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聖女を騙ったと追放された令嬢、精霊王に溺愛される

「ツクモ・アルデミラン! お前との婚約を破棄する!! 無能なお前には愛想が尽きた!」


 城門すらくぐらせてもらえず、階段の下でツクモは呆然と婚約者である王子を見上げる。

 彼は王族の証である碧眼をしていた。

 しかし今、綺麗なはずの瞳は吊り上がり、怒りを露わにしている。


(私は今帰ってきたばかりなのだけれど……。一体どういう状況なの?)


 ツクモは聖女の巡礼と呼ばれる、国を巡り邪気を払うお勤めから帰ってきた直後だ。

 後ろには同じく帰還した付き人の騎士や神父達もいる。

 そのため、いきなり告げられた婚約破棄に付き人達がざわめいた。


「なんだその恰好は! ボクの婚約者にあるまじき姿だな!」


 過酷な長旅だったため、ツクモの絹糸のような白髪(はくはつ)は見る影もない。

 しかし月の光を思わせる月白の瞳は曇ることなく王子を見つめる。


(予算を組まなかったのはあなたでしょう。って言えたらよかったのに)


 王子の隣には聖女の正装を着た顔の濃い女性が侍っていた。

 彼女は縦ロールの髪を揺らしながら、ツクモを見下ろしていた。

 髪色と同じ真紅の瞳にめらめらと炎を宿してツクモを睨みつけている。

 黄色のドレスを身にまとう彼女は、ぼろぼろな布切れを着るツクモとは大違いだ。

 軽蔑の眼差しを向ける王子に、ツクモは内心ため息をつく。


(あぁ。もっと着飾ってほしかったってこと? 聖女のお勤めをしていると着飾る暇なんてないものね)


 じっと王子を見つめていれば、隣の女性が見せつけるように体を密着させる。

 一瞬でれっと顔を崩した王子だったが、思い出したかのように指を突きつけてきた。


「この罪人め!」

「……罪人? なんのことでしょう?」

「とぼけるな! 本物の聖女はホオズキだというじゃないか!」


 王子の言葉に、ツクモは眉を顰めた。


「図星で言葉も出ないか? この下賤なスラムの民め!! 聖女を騙るなど、反逆罪に値する!」

「……確かに母はスラム出身ですが、私はれっきとした公爵令嬢です。そもそも、聖女の適性があると貴方様の婚約者に担ぎ上げたはずですけれど……私が聖女でない理由とは?」

「ホオズキが聖女だからだ!!」

「? その証拠は?」

「ホオズキ。見せてやれ!」

「えぇ」


 ホオズキは首を彩るネックレスへと手をかざす。

 すると彼女は白色の光に包まれた。


「この白色の魔力は聖女にしか出せないものだ! それにだ! 聖女は一人しか現れないはずだろ? つまり、お前は偽物だということだ!」


 とんでもない理論を展開する王子よりも、ツクモはホオズキの持つ月長石(ムーンストーン)が印象的なネックレスへ視線を向けていた。

 見覚えしかないそれにツクモは眉をひそめる。

 ホオズキの持つ月長石(ムーンストーン)はツクモが城を守るためにと作り、城の部屋に置いていた代物だ。

 神力の込められたそれは、上限はあるが使い方によっては聖女と同等の力を持つことができる。


(あれを使って聖女だと言い張ったのね)


