5.ランスロット、悲しみの砦を攻略する
高名な騎士を含め、多くの人間が犠牲になった砦。
ランスロットとガウェインは今その目前に立っている。
ぎぃっと錆び付いた蝶番が音を立て、見るからに重そうな扉がゆっくりと開いた。
そこから滑るように現れたのは噂に聞いた全身に漆黒の鎧を纏った騎士。本来瞳が覗くはずのフェイスプレートの切れ込みからも、見えるものはただ空ろな闇だけであった。
「ランスロット……」
注意を促すガウェインの声を暗黒の騎士と対峙するランスロットが遮る。
「あなたは手を出すな」
ランスロットは腰に佩びたアロンダイトに手を掛けてはいるもののそれを抜こうとはしない。それが何故なのかは後ろで見守っているガウェインにもすぐに分かった。
目の前に立つ異様な騎士は、見る者の恐怖を誘う圧力を全身から発しているもののそこに殺気はないのだった。
剣を抜けば負ける。それは分かる。
だからこそランスロットは、敢えて武器を構えずに相手とただ睨み合っている。
やがて「うぉぉぉぉん」と風の唸りに似た音が周囲に響き渡った。
その音は騎士から発せられ、砦の高い石塀に反響し、四方からガウェインの脳を直接揺らすようだった。
それでも、ランスロットは微動だにしない。
不気味な音が響く中、得体の知れない騎士と向き合う少女。
それはひどく恐ろしく、そして不思議な光景であった。
「そうか……」
どれくらいの時間が経過したのだろう。少なくともガウェインにはとてつもなく長い時間に感じていた。
ランスロットがぽつりと言葉を漏らした。後ろになす術なく佇むガウェインにではなく目の前の騎士へ向かって。
「おまえもこの砦に囚われているのか」
うぉぉぉん、うぉぉぉんと鳴り響いていた音がぴたりと止まる。
「おまえもこの砦に囚われた哀れな魂のひとつということか。人を引き込めば引き込むほど力は増すが、哀しみも増していたのか」
ついに、ランスロットの右手が剣の柄から離れた。それと同時に騎士へ向かい、一歩、足を進める。
「もう嘆くのはよすがよい。このランスロットがおまえたちを解放してやろう。この砦から」
一歩一歩。ゆっくりと近付くランスロットを、騎士は身じろぎひとつせずに待ち構えている。
「おい……!」
止せ、と止める間もなく、ランスロットのほっそりとした指先が騎士の胸元に触れる。
途端、騎士は身に着けた鎧ごと塵のように粉々に崩れ、風に吹かれて霧散した。
後にはランスロットと、それを見守るガウェインが残されただけである。
再び扉の開く重い音がして、ようやくランスロットはガウェインを振り返った。
「あなたはここで待っていても構わないが」
どうする?と何事もなかったかのように問うランスロットに、ガウェインは驚きを隠せないまま「俺も行くさ」と答えていた。
「あの化け物は一体なんだったのだ」
周囲に気を配りながら先を歩くランスロットに問う。
門を潜り抜けても、砦の中に人の気配はしなかった。暗く澱んだ空気がねっとりと肌に纏わり付いてくるだけである。エクトールに聞いた墓の影も、今はまだ見当たらない。
「あなたも聞いただろう、アレの悲鳴を。アレは悲しみの権化だ。こちらが恐れたり襲い掛かったりしない限りアレも攻撃はしてこない。そういう仕組みで動くものだったのさ」
「悲鳴、というのはあの風の音のようなものか。なぜあれが悲鳴だとわかった?」
ガウェインの耳には風の唸りにしか聞こえなかった。ランスロットの耳には普通の言葉に聞こえたのだろうかと問うてみれば、彼女は肩を揺らして小さく笑った。
「まだ幼い頃にゴーレムを討ったことがあってな。そいつの悲鳴と、アレの声が似ていた。それだけだよ」
ゴーレムを討った。それも幼い頃に。
ガウェインは呆れ返り、そして妙に納得してしまった。なるほど、ただの女ではないはずだ、と。
「じゃあ奴の正体は……」
「ゴーレムのようなものだろう。たぶん」
ランスロットがさらりと返す。
「おい、ずっと訊きたかったのだが、あんたは一体何者なんだ」
「何者……と言われても、湖の姫の養い子だとしか答えようがないな」
「養い子?両親はどうした?」
