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アルテミスの祈り・抜粋  作者: 葵しん
第五章、丹後変
16/21

     4の1

 五平の妻与謝が不安な日々を送っていた。そこへ仲間の弥助がやってくる。

     四


 話は変わって、与謝の事である。

 そろそろ梅雨になろうというのに亭主の五平も三右衛門も一向に戻ってこない。

 ――おう、与謝、しばらく留守にするから、すまねぇが自分で何とか凌いでいてくんろ

 そう言って、出掛けたきりひと月も過ぎている。磯砂の事が内心大嫌いな与謝である、係わり合いたくないと思っているから、普段から亭主の裏稼業の事など無関心を決めていたのだ。一体何のお役目で動いているのか皆目分からない与謝は、次第に心配になってきた。

 西日の頃になると決まって与謝は六つになる平吉の手を引き、もうじき二つになる娘の(さち)を背に負ぶり、街道筋を北西方向に見つめ、人影を目で追うのであった。

 その様子を散歩の途中でいつも見かけては気に病んでいる者がいた。じきに六十になる村おさの妻、お浜であった。手籠の紐を握った手を後ろ腰にあてて、杖を突きながら近づいて来る。

「与謝さんや、まだ亭主が戻らんのけぇ? 大変だなや、亭主が()らんのでは・・」

 と、杖を持ち替えて、曲った腰をトントンと叩いてから、背をグイッと伸ばして起き上がり、溜息を吐いた。

「ああ、お浜さんか。はは、うちの奴は一体どこほっつき歩いているだか、全く困ったもんで。戻ったらこってり仕置きせなあかんわ、ははは」

「そんなこと言って、本当は淋しいんじゃろ、痩せ我慢なぞせんでええがな、水くせぇぞ。困った時はお互い様なんだから、いつでも言ってこいや、出来る限りの事はするだからな」

 と、お浜は与謝の腰の辺りをポンポンと叩いた。肩を叩きたかったが、腰の曲がったお浜と与謝では背丈が倍も違うから届かないのだ。

 気丈で力持ちの与謝にも、やはり家族のことが心配でならない。

 お浜は杖を持ちながら手籠を胸の辺りに抱え、もう一方の手で中を探ると、

「ほれ、平吉や、これをお食べ、もらい物のアケビじゃ、美味いぞ」

 と、大きなやつを一つ平吉にあげた。口がぱっくり開いた、長さ三寸ぐらいの淡い浅葱色をした山の果物である。たいていは種の周りに付いた真っ白な実をがぶっとやり、種を()()()()()()()ながら食す。しかし、その周りの部分も調理すれば食べられるという捨てるところのない自然の恵みである。今は人間よりも鳥達の大好物となっている。

「有り難う、ばっちゃん」

 と、平吉は嬉しそうに受け取ってガブッと頬張った。

「ははは、ほれ与謝さんにも、この籠ごとやるで、あとでお食べな」

「お浜さん・・有り難う・・」

 柄にもなく、与謝の目にも涙が浮かんでいる。

「なんのなんの、気にするなって」

 そう言ってお浜はまた腰に手をあて、杖を突きつつ歩いて行った。

 与謝や五平、三右衛門の事を磯砂の手下だとは全く知らないお浜であった。ただ、与謝だけは近隣で気は優しくて力持ちと評判で、時折力仕事を手伝ったりしていたので村人達にも好かれていた。与謝は既に()()(だに)村の一員として受け入れられているのであった。


 そんな日の夕暮れごろ、ふと人目を避けるように与謝の家を訪ねる男があった。名を弥助といい同じ磯砂の者で、五平の幼馴染みである。与謝も良く知っている男で、磯砂の側衆の一人で繋ぎ役などをしている者である。

 与謝はこの男が嫌いだった。幼い頃、磯砂村で、生まれて初めて男を知った、その相手が弥助であった。無理やり夜這われて、いいように(もてあそ)ばれてしまったのである。下品で好色な野鼠のような風貌の小男。

 年頃になった女を磯砂は検分の後で振り分ける、そこで下げ渡された女は大概側衆が味見をしたあとで、手下に振り分けられるのであった。

 従って最初の子、平吉が五平の子かどうかは分からないが、与謝はきっぱり五平の子だと信じていた。

 弥助は与謝の家に上がり込み、

「そうか、ここにも戻ってねぇのか、一体どこへ行っちまったんだか。与謝、おめぇは心当たりねぇのか?」

「わては何も聞いてねぇだ。いったいうちの人は何のお役めで動いてるだ?」

「んん、そのなんだ、酒造りの里の女が逃げちまってな、さんざん探してやっと居場所が分かったらしいんだ。そいつを迎えに行くと言って、四人で出かけたきり戻って来んのじゃ。誰にも居場所を言ってねぇから、どこに行ったものか皆目分からん」

