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娘は五平の家に住むことになる。与五と名付けられ、女房の与謝がかいがいしく面倒をみる。
五平と三右衛門の家は村の北外れで二つの街道が交差する場所にある。川の側の小高い丘に、木々に囲まれて小さな伏屋根(竪穴式)の建物が二つ並んでいるだけである。一人者の三右衛門の家とその隣の五平の家である。
岸辺に舟を付け、三人は坂道を登っていく。
すると、家の前で腕組みをした大柄の女がじっと五平らを睨んでいる。頭の天辺で饅頭髷を作り、横から竹串を挿して留めている。黄ばんだ単衣を二枚重ね着して膝丈の袴を穿き、足駄を履いている。背は六尺に近く、巨木のように太った大女。
どうやら怒っている様子で、気まずそうに歩いて行く五平に、三右衛門がそっと手を振って別れを告げた。
離れ際にいきなり三右衛門の背中に怒声が降ってきた。
「こら、あんた」
三右衛門は自分が怒鳴られたかの如くにビクッとし、思わず入口の蓆をまくって、転げるように家に飛び込んだ。
「一体どこほっつき歩いていたんだい。わてらを飢え死にさす気か、あんた」
と、女は五平に怒鳴り散らした。
この女、与謝と言って、まだ十九だが大層大柄で気が強く腕っ節も強い。五平の女房である。三つになる男の子が脇で指を咥えて与謝の腰紐辺りを掴んで、恨めしそうに五平を見ている。
「いや、すまんすまん、こらえてぇよ・・」
と、しきりに五平が低頭する。
ふっと別の気配を感じた与謝は、首を傾げて後ろを覗き込み、
「おや、誰だい、後ろにいる娘は?」
と、五平の陰で小さくなっている娘に気付いた。
「あんた、まさか、そんな女子をかどわかして来たんじゃないだろね?」
と、与謝は一層機嫌を悪くして、目を吊り上げて近づいてくる。
「待てよ、待てってば、そんなんじゃねぇだ」
今にも娘に迫ろうとする六尺近い大女を、体を張って止める五平が、
「この娘さんが浜で倒れていただ、船が遭難したらしい。記憶がねぇと言うだ、しゃーないから連れてきたんだわ」
と、弁解した。
娘は与謝の剣幕に恐々と震え、両掌を口にあてて、縮こまっている。
「へぇー、そうなのかい? ふーん、記憶がねぇ・・そんなこともあるのかねぇ・・」
今度は興味津津の態に変わって、与謝は亭主を脇にどかして娘の周りを廻り出す。丸で品定めのようだ。娘は気味が悪くて仕方がない。
やがて五平は娘を家に入れ、与謝に事情を話し始めた。与謝も話を聞いて大層気の毒がり、娘はこの家で一緒に暮らすこととなった。
この五平の妻与謝も実は磯砂衆の一人である。しかし悪事に加担する訳ではなく、幼い頃磯砂達にどこかの村から連れ去られ、磯砂の村で育った娘であった。あまりに幼い頃のことゆえ、どこの生まれかも覚えていないという。
磯砂のやることを秘かに嫌っていて、逃げ出したいとは思っていた。しかし、十五になると村の掟で無理やり村の男を宛がわれ、幸か不幸か子を産んでしまった。ために夫婦となって偵察役の方に回った。ここでなら磯砂の悪事は聞こえてこないから、ごく普通の民として暮らせるのである。
娘に名前がなくては困るというので、与謝は自分と五平の名を一字ずつ取って与五と仮の名を付けた。
明くる朝、川端から戻った与五を見て、皆が驚いた。顔を洗い、与謝に梳いてもらった長い髪を首の後ろで紐で縛ってある。与謝達三人は与五がこれほどの別嬪だとは思わなかった。しかも、水を浴びて潤いを取り戻した顔には皺一つ無く、どう見ても十四、五の乙女に見える。
五平と三右衛門は思わずごくりと生唾を呑んだ。五平は後悔していた、昨日の松林で食後寛いでいる時に、三右衛門が合図を送ってきたのを五平が止めたのである。
年上と思っていた与五を、与謝は可愛い妹として遇するようになった。与五も初めに感じた印象とは違い、与謝が大層優しい人だと感じていた。