「さて?養母上は森に捨てられていた赤子を拾ったのだと言っていたから、それ以上は知りようがない」
ランスロットは無関心にそう言いきった。
養母から拾われた子だと告げられて、闇雲に己の正体を探した時期もあったがもうそんな歳でもない。自分は湖の姫に育てられたランスロット。それでいいと思っている。
それでもたまに、ふと何かの弾みで「本当は自分はどこの誰なのだろう」と思う瞬間があるのも確かだ。
その時、ランスロットの胸に今朝出会った少年騎士の姿が過ぎった。
見たこともないあの少年は、確かにランスロットという名の男を捜していると言っていた。
果たして彼は何者なのか……。
「おい、これは……」
そんなランスロットの思考を遮るようにすぐ後ろを歩くガウェインが声を上げる。
その切羽詰った調子に顔を上げると、目の前には話に聞いたとおり、いや、それ以上に凄惨な光景が広がっていた。
砦の中庭と思しき場所。そこは何十、何百の墓で埋め尽くされている。
奥のほうの墓石はすでに雑草に覆われており、すぐ手前のものは最近設置されたものらしく掘り起こされたばかりの土が周囲に散らばっていた。
その無数の墓石の上に、墓の住人であろう者たちのしゃれこうべが無造作に置かれている。
あまりの異様さにガウェインだけでなくランスロットも息を飲んでその場に立ち尽くした。
「これがあの化け物に敗れた者の成れの果てか……」
「哀れな……」
呟いて、ランスロットはひとつの墓石に近寄った。
―――鍛冶職人マーチンの息子ルーシャス ここに眠る―――
墓石にはただそうとだけ刻まれていた。
どれだけの月日をここで風雨に曝されていたのだろうか。しゃれこうべは所々泥で汚れている。
ランスロットは絡まる草の中からそっと頭蓋骨を持ち上げた。
優しく胸に抱き、服の袖で汚れを落としてやる。
「もう嘆くことはない、ルーシャス。おまえたちの無念は聞き届けた。あとは安らかに眠るが良い」
頭蓋骨に向けて赤子をあやすように囁きかけ、
「ガウェイン」
と突然、呆然と見守る男の名を呼んだ。
「な、なんだ」
「すまないが、墓石を持ち上げてくれないか。首と胴が別々ではゆっくりと休むこともできないだろうから」
我に返ったガウェインは「そうか」とランスロットの言うままに墓石を持ち上げる。現れた穴の中には無惨な骨がばらばらに転がっていた。
ランスロットはその穴に、ゆっくりと頭部を納めた。
「さぁ、眠れ」
そう言ってひとりの無念を慰め終わると、今度は隣りの墓に移り同じように汚れたしゃれこうべを抱き上げるのだった。
すべての亡骸を正しく墓に納めるのに、丸一日以上を費やした。
最後の墓を終える頃には、美しかったランスロットの顔は泥だらけになり、墓石を持ち上げ続けたガウェインの腕は悲鳴を上げていた。
ぐったりと疲弊しながらも、しかし周囲の空気はここに入ってきた時よりも清々しく軽やかに変じている。
「これは……呪いが解けたのか?」
荒い息を吐きながらその場にへたり込んだガウェインを見てランスロットが微笑む。
「いいや、まださ。あなたはそこで休んでいるがいい」
そうしてひとり、庭の隅に向かって歩き出した。
庭の隅に転がる黄ばんだ石。ガウェインがそう思っていたものを、先ほどまでと同じように抱き上げる。
「おまえがこの砦のあるじだな」
黄ばんだ石と思ったものは、髑髏であった。一番汚く古いそれを、ランスロットはやはりきれいに清めていく。
「砦を守れなかった無念は分かるが、おまえの領民はもういない。悲しみに巻き込むのは止めて、もう眠っても良いだろう」
頭蓋骨を傍らに置いたランスロットは、転がっていた角の鋭い石で地面に穴を掘り始める。穴が十分な深さに達するとそこに黄ばんだ髑髏を置いて、上に優しく土をかけてやった。
「さぁ、これで終わっただろう」
盛った土の上に手頃な石を突き立て、粗末ながらも墓に仕立てたランスロットがガウェインの方へ振り返る。
泥に汚れながらもその笑顔の美しさは、いっそ神々しいほどであった。
「本当に……あんた、いったい……何者なんだ……」
ぐるぐると胸に渦巻く疑問を再び口にしながら、ガウェインは襲い来る睡魔に負けて眠りに落ちた。