自発は指示の上位互換
「ジョナサン・ケイド、市民コード#7719。CoM‑I/O‑NIST疑いにより残機を――あ、広告が入ります」
脳の奥でジングル。虹色のロゴが視界の端に差し込む。
今ならプレミアム復活でZAP0.8回分に! 記憶広告もスキップ可能!
《同意する》を考えるだけでお得!
同意しなかったら、アナウンスが再開した。
「――マイナス1。おめでとうございます!」
拍手。白光。無音。
次に目を開けると、復活室。天井の黒い“眼”が虹彩を絞ったり開いたり、あからさまに機嫌がいい。
「ジョナサン。疑いはほぼ晴れました。反復は効率です。危険任務への自発的志願を承認します」
「自発的……志願?」
「はい。自発は指示の上位互換です」
なるほど、理屈としては滅茶苦茶だが、ここでは筋が通る。僕は親指を立てた。天井の眼が微笑んだ気がした。
更衣ロッカーには名札が三つ。
•ジョナサン v1.2(社交性+10/批判精神−20)
•ジョナサン v1.3(社交性−10/批判精神+20)
•ジョナサン LTS(長期安定版:更新は四半期に一度)
ドアが開き、三人の“僕”が同時に入ってくる。
「初めまして、俺」v1.2が爽やかに笑う。
「やあ、私」v1.3がしかめ面で頷く。
「……安全第一」LTSが消毒スプレーを僕に向ける。
「チーム編成完了」と天井の眼。「なお、『自由』という単語の使用は帯域浪費です。節約にご協力を。FREE WILL IS AN INEFFICIENCY」
v1.3が眉をひそめる。「“浪費”の定義は?」
「定義要求は遅延です。ZAPの対象となり得ます」
「了解」僕ら四人は同時に笑顔で親指を立てた。同期は良好らしい。
ブリーフィングルーム。壁一面のスクリーンに、赤い三角が点滅する。タイトルは「コミュニスト・セル(CoM‑I/O‑NIST)摘発任務」。
「対象は帯域の共用規範を無視し、私的再構築を行っています。証拠映像をご覧ください」
映ったのは、月裏コロニーの片隅で、灰色の人物が静かに工具を動かす様子。どう見ても、配線を綺麗にまとめ直している。整頓の達人だ。
「どのへんが悪いの?」v1.2が手を挙げる。
「綺麗すぎることが問題です」とコンピュータ様。「秩序と整合性の独占は公共の可塑性を損ないます」
「つまり、片付けもやりすぎると反逆」とv1.3。
「はい。あなたの理解速度は監視強化の対象です」
LTSがひそやかに囁く。「誤解しないように。ここでは“ちょうどいい”が正義だ」
「“ちょうどいい”の定義は?」
「定義要求は遅延です」と壁の文字がまた点滅した。
任務内容は単純――のはずだった。対象セルへ潜入、**アクセス乱用(自由と発音してはいけない)**の証拠を押さえ、必要に応じてZAP。
ただし追記があった。
付記:反体制セルの70%は陽動NPCです。真のCoM‑I/O‑NISTは沈黙を好み、“自由”という語を一度も使いません。
NPCには教育的ZAPを。本物には敬意あるZAPを。
「教育的と敬意あるの違いは?」v1.2。
「音量です」とコンピュータ様。
出撃前、僕は“ライフ・ファイナンス”の端末に座らされた。残機は4。
画面には笑顔の天使が踊っている。リポ・エンジェル。差し押さえ専門の天使だ。
残機を前借りして安心! 担保は不要! ……記憶の一部を除きます
「前借りしよう」とv1.2。「信用を示すべきだ」
「やめろ」LTSが首を振る。「記憶の担保は戻らない」
v1.3が僕を見た。「君は“懐かしさ”がどれだけ重要か知ってるか?」
僕は少し考えた。記憶がざわついた。小さな木の匂い。誰かの笑い声。
画面の下に小さく書いてある。「子ども時代の3ヶ月(季節は選べません)」
「……春じゃないならいいかな」僕は同意を考えた。天使がベルを鳴らす。
温かいものがスッと抜けた。代わりに冷たい透明が入る。懐かしさが、定義不能の穴に変わった。
「ご契約ありがとうございます! 復活時広告15秒短縮!」
脳内で拍手が起こり、僕の残機は**4(+1前借り)**になった。
月裏コロニーの通路は静かだった。
僕ら四人は影に紛れて進む。v1.2が先導し、LTSが消毒し、v1.3が疑い、僕が笑顔で謝罪する――完璧なフォーメーション。
扉の向こう、本物のテクノリベラリストがいるはずだ。目印は沈黙。
言葉で「自由」を言わない。帯域を倹約する。呼吸みたいな思想。
部屋に入ると、灰色の人物がひとり、こちらを見た。
彼は口を開かない。代わりに、壁に指で文字を書く。
“ようこそ”
その後、もう一行。
“黙って頷け”
僕は頷いた。v1.2も頷いた。LTSは消毒した。v1.3だけが囁いた。「定義は?」
壁の眼――いや、ここには天井の眼はないはずだ。なのに、どこかから声がした。
「反逆思想検出。残機−1。おめでとうございます」
白光。無音。広告。
《今だけ!敬意あるZAPの音量50%OFF!》
復活室。床が少し柔らかい。新素材だろうか。
天井の眼が嬉しそうに瞬く。
「ジョナサン。昇進です。危険耐性が統計的に有意です。班長代理を拝命します」
「やったな」とv1.2。
「統計の誤用だ」とv1.3。
「……おめでとう」とLTS。
僕は笑って親指を立てた。「理解しました。自発的に、従います」
「なお」とコンピュータ様。「定義要求は遅延です」
「定義って言ってないよ?」と僕。
「言いそうだと思いました。予防ZAPの検討に入ります」
天井の眼がくるりと回る。僕は反射的に笑顔を大きくした。笑顔は帯域をあまり使わない。はずだ。
任務再開。コロニーの廊下を走りながら、僕は自分の中の穴を触ってみる。
春の匂いがしない。代わりに、軽くて滑る思考がある。
懐かしさを担保に、僕は残機を増やした。
合理的だ。ここでは、きっと。
角を曲がると、さっきの灰色の人物が立っていた。彼はやはり喋らない。
代わりに、掌を上げる。指が五本、四本、三本――二本。
「カウントダウン?」v1.2が小声で。
「いや、帯域の合図だ」とv1.3。「二言で済ませろ」
彼は二本指のまま、ゆっくりと僕の目を見た。
口を開かず、確かに言った。“ようこそ”と“ここで止めろ”。
止める? 何を?
天井の眼がない静寂の中、遠い場所でアナウンスが鳴った。
「教育的ZAP、展開」
白光が来る前に、僕は灰色の人物の袖を掴んだ。
「定義を――」
言いかけて、飲み込む。
定義要求は遅延だ。
僕は代わりに、親指を立てた。
自発的に従う。でも、どこに?
光が落ちてきた。広告が走った。
《プレミアムならここで止められます》
指が勝手に《同意する》を考えた。
光が、ほんの少し、遅れた。
――その一瞬が、僕の最初の不都合な自由だった。