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この遺跡はどうやら元々そこまで奥深いものではないらしいが、ゴブリンたちが住み着いたことによってあちこち穴を掘ってあったり、奥行きが広くなっていたりと、色々と改築作業が成されているようであった。
そのため奥に行けば行くほど陽の光が入らず、暗い。
もはや遺跡ではなく洞窟の中を各々足元に気をつけながら慎重に奥へと進んでいく。
しかし、辺りは静まり返っていて、まるでもぬけの殻状態であった。
「本当にこの奥に敵がいるのか? 俺は何も感じないんだが……」
ノーウィンが困った声で問うが、全く返事はない。さっきからずっとこの調子なのだ。
やれやれ、と小さくつぶやくと、それ以後ノーウィンは質問することを止めた。
彼の後ろに続くようにラウダとローヴが歩いていたが、彼らもまた黙ったままだった。
しかし何故かラウダの中ではざわざわと胸騒ぎがしていた。
何かが、この奥に何かあると、そう告げている気がしてならなかった。
不意に先頭を歩いていたセルファが歩みを止めた。
「…………変」
たった一言だけ言うと、彼女は周囲を見渡した。
「何がどうしたんだ?」
よく分からぬまま、後ろの3人もその場に立ち止まった。
暗くて周りがよく見えない。
「……ゴブリンが……気配を消せるはずがない」
彼女の言葉の意味がよく分からず、ラウダとローヴはお互いに顔を見合わせ、首を傾げた。
それを見たノーウィンが解説を始める。
「ゴブリンは雑魚だって言っただろ? ……っていうのもあいつらは数ある魔物の中でも知能が低い……頭が悪いんだ。だから、集団でかかってきてナイフを振り回す以外に戦闘方法を知らないんだ。当然自分の気配を隠すことなんてできるわけがないのさ」
「……それができるのは、上級の魔物……なのに」
どうやら顔には出さないが、彼女も困っているらしい。
それだけ在り得ない事態が今起こっているということなのだろう。
「セルファにも分からないの?」
ラウダが尋ねると、彼女はこちらを向くことなく、小さく首を縦に振った。
「まいったな……一旦引き返して出直すか? この状況はあまり良くないだろう?」
ノーウィンの言葉にセルファが何か言おうと振り返った。
その時だった。
「何かいる……っ!」
「え?」
突然ローヴが悲鳴に近い声で叫んだ。
驚き全員がその方向を向いた瞬間、ラウダの体が宙を舞っていた。
「ラウダ……っ!?」
そのまま地面にたたきつけられ、全身に激しい痛みが走る。
硬い何かに吹き飛ばされた。
目の前で幼なじみが吹き飛んだことに恐怖し、ローヴはその場に固まってしまった。
「セルファ! 気配は!?」
ノーウィンが大声で叫びながら槍を構える。
セルファも突然のことに目を見開き一瞬呆然としていたが、すぐにダガーを構えなおし、驚く。
「囲まれている……!? いつの間に……!」
先程まで微塵も感じられなかった気配が、今では辺りに充満していた。
「う……」
吹き飛ばされた勢いと地面に打ちつけられた衝撃で、体が痛み、ラウダは立ち上がれずにいた。
そんな彼を助けようとノーウィンが向かうが、そこに大きな何かが立ち塞がった。
ノーウィンと同じ、いやそれ以上に長身。しかしその体は彼とは似ても似つかぬほど丸々と太っていた。
「う、嘘だろ……」
ノーウィンの驚愕の声。
愕然となって気が抜けてしまう。
醜悪な顔にへらへらとした態度。
体格こそ違えど、それは紛れもなく、ゴブリンなのであった。
突如、激しい音と共に辺り一帯に火が灯された。
どうやらあちらこちらに松明が設置されていたようだ。
松明によって明るくなった空間。
そこに現れたのは、今まで戦ったものとは比較できないほどの大きさを持つ、大量のゴブリンたち。
そしてその中央、高台になっている部分にはそれよりさらに大きな、見上げなければいけないほどに、肥えたゴブリンの姿があった。
その手にはそれぞれナイフなどとは比べ物にならない凶器や鈍器が所持されていた。
「ゴブリンが……ここまで……!? どういうことなの……!」
さすがのセルファもここまでとは予想もしていなかったらしい。
厳しい表情は一変、驚きに満ちていた。
「ラウダ……! ラウダっ! しっかりしろ!」
ノーウィンはラウダに向かって叫びながらも、力強く槍を振るう。
しかし敵は今までのものと違い、体格が大きいため力も強い。
彼の振るった槍が、敵の持つメイスであっさりと受け止められてしまった。
相変わらずの下品な音声でへらへらと笑いながら襲いかかってくるゴブリンたち。
セルファの素早い二刀流など物ともせず、平然とした顔で立っていた。