ある時、与謝が川端に洗濯に行ったときであった。三右衛門が家から頭だけ出して、子供の相手をしている与五に手招きをする。与五は何かなと思って招かれるまま三右衛門の家の中に入って行くと、乾草の上に座らされ、三右衛門も寄り添って座る。
与五には、何が起こるのか想像すら出来ない。三右衛門が何か話しながら与五をそぉっと抱き寄せ、口を近づける。息がかかるほど近づき、与五は思わず顔を背けた。
「与五、なあ、いいだろう、わしが助けてやったんだぞ、わしの嫁になれや」
と言って、尚もきつく抱き寄せて口を吸おうとした。
その時突然家の中に暗く影が射したかと思うと、三右衛門は首筋を後ろから掴まれて、
ヒューッ
と彼方に飛ばされてしまった。
「全く、油断も隙もない。与五、お前も気を付けな。お前ほどの別嬪は滅多にいねぇだに、皆お前の体を狙ってるだからな」
与謝であった。与五はポカンとして何だかよく分からないでいる。記憶のないこともあるが、やはりまだうぶな子供なのであった。
与五を立ち上がらせ、外に連れ出す与謝が、
「さんねも、今度こんな事したら、捻り潰してやるだからな」
と、三右衛門に罵声を浴びせた。与謝だけは三右衛門のことをさんねもと呼んでいた。三右衛門は庭木の切株に叩き付けられて、半べそを掻きながら腰を擦っている。
こんなことがあって以来、与謝は与五のことを一層注意して面倒をみるようになった。いつでも与五の側には与謝が付いているのである。尤も、与五も何もしていない訳ではなく、せっせと山菜採りやら魚介とりなどを手伝って入る。いつの時代でも働かざる者食うべからずなのである。
アルテミスがふっと起き上った。
「ねぇ、ハデス、ちょっと教えてよ。どうしてこの与謝という人は与五を大事にするのかしら? 山賊の女房なのでしょう?」
「(ポーン)それは一種の愛ですね、同性愛。与謝も与五を好きになったのでしょうね」
「ええ、うそー? だって・・・」
「いえ、アルテミス様、誤解されております。つまり性的なことではなくて、何かこの与五という娘に感じるものがあるのでしょう」
「感じるものって?」
「ははは、それはアルテミス様が一番お分かりのはずで御座います。そもそもアルテミス様が興味が湧いて見始めた娘さんで御座いましょう? 外見だけではない、何か人を引き付ける魅力がこの与五にはあるのでしょうね」
「ははー、なるほど、でも何かしらねぇその魅力ってやつは? もう二十日ほども与五を見ているけど、今のところはそれが何なのか分からないわ」
ハデスは笑って、また向きを変えて自分の仕事に戻った。
アルテミスは、気になってさらに続きを見ることにした。小碓とこの与五、そして都の様子を並行して追うことにしたのである。この頃の小碓はまだヤマトタケルと名乗っていない。
与五と共に暮らし始めてひと月ほどして、与謝は与五の将来のことが気になりだした。所詮女一人では暮らせない、ずっとここに置いておくわけにもいかないだろう。既に磯砂の掟の十五にほど近い、いずれ子を生して亭主を持たなければ生きては行けない。
――だとしたら、いっそのこと、さんねもの方がほかの男よりましだ。ずっとそばで暮せるじゃないか。少々抜けてる男だが、しっかり者の与五が居れば心配ないわな
そう思った。それにはお頭の許しを得なければいけない、報告に行かせようと与謝は考えた。決して与五の器量のことを告げず、既に女房にしたと報告すればいいのだ。
しかし、事態は与謝の思う通りにはいかない。
三右衛門が磯砂村で頭に対面し、
――五平どんちを見ているうちに、わしもぼちぼち家族を持ちたいと思って、土地の百姓の泥くせぇ小娘と、へへへ、まんざらでもねぇ仲になりやして・・
という話をすると、頭は「がはは」と笑って許してくれた。ここまでは何とかごまかせた。ところが、あまり有頂天になってしまって、仲間達の溜まり場でうっかり女房となる与五の自慢話をしてしまったのだ。あれほど与謝が口を酸っぱくして忠告したのに、全く馬鹿な三右衛門である。
頭の磯砂はこの話を聞いてむっとした。器量好しと聞いては承知が出来ない。すかさず三右衛門をまた呼び出して与五を連れてこいと命じたのである。