 沈黙が包む。

 付き人達は何を言っているんだと絶句したり呆れたりと様々な反応をしていたが、誰もが口をぽかんと開けていた。


「お前はホオズキに神力を込めたアクセサリーを無理やり作らせて聖女を騙ったそうじゃないか! なんという卑劣な行為!」

「はい?」


 それは今、ホオズキがやっていることではないかと内心ため息をつく。


「本来なら死罪に値するところだが、ボクは優しいからな精霊界へ行くと言うなら見逃してやろう」

「人の話を……。はあ。確かに精霊界への道は数年前に開かれましたが、人間は立ち入りを許可されていません」

「それがどうした?」

「無許可で立ち入ろうだなんて、精霊の怒りを買いたいんですか?」


 過去にも精霊を怒らせてしまった国があった。

 その国に生まれた民は、魔法も加護も一切与えられず一生を過ごしたらしい。

 そして、その国は、もう地図から消えている。


「ふん! 無能なお前にはお似合いだろう。精霊の怒りを買えばいい!」


 ここまで言われてしまえば、嫌でも理解できてしまう。

 彼らはどう転んでもツクモを生かしておく気がないのだと。


(あぁ。そういうこと。自分の手は汚したくないけど、邪魔者は始末したいって? 虫がいいわね)


 ふんぞり返る王子にツクモは呆れ返った。

 しかし、そこまで言われてはこの場に残る方がリスクだと頷く。


「わかりました。婚約破棄を受け入れましょう」

「ふん! お前のその面も今日で見納めだな! おい、魔導士!」


 王子の合図で、彼の後ろに控えていた魔導士が申し訳なさそうに魔法を発動させる。

 魔法に包まれたツクモはお手本のようなカーテシーを行った。

 そして、不敵に笑って言葉を紡ぐ。


「それでは皆様。ごきげんよう」




 ◇◆◇




 一瞬で景色が変わる。

 精霊界は見慣れない花々が咲き誇り、幻想的な場所だと聞き及んでいた。

 しかし、目の前の光景は精霊界に来たのだと微塵も感じさせない。


「辺り一面真っ黒。……瘴気が濃いわね」


 眉を(ひそ)めたツクモが一歩進む度に淀んだ瘴気が揺れる。

 ここがどこかすらも把握できないが、瘴気が濃い場所へと進んで行く。


「精霊界がこれほど瘴気を溜め込んでいるなんて……」


 そもそも精霊界と人間界には互いが行き来できないようになっていた。

 たまに子どもが精霊界に迷い込むことはあっても、すぐに人間界へと返される。

 ここ数年そのようなこともなくなり、精霊界へ続く道は開いたままになっていた。


「精霊王はどこにいるのかしら?」


 浄化の力はなくとも、瘴気の進行を遅らせることはできるはずだ。

 だが、精霊王どころか、精霊達の姿すら見えない。

 ツクモは段々と濃くなる瘴気に目を細める。


「こ、れは」


 辿り着いた瘴気が一番濃い場所にあったのは、どす黒い瘴気の塊だ。

 目にすることも憚られるほど瘴気を溜め込んだ何か。

 今もなお瘴気を集め続ける目の前の何かに、考える余地はないと悟る。


「いえ、今はそんなことを考えている暇はないわね。私にできることは浄化することだけだもの」


 真っ黒なものに両手を突っ込み、魔力を放出する。

 純白に光るはずの魔力だが、深淵のような瘴気から漏れ出てくることはなかった。


「くっ、こんなに瘴気を溜め込むなんてっ……!」


 一気に重苦しくなる感覚に、息を呑んだ。

 魔力を流し続けるも、浄化の気配がないことにツクモは背筋が寒くなるのを感じた。


「っ、ありったけ注げば浄化できるでしょ!!」


 すると少しずつ漆黒に包まれていた何かが本来の色を取り戻していく。

 薄く見えるこの場所は、どうやら誰かの部屋だったようだ。

 うっすら見える範囲だけでも、高価な品々が並んでいることが伺える。


(これほどまで瘴気を溜め込むだなんて、呪法でも使っていたのかしら? いえ。詮索はあとよ)


 しばらく魔力を注いでいれば、瘴気の隙間から褐色の肌が姿を現した。

 突如現れた人間のようなシルエットに息を呑む。


「っ!?」


 瘴気を溜め込める人間など存在しないはずだ。

 予想していなかった事態に、早く浄化しなければと焦りが生まれる。


(はやく、はやく浄化しないと……!)


