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からくも生き残ったミノス人改めタルタロス人は、仮の住まいとなる星に辿り着く。実に5億年という年月が経過していた。そこに住む天文学者のスラが重大な発見をする。
スラと共に勇志達が果てしなき宇宙の海原を漂い、地球を目指す旅が始まった。
二
宇宙を漂いながら、生き物が居住出来る星を探し求めて、なんと五億年という時が流れた。宇宙船ポセイドン号はからくもブラックホールの強烈な引力から逃れ、脱出していた。
その間、数億年が経過した頃、かつて絶滅の危機を経験したミノス人は、最悪のケースを考えて、人類製造キットというものをカプセルに封入し、全宇宙に大量に解き放ち始めた。五億年経った今も続けられている。
カプセルには様々な生き物の原始的な遺伝子が数多封入されている。カプセルが星に辿り着き、生存できる環境が数千年以上続いた時に、やっとカプセルが開いて繁殖するように出来ている。カプセルは絶対零度から摂氏一万度まで耐えうる構造で作られている。
何ゆえに居住可能な惑星を探し求めるのか疑問であろう。ミノス人は永い間の宇宙船での生活の中で、進化が閉ざされてしまった。一向に変化の無い退屈な日々の中で、狂人が増え、人口は増加しなくなる。逆に突発的な変化が訪れると、優れた医療技術でも対処出来ない突然死が続出した。
技術は進歩しても、人類の進化は停滞してしまうのである。それゆえに自然が豊かで開放的な世界を持つ星が何としても必要となった。海や陸地が恋しくてならないのである。
ポセイドン号はいつの間にか天の川銀河を漂っていた。わが太陽系も天の川銀河の一部である。狩人の形をした冬の星座オリオン座は、ベテルギウスを主星とする星座である。
日本ではむしろ中心に並ぶ三つ星で知られている。
右からミンタカ、アルニラム、アルニタク。きれいに並んだ三つ星であるが、実は距離はそれぞれ全く違っていて、アルニタクが最も地球に近くおよそ八百光年で、中心のアルニラムが最も遠く、千三百光年から千五百光年である。
ミノス人は念願かなってやっと人類の居住可能な星を発見した。オリオン座の三ツ星の中心の星、アルニラムの第五惑星である。この星をタルタロスと名付け、住み着くことにした。
タルタロスの大気の組成を、数千年かけて生存出来うる環境に整えた。やがて宇宙空間で衛星のように周回軌道をしているポセイドン号から、タルタロスの地表に移住し、人口が増え、コロニーをどんどん造っていった。年月と共にタルタロスの環境下でミノス人の形態も徐々に変わり始め、進化し、自らをタルタロス人と呼ぶようになった。
ミノスと同様に迷子星だったタルタロスは、アルニラムが誕生した頃、その引力圏に捕まり惑星となった星である。その為アルニラムよりずっと年老いた星なのである。
やんぬるかな、恒星アルニラムもその巨大さゆえに、いずれは早々に亡くなる運命であることは誰もが知っている。アルニラムはわが太陽の二十六倍の直径、四十倍の質量で、三万倍明るい恒星である。意外に若い星で、推定年齢三百万年の青色超巨星である。永くても一億年の寿命であろう。
このタルタロスで技術を進歩させ、さらに別の星を探す努力が続けられることになった。
既にミノス人が惑星タルタロスに住みついてから数十万年が経とうとしていた。
タルタロスのコロニーの一角に住む天文学者スラが、望遠鏡を眺める日々が五十年余り続いている。スラ一世の約五百万世代後の同名の子孫スラは、代々の家業を継いで天文学者である。友人のマリウスもまた物理学者であり指導者である。
ミノス人改めタルタロス人は先祖の血を尊び、同じ名を三代おきに名乗った。偶然だがスラとマリウスは一世の名をそのまま受け継いでいる。
わが地球上では考えられない事だが、タルタロス人の世界では貨幣経済が無く、犯罪もない、そして文字も存在しない。この三項目は一見関連の無いように感じるが、実は相互に密接に繋がりがある。物が何でもただで手に入るし、あらゆる知識が共有化されている。地球のような経済活動が存在しないから利害が発生せず、嫉妬や妬みも知能の高さから抑えられるため、犯罪の起こる余地が無いのである。
厳格な人口統制と高い医術の賜が、極めて長い家系図を作ることになった。コンピューターの計り知れない処理能力と記憶メディアが、必要のない文字をなくした。あるのはコンピューターが使う二五六進数の機械語という文字だけである。
