5
磯砂衆の襲撃の巻。
五
その昔、丹後国は丹後族という種族の住む土地だった。海の幸、山の幸の豊かな土地である。前述したように彦坐王が丹後征伐隊長に任命され、その息子、丹波道主王の代にこの地を治めて以来、丹波と丹後一帯を併せて丹波というようになった。
磯砂達はその丹後族の残党と言われる。倭に従わず、山に隠れ、独自の風習や宗教を守ることで自分達の生き方を主張している。元はといえば漁師をして豊かに暮らしていた狩猟採集民の末裔であろうが、手間のかかる農耕を勧める倭に、かたくなに靡かず、山賊となって復讐しているのである。今でも時々どこかの村に出没しては食べ物や女子供をさらっていく。哀れではあるが、許せるものでもない。
タケルが穂井村に住み始めてから一年後の初夏、真奈を連れて宮津へと旅に出た。旅といっても四、五日のことで、真奈の打ち上げられた天橋立の浜に行けば、何か真奈の記憶の手懸りになるものが見つかるかもしれないと思ったのである。
その頃、穂井村では異変が起ころうとしていた。
日は中天に懸かる頃合い、いつものように村の入口にある一本杉の物見櫓で、長柄片手に見張りを怠らない三太夫は、ふと砂州の方に珍しく人影を見つけ、
「平吉、危ねぇから櫓から出るんやないで」
と、七つになる義理の息子に言い含め、つかつかと丘を下りて行った。
平吉は手製の銛を片手に握り、何かなと興味津々の態で出てきて、一向に三太夫の言うことを聞いていない。遊びたい年頃で、たった今三太夫に教わって作った竹製の銛を持っている。これから川で漁でもしようと言うのだ。
その時、アルテミスが何かに気付いて起き上がった。
「こら坊ず、おとなしく中に入ってなさい。変な奴らが来るから、危ないよ」
と、アルテミスが叫ぶ。
その上、村の方角から穂井媼が杖を突きつつ丘を登ってきた。三太夫達が腹をすかせていると思って、蒸かし芋を笊に入れて持ってきたのである。
「ああん、お婆ちゃんまで来ちゃだめよ、危険だってば。やだ、今日は調子が悪いのかしら、全然反応がないわ」
「アルテミス様、そう興奮しないで、史実を捻じ曲げる行為は許されませんよ」
「何言うのよ、今現実に起きていることだから、史実にはまだなってないわよ」
「そうで御座いますが、アルテミス様が現実に起こりうる事象を変えてしまう恐れがありますから、あまりかんばしい事ではありません」
「そんなこと分かっているわよ、分かっているんだけど、つい何とかしたくなっちゃって。ああん、三太夫ったら、そっちじゃないってば」
アルテミスは三太夫達の様子を固唾を呑んで見守っている。
ちょうど三太夫が十間ほど丘を降りた頃であった、
ぷつん
と目の前の地べたに矢が突き立ったかと思うと、雨のように矢が降り注いできた。はっとして長柄で防ぎながら丘の窪みに身を伏せた三太夫は、
「何だ、何が起こった?」
と、振り返って素早く周りを見廻すと、櫓の南の山陰に人の動く様子が見える。
「三人・・いや十人は居る。やられた、南の山から迫るとは思っても見なかった、山の上から狙われたら低い位置の櫓では不利だ・・ああ、な・・平吉、まだあんな所に、危ない逃げろ、平吉。お婆まで来て・・」
大声で叫んだが、時既に遅かった。
シュルルルル・・・
と、櫓に向かって無数の矢や得物が飛ぶ。
「危ねぇだ、平吉、逃げろ、櫓に入れ」
と、よろよろ駆け寄る媼。その瞬間平吉の胸に、
ぐさっ
と手斧(横斧)が突き刺さった。声をあげる暇もなく、手斧の威力に小さな体ごと突き飛ばされてしまった。
「平吉」
と叫び、杖も笊もかなぐり捨てて近づく媼。
瞬間、媼の背にも手斧が突き刺さり、うぐっと呻いて倒れてしまった。
「ああ、平吉、お婆。おのれ何て事を・・いかん、このままでは村中の者が殺られてしまう。何とかして櫓に戻らねば」
三太夫は窪みに伏せながら櫓に向かった。矢は立て続けに降って来るし、敵も少しずつ迫って来る。見ると砂州の方から来た連中も迫っていた。総勢三、四十人と見える。
三太夫はからくも矢雨や手斧を避けながら媼と平吉を引き摺って櫓に隠れた。
「くーっ」
と、歯噛みして悔しがる。平吉も媼もひと目見て死んだと分かった。
すかさず弓を取り出し、矢継ぎ早に敵に矢を射始めた。迫る敵が幾分怯み、遠巻きになる。その隙に三太夫は村の方角の木々の梢を睨み、そのやや風上に向けて鏑矢を放った。
ピィー!