 徐々に瘴気が薄くなり、黒々としていた何かは人の形を取り戻していく。


「早く戻ってきなさい!!」


 残り僅かになった魔力を全て注ぎ込む。

 すると、瘴気がパンッと弾け、霧散した。

 途端、開けた視界に飛び込んできたのは、重厚な家具の置かれた室内だ。


(まさか転移させられた先が城内だったなんて)


 見たことのない植物が天井からぶら下がっている。

 それは、するするとツクモの目の前まで伸び、ぽんっと大きな花を咲かせた。


「ふふっ。感謝の印かしら? ありがとう。よかったわ。魔力が足りて」


 ゆらゆらと揺れる大きな花に、気が緩む。


「そういえばさっきの人は……」


 振り返ったツクモも体がふらりと傾いた。

 視界も霞み、意識も遠のいていく。


(あ、魔力使い過ぎ――)


 地面へと倒れ込む寸前、褐色の何かに抱き留められた。

 ツクモはぼやける視界でそれを見上げる。

 しかし、はっきりと見ることは出来なかった。


「ふむ。まさか人の子に助けられるとは。礼を言わねばならぬな。しかし、今は眠れ」


 その言葉を最後に、ツクモの意識を手放した。




 ◇◆◇




 まばゆい光に晒されたツクモの意識が浮上する。


(あったかい……)


 いつの間にか布団に包まれていたツクモは、もぞもぞと枕を抱きしめる。

 汚れていたはずの衣服も、汗で軋んでいた髪も、かさついた肌も、何もかもが城にいた時と同様に手入れをされていた。

 むしろ、城にいた頃よりも磨きがかかっているかもしれない。


(久しぶりに寝台で寝て……ないはずよねっ!?)


 見慣れない天井に勢いよく起き上がろうとしたツクモだったが、それは叶わなかった。


「いっ」


 再び寝台に沈みそうになった体を褐色の大きな手が支える。

 それは意識を失う前に見た色と同じだ。

 ゆっくりと体を起こされ、ようやく座ることができた。


「無理をするな。そなたは魔力欠乏一歩手前だったのだ」


 心地の良い低音に、ツクモは声の主へと目を向けた。

 目を引くのは、頭の左右にある羊の耳を大きくしたものだ。

 地面と水平に伸びるそれはぴこぴこと上下している。

 しかし、それさえ無ければ普通の人間と変わらない。

 服装も人間と変わらず、軍服のような服を着ている。


 耳が動くたびに艶やかな黒髪が揺れ、髪と繋がっていることが分かった。

 肩口まで伸ばされたもみあげには髪飾りが付いており、幻想的な雰囲気を醸し出している。

 こちらを見つめる、透き通る緑の瞳に魅入られそうだ。


「あなたは……」

「そなたに助けられた者だ。礼を言う」

「私は聖女として当たり前のことをしたまでで……。いえ、そういうことではなく」

「あぁ。我はクロカル。人間達は皆、精霊王と呼ぶ」

「ぇ、た、大変失礼いたしました! 精霊王に向かってなんて口を――」

「よいよい。かしこまるな。主は今日から我の妻となるのだから」


 紡がれた言葉を飲み込むことができず、ツクモは目を丸くした。

 首を傾げるクロカルに、思わず聞き返す。


「妻……?」

「あぁ。我が妻よ」

「……え?」

「どうかクロカルと呼んで欲しい」

「ちょっと待ってください。ど、どうしてそんな……」

「そなたは瘴気に侵されていた我を助けた。死の淵から掬い上げられたかと思うたら、女神が目の前にいたのだ。惹かれないわけがなかろう」

「私は……聖女ですから、瘴気を祓うのは勤めで……」

「関係ない。我はそなたが気に入った。それでは駄目か?」


 目に見えて耳が垂れ下がる。

 犬のような反応に思わずツクモは閉口してしまう。

 言葉を探すように視線を逸らし、初めて気が付いた。


(もしかして、ここって、精霊王の部屋じゃ……)


