5−9 王立図書館 (7)
王立図書館の医務室は広かった。客が多いから、気分が悪くなって横になる人も多いのだろう。あの騎士に斬り返されたアイスランスの破片が頭を打った筈だけど、医者は湿布を貼ってくれなかった。隣国の王子最優先で、しがない特待生如きは自然に治せと言う事らしい。社会は理不尽な格差に溢れている。
格差か…ああ、あの日のサマードレス…いつか、今度こそ素敵に清楚なサマードレスで男を魅了してやる…ヨハンが大笑いしそうな話だけど。
ヨハン…私が見た感じでは内臓も活発だったから死にそうにはなかったけれど、後遺症が残ったらどうしよう。重症になってしまったら、どうやって償えば良いか分からない。私のミスからこうなったのだから。
まだヨハンの魔力に酔った症状から頭が回復せず、ぐるぐると思考が纏まらない中、そのヨハンがやって来た。騎士グスタフに肩を借りて。
「ヨハン!大丈夫なの!?」
「まあ、死にそうにはないし、医師は水を多く飲んどけとは言っていた…毒を吸い取ってくれたそうだな?触るなと言ったのに?」
「だって、医者が来る前に毒が回っちゃうよ。とりあえず傷口を水で洗い流したんだけど、どうやら異物が分かりそうなのでやってみただけ」
「全く、普通は叱るところなんだがな。見えるんじゃあ仕方がない。良くやってくれた。礼を言う」
「その前が駄目だったから、礼には及ばないわ。本当は、私は最初にアイスウォールで自分達を守らなければいけなかった、そうでしょう?」
「次はそうしてくれ。今回は辻褄が合ったから問題ない。良い経験をした、と記憶しておくと良い」
「肝に銘じておくわ」
「ところで、俺の毒はどこまで回っていた?」
「血液の流れに沿って、内臓の一部に溜まってた。それを血液の中の物質で囲んで傷口近くに回して、吸い取ったの」
ヨハンは眉間に皺を寄せて暫く悩んでいた。いや、出来る事をやっただけだから、悩まないでよ。
「大分手間をかけさせたみたいだな。悪かった」
私が悪かったから、と本当は謝りたかったけど、もうヨハンは謝罪を望んでいない様に見えた。だから違う言葉でこの気持ちを伝えた。
「ヨハンには色々世話になっているから、それをちゃんと返すまで長生きしてよね」
そう言うと、ヨハンは今までで一番優しく微笑んだ。ヨハン、そんな優しい顔で女の子に微笑んじゃ駄目だよ。普通は勘違いする。私はあなたの本命が聖女だって知っているから勘違いはしないけど。
「お互い童顔だからな、老いさらばえて死ぬまでには時間がかかりそうだ」
「ヨハンはすぐ男らしい顔になるわよ。中身は男らしいんだから」
「お心遣いに感謝するよ」
「本当にそう思ってるんだけど…」
そこでお互い言葉が止まった。誰かに聞いて欲しい事がある…でも、単なる特待生仲間に過ぎない私とヨハンの関係で、これを口にするのは気が引ける。すると、ヨハンから尋ねて来た。
「どうした、何か言いたい事があるのか?」
「うん…誰かに聞いて欲しい事はあるけど、私事を聞かされてもヨハンは迷惑かな、と思って」
「北の別荘でお前は俺に、リアンナと仲直りする様に言ったろ?あの時はリアンナに『リチャードに対する愚痴でも聞いてやるから何でも話せ』と言ってある。仲直りする様に言ってくれたお前の愚痴でも何でも聞いてやらないと不公平だろ。言ってみろ」
「うん…三年前の夏の話なんだけど、問題の一つはあの男が私とは適当に話していたのに、通りがかったエリザベスお姉様は口説き始めた事。その違いが、私とお姉様を見比べる人達の評価の差を表している様に思うの。でも、それはまあ良いの。それが本当の事なら、受け入れないといけないから」
「とりあえず続けろ。話し終わったら俺の意見を言ってやる」
「うん。実はその避暑地で、私は浮かれていたの。それまでは長女のお古の服ばかり着ていたのだけれど、初めて私様にサマードレスを買って貰えたから。それは私の事を思っての事ではなく、その地で行われるお茶会で決まったお姉様の婚約者と顔合わせをする時に、妹があまり古い服を着ていると話が壊れるのではないか、そういう体面を気にした事だったと思うの」
「しかも、あの男がお姉様を口説いたのを見てホテルに帰った私が改めて見ると、サマードレスは布地が安そうだったのね。だから、そんな事も分からずにはしゃいでいた私は、両親やお姉様から見たらやはり子供と嘲笑われていたのではないか、と後から落ち込んだの。あの男を見ると私が嫌な気分になるのは、つまり幼くて何も分からなかった自分を思い知らされて、あの時同様に私を扱う人を見ると、私が相変わらず取るに足りない人間なのか、この三年で何も変わっていないのか、と悲しくなるの。多分、それを知っているベスお姉様は嫌がらせであの男を私に会わせたのでしょうけど」
「最初は私を殺したい程憎んでいるかと思ったのだけれど、今となっては、ベスお姉様もあの男も、ヨハン暗殺に利用されただけなのでしょうね」
もう、私は涙を止められなかった。そして、ヨハンはハンカチを出してその涙を拭いてくれた。
「まず、お前の姉とあの男が利用されたのは確かだろう。あの人数なら俺と女二人を殺すぐらい簡単な事だ。お前が正気に戻らなかったらな。俺達三人とあのエリックという男の死体が並んでいれば、エリザベス・カーライルに唆されたエリックが三人を殺して自害した、と噂されるだろう。後は貴族議会でカーライル家とあの男の実家を糾弾すれば良い。それ以外の意見は論点ずらしと批判されてしまうだろうからな。総領事の騎士一人が様子がおかしかった件、これは調査待ちだが、万一誰かが生き残った場合に止めを刺す役目だったんだろう」
「うん…そうか…そうだね」
「もう一つ、お前にとって大切な話題だが。お前の価値が分からない奴等の事など気にするな。期末ダンスパーティ用に、最高の布地でドレスを作ってやると言ったろう?その最高のドレスを着て、お前がそんな最高のドレスが似合う最高の女だと皆に見せつけてやれ。それでもう、三年前の事で悩む必要は無くなる筈だ。お前はもう取るに足りない女じゃあないんだ」
そんな事を言われたら、嗚咽が止まらなくなるじゃないか。ヨハン、本命以外に優しくし過ぎちゃ駄目だよ…
『今までで一番優しく微笑んだ』ヨハンが心の中で呟いた言葉は
「お前は本当に呑気だな。人一人の命を救っておいてそれかよ?」
だったらしいです。
5−8はやはり抜けがあったので、解毒の話の後と「おい、ヨハン」の間に会話を挿入しました。お暇な時にチェックをお願いします。