と、長く尾を引き鏑矢が飛んで行く。
そして二の矢も飛ばした。どこまでも、どこまでも余韻が尾を引く。兼ねてから牡丹や村の衆に伝えてある警告だった。三太夫は荒い息遣いのまま、様子を覗った。
(これで村の衆は隠れがに急いで向かうだろう。済まぬ、平吉、お婆・・年寄りや子供まで殺めるとは、昨年の仲間の仕返しとしか思えぬ。結局秘密は漏れたか)
そう思う三太夫であった。
(それにしてもそこまでして付け狙われる真奈様とは一体?)
この期に及んで考えても仕方がないと、三太夫はまた矢を放ち始めた。ひと頻り射てから、そっと櫓を離れ、迂回するように谷川に向かった。そして川に浸かって、流木の陰に隠れながら下流へと泳ぎだした。事は一刻を争う、砂州の所まで来ると、ザバッと上がり峰山街道へと走りに走った。
幸いなことに賊共は暫らく櫓を取り巻いたまま動けずにいた。しかし、痺れを切らした命知らずが近づいて確かめると、誰もいないことが分かって、地団太踏んで悔しがり、大挙して村に向かった。
一方村の方では、三太夫の鏑矢の音を聞きつけ、牡丹が脱兎の如く皆に触れ回り、慌てて動き出した。村の年寄り達を急き立てて谷川の奥へと進む。予てからこんなこともあろうかと、穂井爺が隠れがを用意していて、着の身着のままで移動していた。
穂井爺は不安な顔をして、
「牡丹や、婆さんが見当たらんがな、どうしたものかなぁ?」
「婆ちゃんは見張り場に向かっただ、平吉も行っとるで心配だが、今はみんなの避難が先じゃ。皆が隠れたら、わてが探しに行くさけぇ、案じるな。ほれみんなもしっかり歩けや、澤に足を取られんなや」
と、牡丹は村の者を叱咤した。足跡を辿られないように、皆は澤の中を歩いている。
やがて小さな滝が現れた。穂井爺が、
「さあみんな着いただ、滝を潜って奥に行け」
と、促した。滝の裏に洞窟があった、そこが隠れがである。中には当座の食料も寝藁も用意されている。
ぞろぞろと中に入って行くのを見て、牡丹は三つになる幼い幸を背から下ろし、
「爺っちゃんとこに行ってろ、決して出てくるでねぇぞ、ええな。声立てずに大人しくして爺っちゃんの言うこと聞くんだぞ」
と言い聞かせ、踝を返して村に戻っていった。幼子と爺は心配そうに牡丹の後姿を見つめていたが、見えなくなると爺が幼子を抱えて水の陰に消えた。
牡丹は戻る途中から裏山に登る獣道に入り、身重の体にも拘らず藪を掻き分けどんどん登っていった。やがて大木の茂る森の入口に来て、大きな体ながら枝ぶりのいい樹を見つけて登り始めた。中ほどまで登ってから村の方角を見晴るかすと、案の定磯砂共が大挙して村に入り込んでいるのが見えた。
(おお、やってるやってる、ざまあ見さらせだわい。誰もいねぇから、怒っとるなお頭も、ふふふ・・それにしてもうちの人らはどうしたんじゃ、平吉、おっかぁ・・・)
櫓の方まではよく見えなかったが、磯砂の頭は村の広場の真ん中ででんと床几に座って指図をしているのが見える。家来どもが駆けずり回っているがとんと分からず、とうとう谷川の流れる裏山の方角までちらほら現れ出した。
(不味い、このままでは見つかってしまうがな、なんとかせねば・・あん人はどこ行っただ、まさかやられてしまったんでは?)