 周りを観察し少し青い顔をするツクモに、クロカルが跪く。

 彼の仕草にツクモはぎょっと目を見開いた。


「な、なにを」

「我はそなたを傷つけたりはしない。幸せにすると誓おう。我の妻になってくれ」


 男性らしい両手に手を包まれ、ツクモは少し気恥ずかしくなってしまった。

 手入れのしていないツクモ手は荒れに荒れ、肌触りはけしていいとは言えないだろう。

 かさつく手を隠そうと腕を引くがびくともしない。


「隠さずともよい。これは、そなたの努力の証拠だ」

「っ、」

「最近人間界(そと)が騒がしいと思ってはいたが、みすみす花籠の聖女を手放すとはな。愚かなことよ」

「花籠の……?」

「あぁ。世界を救う花籠の聖女だ。我を浄化せしその力。間違いなかろう」


 柔らかく微笑むクロカルの顔を直視できない。

 視線を逸らしながら、ツクモはどうしようと頭を回す。


(私が花籠の聖女……? 聞いたこともないのだけど、精霊王が言うのなら間違いないはずよね。で、でも、妻にって、どういう……)


 ぐるぐると疑問が脳内を巡るが、結論はでなかった。

 その様子を微笑ましげに眺めるクロカルは、急かすわけでもなくツクモの返答を待っている。

 時たま、イタズラをするように手の甲をするりと撫でられ、肩が跳ねてしまう。


「愛いな」


 ぽつりと呟かれた言葉に、ツクモの顔がみるみる赤く染まった。

 元婚約者にすら言われたことのない言葉を受け取ってしまい、ツクモは慌てだす。


「せ、精霊王」

「クロカルだ」

「く、クロカル様、あの、お戯れはほどほどに……」

「我は本気だ。なに、すぐに頷かせようとは思ってはおらぬ。そなたも魔力が戻るまで動けまい」

「確かに動くことは叶いませんが、ご迷惑では?」

「迷惑ではない。むしろこちらとしては好都合よ。のう、ツクモ?」

「わ、私の名前をご存じで……」

「もちろんだとも。妻の名前を知らぬわけがなかろう?」

「ですが妻とは」

「ふっ。覚悟しておけ。我は妻を甘やかすと決めておる。我がいなければ何もできないほど(とろ)けさせてやろうぞ」


 両手を包み込こんでいたクロカルの手がツクモの頬をなぞる。

 壊れ物を扱うような優しい手つき。

 優しげに細められる緑の瞳。

 すべてがむずがゆく、ツクモはたどたどしく頷くしかなかった。


「お、お手柔らかに、お願いします……」




 ◇◆◇



 クロカルと生活をし始めてから、数か月が過ぎた。


 彼は宣言通り、事あるごとにツクモを甘やかす。

 ある時は自ら摘んできたという果実を手ずから食べさせられ、ある時は髪を梳いてくれた。

 流石に風呂に一緒に入ろうとした時は丁寧にお断りしたが、寂しそうな目で見つめられてしまい、こちらが悪い事をしている気分になってしまった。


 至れり尽くせりの日々を送っていたが、問題が一つ。

 魔力の回復が芳しくないことだ。

 普段であれば数日で戻るはずの魔力だが、数か月経ってもツクモはいまだ元の魔力量まで戻らない。


(むしろ、回復した微量な魔力すらも何かに吸い取られているような気さえしてくるわね)


