6の2
決戦を避けるべく、使者に立つ青葉翁、その交渉の行方は?
その頃第一部隊では、磯砂衆の弓に怯えて縮こまっている造は、もう我慢がならなくなっていた。
「ええい、小癪な山猿共め、青葉、皆に火矢を撃ち込めと命じよ」
「なんと、若、それはなりませぬぞ。山を燃やしては山神が怒ります、どのような災禍が起こるか知れませぬ」
「馬鹿もの、今のわれらの立場こそ災禍じゃ。これではいつまで経っても動けんではないか。わしは最早覚悟を決めたのじゃ、火矢を撃ち込め。さあ、皆にも伝えよ」
と、造は大声で左右に怒鳴り散らした。
「しばし待たれよ、今しばし待って下され」
と、青葉翁が止めに入る。周りの者もしばし押し黙った。
「この爺に最後の機会を与えて下され、火はいけませぬ、断じていけませぬぞ」
「青葉、一体どうするつもりじゃ?」
「この爺が最後の交渉を致しまする。無意味な争いは最早たくさんで御座るゆえ、説得して御覧に入れる」
「おい、青葉の爺よ、どうやって交渉するというのだ、あいつらには近づけんのだぞ?」
「お任せ下され、若き日の手慰みというやつで御座るよ」
そう言うと、青葉翁は鹿砦に隠れたまま森の上つ方を向き何か怒鳴った、かに見えた。しかし、声がせず、周りの者には何をやっているのか分からない。
「おい爺、いったい何をやっているのだ?」
造は口をぱくぱくやっている青葉翁が気でも狂ったのかと思った。
「若、しばし邪魔せんで下され、今木の上の者と話を致しますので・・」
再び青葉翁は口をぱくぱくやり出した。造も周りの者も何が何だか分からない。
「木の上の磯砂衆にもの申す。吾は若狭の青葉翁と申す者なり。聞こえるなら返事をしてくれ」
青葉翁は磯砂衆が使う会話法を心得ていた、同じ丹後族の末裔なのである。二度ほど大声で叫んだが返事がない。
「木の上の・・」
「うるさいのぉ、誰じゃと、汝れは?」
と、小女郎が応じた。
「おお、やっと通じたか、吾は若狭の青葉翁じゃ、造の執事じゃ、話があって声をかけた」
「青葉の爺か、知っとるわ。わてらは小女郎じゃ、何が言いたい?」
小女郎の話す言葉が二重に聞こえてくる、三人が別々の場所で話しているのである。
「ああ、よかった。磯砂衆にはもう無意味な争いはやめて欲しくて話をしたい。お互いに仲良く暮らせばよいとは思わんか。もう略奪などというような時代は去った、磯砂衆は左様なことをせずとも暮らしてゆけるではないか。倭に加われば住みたいと思う土地も与えよう、どうじゃな?」
「・・・」
返答がなく、尚も青葉は続ける。
「今日このような戦いに至ったは、磯砂殿と話し合いが出来ぬからじゃ。われらももう同胞を失う悲しみを味わいたくはない。磯砂衆が倭に加われば直ちに囲みを解く用意がある。なにとぞ磯砂殿に掛け合ってはくれぬか?」
「よかろう、話を通してやる。ただし、その前に、今の言い分が正しいという保証に造の旗を持ってこい。青葉の、汝が担いで来るのじゃ。わてらが誘導する位置に立て掛けるのじゃ、罠に嵌らぬようにこちらから誘導してやる。ふふふ、よいな」
「分かった、必ずや造の承諾を得るゆえ、早まったことはしてくれるなよ」
と、青葉翁の交渉が終わった。小女郎と掛け合った内容を造に話すと、造も思わぬ快事と二つ返事で承諾した。
青葉翁が重い旗竿を杖のように持ちながら空堀の隙間を通り抜け、煙の少ないところを選び森に近づく。ここから先はどこに仕掛けがあるかも分からない。合図があるまでじっと佇んでいる。
一方、部下の知らせを聞いて小女郎のもとへ馳せ参じてきた木末は、
「勝手なことをするな」
と怒鳴り込んだ。
「ふふふ、木末よ、そういきり立たずに、今少し見ておれ、くくく」
「小女郎、何をするつもりじゃ?」
「何もせんわさ、ふふふ・・ふはははははは」
小女郎の不気味な笑いだけが森にこだまし、造達の耳にも届いた。青葉翁はびくっと驚いたが、森はまた静寂が続く。
青葉翁は一向に道案内の声がなく、煙を吸って咳き込んできた。
「お、おい、小女郎とやら・・早く道を示してくれぬか?」
「ふふふ、そう急くでないわ、煙で道がよう見えなくてな、見づらいのじゃ」