そんな中、恐怖ですっかり固まってしまったローヴにも危険が迫っていた。
先程ラウダを吹き飛ばしたゴブリンが彼女を狙っているのだ。
その手には金属の棒。そこからのびる長い鎖の先に大きくて重そうな球。鋭くとがった針までついている。
それを地面に引きずらせながら目標に迫る。
当然彼女は動けない。
「くそっ! ローヴ!」
真っ先にそれに気づいたノーウィンが、彼女の元へと駆け寄り、そのゴブリン目がけて槍を振るった。
攻撃は確実に当たった。腹の辺りから赤黒い液体が流れ出す。
しかしそれにも関わらず、そいつはへらへらと笑っていた。
ぞっとするような光景。
「ローヴ! 俺の後ろにいるんだぞ!」
ノーウィンはそれだけ言うと、そいつに向かって槍を一直線に突き刺した。
そしてそのまま槍を上へと引き上げる。体重と肉質の問題でところどころ引っかかったが、構わず力ずくで引き上げた。
へらへらと笑ったままの顔が半分に裂け、そのまま後ろに倒れた。
もう動かない。
その衝撃で液体が飛び散り、ノーウィンの服や髪をさらに紅く黒く染め上げた。
しかし本人はそんなことお構いなしに、向かってくる敵を順番に切り捨て始めた。
その姿にローヴは声も出せずにただただおびえるしかなかった。
「セルファ!」
一心不乱に槍を振るいながら、相棒の名を叫ぶ。
「ダメ……! この状況……集中できない……!」
セルファの方も彼女の身体能力を活かして何とか敵からの攻撃をかわし、攻撃しているものの、素早さに重点を置いている彼女の戦い方では、大きなダメージを与えることができない。
何か策があるようだが、今の彼女の状況ではどうしようもない。
「ラウダ……! 何とかして助けないと……!」
その上、未だに起き上がれない少年もいる。
飛んで火に入る、とはまさにこのことのようだ。
そんなノーウィンの身にも、危機が迫っていた。
* * *
先程の鉄球で思いきり吹き飛ばされたラウダは、全身の痛みに堪えきれず、立ち上がることはおろか、意識を保っていることもままならない状態であった。
しかし、そんな状態でも眼前で起こっていることはしっかりと理解していた。
何度も自分の名を呼ぶノーウィンの声もしっかりと聞こえていた。
だが、体がそれに反応してくれない。
(立たなきゃ……)
どんなに意識しても体は応えない。
(足を引っ張ってばかりじゃダメなんだ……)
彼らが何故、自分たちを導いてくれたのか。その真相は分からない。
彼らが思っているほど自分は強くはないし、根性があるわけでもない。今だって痛くて、怖い。
けれども、自分を守ろうとしてくれている。自分を信頼してくれている。
(裏切りたくない……)
その時、突然悲鳴が聞こえた。
ぼんやりとした視界の中でローヴが真っ青な顔で叫んでいる。
その前で彼女を守っているノーウィン。だが様子がおかしかった。
右腕が明らかにおかしな方向を向いている。
その後ろでへらへらと笑っている魔物。手には巨大な金槌。敵を殴りつける面にはトゲが付いている。
あんなもので殴られたら――
また、少し離れた場所でセルファが魔物に囲まれ苦戦している。
さすがの彼女も避けきれなかったのだろう。ところどころから血がにじんでいる。
自分よりも明らかに年下のはずなのに。怖いはずなのに。何故あそこまで戦えるのか。
いや、それ以前に。
自分はここで何をしているのだろうか。
いつもなら、本当なら、今頃は舞台の上で次の公演のための練習をしているはずなのに。
半分夢だと思っていた。しばらくしたら目が覚めて、いつものように寝坊して、ローヴに怒られて――
(そういえば……クレープおごってくれって言ってたっけ……)
そんなことが頭の中をぐるぐると回っている。
でも夢ではない。
体中が痛い。土臭い。そして血生臭い。
怖いはずなのに、涙さえ出ない。どこかに置き忘れてきたのだろうか。
(僕は……どうすればいいのかな……)
立ち上がらなければならない。みんなを救うために。自分だけ倒れているわけにはいかない。
(でも……どうすればいい……?)
立ち上がれたとして、果たして自分がこの危機的状況を打開できるのだろうか。
『強く……想って……』
同じことを何度も何度も繰り返していた頭の中に、突然声が聞こえた、ような気がした。
でもそれが自分の声なのか誰か別の声なのか。それは分からない。そこまで考えられない。
(想う……?)
『そう……助けたいのなら……そう想えばいい……』
(どうやって……?)
『君には力がある……選ばれた力……』
(力……? でも僕は……)
『大丈夫……自分を、仲間を信じて……』
(信じる……)
『そう……その想いを君の……手のひらに乗せて……』
想う。今の僕が想い、願うことは――
「みんなを……みんなを助ける力を……!」