4の2
とうとう与謝が穂井村にやってきた。
既に五平らが旅に出てから半年余りが過ぎていた。年も明け、雪解けを待って与謝は街道を北に向かった。まだ鳥も鳴かない早い時間に歩きだした。幼い子供二人を昨日のうちにお浜に預け、昨初冬、二度目に弥助が来た時に聞いた場所を訪ねることにしたのだ。
弥助が言うには、
――四人組の荒し子が川沿いの東の谷筋(竹野川)に向かったそうだ。調べに向かったがどうも造の手の者があちこちに出張っていて、大っぴらに動けねぇ
との事。弥助は暗に与謝が行って確かめて来いと誘っている。そして、そのまま磯砂に報告しに帰ったのである。磯砂の手先になるつもりはないが、亭主の身が心配で、これ以上じっとしていられなかったのだ。
与謝は砂州を渡って穂井村の入口近くで、物売りの形を装い、休んでいる振りをして村の様子を見るともなく窺っている。背には袋詰めの貝の燻製がたんと積んである。
この様子に怪しいと感じた物見櫓の三太夫が、長柄を片手につかつかと丘を下りてきてきた。長柄といっても槍先がある訳ではなく、ただの突棒である。
「おい、女、一体そこで何をしている? 休んだのならとっとと先へ行け。それとも何か用でもあるのか?」
と、問い質した。
与謝は三太夫を見て弥助の言葉を思い出した。
――おそらく東の穂井村に行ったんだと思う。なんども調べに行かせたが皆怪我をして帰ってくる。仕方ねぇから俺一人で行ってみるとな、村の入口近くにある丘の上に、大層でっけぇ番兵がいて中に入れねぇだよ。事に依ると五平達もあの見張りの野郎にやられたのかもしれねぇ
と、話していた。
(なるほどこいつか)
と、与謝は品定めをするかのように三太夫を見廻しながら話す。
「へぇ、わては人を探しているだ・・(腕や脚の肉の付き方が違うわい、一体何をやったらこんな体になるだ?)・・ここら辺に来たはずなんやわ、四人連れでな」
三太夫はゆっくり動く女の視線に徒ならぬ空気を感じ、
「よ、四人連れだと? どんな風体の奴だ?」
と、語調が幾分乱れた。
「そうさな、皆毛深い荒らし子で、その中に鼻の脇に豆粒ぐらいの大きなほくろのある男が居るだよ、わての亭主でな。半年くれぇ前にこの村辺りに来たはずなんだ、あんた知らねぇか?」
「なに、半年前だと・・(あの時の賊共の事か、とうとう来よったか、して見るとこいつも)・・さぁてなあ、知らんな。わいは物騒やからここで見張りをしているだけや、そんなやつらを通した覚えはない」
「ほほぉ、通さないだと」
与謝は不敵に三太夫を睨みながら背の荷を紐解いてゆっくり下ろし、
「さては門番のように突っ立てて、通行人を危める奴とはお前さんの事か。わての亭主を一体どうしたんだい、白状しろ?」
と言って、腕まくりして凄んだ。
「野郎現しやがったな、なんの真似だ。女のくせにこの三太夫様とやり合おうってのか?」
と、飛び退いて三太夫も長柄を身構えた。
「わては亭主を探しに来ただけだ。おとなしく言えばよし、言わねぇと力ずくでも言わしてみせるぞ」
「おめぇは磯砂の者だな、死にたくなけりゃとっとと帰りな。おめぇのようなやつらを通さねぇように、わいはここで番をしておるのじゃ、ふっふっふ」
「その貌は知ってるってことだな。しゃべらせてやるだ、こんやろー」
と、与謝は羆のように手を広げて掛かってきた。
三太夫はさっと横に躱して、思いっきり長柄で与謝の背を叩いたが、咄嗟に与謝は肘でこれを受けて僅かに躱した。
「この野郎中々強ぇな、その腕、身のこなしには五平達では敵わねぇ、ふははははは」
と、与謝は不敵に笑いながら三太夫に迫る。
「くっ、なんだこいつは」
体に似合わず俊敏に動く与謝に三太夫も驚き、今度は先手を取って、
「ほれほれどうだ、これでもか」
と、しゃにむに長柄で与謝の胸や腹、足と突いて出るが、与謝が下がりながら悉く手で払い落す。
三太夫には信条として女子を斬るなどということは出来ない、ましてや相手は素手である。何とかして力と技で捻じ伏せ、追い返したいが、この与謝はそう簡単には従いそうにもない。
「ええい、この雌熊め」
と言って、勢いよく突き入れたところ、不敵に笑いながら与謝がパシッと片手で長柄を掴もうとした。三太夫は長柄を取られそうになって咄嗟に素早く引いて、躱し際に与謝の向う脛をバシッと叩きつけた。
ズザザー・・
と、与謝は前のめりに倒れこんで、踏み固められた地べたを抉った。すぐに向き直りギロっと睨んだが、砂で顔が擦り切れ、血が滲み、不気味な形相で笑っている。脛の骨が無事かどうか怪しいにも拘らず、血を滴らせながらゆっくりと立ち上がる与謝の、その気味の悪さはどうだ。