「早く頼む、げほ、げほ・・ここらに立てて置いてはいかんかな、わしは煙くてかなわんのじゃ?」
「それはそうじゃろう、この村の者も煙いのは同じじゃ、われらはもう二刻ほど堪えているのじゃ、爺はまだ寸刻しか浴びておらんではないか、だらしないぞよ」
「・・・た、頼む早く道を・・」
青葉翁は今にも倒れそうになり、救いを求めた。しかし、
「くくくくく・・・」
と、再び笑い声が飛んで来るに至って、騙されたことに気付き後退りを始める。その時、
ピュピュピュー
と矢が降って来て、青葉翁に降り注ぐ。そのうちの一本が眉間を貫いた。うっと、ひと声あげ得ただけで青葉翁はばったりと倒れた。
「ああ、なんてことを、青葉の爺、爺。賊どもめ、なんて卑怯なことをするのだ」
この光景に第一部隊は騒然となった。造は身内とも思っている青葉翁を無駄死にさせてしまった。奥歯が欠けるほど歯噛みして悔しがった。
一方の小女郎は、
「ふん、若狭の爺め、裏切り者の見せしめじゃ、ざまを見ろや」
と、笑っている。燻り攻めをしかけた本人が燻り攻めに遭ってしまった形だ。造の旗は最早取り戻せないことであろう。
「はっはっは、なるほどいい見世物だったぞ、小女郎、ふふふ」
と言って、木末は持ち場に去っていった。
ちょうどその頃、
「火矢じゃ、山に火矢を撃ち込め、火をかけよ」
と、造が懸命に叫ぶ。怒鳴る如くに繰り返すうち、火矢を撃ち込めとの声がさざ波の如くに周囲に伝わり、合唱のように響き出す。そして所々から火矢が飛びかい始めた。
驚いたのは磯砂衆である、ましらの小女郎もムササビの木末も慌てて引き上げて行った。火は立木に燃え移って燻ぶり出し、今までとはうって変わって森中にぱちぱちと小枝や木の実が弾ける音を飛ばし始めた。
火攻めに変わったのでは、逆に松脂などで目貼りをした分だけ燃えやすい、家の壁に火薬を塗り込んだのと変わらない、ひとたまりもないことだろう。
当時山には神様が住むと恐れられている時代にあって、この気狂いとも思える暴挙は、ただ事ではない。怒りに任せて行なえる所作の段階ではありえない。ということは、造は初めからこうなることを予定していたのかもしれない。
初国知御真木天皇とのちの世に称された崇神大王、その名跡の大なる部分を負った祖父彦坐王、そして父丹波道主王と二代続いた大名跡に対し、
――先代、先々代は偉かった。それに比べて今の王は山賊共にすら手を拱いている
などと噂が飛びかっている。
ヤマトタケルの存在も造を刺激していた。
――世が世ならば帝の直系になっていたかもしれぬ家柄じゃ。なのに吾はなんの名声すらない
と思い、著しく発奮させられたのかもしれない。造の実姉こそ景行大王の実母にあたることは既に述べたた。
大広間に集まった磯砂衆のがやがやと言う話声が回廊に響き渡る。火の手はまだだいぶ先のことではあるが、木の崩れる音などはしばしば響いてくる。巫女の言った通り、悪い予感が的中し、足取りの重い頭の磯砂は、皆に重大な決定を告げるべく広間へと通じる回廊を歩いていた。
小女郎の仕出かした罠は戦わずに済む機会を失う結果となったが、磯砂は咎めてはいない。倭に降ったとしても、その大半の者は危険人物として磔になることだろう。助かるのはごく一部の者と見るべきである。磯砂には丹後族の意地にかけても倭に降ることなど考えてもいない事だった。
扉の前で一つ深く溜め息をつき、いつもの貌を取り戻し、すうっと引き戸を開けて中に歩んだ。そして中央に据えられた床几に腰掛けたが、皆のざわめきは治まらぬ。頭の入ってきたことに気付いていないのだ。
やむなく磯砂はポンポンと響くように手を叩き、ひとつ咳払いをしてから、
「皆の者、静まれ」
と制した。
皆が気が付き、ようやく静粛が戻った。
「さて、皆の衆、状況は分かっていると思うが、改めて言っておくと、造の兵は事もあろうに山に火をかけよった。事は急を要する、どうするか皆に意見を聞きたい」
ましらの小女郎が立ちあがり、
「東の山を登って逃げましょう」