牡丹は柄にもなく恐怖に駆られた。いかに腕っ節が強くても、多勢にあっては勝負にならない。そろそろと樹を降りて、
(あいつらは真奈を探しているはずだ、真奈は旅に出ているから、分かったら怒り狂うに違いねぇ。洞窟が見つかったら皆の命が危ねぇ。いざという時はわてが相手だ)
と、覚悟を決めた。その時、とうとう四、五人が滝の入口付近に集まってきた。
牡丹は持ち場に付いて、間合をはかり、
「それ今だ」
と、勢いよく綱を引っ張り上げた。
ガラガラガラガラガラ・・・
横に積み上げられた丸太が勢いよく谷川に向かって転げ落ちて行った。驚いた磯砂衆だが、あっと言う間に丸太に巻き込まれ、皆血反吐を吐いて水面に投げ飛ばされた。
問題はこれからだ、たった四、五人やつけたところで後からわんさとやって来る。そいつらを上手く引きつけて別方向に誘導しなければならない。
牡丹はすかさず用意してあった背負子を身に付けた、背負子には三太夫の作った細竹を短く切って削っただけの投げ槍がたくさん積んである。
案の定バラバラっと磯砂共が寄って来て、山の上の牡丹に気が付いた。
「おのれ、小癪な裏切り者め、下りて来い」
と、目の色変えて登って来る。手斧を放る者もいたが、上に居る牡丹には届かない。逆に牡丹が竹槍をシュルルと投げつけては移動した。中々三太夫のようには当てられないが、相手を怯ませることは出来る。
やがて、牡丹は初めに磯砂達がやってきた南の山付近まで移動して来たところ、別動隊が櫓側に回り込んでいて挟まれる格好となってしまった。
窮地に陥った牡丹は山の凹地に身を伏せて、
「おのれ、磯砂め、近寄れるものならさっさと来やがれ。この牡丹様が相手してやるだ」
と叫んだ。ざわめきが飛び交い、矢雨が降ってきた。顔を腕で防いで、背負子を楯に使って何とか躱しているが、最早風前の灯火。
と、その時である、広場の真ん中でいらいらしながら床几に座っている磯砂が、つむじ風に煽られたのか、洗濯物のように、
ヒュー
と吹き飛ばされた。あまりのことに驚いて目をきょときょとさせている。
周りの者までこの突風に弾き飛ばされて転んでいる。いったい何が起こったのか。
すると間をおかずに櫓の方角からどっと歓声が上がって、磯砂達の矢がやんだ。
牡丹は恐る恐る様子を窺った。見ると長柄を持った武装兵と弓に矢を番えた者がそれぞれ数十人ほど、大挙して村に登って来る。三太夫が連れてきた丹波国の造の兵であった。
慌てた磯砂達が散り散りになって逃げ始める。
「ああ、助かっただ、ざま見ろ磯砂め」
と、牡丹も反撃に移り、投げ槍を次々に放りだした。
すると、後ろからやってきた気配にビクッとして振り返った牡丹は、
「ああ、お前さん、お前さんかい、生きていたんだね」
と、ほっとして急に涙が込み上げてきた。
苦い顔をしながら、そっと近寄る三太夫が、牡丹の肩に手をやり、
「すまん、牡丹、許してくりゃれ。平吉とお婆は・・・助からんかった」
「ええ、平吉が、おっかさんも・・・そんな・・」
崩れるように牡丹は三太夫に抱きついて拳で三太夫の肩付近を小突いてくるが、三太夫は堪えた。
やがて、造の兵が磯砂達を蹴散らして、村は何とか平穏に戻った。
数日後、穂井媼と平吉の塚も造り、磯砂衆の死骸も埋めてやり、村もようやく落ち着いてきた。幸い、家は殆んど無事で、田畑が少し荒らされただけだった。
そこへタケルと真奈が旅を終えて戻ってきた。心なしか真奈の雰囲気が違っている。いつもの紐で縛って後ろに垂らした髪型ではなく、頭の天辺で堆く髷を結って山吹色の鼈甲製の笄を横から挿してとめている。天橋立の浜辺で見つけたもので、持つところが菱形に加工されていて、この色と形が真奈の記憶に残っていたようだ。
また、この時二人で海に入り、ひと際真奈が泳ぐのが得意である事にもタケルは気付いた。事に依ると真奈の故郷は海に近い場所なのかもしれないと思うのだった。
穂井爺や三太夫、牡丹から事件のあらましを聞いて、タケルは激しく憤りを覚えた。断じて許せないと思った。
