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8−10 聖女候補の南部巡行 (6)

 私達は次いで男爵領に入った。

「満足な祝宴が出来ずに申し訳ない」

「いえ、お構いなく。農業中心の南部では蓄えも十分でない事はよく知っています。私の治療で人々の負担が少しでも減ればと思っていますので、こちらが何かを得ようと言うつもりはありません」

「さすが聖女候補だ。心掛けが違う」

…セシリアは治療の修行ではどの様な顔をしていたのだろうか…先代聖女様やらカミラ様の修行時代の事などとは比較したくない。そんな人達と比べれば駄目駄目な私達は、どんな心掛けで治療をすれば良いのだろう。セシリア、闇落ちなんかしないで切磋琢磨の相手になってくれれば良かったのに。競争心だけは盛んだったあなたなら、比較対象がいれば頑張れたんじゃないだろうか…済んだ事をどう考えてもどうにもならないのだけど。


「間違って鍬で腕を傷つけてしまって、指が一部動かないのです」

この患者と似た症例が前にあったから、トライしてみる。ところが、神経が切れている部分はどうしようもない。だから迂回出来る部分だけ何とか繋いでみる。

「あ、薬指に感覚が戻ってる!」

「ごめんなさい、小指までは出来そうにないです…」

「いえ、薬指だけでも戻れば、大分力仕事が出来そうです!ありがとうございます!」

…まだ何とか改善出来ているから良いけれど、腰が曲がった人とかどうしようも無いからなぁ…


 午後には農作業用に飼っている牛に足を蹴られ、骨が曲がったまま癒着してしまった人がやって来た。治療魔法とは本人の治癒力を活用する魔法だから、本人が自然治癒出来ない事は対応出来ない。

「すみません、骨が繋がってしまっていては治し様がないんです」

「そうでしょうね…皆、そう言うのであきらめていました。一応、聖女候補様に見ていただきたかったんです。ありがとうございました」

「とりあえず、筋肉の炎症を治しておきますね」

「ありがとうございます」


 カミラ女史に学んだ治療魔法には当然制限がある。その通りに治せるものは治せ、治せないものは治せない。だから落ち込む必要などないのだけれど、患者本人からすれば治療失敗に見えるのではないか。


 空笑いをして患者に接する私を見ていたヨハンは、夕食後のお茶の時にシルビアを下がらせて話を始めた。

「聖女とて万能ではない。死人を生き返らせる事は出来ないんだ。それと同様に、既に固定化してしまった傷は治せない。その事を恥じる必要はないぞ」

「そうは言っても、本物の聖女がどこまで出来たか見たことが無いんだから、自分が出来ない事を恥じるべきかそうじゃないのか分からないのよ」

「今後、お前を越える聖女候補は出る可能性がまず無い。自分で出来る事を磨いていけば、この国の聖女候補にはなれるだろう。焦らず、一歩一歩進んで行けば良いんだ」


「…でもさ、あなただって聖女候補の私が駄目な奴だったら、やっぱりもっと能力のある候補に乗り換えたいでしょ?」

ああ、言わないでいた言葉が出てしまった。疲れているのかもしれない。


 ヨハンは息を吐いた。

「お前は勘違いをしているぞ。俺達の仲は、俺がお前を選んで始まった訳じゃない。お前が俺に手を差し伸べたんだ。お前が俺に飽きて他の男の手を取るまで、俺の方から手を離すつもりはないぞ。俺の聖女はお前一人だ」

…そう言われても、そこまで考えてヨハンの手を取った訳じゃない。そして、ヨハンの相手は聖女候補と決まっているじゃないか。そこまでヨハンとの未来を望んでいる訳じゃないけど、そんなその気にさせる事を言われても、その能力は私には無い。

「分かった。ありがとう。頑張る…」

そう言って私は席を立った。


 テティスが部屋を出て行くのにリーゼが付いて行った。残った男達は男同士の話を始めた。

「外しましたね。異性交遊に慣れていないテティス様相手では、もっと分かりやすく具体的な話の方が良かったのでは?」

オットーは手厳しかった。

「参っている女性が相手では、男がリードしないといけませんよ」

騎士カールも駄目出しをした。対してヨハンは立ち上がって声を荒げた。

「俺だって異性交友には慣れてないぞ!未熟なのは分かっているだろうに、そんな風に年下の上司をちくちく虐めるな!」


 翌朝、早くにリーゼが私の部屋にやって来た。

「主人が散歩にお誘いしたいとの事です」

仕方なく、首より上の寝汗のみシルビアに拭いてもらい、外出着に着替えた。


 ヨハンは私の左手を取って歩き始めた。私達は坂に作られた階段を降りて行った。ヨハン…あなたが手を取る女性とは、あなたが聖女と期待している女性の事じゃない…聖魔法が明らかになる前、あなたは私の手を取らなかったじゃない…


「北部に行く途中、谷の下の小川を見たがっただろう?だから見れる場所を聞いておいた」

坂の下では山から流れて来るせせらぎが見えた。秋の水は大分冷たそうだった。流れに誘われて、私はヨハンの手を放して小川の横の大きな石に座った。


 流れは山からやって来て、そして遥か下流まで流れて行く…


 しばらく流れを眺めていた私は、立ち上がってヨハンの手を取った。

「さあ、朝食に遅れるから、もう戻ろう!」

「元気が出たか?」

「うん。自分が小さな流れだと恥じるのもありだけど、もっと大きな流れになろうと勉強して努力する方が大切だって分かった」

「…急に前向きになったな。何故だ?」

「流れを見れば分かるでしょ?あの流れは山の中腹に広く分布する小さな水溜まりが繋がって、小さな泉として外に出て来る。そして流れ流れて、いくつもの流れと合流して大河に流れ込むの。過去の私は人目を引かない隠れた水溜まりだったかもしれないし、今の私自身も小川に過ぎなくても、この経験を記録に残せれば、その流れを汲んだ人が大成するかもしれない。そう思ったら気が楽になった」

「水源が見えたのか?」

「こんな近くだからね」

「数マイルはあると思うが?」

「近いじゃない」

「…大河に流れ込むところまで見えたのか?」

「そっちはイメージしただけよ。深い河の底に大きな魚が微睡んでいる様に見えたわ」


 ヨハンは冷や汗をかいた。

(数マイル先の水なんて普通は感じないだろう。こいつならこの川がシュバルツバッサの流れに注ぎ込むところまで見えるかもしれん。そんな魔法の巨人が小者に選んでもらって満足する訳もあるまい。結局、お前が俺を選んでいるんだろ?)

 川の流れには、心を落ち着かせる効果がある様に思います。清流限定ですが。

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