この時、芋畑でタケルと共に草取りをしていた真奈は、ふとピクンと何かを感じた。かつて、峠の井戸端で自分を呼ぶ声を感じた時のような、不思議な感覚に胸が高鳴った。
「与謝姉さんが・・」
と叫んで走りだした。果たしてアルテミスの声なのか、虫の知らせなのかは分からない。それを見たタケルも慌てて追いかける。
三太夫も女と思って心に隙があったのか、このままではこっちが危ういと思い、本気になって倒しに掛かる。渾身の力を込めて腹を突くと見せかけて、脳天に一撃食らわせんとした。
しかし、頭上近くに長柄が来た瞬間、パシッと与謝は長柄を受け止めた。左手でしっかと掴み、間髪容れず長柄をササーッと手繰って引き千切るように奪い取ると、三太夫の体が与謝に抱きつくようにのめった。すかさず、三太夫の首を右腕で包んで、長柄はポイっと遠くへ捨ててしまった。
「やっと捕まえたぞ、この野郎。今度こそ逃がさねぇぞ」
と言って、抱え込んだ頭を拳で殴り出した。
「この野郎、どうだ。これでもか、五平をどこへやった」
ゴツン、ゴツン
と、岩でも砕けそうな一撃に、堪らない三太夫は振り下ろす与謝の左腕の肘辺りを手で押し上げ、何とか防ぐ。
「むむむむっ」
と、双方力比べとなる。
三太夫がぐぐっと体勢を立て直すように与謝の腕を持ち上げると、
スパーン
と、お互いの腕が体に巻き付き、腰紐を掴んで丸で捔力(相撲)のように四つに組み合う図となった。背は同じくらいだが、体が細い分三太夫の方がずっと小さく見える。
与謝はすぐに腰紐から手を放し、両手を三太夫の背で組み、ぎゅうぎゅうに締めあげてくる。背骨の軋む音が聞こえるのを、必死に堪える三太夫。力と力のぶつかり合いである。
この巨漢同士の戦いに、いつの間にか人が集まってきた。死闘を繰り広げているのに、見物衆は捔力を取っていると勘違いして、囃したてる。
そこへ、
たたたたた・・・
と走ってきた娘。
「やめてぇー、お願いだからやめてぇー。三太夫さんも、与謝姉さんも、争いは駄目よ、お願いだからやめてー!」
真奈であった。
はっとした与謝。
「だ、誰だい、わてを呼ぶのは?」
まさか自分の名を呼ぶものがここに居るとは思わなかった。
「与謝姉さん」
と、重ねて叫ぶ真奈。組み合った二人は自然に力が弛み、
「その声は、与五かぇ?・・・与五、お前はどうしてここに?」
与謝は三太夫が邪魔だと言わんばかりに突き飛ばして、足を引き摺り蹌踉い歩き、
「ああ、与五じゃないか、生きてたんだね、ああ、嬉しいよ、顔を良く見せとくれ、ああやはり与五だ・・」
と、屈んで手を伸ばして真奈を抱き寄せ、頬ずりしている。真奈も嬉しさに目が潤む。
三太夫は地べたに座り込み、訳が分からず呆気に取られて見ている。
そこへタケルもやって来て、三太夫の肩を叩いて立たせてやった。
「どうやら真奈の知り合いのようだな、ははは」
「そのようですな。したが主、磯砂の女子ですぜ」
「まあ待て、磯砂衆といっても、女が追い剥ぎ稼業をしているとは思えん、何か事情があるのかもしれん」
すると、そこへ新たな闖入者、
「ぼ、牡丹・・・牡丹じゃな、お前は牡丹。おお、有り難や、娘の牡丹じゃ」
穂井の媼であった。与謝の腰に泣きながら縋り付いてくる。
あたふたと爺も寄って来て、
「ああ、そうじゃ、牡丹じゃ、よう生きておった、くっふふふふ・・・」
と、二人して与謝に縋り付きながら、足下に泣き崩れてしまった。
与謝は縋ってきた媼や爺に見覚えがない。が、牡丹と呼ばれ、無性に胸が騒いだ。
無言のまま真奈を抱いて、また、縋る老夫婦の涙を見つめ、
「おっかあ・・・なのか?」
「そうじゃ、牡丹や」
と、涙と鼻汁が混ざったまま顔をぐしょぐしょにして仰ぎ見る媼、
「お前は紛れもなくわしらの娘、牡丹じゃ。よう生きていてくれた、よう戻ってきよった」
と言っては、
「うぁあはははぁ・・」
と涙を流し、鼻水をすすった。
爺も上を向き、
「これも皆、お社様のお陰じゃ、お社様のお陰じゃ、有り難い事じゃ」
「おっかぁ、おっとう」
与謝こと牡丹は、しゃがみ込んで老夫婦と抱き合った。
真奈もタケルも三太夫も、周りの皆もその嬉しい姿に、思わずもらい泣きしている。
些細な偶然から、五つの時に生き別れて以来の再会である、与謝にとっては今日この時ほど嬉しいことはなかった。
皆に祝福され、祭りのような騒ぎとなって、村の奥へと向かう人々。
