3
古墳時代初期の日本。近江の山の中で栗拾いをしている小僧が、熊と格闘をしている山童と出会う。
三
ここは大陸の東の大海に浮かぶ島、日の本。景行二五年(西暦一四〇年)秋、膝下まである浅葱色の単衣に隠れるように短褌を穿いた、割合に身なりのいい痩せた小僧が、近江日野の南にある小山で栗拾いをしている。鹿皮の靴を履き、棒っ切れを持ち小枝を払いながら、かさこそと足音を立てて栗や茸などを物色している。
突然、どしんと何かが落ちたような大きな音が聞こえた。驚いた小僧が立ち上がり、聞き耳を立てると、またどしんと鳴った。
この時代、人間は生きもの達の頂点に立ったとまでは言えない。まだまだ手強い肉食獣があちこちに住んでいて、その餌食にされる人間も数多いた頃合いである。
小僧は震えながらも正体を確かめたくて、そっと小枝を掻き分け音の主に近づいて行く。
凶暴そうな獣の唸り声も混じってくる。
見ると大きな熊と、毛皮の短褌一丁の偉丈夫な山童が取っ組みあっている図であった。といってものちにいう妖怪の山童ではない、山で働く力持ちで大きな少年の意味である。山童はよろよろと押されては木にどしんとぶつかり、跳ね返しては熊が木にどしんとぶつかる。野放図に伸ばした縮れ髪が肩に垂れ、膨らんだ力瘤が汗で黒光りし、丸で獣と死闘を遂げる縄文人のようだ。山童は小僧よりだいぶ年嵩に見える。
唸り声が高まり、互いの力瘤が膨らむ。次の瞬間山童は叫声一発、熊をポーンと投げ飛ばしてしまった。飛ばされて背中から落ちる熊は、恨めしそうな声をあげながら逃げて行った。あまりの怪力に目をぱちくりさせて小僧が見つめる。
(んーん、なんて奴だ、熊の一撃を躱して、抱え込んで放り投げてしまったぞ)
吠えながら逃げていく熊を目にし、嬉しそうに目を輝かせて、
「やあ、やあ、凄い、凄い」と、小僧は山童に近づいた。
「いや、本とに驚いた、お兄さんはもの凄い力持ちだな」
ギロッ
と横眼で睨む山童、
「なんだおめぇは、んん? あの熊はわいの弟だ、いつも相撲とっとるだけじゃ」
唐突に現れた娘っ子みたいに華奢で小柄な小僧を怪しみ、上から下まで睨め回しながら、
「何か用か?」と、素っ気ない仕草。
「へえ、あの熊は兄弟なのか。じゃあお兄さんは兄熊さんだね?」
と、小僧は勝手に名を付けた。
「け、よせやい、いくら熊が兄弟といったって、兄熊って名じゃねぇや、三太夫てんだ」
「三太夫さんか」
小僧は三太夫の逞しい二の腕と胸板を見つめ、思わず触って舐りそうな顔をして、
「なあ三太夫のお兄さん、お願いがあるんだ、ひとつこの吾と相撲を取っておくれよ、吾は強くなりたいんだ」
「吾と来たな、そういう物言いするものに碌なもんはいねぇ・・く、寄るな、鬱陶しい、触るなこの野郎、離れろ」
と、蠅を追うような仕草。
「あんまり見ねぇ顔だな、いい物着てるとこみると、日野の殿さの家来け? おめぇみてぇなひ弱な野郎相手にしてたら体が鈍っちまう、御免だぜ。とっとと帰ぇれ、わいは忙しいんだ」
「はは、そんなこと言わずにさあ、一番でいいからさ」
と、小僧は巨漢の腕に縋りつく。
「やだね、娘っ子の相手をするほど暇じゃねぇや、こちとらこれから晩飯の用意しねぇとな、あばよ」
と言って、三太夫は小僧の腕を軽く振り払うと、小僧はひょいと飛ばされてしまった。その軽さに嘲笑ひとつ浴びせ、三太夫は枝に掛けた粗末な衣を片手に握り、切株に刺した石斧を担いで行ってしまった。
力仕事は男の仕事、栗拾いや潮干狩りなどは女の仕事であった。
古代は男も女も平等であって、皆それぞれが仕事を受け持って生業をしていた。男女の差別の発生したのは、男が稼いで、女が家女房となってから(平安時代)のことであるらしい。しかし、体力の違いはあるから、自ずから仕事の違いは出てくる。
気が強い小僧、女扱いされ無性に腹が立ち、なんとか一番取ってみたいと、翌日から毎日同じ刻限に通い始めた。
小僧が通って五日目、
「しつこい野郎だな、そんなに投げ飛ばされてぇのか? いいだろう、いっぺんだけ相手してやらぁ。そのかわり死んだって穴掘ってやんねぇぞこの野郎、さあ来い」
と、相手を睨んだまま腕を捲くって、しゃがんで片手を地に付け、じっと睨んで構えている三太夫。実に悠然としたものである。