すると、傍らで聞く真奈が、
「わたしのせいだわ、わたしの為にこんなことに、御免なさい、みんな。わたしはもうみんなに迷惑をかけたくない、わたしが磯砂の元へ行くわ。さよなら・・」
と言って、突然駆け出した。吃驚したタケルが追い掛けて、泣きながら暴れる真奈を無理やり抱きつかんで、
「真奈、決してお前のせいではない、磯砂が人でなしなだけだ。真奈は吾にとって、そしてこの村にとって掛け替えのない存在だ、行かないでおくれ。御身を大切にしておくれ」
と、宥めた。村の衆も集まってきて真奈を宥めている。真奈は感極まって泣き崩れた。タケルが優しく抱いて微笑んでいる。
三太夫も、真奈のこの誰からも好かれる人徳があってこそ磯砂が付け狙うのかもしれないと納得するのであった。
この時、真奈は既にタケルの子を身籠っていた。
タケルはお礼のため、三太夫を丹波国の造の元に派遣した。その際、身内を失った三太夫が、今度のようなことが毎度起こるようでは日々の生活もままならないと陳情したが、中々色良い返事を聞けなかったようだ。
已む無くタケルは三太夫と二人で磯砂達に対し本格的に探りを入れることにした。磯砂達の確たる根城とその兵力を掴み、タケル自らが陳情し、談判して造を動かそうと決めたのである。
三太夫が予てから峰山街道を往来する怪しい族の存在に気付き、こっそり後を付け、その栖家をようやく突き止めることが出来た。
――和奈左村から人が去ってからは殆んど人の通らぬ比治山峠、その頂近くの老桃一本、ジージーとうるさいく蝉が鳴くばかり。その峠の社を過ぎたところから南に分け入る、草深き道無き道である。日笠を被り、行商風の背負子を担いだ中年の男。
三太夫が付かず離れず、気付かれぬように付いていく。山を幾つか越えたところで、ひっそりとした高木の生い茂る森に入って行く。
いつしかうるさく騒いでいた蝉や鳥の鳴き声すらしなくなった。辺りは異様なほど薄暗く、殆んど樵が手を入れていない感じで、ムササビかミミズクでも出そうな所である。
男は黙々と歩いている。ひっそりとした中に、かさこそと落ち葉を踏む男の足音だけが聞こえる。時おり悲鳴のような声を出す鳥の声が響き渡る、巣に居る雛を守ろうとして威嚇しているのであろうか。
男がピタリと大きな楠の前で立ち止まった。村らしき家並みは一向に見えない。さっと後ろを振り返り、周囲を見渡すと、すっとしゃがみこんで気配を消した。
(いったい何をやっているのじゃ?)
と、三太夫は遠目で追った。
男はじっとして聞き耳を立て、何事も無いのを確かめたところで、その大木を拳で、
トントトン、トントトン
と叩いた。するとシャーっと音がして上から檻のような大きな籠が下りてきた。中に人が入っている。何か互いに言い交して男が乗り込んだ。
再びシャーッと音を出して六間ほど(十メートル)も上に上がると、葉や木々が邪魔をして下からは判別出来なくなっている。大きな岩を太い蔓で結んで、上げ下げしているのである。丸で現在のエレベーターであった。
三太夫は高い樹上に登って遠くから探りを入れることにした。
何日も樹上でじっと観察した結果、樹上には渡り廊下が巡らされていて、百戸ほどの隠された家々が互いに繋がっている。一町四方にも亘る樹上の集落であった。
磯砂達は樹上で巧みにカモフラージュしながら身を隠して住んでいたのである。――
磯砂の家の大広間が三間四方と狭かったのも、樹上であれば肯ける。神出鬼没の賊徒達は丹波国の造の追跡を巧みに躱し、時に大胆に、時に霞のように雲隠れして命脈を保ってきたのであった。
三太夫の探りによると、磯砂村の周りのあちこちに罠が施してあって、近づく者を許さない作りになっている。迂闊に入りこむと落とし穴に嵌って、逆立った竹槍で串刺しになりかねない。
やがて盛夏を過ぎた頃、タケルは三太夫を伴って丹波国の造を訪ねた。造の屋敷街は西の峰山街道に出て半刻ほど北に歩いた所にある。真奈と牡丹、身重の二人を残して村を離れるのは些か心配ではあったが、先日の戦いで磯砂衆が疲弊した今しか動けないと思ったのである。
