7−7 王宮の狭間 (2)
多少タイミングを間違えたとは言え、強化魔法で体力を強化していた私は、ベスお姉様のナイフを掴む両手を自分の両手で掴み、ぎゅっと強く握りしめ、そのまま右に回した。
「痛っ」
顔を歪めたお姉様はキッチンナイフを落とした。それを私は足で払って遠くに転がした。
「これでベスお姉様の出番は終わりです。満足しましたか?」
お姉様は一瞬ムッとした顔をしたが、私の右手が血で汚れているのを見て哄笑した
「あはははははっ!これであんたもお終いよ!」
「ナイフに毒が塗ってあったからですか?」
「そうよ!すぐに毒が回って死ぬわ!」
はぁっ、と私は溜息を吐いた。
「何も知らないんですね。聖魔法師なら毒くらい排出出来ますよ?」
「嘘おっしゃい!誰も対処法を知らない毒だから!」
「だから、異物だと分かれば排出すれば良いだけです。もう全部体の外に出てますよ」
「嘘よ!そんなに血が流れて!止める事すら出来ないじゃないっ!」
「この程度の傷の治療なんて、優先順位が低いから後回しにしているだけです」
興奮していたお姉様は、ようやく私が何とも無い事が分かった様だ。少し血の気が引いた。
「嘘よ…そんなに血が流れて…」
確かにぽたぽた地面に血が落ちているが、アイスランスの刺さったケリュネイアの様に血が噴き出している訳じゃない。余裕だ。
「反省が無い様ですね。悪い事をしたら叱られる、当然の結果が待っているのに気付かないとは。じゃあ、分かる様に罰を与える必要がありますね」
私は右手を持ち上げ、体の横から正面に肘から先を回した。対応出来なかったお姉様は避ける事も出来ず、私の右手で左頬を叩かれた。ぱちん、と音はならなかった。私の血がべたついて、ぺちゃん、と間抜けな音がした。
「な、あなた、こんなに血が出ている手で叩いたら…」
「お姉様がした事ですよ?何をしたかようやく分かりましたか?」
私は叩く時に魔力を込めた。お姉様の脳は黒く染まっていたから、このまま木陰に隠れている騎士やカミラ女史に渡したら、闇魔法師として酷い目に遭う事は確かだった。お姉様は私と同じ様に水魔法師で、そして多分聖属性も持っていたのだ。だから闇に落ちた。私の願いが何とか届いたらしく、お姉様の脳内の黒い部分は大分小さくなった。それでもまだ残っている。
「まだ正気に戻らない様ですね」
そうして私はもう一度お姉様の頬を張った。ぺちゃん、間抜けな音がもう一度響いた。でも、また魔力を込めた甲斐があった。お姉様の脳内の黒い部分は無くなった。お姉様はぽろぽろ涙を流して地面にへたり込んだ。
「やめて…私が悪かったから、早く治療を受けて…」
「ようやく正気に戻った様ですね」
ここで女騎士達がやって来た。女騎士。そう、騎士団は今日、誰が凶行に及ぶか知っていたんだ。態々罪を犯すのを待って、お姉様を破滅させる事にしたんだ。今度は私が怒りに震える事になった。
そんな私にリーゼもシルビアもゲルダも近づけない様だったが、カミラ女史がやって来た。今更来ても遅い。もうベスお姉様が闇魔法師だった痕跡は無くなった筈だ。
「馬鹿者!そこまで無理をする理由がどこにある!早く治療をせんか!」
治療?それこそどうでも良い事だ。お姉様が今晩のディナーの様に、テーブルの上にばらばらにされて晒される事を阻止出来たんだから。カミラ女史が私を睨むが、頭に血が上っている私には彼女の言葉は届かなかった。
その私の右腕をファインズ家の侍女のシルビアが、左の腕をヨハンの侍女のリーゼが触れた。
「お嬢様、ご自愛ください。早く治療を…」
「もう終わったのでしたら、治療をしてください」
「治療なんて…」
二人は事前に話を聞いていたとは思うが、それでも私の事は心配してくれている。その気持ちは触れた手から流れ込んで来る。だから、私は右手を軽く振った。流れていた血は粉となって離れて行った。その後には傷一つない指が現れた。
聖魔法を流した事で、私の頭はようやく冷静になった様だ。カミラ女史の水気が赤と青に塗れている事に気付いた。思いっきり顔を顰めたカミラ女史は絞り出す様に言った。
「これだから聖女って奴は…いざとなったら教えもしない方法で何もかも片づけちまう…」
「いえ、未熟故に自己流でやっている事です。勝手をして申し訳ありませんでした」
平身低頭謝ったつもりなのに、却ってカミラ女史の水気は真っ青になった。何故!?
「もうあんたには他人の指導なんて必用ないだろう!?」
「そんな事はありません。これからもご指導お願いします」
カミラ女史の水気は深い紺色になった。くるっと回って私に背を向けたカミラ女史は言った。
「今日はもう帰りな。二日間は安静にして、肉を多く食べるんだよ」
彼女の言葉に含まれる二人称がいつもと違う事で、彼女が私とのやりとりの後ろに違う誰かを見ている事が分かった。彼女の言葉は私でないその人に伝える言葉だったのかもしれない。そして、もう二度と言葉を伝えられない事に絶望したんだ。
私は王宮側に戻る事にした。
テティスに背を向けたカミラは、それでもテティスを見ていない訳ではなかった。
「王家が姉を罠に嵌めた事くらい分かっているだろうに…それに加担したあたしを憎んでいるだろうに…それでもあたしが機嫌を損ねているとみると、必死に謝るなど…」
「ジュディスの様に、次の聖女もまた自分の事より他人の事を優先する女なのか…そんな風に苦しむ女をこれからも見続ける、これが友人のふりをしてあんたを妬み続けたあたしに対する、あんたと神からの罰なのか…」
「そんな事はありません!お二人はあんなに仲がよろしかったではありませんか」
「カミラ様が次の聖女を見ていてくださるから、ジュディス様も安心してお休みできたのです」
カミラの助手達が何を言っても、立ち尽くし俯くカミラの心が動くことは無かった。
この老女にとって、聖女ジュディスに自分の死に水を取ってもらう事が確定事項の筈だった。その時に言うと決めていた。
『あんたをずっと妬んでいたんだ。悪かったね』
その謝罪を伝える前に、ずっと近くにいたその女は先立ってしまった。ジュディスの死からずっと、謝罪の言葉を伝えられなかった事がカミラの心に突き刺さった短剣だった。
老いるという事は老成する事でもなく、ただ枯れる事でもなく、積み重ねた思い出の中の後悔を抱えながら生きながらえる、そんな事かもしれない。
クッキングナイフ→キッチンナイフ 7−6も修正しました。包丁です。
例の話題の作品は、『兄が病気』『世をはかなんで皆を道連れ』というところがパクの指摘点だそうです。別に兄弟姉妹が憎みあい殺し合う話なんて普通だから、そこまで重視しなくて良い気もしますが。例えば冤罪を受け入れない妹を逆恨みした姉が刃物を向ける、こんなのなろうでは本当に山ほどありますが…一応、明日以降その理由は投稿する予定です。バカだから恨むなんて理由じゃないです…セシリアは…バカだから恨んだ気がしますが(汗)