一方やっと応じてくれた嬉しさに小躍りする小僧は、
「へへへ、やっとその気になってくれた、有り難い」
と、手に唾をして左拳を地に押し付け、じっと俯いている。
やがておもむろに視線を上げ始めると、針鼠のように全身総毛だった小僧が突き刺さるような視線を浴びせて構えている。三太夫は戦慄した、昨日までの女男とはうって変わり、十二、三の子供とは思えず、体が震えて立つに立てない。
しかし、三太夫も熊を相手に相撲を取る巨漢である、臆してはいられない。
お互いの呼吸が合って、右の拳を地に付けると、
どーん
と当たった。鈍い音がして、勝負は一瞬でついた。小僧は遥か後方の木の根方に腰を打ち付けて気を失った。
「おい、小僧、大丈夫か?」
中々起きない小僧に、三太夫が不安になる。
「だから言ったんだ、そんな柔な体でわいに勝てるはずがないわい・・・」
つかつかと近寄り起こしてやろうすると、気が付いた小僧ががばっと立ちあがり、
「んん、くそっ、もう一番だ、さあ来い」
「おい、まだやるんかいな、ははは」
三太夫は小僧が元気そうなので内心ほっとした。それから十番もやったであろうか、小僧はへとへとになりながらも飛ばされては起き上り、向かっていった。全部三太夫の勝ちであった。小僧の負けん気の強さに、ほとほと感心する三太夫である。
それからというもの小僧は毎日飽きもせず、挑み続けては負けていた。やがて半月もすると小僧はまともに組み合えるほどに力を付けていた。
ある時、日野の屋敷に炭を売りに行ったところ、三太夫は小僧が日野の殿様の家来ではなく、殿様本人であることを知り、偉く恐縮した。しかし小僧の人柄が気に入り、地に座り込んで恐慌頓首、
「是非に家来にして下され」と願った。
小僧もひと眼見た時から三太夫を気に入っていたのだから否やも無い、三太夫の家族ごと仕丁(使用人)として日野の屋敷で雇うことにした。父母と姉二人に弟一人という六人家族。三太夫の家族は小岳という山で樵を生業として暮らし、炭を作り蒲生や瀬田付近にやって来て、米や魚などと交換して暮らしていたのである。
この日野の若殿こそ第十二代景行大王の第三子、小碓命である。小碓が都の纏向に行く時も、どこに行く時でも三太夫はつき従った。この時の小碓はまだ領地の管理を任される年齢ではなく、管理代行の執事がこなす仕事を学んでいる最中であった。
小碓の家来となった三太夫は正式には甲賀大兄太夫郎子という名を持ち、異能の持ち主である。名を聞けばいかめしく大そうな名前に聞こえるが、今風にいえば、『甲賀生まれの頼もしい長兄ちゃん』というくらいの意味である。鼻も耳も獣の如く優れ、夜目遠目が利き、六尺(約百八十センチ)という巨漢ながら人に気づかれずに素早く移動出来る、後世でいう忍びの者に近い。自然の中で育ち、生きもの達に学びながら成長した三太夫であった。
小碓はこの時から三太夫を相手に武芸の稽古をすることになる。
瀬田という地に三津首という者が住んでいる。三津首とは韓国(古代の朝鮮半島の国々で高句麗、百済、新羅をさす)から来た移民の家系で、支那国(現在の中華人民共和国)の学問に詳しい。特に春秋戦国時代に著された兵法書である六韜や孫子に精通していた、当時としては極めて異例である。斯程の智者なれば国の中枢に居るべきなのだが、辺境の国に身を置くというのはどういうことであろう。ちなみにのちの仏教の本山、比叡山延暦寺に興った天台宗の基を築いた最澄は三津首の家柄である。
三太夫は炭を売りに行った際に、三津首が人を集めて講釈をたれているのを良く聴講いた。それゆえに文字(漢分)も書けるし軍略らしきことにも精通していた。
三太夫とは三津首から名付けられた呼び名である。小碓にとって三太夫は良き家臣であり、良き師であった。
この日の本を、遥か宇宙の彼方から見つめ続けている者がいた。ハデス七号という高度なロボットである。日の本中を小さな平面画像で百ヶ所ほども同時に見ている。
そして彼と共に見ているのは見かけ上十四、五に成長しているアルテミスである。その通り、地球から千三百光年ほど離れたエウリュアレ号の一角である。