しかし、タケルや三太夫には複雑だった。賊とはいえ、与謝の亭主や友を殺してしまったのである。この感動の再会が落ち着いたあと、タケルは正直に事の顛末を与謝に話した。与謝も一時は悲しんだが、亭主達が人殺しをしてまで真奈をさらっていこうとしていたことなどを知り、深く恥じ入り、村の衆にも謝り、タケル達への恨む心を捨て去った。
こうして与謝は思わぬことから故郷の穂井村に戻り、牡丹という名に復帰して住むことになった。
ある時真奈と二人きりになった牡丹は、
「真奈や、例の薬の事は聞いたよ。そのために磯砂に追われているのだろう?」
と、声をひそめて語った。
「牡丹姉さん・・どうかその事は誰にも言わないで、お願い」
「ああ、言わないさ、お前が危険になるような事は断じてしない。安心をし」
「有り難う牡丹姉さん」
この時から牡丹は真奈を本当に妹と思って守ってあげようと誓ったのである。そして磯砂達とは決別し、加悦谷村に子供を迎えに行って、
「場所は言えねぇが、いつかきっと会いに来るだで、達者でいてくれろ」
そう言って、お浜達加悦谷村の衆とも別れてきた。
だいぶ長居になることが予想されたので、タケルは一旦三太夫に報告のため都に使いさせることにした。熊曾の事、出雲の事などを記した竹簡の旅帳と共に、熊曾の厚鹿文の首飾りなどの証拠品などを持たせて、一応の区切りとした。
ただ、ここ丹後の地には磯砂衆という土蜘蛛がいて些か気になるゆえに、片付くまではここに留まる旨を伝えさせた。その際家族にも無事であることを伝え、三太夫自身も骨休めして来いと命じた。
聞くところによると、頭の磯砂は広大な比治山のどこかに住んでいることは知っているが、神出鬼没でその正確な位置が分からない。ましてや比治山はその殆んどが人跡未踏の秘境といえる地である、平和的に交渉しようにもその相手が見つからない。
タケルは磯砂達が居座る限り、安心出来ないと思った。しかし丹波の地は四道将軍の一人、丹波道主王の子孫に当たる丹波国の造が治める地であり、勝手にタケルが土蜘蛛退治を進める訳にもいかない。これまで度々三太夫を派遣して磯砂退治を依頼したのだが、一向に事が進んでいる様子はなかった。
桜も散り木々の青が色濃くなった頃、穂井村に戻って来た三太夫は、タケルに都の様子を伝え、早々にわが家に戻った。タケルと真奈の睦まじさにあてられて、居たたまれないのである。未だ一人者の三太夫にとっては羨ましくてならない。
ぼちぼち夕飯どきである、芋粥でも作らねばと考えている三太夫が、ふと見ると自分の家の入口の蓆が開けられ、様子がおかしい。入ってみると小綺麗に片付いていて、
「これがわいの家かいな?」
と疑った。身に覚えのない道具などもある。おかしいなと思い、辺りを見回していると、笊を抱えた恰幅のいい女が赤子を背に負い、こっちにやってくる。
「やあ、あんた、お帰り、御苦労さんだったね。今夕飯の用意するだから、井戸端で足でも洗っといで」
と言って、女は家の中にずかずか入って行く。きょとんとしている三太夫が、慌てて家に入り、女に問い質す。
「おい、お前、何でお前がこの家に居るんや?」
「ああ、わてはあんたのやや子が出来たさけ、嫁に来ただよ。今日からあんたはわての亭主だ、いいね」
「そ、そんな? やや子じゃと?」
三太夫は面食らった。
「そんだ、見ろや、まんだあんまし腹もでかくはなってねぇが、わてには分かるだ、間違いねぇ、あはは」
と、笑いながら腹をいとおしそうに擦っている。
この女は御存知牡丹である、腹はもう三月近くになっていた。死闘までした中なのに、牡丹が村で暮らすようになってから、始終三太夫の家に来ては世話をしていた。そして子供らも、父親の仇とも知らず妙に三太夫に懐いてしまっていた。そんな頃、たった一度だけ三太夫が羽目を外して夜を共にしてしまったという訳であった。
歳は一つ下の二十三、ふっくらとした大柄の女で、遠慮ということを知らない裏表のない女である。突然二人の子持ちで、もう一人がおなかに居るという降って湧いたような話に、ただただ頭を掻いている三太夫だが、まんざらでもないという貌をしている。
牡丹に言われるまま足を洗いに行くと、近所の小母さんにからかわれて、貌を赤くして照れている。こうして思いがけずに女房を持ってしまった三太夫は、気持ちの張りも出来て今までになく溌溂としてきたのであった。
実を言うと三太夫と牡丹は同じ境遇の持ち主だった。三太夫も元は丹後生まれで、幼くして磯砂にさらわれ、三野に売られて行った。しかし、売られ先の家の没落と共に近江の山に彷徨い、熊と遊び、八つの時に今の父母に拾われたという境遇を持っていた。それだけに牡丹とはなぜか気が合う。これもまたお社様の引き合せかもしれない。