20‐3
ますます何が起こったのかが分からず、全員が下手に身動きできない中、緑色の輝きが広間を明るく照らし出した。
「風雲の証よ、我が前に道を示せ!」
アクティーの声が高らかに響くと、緑色の輝きは複雑な紋章を宙に描いた。
直後、それは風となり、砂煙を吹き飛ばした。
ようやく晴れた視界に映ったのは、地獄のような光景だった。
“それ”にのしかかられた細身の男の足が、溶けていた。
肉は溶けて骨だけに――いや、その骨もじゅわじゅわと音を立てて溶けて消えていく。
その間にも“それ”はゆっくりとした動きで、しかし確実に男を飲み込んでいく。
「あああああああああああああああ!!!」
何とか手で這って逃げ出そうとするが、もう、遅かった。
ずぶずぶと飲み込まれていく上半身、腕、そして――
「あああ……あ……ぁ……」
最後には何も残らなかった。
そんな男など初めからここには存在しなかったとでもいうように。
「う、あ」
後ずさりをしていた大男がどさっと尻もちをついた。
その後も後退するが、同じ場所でずりずりと音を立てているだけで、その場からは全く進んでいない。
それをチャンスと思ったのか――そもそもそのように思考する脳があるのかは分からないが――“それ”は大男の方へ向かってぷるぷると身を震わせながら這っていく。
「くっ、来るな来るな来るなあああああああああああ」
手にしたこん棒をぶんぶんと無茶苦茶に振るうが、効果はない。
その後は、言うまでもない。
細身の男と同じように足から順に飲み込まれ、言葉にならない悲鳴を上げる。
足が、骨が、順番に溶け消えていくのだ。その痛みは――想像したくもない。
「た……す……」
助けを求める言葉も結局は最後まで言い切れず、大男もまたじゅわじゅわと音を立てて消えてしまった。
「ひ、ひぃっ」
小柄な男は震える声を発すると、それまで捕らえていた人質を自分の代わりに“それ”の前へ突き飛ばし、出口目がけて駆け出した。
突き飛ばされたポーリーヌはその場から身を起そうと、顔を上げ――その顔から血の気が引いた。
“それ”は目の前でぷるぷると揺れていた。半透明で不定形な内部には何一つ残っていない。
「い、いや……」
逃げたい。しかし体が硬直してしまい、動かすことができない。
「ポーリーヌさん!」
アクティーが名を呼び、他の3人と駆け寄ろうとするが、それよりも早く、実に軽やかに相手が飛び跳ねた。
ただただその様を見つめるポーリーヌの目からぽろぽろと涙が零れ落ちる。その目にもはや生気はない。
「ポーーーリィーーーーーーッ!!!」
そんな彼女の名を叫び飛び込んできたのは、レックスだ。
それまで傷つき起き上がることのできなかった体を、気力だけで起こすと、猛烈な勢いで駆ける。
そしてその勢いのまま彼女を抱きかかえると、反対側へと転がり込んだ。
直後、どぷんと音を立てて相手は着地した。
ごろごろと転がった後、少し離れた位置で静止した青年は、彼女を抱きしめたまま動かない。
「レックス!」
ひやりとしたものを感じ、ノーウィンは思わず名を叫んだ。
それに反応し、ゆっくりと身を起こしたのはポーリーヌだった。
しばしぼんやりとしていたが、目の前に額から血を流したレックスの姿を確認すると、目を見開いた。
「レックス……レックス!」
慌てて縛られた両手で彼を揺さぶると、彼がゆっくりと目を覚ました。
そしてポーリーヌの姿を確認すると、微笑んだ。
「ポーリィ……よかった……」
直後、その顔が苦痛に歪む。
「痛っ……足が……」
そう言われぎょっとなったポーリーヌは思わず、レックスの足を見る。
しかしそこにはきちんと足があった。2人の男たちのように溶けてなくなったりはしていない。
「大丈夫、ひねっただけ……」
“大丈夫”と言う言葉を聞いた途端、安心して気が抜けたのか。彼女の瞳からぶわっと涙が流れ出した。
泣きじゃくる彼女とそれを慰める彼の姿を見て、ひとまずほっと息をつく一行だったが、その間にも不定形物は獲物を狙っていた。
「い、嫌だ嫌だ嫌だいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ」
呪文のように“いやだ”を繰り返す小柄な男は逃走直後に足を滑らせ、地面に転がっていた。
急ぎ起き上がろうとするが、うまく立ち上がれず、足がもつれてすぐに倒れる。
そんな男の上にのしかかるように、“それ”はぴょいんと飛び上がると――
「い」
呪文を唱えていた男を丸のみにした。
