5−8 王立図書館 (6)
「糞っ!エリックと賊が協力してヨハンとテティスを殺した後にエリックも殺して、エリックが邪魔なヨハンを殺した後にテティスを殺して自害した事にして、指示したと思われるエリザベスのカーライル家、そしてエリックのバーナーズ家、そしてエリックを解放して見失った王家までも糾弾する、そういうシナリオか!」
やって来て陣頭指揮を取っているリチャード王子が喚いた。
これに対してヨハンの護衛隊長のカールが口を開いた。
「皆殺しにしてしまえば証拠もありませんが…」
「証拠がないからこそ好き勝手に疑惑を振り撒ける、そういう奴だ、アンドルー・ラッセルという男は!真実などどうでもいい、政敵を取り除く為なら嘘でも何でも使う奴だ!奴ならテティスが手引きしたとまで言い出して、ファインズ家まで糾弾しかねない!」
「それではシナリオが成立しませんが…」
「だから、出鱈目でも何でも相手を貶せれば良いんだ!プライドのない男は誹謗中傷で人を貶めて喜ぶものだ!」
「しかし、ラッセル侯爵が関わっているという証拠もありませんが…」
「王領の検問所に賊の手先がいるのは明らかだ。そして、エリックを王領からこちらに秘密裏に移動させられる組織力、王都の検問所と王立図書館の職員を複数利用出来る政治力、全てはこの凶行の背景にいる者が大物である事を示している。しかも、シュバルツブルグ帝国の第二王子派と渡り合える人物、この王国内でそこまで平気でする男はラッセルしかいない」
カールも渋い顔をした。
「第二王子派の依頼である事は確かでしょうね。アルブレヒト陛下は王子達を競わせる意図がありますから、ヨハン殿下を暗殺するとは思えません」
「私ならヨハンを推すがね。第二王子殿は陰気が見える。知らずに恨みを買いそうで、付き合いたい相手ではない」
「そう言って頂けて殿下もお喜びでしょう」
「本人が聞いたら揶揄われそうだがね」
リチャード王子もヨハンの騎士隊長のカールも、対処方法を決めかねていた。ヨハンとテティスの聖魔法師と医師による診察が終わり、二人の容体がどうかで処分が変わる。その診察を今行っているところだった。賊はエリックを含む襲撃の実行犯が6人、支援者が2人、その内1人が死亡、職員と警備の者が合計6人行方不明だった。
第一騎士団から報告が来た。
「逃走した職員・警備の者は王都の検問所に簡単な似顔絵を回しておきました」
「まあ、遠からず下水に浮かぶだろうな。使い捨ての職員を態々逃がす手間はかけないだろう」
「関係した者の足が付きますからね。しかし規制しない訳にもいきません」
「そうだな」
リチャード王子も職員達が生きて捕まるとは思っていなかった。
賊達は厳重な警備の上、王宮の外壁内の牢獄に移した。
「複数名、凍傷の恐れがあります」
「最低限の応急処置だけしておけ。却って逃亡防止になる」
賊を氷から解放する為に派遣された水魔法師は嘆息したと言う。
「たった一人で賊6人を倒して氷漬けですか…」
時間があれば他の水魔法師でも可能だろうが、6人同時となると尋常ではない。ヨハンの護衛達も、ファインズ家の侍女シルビアももう見慣れたものだが、初見の人間達は魔法学院の特待生の異常さに驚いていた。
ようやくリチャード王子やカール達が待ち望んだ治療班の人間がやって来た。
「二人の様子はどうか?」
医師が聖魔法師の方を見た。仕方なく聖魔法師が応えた。
「申し上げますが、お二人に施すべき治療法は既にありません」
「何だとっ!」
カールその他のヨハンの護衛達がいきり立った。
「どういう事だ!?アングリア王国は帝国と事を構えるつもりか!?」
聖魔法師は慌てて言葉を加えた。
「いえ、もう治療が出来ない状態だと言う意味ではありません。治療を加える必要がない、と言う意味です」
「どういう事か?」
リチャード王子も尋ねた。
「ヨハン殿下の毒については、血液と傷付近の体液を調査しましたが、既に中和剤などが必要な濃度以下になっております。テティス嬢については、頭部に打撲がありますが、かなり治療が進んだ状態です」
リチャード王子が再度問うた。
「それはどういう事か?」
そこに後ろから声がかかった。
「それ以上は箝口令だ」
それは騎士グスタフに肩を借りて漸く立っているヨハンの言葉だった。
「ヨハン、大丈夫なのか?」
「情報統制上発言が必要だろうから起きて来た。まあ、多分問題ないだろう」
ヨハンも少し息が荒い。とりあえず付近の者が椅子を持って来て、ヨハンを座らせた。
「で、所見を述べたのは聖魔法師か?」
「はい。王宮付聖魔法師です」
「まず解毒の魔法について説明してくれ」
「はい。まず聖魔法による治癒の説明から致します。人間その他の魔力を持つ生き物の場合、体内は魔力で満ちており、それが体外に影響を及ぼし、空気中の魔法子という魔法伝搬物質に干渉し、魔法現象を起こします。ですからほとんどの人の体内魔力は体外への魔力に対して極めて大きく、だから人間の体内に他人が魔法で影響を与える事はほぼ出来ません。水魔法師は人間の表層の水分に影響を与える事で弱い治療を行えますが、体内深くに治癒魔法を行使する事は出来ません」
