19‐2
宿に到着すると、初めてカルカラに来たメンバーはまたしても驚くこととなった。
宿が今までのどことも違い大きすぎるのだ。
この大きさなら王都の高級宿にも負けないだろう。
しかし内部はどうせ大したことないのだろう――そう思って踏み込むと、玄関には暖色の花が活けられた真っ白な花瓶が左右に配置されており、ふわふわの真っ赤なじゅうたんが敷かれていた。
受付横の看板にはこの建物が3階まであることが記載されており、さらに1階には広めの食堂があるようだ。
しかしこの見た目に構造、どこかで見たような気がする。
「いらっしゃいませ!」
受付に立っていた中年の男性と若い女性が笑顔でお辞儀をした。
いつものことながらノーウィンが代表して部屋を借りたいことを伝えると、相手はてきぱきと部屋の用意を進める。
そこでようやくラウダは既視感の正体に気づく。
「あ、この宿、ベギンのと似てるんだ」
思わず声に出してそう言うと、受付の男性が少し驚いた顔を浮かべた。
「おや、ベギンの宿をご存じで?」
ラウダがこくりとうなずくと、男性は再び笑顔を見せた。
「実はこの宿、数年前までは1階建ての少し古びた建物だったんですよ。ですが劇団が人気になるにつれ宿が満員になることが増えてしまって……そこで同じように人が多く集まるベギンの宿のようにしてほしいと建築家にお願いして、設計と改築をしてもらったんです」
「なるほど、それは知らなかったな」
興味深そうにノーウィンがそう言うと、隣にいた女性が困ったように微笑んだ。
「最近だとメープルシロップを購入しに来る商人さんが長期滞在することも多くって」
そこで“メープルシロップ”という単語に反応したローヴが、ばっと前に飛び出た。
「あのっ! ここでメープルシロップを使った料理とか扱ってないですか!?」
突然のことに女性はとても驚いたようだが、すぐ困り顔になってしまった。
「すみません……うちではそのような料理は提供していないんです……」
それを聞いて、ローヴはまたしてもがくりと肩を落とす。
「昔、本当に一時だけ、そういった商品を提供していたことがあるんですが、その売れ方があまりにひどくて……」
男性が困り顔でそう話すと、ラウダは気になったことを問う。
「ひどい?」
「ええ。多くのお客様が来てくださったのは良かったんですが、シロップを使用した料理の大量注文は当たり前。対してその日仕入れたシロップは限りがありますから、食べられないお客様も出てきてしまうわけで……あれはもう争いというよりも嵐のようでした……」
そう回顧する男性は思わず身震いした。
しかし、シロップに関する話はまだあるようで今度は大きなため息をついた。
「さらにですね……いたんですよ。転売しようとする人が」
思わず一行は顔をしかめた。
聞けば、出された料理を持ち帰ってそれを高値で転売していたのだという。
転売行為自体決してよろしくないものだが、それ以前に生ものを転売するというのは如何なものか。
「というわけで、シロップを使用した料理は出さないことになったんです。本当にすみません」
さすがにこんな話を聞かされてしまうと、なんとも言えない。
さすがのローヴも仕方ないと諦めたようだ。
よし、と気合を入れ直すと、勢いよく顔を上げた。
「ボクにはまだお芝居がある! そっちを楽しみにする!」
切り替えの速さとその明るさに、一行は「その意気だ」と励ましを送り、微笑みかけた。
が。
受付の2人が気まずそうに顔を見合わせた。
そして、女性がおずおずとローヴに尋ねる。
「もしかして、観劇に来られたのでしょうか?」
ローヴはこくりとうなずくも、相手の様子がおかしいことに首を傾げる。
この街に来たということは観劇に来たという意味で、十分おかしなことではないはずだ。
とても楽しみにしている様子のローヴを見て、女性は何事か悩んでいたようだが、小さくため息をつくと、はっきりとそう言った。
「次の舞台は無期延期となっています」
* * *
街の最奥にある劇場前には大勢の人間が群がるようにして立っていた。
少しでも中の様子を見ようと、ぐいぐい押したり、左右をきょろきょろしたりと、とにかく様々な人間でごった返しているため、怒声も聞こえる。
また、人気キャストの名前なのだろうか。ひたすらその名を呼ぶ人間もいた。
そんな固まりを見た一行は愕然としていた。
宿の受付で、現在芝居をやっていないうえ次の公演は無期延期だと聞いたローヴは、さすがに衝撃が大きすぎたようだ。見事に生気が抜け、石と化してしまった。
何とかそれを部屋に運び込むと、一行は一室に集まって今後の相談を始める。
「次の目的地はカルカラの北にあるハルフの村だな」
地図を机に広げて、ノーウィンは現在地からハルフの村と書かれた場所までを指でなぞった。
「半日もかからないような距離だが――」
そこでノーウィンはベッドに横倒しにされた“石”を見やった。
石ことローヴは身動き一つしない。
彼女が観劇を楽しみにしていたことはここにいる誰もが知っていることだ。
とはいえやっていないものはやっていないのだからどうしようもない。
ノーウィンは困ったように頭をかいた。
「正直、アタシは先に進んでもいいと思ってる」
黙り込む一行の中で最初に口を開いたのはガレシアだった。
彼女は元々、“観劇してもしなくてもどちらでもいい派”だ。
その彼女からすればここで立ち止まっている理由は全くない。
いや、そもそもここに立ち止まる理由は誰にもないのだ。
「……私は少しでも早く先に進みたいわ」
案の定、セルファは先を急ぎたがっていた。
無理もない。彼女は世界を救う勇者を悪のもとへと導くことが使命なのだから、こんなところでお芝居を見ている暇などないのだ。
そんなセルファに同調するように、イブネスはこくりとうなずいた。
「んー、まあ確かにここで足踏みしてる理由はないんだよな」
アクティーは椅子に座ってくつろぎながら、そう言う。
珍しく意見が合ったことに対してセルファは少し驚いた、ように見えた。
「私は皆に従おう」
相変わらず無表情なネヴィアは腕を組み、そう告げる。
本人が言うには元々行く宛のないような旅をしていたため、特に急ぐ必要もないのだろう。
「あ、あの」
そんな中オルディナは何かを言いかけて、言い淀んでしまった。
それをノーウィンが笑顔で、話してみるように勧めると、彼女は意を決したように口を開いた。
「劇場に行ってみませんか?」
思いもよらぬ言葉に全員が怪訝な顔を浮かべた。
「でも、やってないんだよね?」
ラウダがそう言うと、オルディナは一度だけちらりとローヴの方を見やった。
「そう、なんですけど……劇場を一目見るだけでも気持ちが変わると思いますし……それにもし、無期延期の理由を聞ければシロップの時みたいに諦めがつくかもしれません」
当の本人も観劇を楽しみにしていたはずなのに、どうやらローヴのためを思って、あれこれ考えたようだ。
「それならいいんじゃね?」
そう言ったのはアクティーだ。
さっきと意見が違うことに対して、やはりこいつは信用ならないと思ったのか、セルファがきっとにらみつけた。
「オルディナちゃんの言うことはもっともだし、劇場を見に行くだけだろ?それならそんなに時間もかからねえよ」
全員が黙り込む。だが特に反対意見は出ない。
ノーウィンは全員の顔を見渡し、問題ないことを確認する。
「それじゃあ劇場まで行ってみよう」
全員がこくりとうなずいた。