「あほぬかせ、絶壁の壁があるわい、それに登り口は南東じゃ、既に押さえられておる」
と、すぐに水を差された。
「西の岩山の脇に穴を掘って抜け道を作ってはどうです?」
と、野猪の完多が言った。非常時は猪部隊の隊長であるが、普段は猪の飼育係である。
「今から穴掘りして間に合うかいな、火はもうそこまで来ているのだぞ」
皆は忽ちしゅんと静まり返ってしまった。
おもむろに磯砂が話を切り出す。
「よいか皆の衆、造の兵は吾らを完全に包囲し、風上に火を付けた、われらを皆殺しにする腹じゃ。事ここに至っては和睦も叶わん。この上は何としてもこの窮地を抜け出て再起を図ろうと思う。一人でも多くの同胞が生き残れる策を講じるのだ」
こう宣言し、計画を話し始めた。・・・
第二部隊、西の岩山のすぐ南脇の区画でタケルと三太夫は敵を待っていた。
敵が現れることも無く、皆がすっかり気が弛んでだらけてきた時分に、火の手が見えた。造が事もあろうに山に火を付けたことは、この第二部隊全員の知るところとなっていた。火は遠くからでも赤々と見えてきたのである。
一時は皆も狼狽しどよめいたが、ここまで来ては止めようもない。今度こそ来るぞと皆が戦々恐々と構えている。そのさなか、山中至る所から、
「ワァー!」
と、騒ぐ歓声が聞こえてきた。皆がビクッとして慌てて弓を引き寄せ、矢を番える。
すると突然西の一角から、
ドドドドドド・・・
と、獣達が群れをなして飛び出してくる。狐、野鼠、兎、鹿、猪、猿など、まだこんなに残っていたのかと思うほどの様々な獣達である。そしてよく見ると、その後ろから猪に跨った人間達が付いて来た。
獣達は西端のタケル達を目掛けてきた。タケルも弓を構えて待った。
忽ち獣達は目の前で、
ドドドドドド・・・
と地響きをあげて空堀に落ちて、消えていく。土埃がもうもうと立ち昇る。中には飛び越えて土塁や鹿砦に激突して絶命するものもいた。
そして後ろから来た猪猛者が、西部隊の一斉射撃を見て、猪に跨ったまま空堀の手前で急転換した。東に曲って第二部隊中央付近でまた舵を切って森に戻っていく。十匹ほど連なったが皆同じ動きをしている。タケルを始め皆が一斉に矢を射たが、楯を構えているらしく、石の鏃では全く効果がない。
「三太夫、一体あれは何だ?」
「さぁて、偵察ですかね?」
「んん、分からん? また次が来るぞ、皆、油断するな」
と、タケルは檄を飛ばした。獣を利用した妙な攻撃に些か面食らっている。皆も同じで、ただ単に矢を無駄に捨てただけであった。
すると、また森の中から獣が飛び出してくる。今度は中央付近に塊って走ってくる、猿の群れだったが、タケルの場所からは土埃しか見えない。ここには第二部隊の隊長若狭由良彦が控えている。
皆身構えはしたが、猿と知って気が弛み、弦を緩めた。その時、空堀に嵌ると思った猿共が勢いよく跳躍して飛び越え、挙句に鹿砦も、
ぴょーん
と飛び越えてきたのである。猿は兵達の頭を足蹴にして過ぎ去っていくのかと思った刹那、牙を剥き出しにして人間を攻撃してきた。見ると、中に女が混じっていて、柄の長い鉞をびゅんびゅん振り回し暴れ出した。次々と人の首が飛んで行く。小女郎三姉妹であった。
由良彦は慌てた。
「これ、皆の者、こ奴らをやっつけよ、斃すのじゃ、皆集まれ。敵はここだ、集まって応戦せよ」
と、左右を向いて怒鳴り散らした。そして刀を抜いて、
「かかれー・・・かかれー・・・」
と、何度も掛け声をかけた。
兵は忽ち中央に集まり出し、槍や鉞の飛び交う修羅場と化した。小半刻を要し、多大な犠牲を出しながらも何とか小女郎達と猿共を討ち取った。味方は五十を超える死傷者を出していた。
タケルや三太夫は由良彦の命にも拘らず動かなかった。皆にも持ち場を動くなと叫んだが、指揮権がある訳でもないタケルの言うことを聞くはずはない。西部隊の大半は移動してしまった。決められた持ち場を動けば隙が出来る、時と場合にもよるが戦場では決してやってはいけないことの一つである。
ほっとっしたのも束の間、猿の攻撃に気を取られていた頃、いつの間にか頭上に巨鳥らしきものが現れた。死肉を貪らんと付け狙う猛禽の如く、第二部隊の修羅場の上を旋回している。十羽いた。