…ちなみに地球上のコンピューターは〇と一だけの二進数の言語でプログラムされているが、これだとデータ量が極めて大きくならざるを得ない。二五六進数による言語では二の八乗の処理が一度にできる事になり、回路の集積率が桁違いに大きくなる。二進数を十進数や十六進数に変える事は、今までに培われた膨大な知識を一新する必要がある。そんなプログラムを組める人間はいないし、体系そのものの変更を伴うだろう。地球上のコンピューター言語がより高度になるには、極めてハードルが高いと言わざるを得ない。…
惑星タルタロスは恒星アルニラムと約七十五億キロメートル離れている、地球太陽間の五十倍に当たる。公転周期は重力が大きいせいか地球に比べて十倍余りになる。したがってタルタロスの一年は地球の十年分に相当する。
スラはこの惑星上の年齢だと九歳になる。つまり惑星タルタロスが恒星アルニラムを九周した年齢である。地球上での年齢に換算すると十倍の九十歳だが、見掛け上は四分の一の二十二ぐらいの若者にしか見えない。医学の目覚ましい進歩によって寿命は地球人の五倍ほどになる。平均三百五十歳という、地球人から見ればほぼ永遠という寿命である。
いつものように望遠鏡を眺めているスラは、ふと見慣れぬ映像に目が止まり、
「んん? あれは何だ? あちち・・・あいててて・・・」
と、うっかりコーヒーカップを膝の上に落とし、熱さに耐えかねて椅子から転げ落ちた。
望遠鏡の像が空中のスクリーンに投影されている。未だに周回軌道を続けるポセイドン号上の宇宙望遠鏡から届く映像である。遥か彼方で握り拳ほどの大きさで、美しく青く輝く星、地球の姿であった。紀元前三〇〇年頃の地球である。
タルタロスは地球から約千五百光年の彼方にある。科学技術がどんどん進み、千五百光年の彼方にある星の地表が、微かだが望遠鏡で確かめられるようになっていた。
気が昂ぶって体を震わせながら、映像を凝視するスラは、
ポン、ポン
と掌を叩くと、左側の空中を埋め尽くすように計器類が現れた。
「マ、マリウス・・マリウス」と、震える声でスラが話す。
空中の赤いボタンが点滅し、やがて緑に変わると、ディスプレーにむさい髭面が現れた。
「はい、マリウス・・やあ、スラか、どうしたね?」
「マリウス、やったぞ、ついに見つけた、見つけたぞ」
「見つけたって何を?・・・おい、まさか、あれか? 本当か?」
「ああ、今度こそ間違いない、生命の宿る星だ、美しく青く輝く星だ。ほらこれを見ろ、この青さ、尋常ではないだろう」
と、スラは指を差してその場所をマリウスに見せてやり、
「これは酸素の存在、そして水の存在を意味する。きっと生き物が存在するに違いない」
と断言した。
「おお、なんだこの美しい星は・・」
しかし、スラの早とちりに慣れているマリウスは用心深い。
「待てよ、スラ、いつぞやもあったが、この青い大気は大丈夫なのか? コバルトや硫酸銅ガスではないだろうな?」
「そんな事はない、君だって知っているだろう、気体のコバルトや硫酸銅ガスならばもっと均一に青くなるはずだ、こんなまだらな模様は・・・水、そうだ、海に違いない」
「海だと?・・・」
「それによく見てみろ、明らかに自然には出来そうもない構造物が微かに見えるじゃないか」
「ええ、どこに? ああ、本当だ、これはいったい何だ、何か不自然な模様があるな」
二列にツー・テン、ツー・テンと半円形の模様が見える。支那国の万里の長城らしい。
「ああ、煩わしい、すぐ目の前に見えているのに。何とかしてこの星に行きたいものだ」
スラは、そう感じながら思いを巡らす。その後も二人とも興奮冷めやらず、口角泡を飛ばして、延々と話し続ける。
タルタロス人の天体観測技術は、二千光年先の星の様子を、われわれが十五夜で満月を観賞する程度まで見ることが出来るレベルに達している。
しかし、SF映画でお馴染みのワープ航法とか物体の瞬間移動、すなわち転送という技術などは存在し得ない。ワープとか転送などという技術は、タイムマシンなどと同様に絵空事であって、決して実現出来ない、あり得ない話なのである。
唯一時間がずれる感じがするのは、遥か遠くの星々を見た時に生ずる。タルタロスから見た地球は千五百年前の地球なのだ。
ここにタイムマシン的な現象が生じる。
望遠鏡で見えている世界に一足飛びに行ければ、時間を飛び越したことになる。しかし見えていても、それは科学技術のお陰であって、すぐひょいと行ける所ではない。
