4−4 王領の街で
その日の夕飯はとても食べられる状態じゃなかった。部屋に持ち込まれたスープでさえ戻してしまった。そして、翌日の朝食に出て来たのはサラダとパンだけだった。
それでも私の顔を見たヨハンの言葉は好意的なものだった。
「少しはマシになった様だな」
「そう?」
「保安上、俺は行けないが、王領の商店街でも見てみたらどうだ?気分転換にはなるだろう」
「侯爵家からお小遣いは貰ったけど、とても使う気にはなれないわ」
得た物には代償が付きまとう、それを昨日知ってしまったのだから。
「貧乏性だな」
「その方がお金が貯まって良いでしょ」
「景気よく使って代わりに利益を得るのが貴族のやり方だがな」
「いずれそういう技術も身に付けるわ」
「そうしろ。前向きに考えるんだ」
「うん」
私が落ち込む事もヨハンの計算の内なのだろう。彼は乱暴な喋り方をするけど、色々考えている筈なのだから。
明日は平気な顔をして魔獣を狩らないといけない。とにかく特待生として三年間を過ごさないといけないのだから、それ以外の事は二の次と考えないといけない。だから、平気な顔をして商店街を歩く事にした。
今日は三人共、侍女の姿でゲルダ、リーゼ、シルビアが付いて来るその前を歩く。商店で木彫りの彫刻が売っているのを見つけた。どこぞの公爵領でも売っていたけれど、山間部だとやはり木を利用した商品は名産となるのだろうか。
そして、この商店街以外では見かけない、何かの皮を加工した製品を売っている店があった。
「これは何の皮ですか?」
「オオトカゲの皮だね。魔獣の一種で、防具になるんだ」
巨大トカゲをアイスランスで攻撃して歯が立たない未来が見える…今から槍でも習った方が良い気もしてきた。
ぶらぶらとお店を見て回る。北の果ての王領に来る客は少ない。つまり、ここのお店は騎士団相手か、騎士団の者に会いに来た客相手の商売なんだ。その数少ない人の中で、遠くに見えた水気が何らかの感情をこちらに向けてくるのを感じる。
こちらにまっすぐに歩いて来る人は、黒髪の若年男性だった。私の後ろには本職が女騎士と思われるゲルダがいる。私が何らか特殊な行動を取れば、きっと警戒している事に気付くだろう。その人との距離が40ftを切ったところで、私はその場で左足を二回踏み、近くのお店の陳列品に向かって立ち止まった。ゲルダを含めた三人の侍女姿の女達の水気が緊張感のあるものになった。騎士はともかく、二人の良家に仕える侍女も優秀なんだね…
横目に見える黒髪男性は、明らかに作り笑いを浮かべて近づいて来る。何か凄く気持ち悪い雰囲気を纏っている。水気じゃなくても、見た目でも分かる。背の高い侍女風の女、ゲルダがその男と私の間に立つ。黒髪男性は中肉中背という感じで、すっと背筋を伸ばしたゲルダの方が気持ち背が高く見える。
そのゲルダの横をすり抜けようとする黒髪男性を、ゲルダが腕を横に伸ばして制止する。
「失礼します。お嬢様が商品を見ております。少々お待ち頂けますか?」
黒髪男性は作り笑いをひきつらせながら言った。
「邪魔しないでくれ。ねぇ、君、久しぶりだね。少し話しをしたいんだ」
そう、私もこの人が何となく知っている人ではないか、と思っていた。記憶にないんだけど。
多分、答えなければこのままゲルダが制止してくれるだろう。何より、ここに私が来ているのを知っている人は限られている。ヨハン関係者のゲルダ、リーゼ、ファインズ侯爵家関係者のシルビアが知らない人が知っている筈が無いんだ。怪し過ぎる。だから、ゲルダも通すつもりが無い様だ。
「お嬢様はそういう意思はお持ちでないご様子。お控えください」
「五月蠅い!ねぇ、君、テティス・カーライルだろう?あの夏、話をしたじゃないか!」
…情報が古い。そしてカーライル家の地元民なら、領主の娘にこんな話し方をしない。『あの夏』と言い、相手の迷惑を考えずに話を進めようとする男…そうなるとグラントン公爵領で話したあの男なのだろうか。その男がこんな北の外れまでやって来る理由が分からない。だから、ゲルダに阻止して貰うのが良い。
「ゲルダ、知らない人です。気を付けてください」
女騎士に素人が注意を促すのも何だけど、意図が不明な不審者だから仕方がない。
「何だその言い草は!お前のせいでエリザベスさんの結婚が駄目になったのに、何とも思ってないのか!」
あなたもベスお姉様が誰かと婚約するのを嫌がっていたと思うけど。完全にあの男だ。この相手に配慮せず自分の感情論を押し付ける身勝手ぶりは三年経っても変わらないらしい。
横目に見る黒髪の男は、ゲルダの腕を押し退けて私に近づこうとした。だからゲルダはその男の腕を掴んで、足でひっかけて倒した。
「何をする!」
「お帰りください。お嬢様はあなたと話をしません」
男は走り出してゲルダを迂回しようとしたが、そこにはリーゼが待っていた。リーゼは男の腕を掴んで、腰を折り曲げて腰の上で男を転がし、そのまま地面に落とした…リーゼも護身術の心得があるらしい。怒らせるのは止めよう。
「くそっ、邪魔をするな!」
男は不屈の闘志を持っていた。つまり、私に対してそれ程怒っていたんだ。まあ、三年前から思い込みの激しい男だったから、誰かに使嗾されればこんな風になってしまうんだろう。
そうして男はリーゼとシルビアの間をすり抜けようとした。シルビアは男の腕を掴んで後ろ手に拘束し、地面に押し倒した…シルビアはどうやらファインズ家が私に付けた護衛だった様だ。そういう事は事前に教えてよ。
「馬鹿野郎!そんな悪魔を庇うお前らも悪党だ!」
男は何が何でも自分が悪と思う相手に正義の鉄槌を下したいらしい。何がこの狂信を生むのか。間違いなく、間違った情報を与えられて憶測と感情論で結論を出すからだろうけど。
ここは第三騎士団の生活圏だから、すぐに騎士が飛んで来て男を詰所に連れて行った。三人の侍女風の護衛が集まって来て言った。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「お陰様で問題ありません。ただ、戻って彼に報告する必要があります」
だから、私達は急いで王家の別荘に戻った。
避暑地の出来事、という思い出したくない思い出の相手ですね。腰から落とされて、普通の男性はすぐ立ち上がれるものですかね?不屈の闘志のお陰かな?
すいません、4章が思ってたより長くなりそうです。5章が短いから良いかな。