栗色の髪を水平に切り揃えた髪型(お河童)にして、いつも両耳の所にアンテナの付いた金色のヘルメットを被っている。ダークグレーの長袖のシャツは大きすぎて手が隠れてしまう。その上に朱色の袖のないローマ風のトゥニカ(のちのチュニック)という服を着て、下はグレーで日の本風の袴を穿き、靴は脹脛まであるペルシャ風の革のブーツ。百五十センチ弱というやや小柄なせいか、服が全体的にブカブカしている。
目を瞑りかけ、口を開けて白とピンクの縞模様のある棒飴をくわえてうとうとしている。と、ポロっと飴を胸元に落としてしまった。ふっと気付いてくわえ直すと、目が冴えてしまったのか足を組んで爪先をゆすりしながら、リクライニングチェアーに寝そべっている。「?」マークのような形の木製の短いステッキが脇に置いてある。
眠そうに両手を広げて伸びをしながら、
「ハデス、何かあった?」と、飴を口の中でモグモグさせて話す。
「(ポーン)おや、お目覚めですか、アルテミス様、はっはっは」
「何よ、その笑いは?」
と、頭を掻きながらじろっとハデスを睨むアルテミス。
「いえ、その、大層よくお眠りで・・別に取り立てて変わりはありません。執事の八尺の大叔父が帝に命じられて、城下を流れる小川の修繕工事を督励しているぐらいです」
「あっそ、退屈ねぇ」と、ステッキの頭で凝った首筋をポクポク叩く。
「神宮の様子はどうなったの」
「(ポーン)まだまだ敷地の土台作りの段階で、だいぶ掛かりそうで御座います」
さして変わらぬ風景に飽きてしまったアルテミスは、頭の中で指令を出した。
(帝に関係する人達の様子が見たいわ)
すると、アルテミスのすぐ目の前の中空に、ハデスの見ている小さな映像とは別に、大きな立体映像が現れた、ホログラムである。丸で実物の映像そのもので区別がつかない。画像を見ながら次々に頭の中で指図しては映像が切り変わっていく。
タルタロス人の科学では望遠鏡の映像を、立体視界全体として三次元でデジタル処理して捉えるから、どんなアングルからでも見る事が出来て、拡大縮小も画像を歪めずに自在に見ることが出来る。ここで読者は不思議に思うだろう。
――望遠鏡で地球を見ているのなら真上からだろう、頭の天辺しか見えなくて、何が起こっているのか判別しづらいのではないか?
と、こういう疑問が出る。しかしコンピューターは反射像なども含めて三次元デジタルデータを現実に符合するように九十%を超える確率で加工して表示し直すから、どんな角度からでも見ることが出来るのである。おまけに口の動きを分析し、喉の形などから自動的に音まで合成されて発生される。風の音や波の音、鳥のさえずりでさえ復元される。3D映像どころではなくリアルに見える。アルテミスが頭の中で指令するだけで、いつでも見たい所を検索出来る。観測室全体が演劇場に置き換わるのである。
映像をどんどん切り換えていくうちに、ふと気になる場面に出くわした。大きな山童と小わっぱが取っ組み合っては、小わっぱが投げ飛ばされている。
「キャー、可哀そう、あんな小さな子供になんてことするの」
と、思わず起き上るアルテミス。小碓と三太夫であった。
しばらく様子を注視していると、どうも勘違いだと気付く。
「なんだ、何かの訓練でもしているのね、この小さい子が帝の子なの? 小碓というのか」
ほっとしてまた横になった。
小さな子供ががむしゃらに大男にぶつかって行く姿に、アルテミスは強く惹かれるものを感じた。アルテミスと小碓の初めての出会いである。
限りなく稀な偶然によって、アルテミスは小碓の存在を知ったのである。
ところでアルテミスの見つめるこの時代の日の本では、文字がまだ未熟で万葉仮名(七世紀)は登場していない。言葉は有ったが、文字といえば支那国語の漢字を使うしかなかった。同じ意味を表す漢字を使って文字を書いた。すなわち音読みとは当時の支那人の発音で、訓読みこそが当時の日の本で使われていた言葉に相当する。
漢字でしか書けないために、話す時は何でも区切りに助詞の「の」が付くように読む。小碓命とは「おうすのみこと」、山城国とは「やましろのくに」と、読むのである。
――案内役はこのわたし、ミーよ、アルテミスというの。ミーと一緒に小碓の物語を見物しましょうか。ミーは今六十だけど地球人に例えると十五くらい、人生三百五十年、永いんだから・・・