 魔力欠乏一歩手前の状態が続き、ツクモは体調を崩しやすくなっていた。

 寝台に沈むツクモを、横の椅子に腰かけたクロカルが儚げに見つめる。

 優しい彼の手がツクモの額を撫でた。


「辛そうだな」

「クロカルの手、冷たくて気持ちいいわ」

「魔力の戻りが悪い」

「そうね。せっかく魔力を分けてくれたのに、申し訳ないわ」

「理由は? わかっているのだろう?」


 すべてを見透かしてしまいそうな緑の瞳から、ツクモは目を逸らす。


(確信がない以上、口が裂けても言えないわね。もしかしたら、ホオズキの持っていたネックレスが原因かもしれない、だなんて)


 口を噤んだツクモに、クロカルが小さくため息をついた。

 呆れられてしまったかと身を固くしたツクモだったが、彼の口から出たのは予想もしてなかった言葉だった。


「言いたくないなら言わなくていい。そなたが言いたくなった時でかまわぬ」

「……いいの?」

「もちろんだ」

「ありがとう。クロカル」

「礼には及ばん。そなたは我の妻なのだからな」

「ふふっ。まだ言ってるの?」

「我は本気だと何度言わせれば気が済むのだ?」

「だって、クロカル。私の事好きだって言ってくれたことないじゃない」

「!」


 面を食らったような顔をするクロカルに、ツクモはふにゃりと笑った。


「ほらね。感謝の気持ちは嬉しいけれど、それは愛ではないんじゃないかしら?」

「それはない」

「あら、言い切るのね」

「当たり前だ。この春を告げるような気持ちを間違えるわけなかろう」

「? それは一体どんな気持ちなの?」


 首を傾げるツクモの頭を、少し呆れたように笑ったクロカルが撫でる。


「はぁ。まったく。これでも我慢していたんだがな……。これからは手加減しなくてもいいということか」


 優しい緑の瞳が、妖艶な色を纏う。

 いきなり変わった雰囲気にツクモは目を丸くするしかない。


「何も見えぬ暗闇の中からツクモが救ってくれたのだ」

「へ?」

「その月白(げっぱく)の瞳も、この長い白髪も、小さな体も、全てが愛おしい」

「あの」


 頭を撫でていた手が、ツクモの小さな唇をなぞる。


「今すぐこの唇を奪ってしまってもかまわぬが……。なぁ、ツクモ。そなたはどうしたい?」


 妖美な色気にあてられたツクモの喉からヒュッと音が漏れた。

 くらくらすような嬌艶(きょうえん)に、ツクモは言葉を詰まらせる。


「わ、私は……」


 言いかけたツクモだったが、続く言葉がうまく出て来ない。

 楽しげに笑うクロカルの大きな耳が揺れる。


「急かすつもりはない。ただ、我はツクモが大事なのだ」

「そ、それは、身をもって体感している、わ」

「よかった。伝わっていなければ、もっと甘やかさなければと思っていたところだ」

「今でも十分甘やかされていると思うのだけど……。これよりさらに上の甘やかしがあるの?」

「あぁ。もちろんだ」

「ふふっ。ドヤ顔で言うことなの? あははっ、ゲホゲホッ」

「ツクモ、無茶をするでない」


 心配そうに覗き込まれてしまえば、ツクモは何も言い返せない。

 唇から移動した手が、両目を覆い隠す。

 指の隙間から毛を逆立てたクロカルが見えた気がしたが、突然襲ってきた眠気に抗えず、ツクモの意識はまどろみへと沈んでいく。


「もう眠れ。我は元気になったツクモが見たいのだからな」

「あ、ちょっと、クロカ、ル……」

「おやすみ」


 クロカルの言葉を聞いたツクモは途端にすやすやと寝息を立て始めた。

 ツクモの額に口づけを落とし、クロカルは微笑む。


「我の花籠。そなたの憂いはすべて払ってやる。待っていてくれ」


 そう言い残し、クロカルは消えた。




 ◇◆◇




「なぜ開いていないのだ!! つい最近まで開いていただろう!?」

