7−5 平和な時間に落ちる影
聖女教育の報告をファインズ家にする必用がある為、その日はファインズ家のタウンハウスに向かった。タウンハウスで馬車から降りる私を、スザンナ夫人が迎えてくれた。
ぎゅっと抱きしめた後、夫人は口を開いた。
「お疲れ様。気疲れしたでしょう?着替えてお茶にしましょう」
「ありがとうございます」
確かに疲れた。そんな事を気付ける様な場所にこのタウンハウスがなったのは、このお義母様とお義姉様のお陰だろう。
そのファインズ家に当主グレゴリー・ファインズが帰宅した直後、テティスの聖女教育に同行した侍女シルビアから報告があった。
「テティスお嬢様は与えられた課題をこなし、何らかの叱責等を受ける事はありませんでした。自信の無さそうなお嬢様に対し、カミラ様はむしろ励ましてくださりました」
「まあ、まだ初回だからな。今後に何か問題がある様なら、知人の聖魔法師に相談して自主練習なども考えよう。ありがとう。次も頼む」
夕食の席では、侯爵から話を振られた。
「それで、カミラ様はどんな方だった?」
えっ?教育内容じゃなくて?
「ええっと、魔獣討伐演習の際には毒舌な面もあったのですが、今回の教育の際には真面目な姿勢と砕けた姿勢を見せていただき、親しみやすいとまでは言いませんが、質問すべき事は質問して、私の問題点を理解していただいた方が良いと思いました」
「そうだね、教育を受ける側と教える側のコミュニケーションが取れている方が、教育の進行は早いだろうからね。あくまで生徒であるから敬意を抱く必要はあるけれど、必用な事は流さずにお伺いする事を忘れずに教育を受けるといい」
「はい。分かりました」
「それで、印象に残る指導内容は何があったかい?」
「やはり、指の腹を針で刺して、その傷を治す様に言われた事ですね」
「ははは、乙女の柔肌を傷付けるとは何事かと言う訳か」
「いえ、やはりちくりとだけでも痛いから、気持ちの良いものではなくて」
「まあ、そうだね。あまり自主練習を進められる事ではないけれど、もし小さい傷を作ったら、練習のつもりで治してみるといい」
「はい」
食後のお茶の場で、ここまであまり話をした事がない義弟達からも話しかけられた。次男のノーマンは水属性だ。
「テティスお義姉様、治療魔法は水魔法と違うのですか?」
「そうね、水魔法の強化魔法とかと少し似ているかな?でも、感覚的なものだからね…」
三男のキースはそれこそまだ子供だけれど、聖魔法には興味がある様だった。
「風属性と聖属性は違うの?」
「ごめんね、風属性はよく分からないの。でも、呪文で起きた魔法を魔力でコントロールするのはきっと一緒ね」
「ねぇ、カミラ様とか、聖魔法師の人達はやっぱり清らかな人に見える?」
「…カミラ様は厳しそうでもあるけど、気さくな面もある様ね。他の方々は真面目そうだったわ」
年少の子達とここで話せたのは良かった。少しだけファインズ家との絆が強くなった気がした。
翌日にはジェラルドがサマセット公爵家のタウンハウスに遊びに行くと聞いた。
「え、そんなに仲が良かったんですか?」
オリビアお義姉様も少し呆れ気味だ。
「魔獣討伐演習からまた急に仲良くなったみたい」
「あ~…」
「何か思い当たる事があった?」
「途中でプリシア様の後ろをジェラルドお義兄様が歩いていたから…」
「ああ、昔と同じなのね…」
二人とも女性と男性は同権であって欲しいと思っているけれど、身近な男性が女性の尻に敷かれているのは少し悲しくはあった。
日曜の夕食をファインズ侯爵家のタウンハウスで終えて学院に戻った私に、ヨハンから呼び出しがあった。特別室でリーゼの入れてくれたお茶を口に含むと、ヨハンが話題に入った。
「お前に伝えておかないといけない事があってな。闇魔法の人体に及ぼす影響についてだ」
「…セシリアやダミアンの調査結果?」
「そうだ。ダミアン・カペル達、闇魔法の影響を受けた者達は、脳の後方下部にある魔法器官に腫瘍が出来て、魔力を殆ど失った」
「腫瘍!?まさか開頭したの!?」
「聖魔法の診察による。異質の細胞が増えていて、元々の機能を殆ど失ったのだろう、との判断だ。同様に脳の左側に腫瘍が出来ていた」
左脳は論理性などを司る部分だと言われる。
「それじゃあ、話が出来なくなった?」
「話は出来るが、知能は10才児並みとの事だ」
水気が真っ黒になったのは、闇魔法の影響を強く受けたからだったのか…ダミアン達も思う様にならない苛立ちを感じていたかもしれないが、セシリア程明らかではなかった。
「そして、闇魔法師の脳には実際に腫瘍が出来ている事が確認された。脳の多くの場所に腫瘍が出来た。これがこのまま増えると人外に変わるのかは確認しなかった。闇魔法が大聖堂で蔓延する可能性があったからだ」
『実際に』『確認した』『人外に変わるのか確認しなかった』その単語からは、対象が既に生きていない事を示していた。
「まさか、解剖したの!?」
私がヨハンを見つめても、ヨハンはテーブルの天板を見つめているだけだった。それが解答だった。
くりっとした目の可愛い娘、それが第一印章だった。性格は良いとは言えなかった。実際、私を引き摺り下ろして特待生になるつもりだったし。でも、体中を引き裂かれて、内臓を切り刻んで観察される程の悪い娘だったのだろうか…私達聖魔法師には人の中身がある程度分かる。あれを机の上にぶちまけられて観察される…
「テティス」
ヨハンが顔を上げて私を見ている。顔を上げてヨハンを見ようとするが、ぼやけて見えない…
「テティス、聖魔法師が道を誤れば、末路はこれだ。怒りや憎しみに囚われない様に注意しろ。俺達王家の人間でも、闇魔法に関する処置について、教会を止める事は出来ないんだ」
私が感情に囚われて闇に落ちても、助ける事は出来ない、そういう事か。ヨハンなら止めるふりくらいはしてくれるかもしれない。リチャード殿下なら平気で解剖するかもしれない。
実験机の上に広げられた生き物の死体の中身を、教会の人間とアカデミーの人間が指さして議論を続ける風景が目に浮かぶ…
何と挨拶して席を立ったか覚えていない。リーゼが私を部屋まで連れて行ってくれた事だけは覚えている。
金曜はお休みします。土曜に続きを更新予定です。ちょっと地味かな、この章は。