「ははぁ、酒造りの女ねぇ? 一体何でその女を追いかけてんだい?」

「そりゃおめぇ万病の薬が目当てだからよ。この女にしか造れねぇって話だ」

「ああ、あの薬の事か。へぇー、女が造ってんのかい?」

「ああ、そうだ、お頭の女だったんだ、おめぇも・・(おっと、やべぇ、危なく言うところだった。あの女の事は与謝には秘密だったな)・・いやなに、ひと月も経って梅雨になっても戻らねぇから、お頭が、どうなっているとお怒りでな、わしらが皆探しに廻っとるんだわ」

「それで手掛かりはあったのけぇ?」

「それがな、北の網野浜(静の里)や久美浜まで見に行ったが分からんのじゃ、わしゃ今度は宮津から若狭の方にでも廻ろうと思っての」

「そうかい、しっかり探しとくれよ、弥助さん。五平の身に何かあったら、わてら暮らしてゆけんでな、頼むで。何か分かったら知らせておくれ」

「ああ、分かった。わしは今日は三右の家に泊まるでな・・・よかったら、へへへ、子が寝た頃に来んか、なあ与謝、久しぶりにあっためてやるで・・」

 ()()()

 と、与謝の平手が飛んだ。

「いててて、何をするんだ、与謝」

 と、弥助は地面に転がって頬を擦っている。振り返ると、(ひぐま)のようにすっくと立って上から与謝が見下ろしている。

「弥助さん、もうわてには亭主がいるだぞ」

 昔の与謝ではなくなっている、小娘だったあの頃ですら今の弥助より力はあった。しかしあの頃は何も知らない()()()だったのである。

「お前様もええ加減にせんと、捻り潰して、魚の餌にしてやるだからな。さあ、さっさと出てってくれろ、そして五平を探して来いや」

 と言って、弥助を蹴飛ばすように外へ放り出した。嫌な男と会い、そして亭主の身が心配で心中穏やかでない与謝は、食事が喉を通らない。


 タケルと三太夫は当面穂井村の衆が物置に使っている伏屋根の家を借りて住んでいた。

 折りしも梅雨が近く、棚田の手入れを手伝って、谷川の水を田に引き田植えが始まった。タケルにとっては久しく忘れていた懐かしい作業である。その間村の倉庫がなくては困るので、ここらでは珍しい高床の小さな倉庫を三太夫と二人で建ててやった。板葺きで切り妻屋根の建物である。

 三太夫には日に何度も見周りをして不穏な者の出入りがないかを探らせている。村の入口南に小高い小山があり、その頂に杉の巨木が立っている。ここに小さな櫓を作って見張り小屋とした。ここからは砂州を渡って来るものが一望に出来た。

 村への道はふた筋ある、西の対岸から砂州を渡って来る道と、南の山裾をぐるぐる迂回して来る道である。かつて雪道を彷徨い歩いた真奈が通った道が南の道で、距離は三倍も遠くなるが、なだらかで楽な道ではあった。

 造に知らせたことも功を奏して近辺の街道筋には所々に造の家来の詰め所が出来て、駐在する三人の(つわ)(もの)が長柄を持って往来する者を監視している。そのためか磯砂達も下手に徒党を組んで動くことは出来なくなっていた。

 田植えも終わって一段落し、時折雨の降る中、タケルは真奈と二人きりで山に入っては山菜や木の実などを採ったり、狩りをしたりする日々を過ごした。真奈の護衛も兼ねているのではあるが、いつにもなく楽しい日々であった。三太夫は連れていない。

 ある梅雨の晴れ間の日に、山に茸狩りに行った時の事。二人は日笠を被り、単衣に袴、鹿皮の深靴という出で立ちで、引っ掛けないように袖口や裾を紐ですぼめている。途中細竹を折って杖とし、枝を掃ったり落ち葉を掻き分けたりするのに使う。

「そこそこ、その下よ」

 と、真奈は何か見付けたらしく杖で指した。

「ええ、ここかい? 落ち葉しかないぞ・・」

「もっとよく見なきゃ」

 真奈はタケルの探ったところを掻き分けて、いとも簡単に大きな松茸を探し当てて、

「ほら、あったでしょ」

 と、見せつけた。

 タケルは目を丸くしては、真奈の仕草を真似て足下を掻き分け出した。

「ほら、またあった・・ここにも・・塊まってるわね、大きいのが三つもあったわよ、ふふふ・・来年のために小さいのは残しておきましょうね」

 と、吃驚させる真奈であった。タケルは一つも見つけられず悔しくてしょうがないが、とてもかないそうもない。

 そんな折り、三太夫の調べで峰山街道を北に行った網野の浜辺に随分前に座礁した船の残骸があると人の噂で知り、真奈を連れて三人で調べに行った。三右衛門が真奈を騙すために言った嘘は、まんざら嘘ともいえなかったようだ。