目のいい三太夫が、
「あれは鳥ではない、人で御座るぞ、磯砂じゃ」
と、叫んだ。木末の率いたムササビ隊であった。皆が驚き、矢を射始めるが、西の区画からでは丸で届かない。それどころか、ムササビの木末達は、反対側の東の区画を目指して矢を射始めた。ムササビ共は皆東の部隊に集中攻撃を仕掛けてきたのである。
隊長の由良彦は今度は東に兵を動かし応戦させ、由良彦自身も東に向かった。
やがてムササビ共は矢が尽きたのか、急降下してきて地上近くで手斧を放った。手斧は兵の首筋を引っ掻いて飛んでゆき、通過して舞い上がるムササビの手にまた戻っていく。バタバタ人が倒れる。壮絶な光景となった。行き場を失くした野鼠の大群が、空から舞い降りる十羽の猛禽に、かわるがわる狩り獲られている図であった。
それでも皆が必死に弓で応戦すると、何羽かのムササビは背に付いている薄板を射ぬかれ、バランスを崩して急降下した。中には遠くまで飛び去って逃げだそうとする者もいたが、由良彦の命で追撃隊が追い掛けた。風がやめば落ちざるを得ない。後詰の第三部隊も控えている。
多大な被害を受けたがこれも殲滅の見通しが立った。
その頃手薄になった西側に、森の中から再び猪の群れが襲ってきた。東に向かった応援のせいで西側にはタケルを含めて数十人しか居ない。野猪の完多率いる猪部隊である。
「来たぞ、皆油断するな」
と、タケルが叱咤する。
ドドドドドドド・・・
と地鳴りをさせて突っ込んでくる。猪が空堀に差し掛かる瞬間、タケルは目を剥いて驚いた、落ちることなくまっすぐ突進してくる。
「不味い、突破された。皆、脇に逃げよ」
と、タケルは鹿砦から飛退いて弓を構えた。
ズゴーン!
と、猪どもは突っ込んできた。柵は木っ端微塵に粉砕された。
タケルは手前の猪を放っておき、あとから来た騎乗の者を弓で狙う。三太夫は用意しておいた手投げの竹槍を放りだした。次から次と来る者を立て続けに射落としていった。
そしてその後、追い掛けるように徒歩の兵が大勢続く、雄叫びをあげて磯砂衆が攻めかかってきた。鉞を振り回す女もいる。タケルも三太夫も刀を抜いて斬って斬って斬りまくった。
周りの味方は殆んど全滅した、敵はまだ数十はいる。
そこへ慌てて戻ってきた由良彦の軍がどっと横から分け入り、加勢した。形勢が変わり、とうとう磯砂隊も全滅してしまった。
逃げ散ったものも第三部隊の後詰めに駆逐されて、生き残りは何人おる事か。壮絶を極める稀に見る激戦であった。磯砂側には若い女や年寄りや子供もたくさん戦死している。
巧みな陽動作戦で西から攻め始め、次第に東に敵兵を移動させ、手薄になった西に風穴を空けて逃げるというものであった。初めの猪の群れは空堀を埋める作戦だったようで、誰も気付かなかったが、騎乗の者もどうやら砂の袋を空堀の中に撒いて通り抜けたのであった。空を飛んだり、獣を巧みに誘導して使ったりと、今までに見たこともない戦いぶりであった。
日差しは西に傾きだした、山の火はまだ半分を過ぎたところである、数日燃え続けることだろう。貴重な山と尊い生命が夥しく失われてしまった。
(磯砂達の生きることに必死な姿は称賛に値する、見事であった)
タケルは感動していた。
しかし、戦い終わって、タケルにはどうも腑に落ちないところがあった。
「磯砂の兵には年寄りや子供がいやに少なく感じてならないが、三太夫、どう思う?」
「そうですな、年寄りや子供は最後の突撃の中にいたはずですからな、少なかったですな。まだどこかに潜んでいるのでしょうか?」
「磯砂は討ち取ったのかな?」
「さあて、磯砂を見たことのあるものが居ませんからねぇ」
第二部隊長の若狭の由良彦は戦後処理を命じた。戦死者を一堂に集め、敵と味方に分け、敵側は空堀の前にずらっと並べられて、生き残った敵の女に首実験をさせて回った。そして、最後の突撃隊の中に頭の磯砂が居たことが分かった。
部隊は中央付近で負傷者を手当てし、東端には味方の戦死者が運ばれて、塚を築いて埋葬された。負傷者の中には磯砂の者も含まれた。