遠い世界に居る者がわれわれの過去の時代を見られるのならば、われわれが一度遠い世界に行って故郷の過去を見る事が出来るのではなかろうか。もしそんなことが可能なら、死んだ恋人の若き姿を見る事が出来るし、世の中に弁護士や判事はいらなくなるであろう。誰がやった犯罪か全て映像で分かってしまうからだ。それを応用すれば事に依ると過去だけではなく、未来も見られるかもしれないと錯覚する。
しかし、それは不可能である。光はある一定の速度を保ち、変わることはない。百光年先に行って地球を見た、ところが地球も百光年ぶん過ぎ去っていたというわけである。光速より速く移動できない限り、移動するのと同じだけ時間が過ぎてしまう。
アインシュタインの相対性理論である。
時空間の歪みを飛び越えられるかもしれないという説が唱えられているが、もしそんな事が出来たら、過去にタイムスリップする事も可能となり、宇宙のどこにでも瞬間移動をすることが出来ることになる。パラドックスという障壁を無視した場合の話である。
こうして地球を発見したスラ達はその組成等を調べる班、宇宙船開発班などの様々な事を取り決め、動き出した。その結果、地球はこの上なく恵まれた環境で、寿命の長い星であることが分かってきた。地球の恒星である太陽が、少なくとも五十億年は生存しそうなのである。
スラはマリウスと相談して、この地球を目指して宇宙旅行に出かけるという途方も無い計画を進めていた。御先祖様が残してくれた人類生存の道である。かつてのミノスとは違い、ここタルタロスはまだ当分は無事と分かっているから、星の住民全部の移動を考えてはいない。
二千五百年にも亘る旅をしようというのだ、狂人としか思えない。しかるに人類がこの広い宇宙の中で生存出来得るかどうかの問題なのである。御先祖様は五億年も探し続けてタルタロスに辿り着いたのだ、それに比べればたった二千五百年。スラは何世代かかってでも地球に行きたい、そう思った。
二十家族程度を募集する事にした、果たして参加したい者がいるだろうか。せめて十家族でも集まれば決行する気でいたが、結果は予想を超えた。競争率がなんと千倍を超えるほど応募してきた。あらゆる可能性を考えて学者や医者に限らず出来るだけバラエティーに富んだ人選をするように設定し、コンピューターで三十家族を選んだ。
宇宙船はポセイドン号を模して造った、一大コロニーともいえるほどの宇宙船である。船内はタルタロスと同じ重力で、人間に必要な酸素や窒素などを含んだ空気もある。土や木々や池、家畜やペットでさえいるのだ。居住スペースである巨大な三階建てのマンションを中心にして、回りにスポーツ施設もあり、菜園もある。
それなのに食べ物はレンジでチンすると一瞬で出来あがる。
古くから知られているメニューが細かい成分まで記憶されていて、宇宙船の大気や土を使って、分子レベルからレンジで合成されるのである。従ってこの船の住民は食べ物に困ることはない。
住民は新しい星を見つけるまで、何世代もここで過ごし、子を育てるのである。菜園などがあるのはストレスを発散させるためであり、趣味や娯楽である。博物館や美術館まである、プロスポーツや演劇、コンサート場、無いものは無いというほどの設備が備わった宇宙船エウリュアレ号が地球を目指して出航した。
大きな街一つがそのまま宇宙船になったと考えて差し支えない。順調に進めば地球暦で二三〇〇年頃に地球に辿り着く計算になる。
出発してから既に二百五十年ほど経った。科学技術長官でかつエウリュアレ号副長のスラは最早平均寿命に近づいていた。三百四十歳である。
マンションの三階観測ルームの様子は窓際の壁に大きなディスプレーなどが十個ほど貼り付き、机と椅子、長椅子が並ぶ。またレンジやトイレ、空気シャワールームもある。残りのスペースはホログラムの投影場所となる。
技術というものはちょっとしたきっかけでどんどん進むものらしい。地球上の青い水や森林、そして人工的に造られた構造物などがかなり細かいところまで識別出来るまでになった。スラは同胞が存在することを確信し、広い観測室の中央で、年甲斐もなく飛び跳ね、大きく手を振って踊り歩いている。
ちょうどそこへやってきた五つになる孫娘のアルテミス、ハデス七号も一緒である。ハデスの右の掌を椅子にして、お人形のようにちょこんと座っているアルテミス。そしてドラム缶を二つ重ねたような形のロボット、ハデス七号。このタイプのロボットがこのエウリュアレ号で数百も稼働している。眼が緑で頭の部分が三百六十度回転出来る。足と車輪が付いていて、都合のいい方を選んで使い分ける。