 浜辺につくと真奈は別人のように明るくなった。

「んーん、懐かしい香り、この磯の匂いには覚えがあるわ・・」

 船が難破して打ち上げられた時の匂いなのか、だとしたらこんなに嬉しそうな筈はない。海に何か特別の想い出があるのだろうが、真奈には思い出せないようだった。

 残念ながら生存者の情報も無く、真奈は何も記憶になく、しょんぼりしながら脱いだ足駄を片手に持って浜辺を歩いていると、

「ああ、あそこっ」

 と、突然真奈が叫んで、駈けだしていく。タケルは驚いて三太夫と共にあとを追うが、砂の立てる不思議な音も三人を追い掛けてくる。浜辺(琴引浜)の鳴き砂である。

 追いついてみると、真奈は松林の中で足下を見ながらキョロキョロと何かを探している。

「どうしたんだ、真奈、何か分かったのかい?」

「ちょっと待って・・・あ、あった」

 足に何かを感じたらしく、真奈がしゃがんで足の下の砂を掻き分けている。タケルも三太夫も何があったのかと興味津津。

「ほら、これよ」

 と、真奈は何か丸いものを指で抓んで差し上げた。

「それは何だい、何か思い出したのか?」

 と、固唾を呑んで聞くタケルに、真奈は、

「ううん、違うの、これは(しょう)()っていう茸よ。とっても香りがいいの、美味しいのよ」

 と言って無邪気にはしゃいでいる。

 タケルも三太夫もあきれてしまった、てっきり記憶の手掛かりかと思ったのに、単に無意識で知っていることが行動に出ただけであった。

 無邪気な真奈に促され、仕方なくタケル達も茸採りを手伝って、その晩は浜辺の近くで宿を請うて、家主達も交えて真奈の作った茸の汁を食した。すると、その汁のあまりの美味しさに、皆は体が蕩けるようだと言い合った。

 こんな茸の存在は三太夫ですら知らなかった。浜の者なら見たことぐらいはあったのかもしれないが、石ころか松かさの(たぐい)と思って、食べられるとは思わなかったのだろう。

 松露とは今でいう山菜の王様、トリュフのことである、浜辺の松林などでよくみられる茸であるが、砂や落ち葉の山に埋もれていて中々に探すのは難しい。

 また、ある時は、

「ほらそこ、その蔓草の下よ」

「ええ? この木の根元を掘るのかい?」と、タケル。

 小さな葉を付けた蔓草が木に巻き付いている。気を付けていても見逃してしまうほど目立たない蔓草である。

「そうよ、その蔓草を目当てにそっと周りの土を掻き分けて掘るの」

 タケルは半信半疑でゆっくり土を掻き分けて行くと、本当に出てきた、山芋の頭である。しめたと思いどんどん掘り進んでいくと、とうとう三尺もある大きな山芋が、傷つきもせずに掘り出せてしまった。

 これまでは山芋掘りもかなり難しくてどこにあるのか分からず、ただ闇雲に木の根付近を掘って探していたが、真奈にはしっかりその場所を知る(すべ)があるようだった。

 突然真奈は、何かを感じたのか、

「いけない、タケル、もう帰りましょう」

 と言いだした。

 一本しか収穫がないので、タケルは、

「もう少し探そうよ、まだ来たばかりだぞ」

 と渋った。

「いいえ、嵐が来るわ、ここに居ては危険よ」

 と言う。

 風の臭い、空気の揺らめきを捉えて天候の変化まで感じ取れる娘であった。

 もっと驚いたことは農具などを工夫して、見たことのない道具を創ったことである。それまでの農具と言えば、(ちょ)(うな)を真似た、ただの棒に横木か石斧を()わえた(くわ)程度であったが、真奈の作った農具は、(しゅ)()の葉のように爪の這えた(すき)や脱穀の道具((こき)(ばし))など、当時は考え付かないものばかりであった。のちの時代に奈具の社とか穂井村改め奈具村と言われた()(えん)である。

 また、真奈には草術を駆使する医術の心得まであった。きっと真奈の記憶の中にあった一片であろう。計り知れない能力を身に付けた娘であった。

 真奈の住んでいた世界は、日の本より遥かに進んでいる所であるとタケルは確信した。神とは、この真奈のような存在をいうのではないかとすら思える。

 こんなふうに共に数月過ごすうちに、タケルは真奈が恋しい(ひと)となり、真奈もまたタケルが(いと)しい(ひと)になったのはごく自然なことであった。やがてタケルと真奈は世話になった穂井夫婦の家の側に新たに居を構え、夫婦として暮らし始めた。時にタケル十八、真奈十七の秋である。

 既にタケルは自分の素性も話し、村の者は驚き恐れ畏まってしまったが、真奈一人はいつもと何ら変わりがない。そのこともタケルが真奈を愛しく思う大きな要素であった。真奈は、本来人は皆善人であると信じ、人をありのままに見、偏見でものを見ることがなかったのである。中々そのような境地には成れぬものである。

 このままここに長居をすることに三太夫が困惑し、諭すようにタケルを説得したが、まだ磯砂の件が残っているうちは動けんと言う。仕方なく三太夫は元の物置の家に一人住むことになった。


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