飲まれたものはしばらくばたばたともがいていたが、その間にもしゅわしゅわと泡に包み込まれる。
そして、ぷかーっと浮き上がる頃にはほとんど形はなくなっていた。
「おっそろしい食欲だな……」
それまで無言だったアクティーだったが、ようやく口を開くと武器を構えた。
余裕ぶった物言いではあるが、不気味な相手に強い警戒心を抱いている。
「腹がふくれた……ってことはなさそうだねえ……」
ガレシアが敵を鋭くにらみつける。
不定形物は相変わらずぷるんぷるんと揺れており、何を考えているのか分からない。
一瞬犯人から助けてくれたのかとも思ったが、一行の方へとずるずる這ってきていることからそうではないことが分かる。
「ノーウィン」
「ああ」
アクティーに名を呼ばれたノーウィンは全て言われずとも分かったようだ。
背後を振り返り、待機していた仲間たちがこちらへ駆けてきていることを確認すると、自身は要救助者の2人を避難させるために駆け出した。
それからアクティーはラウダとガレシアを交互に見やる。
「さっき見た通りだ。残念ながらこいつは何でも溶かしちまうらしい」
「アタシらの武器じゃ無理、か……」
ガレシアの言う通り、剣や鞭などの武器で攻撃したところで、先ほどの男たちのように溶かされてしまうのがオチだろう。
ここは魔法で戦えるメンバーを編成すべきだ。
「僕らはノーウィンを手伝えばいいんだね?」
「ん。そういうこった」
そこへ駆け寄ってきた後衛メンバーが到着する。
「あれ、何なんですか!?」
到着するなり、困惑した様子でそう問うローヴだったが、もちろん誰にも分からない――かと思いきや。
「スライムだ」
さらりとそう答えたのはネヴィアだった。
一行が怪訝な顔で彼女を見つめる中、オルディナが驚き戸惑った顔を浮かべた。
「スライムって……原初の魔物と呼ばれるあれ、ですか?」
ネヴィアがこくりとうなずくと、オルディナは不安な顔で敵を見やる。
「スライム。特定の形を持たないその魔物から、あらゆる魔物が形作られたと伝承には記されており、そのことから原初の魔物と呼ばれています」
「原初の、魔物……」
オルディナの解説に、ローヴが身震いした。
そんな魔物がこの世に存在するなんて、と。
しかし、オルディナは首を横に振る。
「でも、スライムというのは太古の昔に絶滅したはずの魔物なんです」
「え?」
「伝承の中にだけ出てくる。そういう存在だ。本来はな」
オルディナの話に補足するネヴィアだが、こんな状況でもなお取り乱すことなく無表情だった。
彼女は何故あれをスライムだと判断したのか。
ラウダはそれを問おうとしたが、ネヴィアの視線に制された。
「今はそんなことを話している場合ではないだろう」
いつの間にか“それ”ことスライムがノーウィンの方へと移動しつつある。
仲間たちと目配せすると、ラウダとガレシアはノーウィンの方へと走り出した。
「ネヴィアちゃん」
不意に名前を呼ばれ、ネヴィアはアクティーの方を向いた。
「あいつらは武器がないも同然だ。悪いが援護してやってほしい」
先日見せたネヴィアの戦闘能力があれば、彼らをフォローすることは十分可能だろう。
そう判断したアクティーに、ネヴィアは小さくうなずいた。
「了解だ」
「それからローヴちゃん」
これまた突然名前を呼ばれ、ローヴが驚いた顔でアクティーを見やる。
「君もあっちの援護だ」
「え? でも」
「あっちには怪我人もいるが、見ての通り回復役がいない」
言われてみればと思い、ローヴは少し考える。が、すぐにこくりとうなずく。
「分かりました!」
そして、ネヴィアと共に素早く駆け出して行った。
「……うまく誘導するものだな」
一連の流れを見ていたイブネスがぼそりと話しかけた。
「……まあ、ローヴちゃんには荷が重すぎるわな」
アクティーは、まだ簡単な魔法しか使えないローヴにとって、今回の戦いは少々危険だと判断したのだ。
ノーウィンの考えを配慮してというのもあるが。
2人のやり取りはオルディナには聞こえなかったらしい。
不思議そうに首を傾げている。
本来ならば彼女も外したいところだったが、魔法に対してずば抜けた能力を持つ彼女を外すのは正直難しいと考えたのだ。
特に今はまだ火の証の所有者が現れていないため、強力な火の魔法を扱える彼女の力は必要不可欠だった。
「それじゃ、やるとしますかね」
その言葉をきっかけにアクティーとイブネス、セルファ、オルディナがそれぞれ魔法発動の準備にかかる。