言葉を発する時は時折ポーンと音を出す癖がある。太古からの響きなのか、言わばハデスはエウリュアレ号のマザーコンピューターの端末なのだ。
スラの奇妙な仕草に驚くアルテミス。
「(あれま、何してんだか、お爺ちゃんは)・・・お爺ちゃん、何してんの?」
「んん、おお、アルテミスか、・・・いやいやいや、いとしいわが孫娘や、抱かしておくれ。お爺ちゃんは今日この時ほど嬉しい事は無いよ」
にこにこしながら手を伸ばし、アルテミスを抱き寄せる。きょとんとした顔をして抱かれているアルテミス。ハデスが視線を動かすと、ポーンと音を出して、
「おや、何か不自然なものが映っていますね」
「判ったかね、そうだよ、あれは紛れもなく知的生命体が作ったものだ。あの星にわれわれ同様に頭を使って物を作れる生きものが住んで居るのだよ。ははは、嬉しいじゃないか」
「どうして嬉しいの、お爺ちゃん?」
「ふふふ、アルテミスよ、あの星にわれわれの仲間が居るってことだよ。あそこに行けばようやく地べたに降り立って、安らかな生活が出来るようになるのだよ」
「ふーん、地べたってなぁに?」
「おっとそうか、アルテミスは知らなかったね、わしら生き物達は皆こういう星に住んでいたのだよ、星の表面の事を地べたというのだ。この船にも地べた、土があるが、ここの土は作りものだ、生きていない。あの星には生きている地べたがあるのだよ」
と言って、スラは再びアルテミスをハデスに任せた。
「アルテミスにはちょっと難しかったかな、ははは。でも、土と共に生きるということの素晴らしさこそ人間の夢なのだよ、大切なことなのだ。もうじきお勉強するようになるからね、ああ、じきに分かるよ」
「お勉強?」
「アルテミスももう五つだからね、歴史や科学、あらゆることを学ばないとね」
「学ぶ? わー、やな響き、やだぁ、ハデス逃げて」
「おやおや、今から嫌がってはいけないな。大丈夫だよ、寝ている間に学べるのだから」
寝ていて学べると聞いてアルテミスも安心して向き直った。
睡眠学習といって住民は早い人で七つごろから五年ほどの間にあらゆる知識をいつの間にか学習させられるのである。学ぶのではない、知識を移植されるのだ。お陰でほとんどの者がいつの間にか博識になっている。
「それよりアルテミスには、そろそろお仕事をしてもらわなくちゃな」
「ええ、お仕事? それもやだぁ」
「これはみんながやってきた事なのだよ、天体観測をするのだ。一人一人役割があってね、お前にもやってもらうよ。大丈夫、きっと楽しいから」
「なぁんだ、天体観測か、それなら時々ここでハデスと一緒に見ているよ」
「ほほぅ、そうか、もう始めとるのか、偉いぞ、ははは、そうかそうか、んん、いい子じゃ、いい子じゃ」
それからというもの、アルテミスは地球の観察を、ハデスと共にママゴト遊びでもしている如くに日課としてこなしている。
アルテミスが三十になったころから望遠鏡の解像度も上がり、はっきりと地球の地表やそこに住む者達まで識別出来るようになっていた。
不思議な事に地球を支配している生きものがタルタロス人と全く同じ種であることが分かった。これを知ってエウリュアレ号の住民の誰もが驚いた。スラの予想の通り、御先祖様の送り込んだDNAの賜なのかもしれない。
両者の外見上の違いは、せいぜい地球人の方が耳の長さが短い事と、体の大きさが小さい事である。住んでいる星の重力の違いであろう。今では船の重力も地球に合わせているから、やがては背丈も同じになってゆくと考えられる。今のうちから地球の環境になれるために、時の流れも重力も、季節までも地球に合わせて自動的にコントロールされている。
エウリュアレ号の住民は大半が天文学者であり、歴史学者、文学者であった。それぞれ分担された観察地域がある。アルテミスは日本を担当していた。ハデス七号が歴史を映像として記録し、アルテミスはそこで起こっている出来事を、まるでドキュメンタリーを見ているように見続けるのである。
観察して得られた知識はマザーコンピューターに蓄積され、各地の言語や風習などは睡眠学習によって全員が知ることになる。地球上のあらゆる所を観察し、地球の言語や歴史を調べ、船旅の合間のうちに地球人たらんとした。
もちろん観察したことと歴史とではおのずと異なる。映像データをコンピューターが自動的に影響力の大きさを検索することで、歴史となっていく出来事を分類していく。したがって観察者はごく自然に歴史と成りうる場面をリアルタイムで覗き込むことになる。