「ところが例外があり、それが聖魔法と闇魔法となります。聖魔法は人間の体内へも深く浸透し、治癒を行います。闇魔法については教会以外の者が知識を得る事が禁じられている為、私からは話せません」
「それで、そろそろ解毒について説明してくれ」
「はい。そういう訳で聖魔法は人間の体内に浸透しますが、魔力を強く浸透させる事は出来ません。だから、治癒魔法というのはあくまでその人間の体内の治癒力を使用する事になります。ですから、解毒、と言う事は本来出来ません。人の体内で分解出来ないから毒と呼ばれる訳ですから。よって、特に鉱物由来の毒物には治癒魔法はほぼ無力です。もちろん、抵抗力を高めて影響を低くする事はできますが、鉱物由来の場合、組織を壊死させる事が多く、抵抗力では如何ともし難い事が多いです」
「今回使われた毒は生物系と聞いたが?」
「その点については医師から回答して貰います」
「はい。押収した剣に塗られていた毒を試薬で検査したところ、既知の植物由来の毒に近い反応が出ました。ただし、通常より弱い反応だった事、一方、ヨハン殿下は麻痺・失神まで起こしていた為、毒の改良により変質され、毒が強くなっていた可能性があります」
「その様に変質しているから、俺の体内から毒素が検出され難いのか?」
「いえ、血液の変質が見られない事から、毒素は充分薄くなっていると考えられます」
「つまり、俺の体内には充分な量の毒が入り込んだが、今はもう充分薄くなっている。それなら、その理由は何だと思うか?」
「応急処置が良かったと考えます」
「カール、応急処置は誰がした?」
「テティス様が毒を吸い出した、と仰っておりました。それ以降は医師の到着まで傷より上の部位で腕を縛る以外の事はしておりません」
ヨハンは眉間に深い皺を寄せ、暫く黙っていた。
「聖魔法師に聞く。そんなに上手く、毒を選別して吸い出す事が出来るのか?」
「今回の毒が既知の毒の改良版と思われる事から、充分な経験を積んだ聖魔法師なら対処が可能かもしれません」
「もう一つ、一般には魔力が強すぎるとそれもまた聖魔法の通りが悪くなると言われているが、この国で国王レベルの魔力を持つ者を治療出来る聖魔法師はどれだけいる?」
「生前でしたら先代聖女様が、そして聖女様のお師匠様にして相談役であられるカミラ・アビンドン様とそのお弟子様の数人、そして大聖堂の治療部の副部長がその様なお役目には対応されていると伺っています」
つまり、国王または王太子並みの魔力を持つ者の毒の応急処置を出来るとしたら、この国屈指の聖魔法師という事になる、この場の全員が認識を共有した。
「おい、ヨハン」
リチャード王子が険しい顔で口を開いた。
「お前、知っていたのか?」
「知る訳がない。疑っていただけだ」
「何をだ?」
「あいつは強化魔法を1時間も使って平気な顔でいるんだ。強化魔法で痛んだ筋肉を強力な自然治癒で治しているのではないか、と疑っていた」
「何で言わなかった?」
「証拠がないからだ。北の魔獣討伐でも、魔獣が死ぬ前に体内状況が分かるかどうか確認したが、魔獣が死ぬまで体内の状況は分からないと言っていた。死ぬ前に体内状況が分かるなら聖属性持ちと言えたのだがな」
「一応、信用しよう。それで、ヨハンは彼女が聖女候補と考えるのか?」
ヨハンは少し黙った後で、リチャード王子と視線を合わせて、口を開いた。
「リチャード、他の女が聖女候補筆頭になったなら、お前が口説け。その代わり…」
ヨハンは暫くリチャード王子を睨んでいた。リチャード王子が視線を落として口を開いた。
「良いのか?間違っていたら国に帰れなくなるんじゃないか?」
「その時は外交官になるから国には二度と帰らない、とでも言うさ」
「良いのか?」
「実は、悩んでいた。他の女と付き合っても、必ずあいつと比べると思ってな」
「それは不味いな。一番女に嫌われる事だ」
「あいつが弱っている時、ヨハァン、と呼ばれて、体が震えた。全部投げ出してあいつを助けてやりたい、と思ったんだ。もうずっと前から惚れていたらしい」
「まあ、そういう生き方もあるか」
「以前の俺ならそんな道は選ばなかったんだがな」
「私なら今でも選ばないさ。まあ、いざとなったら就職先くらい探してやる」
「恩着せがましく聞こえるが…まあ、ありがとうと言っておく」
文字表記では『ヨハ…ン』と書きましたが(2章)、口で読むと『ヨハァ…ン』となりますね。ちょっと甘えてる様に聞こえるかもしれません。
本話は週末に書いたのですが、日中に「あ、このままじゃ駄目だ!」と思って、投稿直前に改稿しております。大穴が空いてるかもしれません。変なところがあったら済みません。