「それが……数か月前に閉ざされてしまい……」

「えぇい! 瘴気に侵された精霊界など脅威ではなかったというのに……! これでは侵略できんではないか!!」


 精霊界と人間界の境を王子が叩きつける。

 数か月前まではぽっかりと口を開けていたそこは、すでに結界が張られ侵入はできない。


「せっかくここまで来たのにどうしてくれるのよ!!」

「ホオズキの言う通りだ! 早く結界を解け! 愚図が!」

「ひっ、ひいい! お許しを。殿下!」


 魔導士を怒鳴りつけた王子とホオズキだったが、ふと現れた大きな影を見上げ、言葉を詰まらせた。

 そこに人間の形をした見慣れない人物がいたからだ。


「何やら外が騒がしいと思ってはいたが、停戦協定を忘れたか。人の子よ」


 人間の形をしているが、明らかに人間ではない。

 褐色で、羊の耳のようなものがある。

 得体の知れないなにかが、王子達を無表情に彼らを見下ろした。


「誰だお前は! ボクをこの国の第一王子と知っての狼藉か!!」

「ふむ。お前が第一王子、か」


 静かに呟いた彼――クロカルの言葉は、彼らには届かない。


「ホオズキ!」

「えぇ。わかっているわ」


 ホオズキが祈るように手を組むと、まばゆい光が彼女を覆った。

 そして、竜のように牙をむいた魔力の塊がクロカルを襲う。


「やったか!」

「いや……。う、そ……どうして、無傷なのよ!!?」

「……その魔力。主のものではないな」


 冷ややかな目に見下ろされたホオズキががくがくと震えだす。


「それは我の愛する女の魔力だ。返してもらおう」

「っ、い、いやよ! これはもうあたしの物だもの!」


 恐怖に包まれていても真っ先に守ろうとしたのは月長石(ムーンストーン)の付いた首飾りだ。

 クロカルはその行動に眉を寄せる。


「そんなアクセサリー何度でも買ってやる! くれてやればいいじゃないか!」

「できるわけあるまい。我が妻が込めた魔力を使って聖女を騙っているにすぎないのだから」

「っ! 言いがかりは止めて頂戴! あたしが聖女なのよ!!」

「ほう? ならば、無用の物だな」


 クロカルが手を一振りする。

 すると、ホオズキが首から下げていた首飾りが弾け飛ぶ。

 大きな月長石(ムーンストーン)だけが、クロカルの元へと宙へ浮かんだ。


「きゃぁ!? や、やめてよ! それがないとっ!!」

「はっ! これがなくとも聖女としてやっていけるのだろう?」

「返しなさいよぉおおお!!」


 ちりちりと炎がホオズキの周りに散る。


「炎の魔力か。そりゃあ聖女になどなれるわけがないわな」

「うるさいうるさいうるさい!!」

「その攻撃性は魔力ゆえか、性格からか。はて、どっちだったかな?」

「そんなの知らないわよ! 返して!! それはもうあたしのなんだからっ――!!」


 炎の渦が立ち上り、クロカルを襲う。

 だがそれはネックレス同様、一瞬にして弾け飛んだ。

 渾身の一撃を消し去られたホオズキは震えながら地面にへたり込む。

 満足そうに月長石(ムーンストーン)を手にしたクロカルは、愛おしそうにそれに口づけた。


「そういうことか。魔力が一向に戻らないからおかしいと思っていたのだ。聖女を騙り続けられたのは、呪法だな?」

「ホオズキがそんなことするはずがないだろう!? 無礼者めが! そうだろう?」

「あ、あたしは……」

「どうした? 真の聖女はホオズキであろう?」

「はっ! まだ分からんとは。呪法を使い、聖女の魔力を貪った」

「なに!?」

「娘。むろん呪法をかけられた人間に何が起こるのか、知っているのよな?」

「ひっ」


 ホオズキは地面に座り込みながらも後退る。

 王子は本気で事の重大さを理解していないのだろう。

