレックスはラウダの顔を見た。
「どうだ?」
「…………」
ラウダはしばらく黙っていたが、やがてぷっと吹き出した。
「芝居馬鹿って自分に使う言葉じゃないよね?」
「うるせえうるせえ。お前だって大概芝居馬鹿だろ?」
レックスは楽しそうにそう言うと、ラウダの脇をこずいた。
「否定はしないかな。でも理由ってそれだけ?」
ラウダも楽しそうにそう返すと、レックスは首を横に振った。
「いいや。劇場の歴史は長いからな。旅興行がいれば、俺が知らずとも年配の人が知ってたりするもんだ。けどここ数年そんな話はこのカルカラに入ってきていないと来たもんだ」
「そっか……」
やはり口から出任せではそう都合よくいかないらしい。
ラウダはしばらく悩んだ後、小さくうなずき、ぽつりぽつりと自分がどこから来たのかを話し始めた。
初めは驚いたレックスだったが、その後は何も言わず、少年の言葉に耳を傾けていた。
ラウダが話し終わると、レックスは開口一番にとんでもないことを言った。
「俺もそこに行けるかな」
「え?」
「ウィダンだよ! ウィダン! ラウダの所属する劇団がいるんだろ? 見てみたいなあ!」
キラキラとした目でそう言うレックスは子供のようにはしゃいでいる。
「えと……信じてくれるの?」
「ん? なんで疑わないといけないんだ?」
おずおずと問うラウダに対して、レックスは不思議そうに首を傾げた。
それがなんだかおかしくて。ラウダはふふっと笑った。
* * *
作業が一段落したローヴは、少し休憩しようと思い立ち、一人劇場の外へ出た。
どこか敷地内で休めるところは、とうろついていると、木の下に腰かけているポーリーヌの姿を見つけた。何やら瞑想しているようだ。
「ポーリーヌさん?」
邪魔しない方が良いのかもしれないと思いつつ、声をかけてみると、彼女は目を開けてこちらの姿を確認し、にこやかに微笑んだ。
「お疲れ様、ローヴちゃん」
そして自身の隣をぽんぽんとたたいた。
「良かったらお隣どう?」
せっかく勧められたものを断る理由もない。
ローヴは笑顔でそれに答え、彼女の隣に腰かけた。
「ずっと気になっていたのだけど」
不意にポーリーヌが真顔でローヴの顔をのぞき込む。
「その呼び方、止めない?」
「え?」
何事かと驚いていると、彼女は再び笑顔を見せた。
「私のことはポーリィって呼んで? 親しい人はみんなそう呼ぶから。あと、敬語もなしで」
突然そう言われ、ローヴは戸惑いながらもこくりとうなずいた。
「えっと、じゃあ、ポーリィ。気になってたことがあるんだけど」
「うん、何かな?」
今度はローヴが真面目な顔で相手の顔をじっと見つめた。
「ポーリィとレックスはやっぱり恋人同士なの?」
その問いに対してポーリーヌは特に取り乱すこともなければ、驚く様子もない。
むしろなんとなくそう問われることを分かっていたような。そんな様子だ。
「んー。友達以上恋人未満ってところかしら」
意外な返事が返ってきて、ローヴは目をぱちぱちと瞬かせた。
しかしそれもまた気にすることなく、ポーリーヌは話を続ける。
「でも私たちにはそれがちょうど良いというか……もはや一緒にいるのが当たり前の関係だから」
「一緒にいるのが当たり前、かあ……」
そんな風に言い切れる彼女が、ローヴは少しうらやましいと感じた。
「そう言うローヴちゃんはどうなのかな?」
そこでポーリーヌは少しいたずらっぽくにやりと笑った。
「えっ?」
「好きなんでしょ、ラウダ君のこと」
「えっ、えっ、えっと! その!」
急に自分の話題になり、ローヴは大きく動揺する。
「ラウダ君、人気あるもんね。細身だけどしっかり筋肉ついてるし、演技を始めたら別人みたいで。さっきもマネージャーの子たちが盛り上がってたわ」
それはローヴも知っていた。
どうせラウダのことだから気にしていないだろうとは思っていたが、それは思い込みで、もし気にしていたらどうしようと実は不安だったりするのだ。
「告白しないの?」
「こっくはっくとかっ」
急激に心拍数が上がったローヴは、見る見るうちに顔を真っ赤に染めていく。
その様子が面白かったのか、ポーリーヌはくすくすと笑った。
「ポーリィのいじわる……」
それから2人は、しばらく黙って空にぽっかりと浮かぶ三日月を見ていた。
上気した熱が冷める頃、ローヴがぽつりと、思っていたことを声に出し始める。
「なんかね、ラウダとボクとじゃ釣り合わないって思うんだ」
「どうして?」
ポーリーヌがそう尋ねると、ローヴはしばし考え込みつつ、あいまいなまま口に出す。
「側にいるんだけど、遠くにいるっていうか……とにかく、ラウダはいつも遠くを見てるんだ」
うまく言葉にできないが、ローヴは不安を感じていた。
普段は大人しく、やれやれと言いつつも自分の無理無茶に付き合ってくれる幼なじみ。
時に大胆な彼だが、時折見せる表情がどこか儚げで。
それが、不安を駆り立てるのだ。
そんな彼女の心境をどこまで察したのかは分からないが、ポーリーヌはこう言った。
「それならまずローヴちゃんがすべきは“同じものを見る”ことかな。そこで告白して、初めてスタートラインに立てるの」
その提案にローヴは苦笑を浮かべる。
「む、難しいなあ……」
「大丈夫。ローヴちゃんならできるよ、絶対!」
ポーリーヌはそう言うと笑顔で力強くうなずいた。
そんな彼女の言葉に励まされ、ローヴもまたふふっと笑うのだった。