正確な磯砂の根城の地図を差し出し、大まかな人数などを告げて陳情した。根城には女子供を合わせて、少なくとも数百人は住んでいて、皆木の上で暮らしていること、漁師などに身をやつして探り役の者が丹後のあちこちに住んでいることなどを告げた。
しかし、要は頭の磯砂一人を降伏させれば事は済むとタケルは語った。
そこで、造は磯砂に降伏を求める使者を送ったが、残念ながら何度送っても、使者は戻って来ない。調べると、使者が罠に嵌って死んだり、矢を受けて死んだりして、話し合いに持ち込むまでにも至らなかったようだ。
その中で、一度だけ使者が戻ってきたことがある、屈強の者五人を使者に送った時のことである。罠の領域や矢の射程に入らないようにして、大声自慢の使者が、
――磯砂衆にもの申す。腹を割って話したき儀が有り申す。一度でよいからお会いして、なにとぞわれらの話をお聞き下されたし
と、森に向かって大音声で呼びかけたが、山が動いたかのように森の上空が一斉にガサガサ鳴ってうごめき、直後に四方から一斉に矢雨が降ってきた。中の一人がかろうじて難を逃れて立ち帰ったのである。
ここに至り、タケルも根城を攻め滅ぼし、磯砂自身を殺すしか手立てがないと思い至り、説得してようやく造も兵を挙げた。
丹波国の造自らが一千余の兵を率いて、三太夫の道案内と共に磯砂の根城を取り囲む。この時代にしてはたいそうな数ではあるが、直属の兵は百人足らずで、あとは兵というより猟師や漁夫、百姓達の寄せ集めである。収穫の時期にはまだふた月近く間がある。
磯砂という人でなし共を倒して、平穏な世を創るためと称して募ったものである。皆がいかに磯砂達に苦しめられ、嫌っていたかが分かる。
ヤマトタケルの名声も大いに役立った。
――ヤマトタケルの命が味方であるなら、勝ちは決まったも同然
などと言い合う者が集まってきたのである。
また、丹波国の造が、
――戦はひと月余で終わる、敵を取り囲んで飛び道具で攻撃するから安全だ
と、言い放ったことも参加者を勇気付けた。稲作中心への過渡期に当たるこの時代では、どんな者でも弓ぐらいは扱えた。まだまだ狩猟は生活に欠かせない時代なのである。
磯砂の根城から二町ほど北西に、半円を描くように樹木を伐採して平地を作って空堀を掘り、その外側に掘った土を使って土塁を築き、上に丸太を重ねた柵、鹿砦を築いた。空堀と鹿砦の中間に刈り取った蓬や湿った草を大量に積み上げて並べる。造を隊長とする兵三百の第一部隊である。
そして三太夫の道案内によって五百の部隊が山谷を越え、大きく西に迂回して根城の南東側に移動した。根城から三町ほどの所で、また根城を囲むように二十間ほどの幅で半円状に木を切り出し、見通しをよくした。切りだした木は土塁上に四尺ほどの高さに積み上げて鹿砦にし、座射するために肩の高さの所に横に一筋隙間が設けられている。鹿砦の前方の平場には幅二間の深い溝を掘って空堀とした。堀の底には竹槍が突き立っている。
主力は五百を要するこちらの第二部隊側である。第二部隊はおおむね三つの区画に分かれて配置されている、西側、南側、東側である。南側に部隊長の若狭の由良彦が居て、西と東にはその家臣が指揮を執っている。磯砂村の真西には森を挟んで岩山が在り、岩山の南隣りが西側の区画で、ここにタケルと三太夫が一兵卒として加わっている。
その他約二百の第三部隊が山蔭や間道などに配され、物資の補給と後詰めをしている。
主力第二部隊の北東方向には磯砂山の急傾斜の山肌が迫り、行き場がない。真西の岩山も同じである。磯砂の根城から見て鹿砦は、間に磯砂山と岩山を取り込んでぐるりと一周するように築かれた。
これらの工事にひと月余りを要した、その間この磯砂村に入ろうとする者、出ようとする者は容赦なく斬り殺された。磯砂側は既に囲まれていることを察知しているであろうが、逃げ場はなかった。秋の山だから飢えていることはないだろうが、何が起こるか分からず、皆さぞかし震えていることであろう。