2−12 養子縁組
水曜の日中までに養子縁組の書類が処理され、私の家名がカーライルからファインズに変わる事になった。
火曜にファインズ家の侍女が洋品店の店主を連れてやって来た。とりあえず既製服を簡単に手直しして水曜の顔合わせ用の衣装としてくれた…洋服の所持状況までファインズ侯爵家にバレている…個人的には果てしなく恥ずかしいんだけど、結局最後まで実家はその点を配慮してくれなかった。
両親が何を考えているのか聞いてみたいと思わないでもないが、要するに飼っている動物には餌さえ与えておけば良いという程度しか私に関心がないんだろう。
水曜の夕方にはファインズ侯爵家の馬車がやって来た。意外と装飾は控え目だったが、車内の手入れは行き届いて綺麗な馬車だった。侯爵家の正門で侍従が私の手を取って降車を手伝ってくれた。しがない養女にも手を抜かない、使用人教育が行き届いているのだろう。とりあえず客室に案内され、メイドの手によりこの間に合わせた既製服に着替えさせられた。
そうして案内された応接室は、毛足の長い敷物が敷かれ、品の良い年代物の調達品が揃っていた。座っていた男性が立ち上がって近づいて来た。薄い金色の髪と、中年になってもほっそりした体と顔は、長男のジェラルドに似て、さらに年輪を重ねた人間の深みを感じる。
「ファインズ家へようこそ。私が当主のグレゴリーだ。君には養女となって貰った訳だが、実子と区別するつもりは無い。言いたい事は何でも言ってくれ給え」
「寛大なお言葉ありがとうございます。テティスです」
「ははっ、今言った事は本当に言葉通りの意味だよ。君の二つ上に娘がいるんだが、気に食わなければいくらでも文句を言ってくるので慣れているんだ。意思疎通は大事だから、そう考えてしっかり話をして欲しい」
「ありがとうございます。悩む事がありましたらご相談致します」
「ああ、そうしてくれ。では家族を紹介しよう。スザンナ、おいで」
私より少し背が高くほっそりとした女性が歩み寄って来た。主人より少し金髪の色が濃い気がする。表情は柔らかい。
「妻のスザンナだ。タウンハウスの事はスザンナが取り仕切っているから、部屋の事、服の事などはスザンナに相談してくれ」
「スザンナよ。お母様と呼んで頂戴ね」
「はい。お義母様」
「ところで、お部屋はどうする?暫くは寮にいた方が便利かしら?」
我が童顔同盟の仲間の顔が浮かぶ。彼の都合を聞いてから答えたいが…
「差支えなければ、夏休み前までは寮で暮らしたいと考えております。週末にはこちらに顔を出したいと考えておりますが、通学時間を考えると普段は寮暮らしが楽と考えます」
「そうね。メイドを一人出しましょうか?」
「学院の行事でドレスアップが必用な場合はお願い出来ますか?」
「そうしましょう。それでは、そういう事も週末毎に相談しましょう。後、何か用事が出来ても今週末は断ってね。あなたの衣装を揃えないといけないもの」
「はい、分かりました」
そう言いながら、心の底にぶら下がっている綱が心細げに揺れている気がする。そしてスザンナお義母様は人の心の機微に敏感な方の様だ。
「何か気になる事があるの?」
言って良い事だろうか…それでも、これを失うと本当に錨を失った船になってしまう気がする。ぎゅっと瞳を閉じてから、瞳を開けてお義母様を見て言う。
「その、今学校に着て行っている制服と、私服を一着はしまっておいてもよろしいでしょうか…」
お義母様は私を軽く抱きしめた。
「ええ、勿論よ。思い出を大切にする、それは自分を大切にする事と同じですもの。何時までも大切に取っておいて良いのよ」
「ありがとうございます」
話に一段落付いたのを見て、お義父様が口を開いた。
「では、次は長女のオリビアだ。オリビア、おいで」
ぱっちりした瞳の年上の女性が歩み寄って来た。
「初めまして。長女のオリビアよ。是非お姉様と呼んでね。世の中の男共に対するあらゆる文句を沢山話し合いましょうね!」