村の掟では女の所有権は磯砂一人にある、磯砂が下げ渡した女のみが家来に回されるのである。子を孕んだまま下げ渡されることもあった。こういうことをいうと性差別に聞こえるが、そうではない。頭とか、王などと呼ばれる人は別格であって、一般の民草とは一緒に出来ない。つまり村の男達もまた磯砂の所有物なのである。
随分ひどい話に聞こえるが、頭の地位を得た磯砂が最も優れた種であるから、優れた種の子供を増やすことこそ種族の繁栄が果たされる。そして相手の女も当然優れていることが望ましい。そういう考えが太古の昔からあった、あらゆる生物の本能である。
街道をとぼとぼ南に下る三右衛門。
(どじを踏んだばかりに、嫁をもらいそこなったぞ、とほほ。情けねぇやな、ようやくわしにも運が向いて来たと思ったのに)
頭に見せれば当然与五は頭の女にされちまう、自分の口の軽さにつくづく嫌気が差した。それにしても、問題は与謝である、黙って与五を連れだせるはずもない。
(どうしたもんかなぁ・・・いずれにしても五平どんと相談してからや)
五日ほどして、峰山街道を北西に歩く一行がいる。加悦谷村の五平と三右衛門、そして与五の三人連れであった。それぞれ杖をついて、笠を被って、単衣の重ね着に膝丈の袴、足駄を履いている。加悦谷から磯砂の村までは二日程の旅程である。
相談の結果、五平がこっそり与謝に腹痛を起こす草を食べ物に混ぜて食べさせ、具合の悪いところで煎じ薬を呑ませて寝かせた。その隙に三右衛門が与五に話をして連れだしたのである。
腹痛はじきに治る。あとのことが怖いが頭の命令には逆らえないから仕方がない。
与五には、
――磯砂村にな、おめぇと同じように浜に打ち上げられた男がおるだよ。街道の外れの海岸に、難破した大きな船の残骸があってな、その側に倒れてたちゅう話だ
そう言って、簡素な旅装をさせて連れてきたのだ。勿論、口からでまかせである。与五は未だに記憶が戻っていないから、ほんの僅かな可能性でも手懸りを手繰り寄せたかったのである。
…ちなみに、峰山街道の外れの海岸、そのすぐ側の丘には温泉(浅茂川温泉)があって、絶景の地である。源義経の愛妾、静御前の誕生の地で、静の里と呼ばれている。…
梅雨も明け、じきにじりじりとした暑さがやって来る。そんな季節ではあったが、この街道筋は山間の谷筋を通るせいか、谷颪が街道を吹き抜け、木々が日差しを遮り殊のほか涼しい。不思議なことにこの街道の北東側、丹後国の東半分には至る所に村や人家があり、他の地域よりも古くから栄えていた。
一日目の昼過ぎ、一行はちょうど街道の中間付近で、西に向かう山道に折れた。比治山の峠道である。古くから、この東西に走る峠道の北と南に広がる山並一帯を差して比治山と呼んだことは既に述べた。丹後国の南半分に相当する。
「これ、三の字、何溜息なんぞ吐いてるだ? しっかり歩けや」
一番前で五平が後ろを向いて、ニヤニヤ笑っている。与五も振り向いては、何故か分からないが、くすくす笑っている。五平は三右衛門のしくじりをいい気味だとなじっているのである。三右衛門は未だに諦め切れないで、与五の笑顔や後姿を見ては溜息を吐く。
比治山のどこかにある磯砂村は山々で囲まれていて、比治の峠道方面からしか行くことが出来ない。この峠道は磯砂衆が出没する危険地帯であることは近隣の者も良く知っていて、滅多に人の往来がない。道の南側には谷川(鱒留川)が並行して流れている。
緩やかな坂道を上り始め、数町も歩くと人家が途絶えてきた。汗だくになりながら十町も登った頃、南北に走る小さな谷筋に架かった吊り橋があった。そしてその向こう、道の北側に、誰がこんな山の中に植えたのか、それとも鳥の仕業なのか、高さ三間余の桃の老木が見えてきた。青い実がたくさん生っている。
桃の木の側にやって来た時にはもう辺りは薄暗くなり、よく見えないが木の傍らに古い井戸があった。その北側に祠よりはましな程度の社が見える。
「三の字、今日はこの社に泊まろうや、与五もいいな?」