 宙に浮かぶクロカルと、腰の引けているホオズキを交互に見ている。

 ざわりと空気が逆立つ。


「そうか。知っていて使ったか」

「な、なによ! あれが、スラムの民のくせに、聖女に選ばれるからっ!! 死んで当然なのよ!!」

「ほぉ? いずれ死に至ると知っていながら使うとは……。ならば我も手加減などしなくてもよいな」


 ぱちんと指を鳴らした瞬間。

 クロカルの持つ月長石(ムーンストーン)から黒々した煙が上がる。


「い、いやよ……」

「我が妻の痛み。返させてもらうぞ」


 瘴気にも似た煙がホオズキに迫る。

 彼女を包む寸前に王子がホオズキを抱きしめた。


「ホオズキ!!」

「いやぁああああああああああ!!!!」


 黒煙が晴れ、魔導士が恐る恐る声をかける。


「ご無事ですか!? で、殿下……? ホオズキさ、ま」


 そこには金髪碧眼の男の姿も、美しい女性の影も形もなく、しわがれた男女が丸まっていただけだった。

 自身の身に起きた事態が飲み込めないのか、二人とも放心している。


「寿命が縮んだだけで済んだか。悪運の強い奴らよ」

「せ、精霊王さま!!」

「ん? 我を精霊王だと気が付く者がいるとは驚いた。なんだ?」

「あ、貴方様の怒りはもっともです。ですが、これ以上は……どうか……」


 頭をこれでもかと下げる魔導士に、クロカルはあぁと頷いた。


「話ができる奴がいて助かった。このままでは城へ乗り込む所であったわ」

「殿下……我が国の第一王子とその婚約者が大変ご無礼を……」

「御託はよい。本来であれば許したくはないが、我は忙しい。ツクモ・アルデラミンは我の花嫁となったと国王に伝えろ。いいな」

「! かしこまりました」


 青白い顔で見上げる彼らにクロカルは告げる。


「我の怒りは精霊の怒り。この国の植物を枯らすことも出来るのだ。ゆめゆめ忘れるでないぞ」


 その言葉を言い終わると同時に、クロカルは愛しい妻の元へと転移した。




 ◇◆◇




 頭を撫でられる感覚で目を覚ます。

 あまりの心地よさに、このままもう一度寝てしまおうかと考えたツクモだったが、自身の体を巡る膨大な魔力に気が付いた。


「魔力がっ! あっ、クロカル、お、おはよう」

「あぁ。おはよう。体は大丈夫か?」


 ツクモを気遣う声の主は、寝台に座っているようで、布団に黒髪が散らばっている。


「えぇ。もうすっかり良くなって……これは」


 起き上がった拍子に転がった物に、ツクモは目を瞠った。

 それはホオズキに取られたはずの月長石(ムーンストーン)だ。


「これか? 人間が献上してきた。そなたの魔力が込められているようだったからな。握らせておいた」

「……本当に? あの人達がみすみすこれを手放すとは思えないわ」

「ふっ。聡い事よ」

「いったい何をしたの――ひゃあ!?」


 ひょいっと持ち上げられ、膝に乗せられる。ツクモの口から頼りない悲鳴が漏れ出た。

 クロカルはツクモの反応に満足そうに微笑む。


「ツクモ。愛してる」

「い、いきなりなにを」

「元気になったのだから、手加減しなくとも倒れることはないだろう?」

「っ、それは……」

「のぅ、ツクモ。そなたの唇を奪ってもよいか」

「それを聞くのは、反則だと、思う……」


 尻すぼみになる言葉と真っ赤に染まる顔を隠すようにツクモは彼の肩口に顔を押し付けた。

 軽い笑い声が聞こえたかと思うと艶やかな声が耳元で囁かれる。


「そう擦り寄られると誘われてしまうぞ」

「ぴゃっ」

「ふっ。我の花籠、もっと我を満たしておくれ」

最後まで読んでいただきありがとうございます。


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