オリビアお義姉様はぎゅっと私を抱きしめた。情熱家なのだろう。見た目もそうだし、何となく体の中から大きな熱が漏れ出ている様な気がする。
「よろしくお願いします。オリビアお義姉様」
「私の前では猫を被る必要は無いからね!あの糞生意気なジェラルドへの文句ならいくらでも話し合えるから!」
これには後ろに座っていたジェラルドから声が上がった。
「姉上、真面目なテティスを感化させないで欲しいぞ」
「こんな風に、必ず言い返して来る生意気な奴なのよ」
「学院では真面目な方なので…」
そう言うしか無かった。実際、真面目な面しか知らないし。
ここでお義父様が割り込んだ。
「まあ、ジェラルド評はまたにしてくれ。では、そのジェラルド、おいで」
ジェラルド・ファインズは微笑みを浮かべて歩み寄って来た。うん、この顔で話しかけられたらよろめいても仕方が無いよね。
「ご存じの通り、この家の長男のジェラルドだ。同級生だが、私の方が生まれが早いのでお兄様と呼んで欲しい」
「分かりました。ジェラルドお義兄様」
「やかましい姉とやんちゃな弟に囲まれて、ずっと可愛い妹が欲しいと思っていたんだ。願いがかなって嬉しいよ」
オリビアお義姉様から怒りの念が飛んで来た。激情家だなぁ…
「お義兄様が恥ずかしくない義妹になれる様、努力致しますね」
「まあ、そう固くならないでくれ。本気で何でも相談して欲しいんだ」
なるほど、報告・相談は重要だ。本当の信頼関係を築く為に。
「はい。何かと相談させて頂きます」
「では、次。君の三才下の次男、ノーマンだ」
領地の叔父様と同じ名前だ。
「ノーマンです。テティスお姉様は水魔法が得意だそうなので、時々僕の魔法を見て貰えると嬉しいです」
これに対してお義父様から言葉が加えられた。
「ノーマンは水属性で、家庭教師を付けてはいるんだが、まあ教師に何でも相談出来る訳でもないので、教師と無関係な人と相談出来ると有難いんだ。時間があったらで良いので、たまには相談に乗ってやってくれ」
「なるほど、分かりました。私も周囲の人間に助けられて勉強して来ました。年下の人の努力を手助け出来たら嬉しいです」
「最後に、5才下のキーズだ」
「キースです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
私達は握手をした。11才で5才年上に愛想を振舞く事は難しいだろうから段々仲良くなれれば良いと思う。
帰りの馬車には侍女とジェラルドが同乗して来た。
「どう思った、我が家は?」
「侯爵家と言えばもっと厳格かと思っていたんですが、親しみやすい雰囲気でした」
「まあ、それはそうさ。父には身近な人間とはよく話をしなさい、と度々教えられた。身近な者さえ不満を持つ様な人間に、部下は付いてこないと言う考えなんだ」
カーライル家を考えてみる。父と母は領地にいた時から私と殆ど話をしなかった。レティお姉様とは年齢差があったから話が出来なかった。エリザベスお姉様とは食事の場で顔を合わせるだけだった。なるほど、家族というだけでは信頼関係は構築出来ない。
「血は水よりも濃い、それだけでは貴族は上手くいかないと考えてらっしゃるのですね」
「そういう事だね。弟達はまだ将来を考えていないかもしれないが、知らない間に不穏な関係にならない様に、話しかける様にはしているよ」
「それが良いと思います」
「ところで、テティス。まだ口調が固いぞ。俺達は腹を割って話し合える関係になるべき、と今話をしたつもりだ。気を使うのは止めてくれ」
「本当は俺、が自称なんですね…なのね?」
「まあ、おいおいで良いが、友人並みの扱いで良い。俺も学院内で肩の力を抜ける相手が欲しいんだ」
「まあ、皆あなたの事を『次期侯爵』という目で見るものね」
「まだ普通の16才なんだがね」
「うん。分かった。お義兄様に普通の男の子の顔があると知って親しみが湧いたわ」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
明日はお休み、土曜から3章に入ります。