「はい・・・」
と、与五も下を向いて答えた。与謝に何も告げずに出掛けてきたため、与五は与謝が今頃どうしているのか気になって仕方がない。今となってはただ二人の言う事を信じて付いて行くしか道はない。
五平が破れかけた開き戸を開けて、三人とも足駄のまま、小さな社の中に入って行った。鳥居もなく、板葺き屋根の、外周りだけ板壁のある簡単な造りで、床はない。
三右衛門が左右の格子窓をずらして窓を開け、風通しを良くした。鄙にも拘らず、格子の窓が付いている。縦に並んで閉じている板を、縁を押して直角に開ける仕組みである。
一方の五平は中央に石を丸く集めただけの囲炉裏に火を起こし始めた。側に井戸から汲んで来た用心の水桶も置いた。この場所を通い慣れている手際のよさである。夏で暑いとはいえ、蚊燻し兼明かりの代わりである。
奥に人の背丈ほどの高さに、小さな鳥居の形をした神棚があり、しめ縄が垂れていて、中央に榊の枝が一本立ててある。何を祭っているのかは分からないが、榊は神が下向して化身する木とされている。
端に置いてあった蓆を持ってきて、どっかと座り、二人は持ってきた地酒を、瓢箪の蓋を取って交互にやり取りして飲みながら、魚の干物を火に炙っては歯で千切っている。難破船のことや打ち上げられた男のことなど、あること無いこと話している。それを与五も五平の側に座って、干物を齧りながら聞いている。今宵の晩飯替わりなのであった。
やがて眠くなったと見えて、与五だけ神棚のそばで蓆に横になって眠ってしまった。
段々酔いが回ってきたのか、急に話声も小さくなり、目の座ってきた五平が三右衛門に目配せして、ニヤリと笑った。三右衛門も答えてニヤリと返す。五平は三右衛門に手招きすると、前屈みになって近づく三右衛門の耳に、
「お頭に渡す前に味見しておくか?」
と、五平は声を殺して語り掛けた。
「へへへ、いいなぁ」
と、三右衛門が涎をすすった。
「もうどうせわしの女では無くなるしな」
酔った勢いというやつか、あと先のことも考えずに、思いを遂げようという腹である。あとになって与五が磯砂に告げ口すれば、二人の命すら危ういというのに。
「よし、そんならわしから行くぞ」
と言って、五平は立ち上がり、腰紐を解きながら、
「おめぇは両の手を押さえ付けとけ、いいな」
「ちぇ、またあとかよ、いいよ、分かったよ」
それってんで三右衛門が娘をふん縛ろうとしたその時、
「こら、許さないわよ」
と怒鳴って、ステッキを投げつけ、アルテミスが跳ね起きた。同時に、
ピカッ!
と、二人の頭上で何かが光った。家の中で得体の知れないものが光ったのである。
驚いた二人は、光に弾かれた如くにその場にへたり込んで、中空を見上げている。二人とも毛髪の生え際が後ろに向かって逆立っていた。
「アルテミス様、そう興奮しないで下さい」
と、ハデスが宥めた。
「だって、こいつらったら・・・あれ?」
この時、世にも不思議な現象が起こっていた。遠く離れた二つの世界が繋がり掛けたかに見えた。声とも風ともいえないものが、二人を吹き飛ばしたのである。
「な、何だ、今のは?」
五平は驚いて周りを見渡しながら、解いた腰紐を手探りで探すが見つからず、ふっと後ろを向くと、
「わっ、わわわ? 榊の枝が揺れてる、お社様の祟りだ、逃げろー」
と、脱ぎかけた褌を慌ててたくし上げようと蹴躓きながら、尻丸出しのまま開き戸を蹴倒して逃げて行った。
「ちょっと、五平どん、置いてかないでくれ」
と言って、手を合わせながら三右衛門も続いた。
「何なの? 今何があったのかしら?」
アルテミスは今起きたことが理解出来ず、茫然としている。
物音に驚いた与五が目を覚まして、辺りを見ると二人がいない。
「五平さん? 三右衛門さん? 何処に行ったの?」
社の外に出て辺りを探した。どこにも見当たらず、与五は途方に暮れてしまった。暗い中で、ここがどこかも分からないのである。不安だがどうしようもないと諦め、社に戻って寝てしまった。幸い二人は魚の干物を残して行ってくれた。




