ケイの魔法
ケイの光魔法は、日ごとに上達していた。
繰り返し練習する。そして体力をつける。それを毎日続けた。
気がつくと3キロくらいまでなら、光を集めることができるようになった。つまり、見える範囲が3キロに広がったということだ。
施設内を見ていて、いくつかわかってきたことがあった。
この施設は何なのか?運営しているのは何者なのか? ナンナに聞いても、よくわからないとしか言わない。他の奴隷も、それぞれの仕事の範囲は知っているのだが、施設の詳細は誰も知らなかった。こうして情報を与えないのは、奴隷を管理するときの常套手段なのだ。
それが、ザムザやそのほかの同僚の机の上にある書類を見たり、あちこちの作業所を見ているうちに、少しずつ分かってきた。
この施設を運営しているのは、アーモン商会という。ここは奴隷を使って様々なものを作る施設だった。背後には鉄の鉱山もある。そこの採掘から鉄の精錬がメインの仕事だ。
鉄を使った、様々な製品を作る工場……というより作業所がいくつも並んでいる。そして周囲は高い塀で囲まれている。その外には農場もある。食料の一部は、ここで作られている。
全体で1000人以上の奴隷が働かされていた。そしてそれを管理するための、兵士のような男たちが100人程と、ザムザのような事務職が30人程いた。奴隷の首輪があるから、管理はその人数で十分なのだ。
ケイがここに連れてこられたのは監禁が容易だからなのだろう。
ケイは、ずっと部屋にいたから気づかなかったが、奴隷の扱いは酷いものだった。暴力は日常茶飯事だった。歩いているだけで蹴られているものもいた。
音は聞こえないから事情はわからない。しかし、どう見ても不条理だ。蹴られ、殴られ、唾を吐きかけられてもいる。
怒りからではない。笑いながら殴っているのもいるのだから。
それから……、気になったのは食事だった。
奴隷以外の連中が食べているのは、肉汁が滴るステーキ、やわらかそうなパン、魚もあれば、いろいろな種類の果物、そしてケーキ。
ケイが、この1年の間に口にしたことがないものばかりだ。
あらためて惨めな気持ちにもなり、すっかり落ち込んでしまう。
ある日、外の農場を見ていたときだった。
何十人もの奴隷が、畑で働いている。キャベツのような野菜を収穫していた。その奴隷の一人男が、こっそりと逃げだそうしているのが見えた。
(無茶だ……。無事に逃げてくれ)
ケイは祈った。20代くらいだろうか。若い男だ。きっと、ここに来たばかりなのだろう。それほど痩せていない。
そうっと野菜の間を這うようにして進み、柵のところまで来たときだった。男はゆっくりと顔を上げて周りを見渡した。
ボン!
ケイには音は聞こえない。ただ、そう聞こえたように感じた。
逃げようとした男の顔は火に包まれ、もがきながら倒れ、そしてすぐに動かなくなった。
ケイは、がっくりとしてベッドに座った。
(こんなに簡単に……)
まだ逃げてはいない。逃げようとしただけだ。それでも殺される。奴隷の命なんてそんなものなのだ。
奴隷の首輪の恐ろしさもはっきりと実感した。
(くそっ、どうすればいいんだ……)
前向きになってきた気持ちが、一歩も二歩も後退してしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おいっ、ちょっと来い」
ザムザがやってきて、ケイに声をかけた。
何事かと、ケイは扉に近づいた。
「お前はマレビトなのに、マジで使えない……」
と吐き捨てるように言う。
「だから、これから外で力仕事をやってもらうことになった」
(外に出られるのか……)
「ちぇっ、マレビトの担当で、うまい話があると思ったんだがな。今日で、それも終わりだ」
ザムザが、そう言ったときだった。
ドーン!!!
外から、何か爆発したような大きな音が響いてきた。
ザムザは、その方向を振り向く。
「ちょっと待ってろ。見てくる」
そう言って、外へ飛び出していった。
外からは、騒いでいる人の声が聞こえてくる。
ケイは、光魔法を発動して外の様子を見た。
人々が慌ただしく走り回っている。その先には鉱山から採掘した鉱石を分別する作業所が並んでいた。そこにズームすると、真ん中辺りの作業所の中が燃えている。
(火事だ!)
ザムザが戻ってきた。
「火事だ。お前の水魔法はどれくらいだ?」
「自信はあります!」
「それならすぐ来い! 絶対逃げようとするなよ」
ザムザは、ガチャガチャと鍵を開けた。
(外だ……)
ケイが外に出るのは、ここに入ってから初めてだった。ザムザが走って行くのをケイは追いかけるが、久しぶりなのでうまく走れない。
「何をしてるんだ!急げ!」
ザムザは、勝手なことを言う。スクワットとかトレーニングをしていたからなんとか走る体力はあるが、それでも足がもつれそうにもなる。
現場に来た。建物の中が真っ赤に燃え、ゴーゴーと音を立てている。
離れているのに熱でケイの顔が焼ける。かなり熱い。
その前では、奴隷が100人以上集められて、魔法で水をかけている。といってもせいぜい一人あたり洗面器1杯くらい。とても火を消すなんてできない。
消火設備もないようだ。
「中に……、中に……」
年輩の奴隷の女性が、警備らしい男にすがりついている。
どうやら取り残された人がいるらしい。
「ええい、奴隷なんかにかまっていられるか!」
男はそう言って奴隷の女性を蹴った。
ケイは、光魔法を発動して、内部を見ていく。
(誰も……、いないな……)
あたりをみていくと、一番奥の鉱石の山の裏側に20人程がかたまっている。
(いた!まだ無事だ)
「お前も早くやれ!」
ケイは、ザムザに後ろから蹴飛ばされた。
(急がなくては)
ケイは作業所に向かって手を広げた。心の中で呪文を唱える。
すると、2mほどの細長い氷の塊が、ケイの頭上の10本現れた。
「なっ、なんだこれは!」
ザムザや他の男たちが、その氷の塊に目をやる。
ケイは、「エイっ」と手を作業所の方向に振った。
ズズーン!!ズズーン!!ズドーン!!
氷の塊は、一列になって飛んでいき、手前から順に作業所の屋根を貫いていった。そして中で砕け散り、周囲の火を消していく。
まわりにいたこの施設の男たち、そして奴隷、全員が唖然としてそれを見ている。
「お、お、お前……、なんてことをするんだ。屋根を壊すなんて! 弁償だぞ!」
「でも、ほっといたら屋根ごと燃えますよ」
「それでも、屋根は壊すな!」
ザムザが、大きな声でケイを叱る。
「いや、これでいい。このまま続けてくれ。できれば左右の建物への延焼をくいとめたい。両側を破壊してくれ……。魔力は持つか?」
そばにいた男が、ザムザを遮って言った。どうやらザムザの上司らしい。
「大丈夫です」
ケイは、再び手を広げた。同じように細長い氷の塊が現れる。それを作業所に向けて飛ばした。
ズズーン!!ズズーン!!
氷の塊が、作業所の屋根をまるで紙のように突き抜けていく。
ガシャーン!!
その氷が砕け散る。蒸気がもうもうと立ち上がり、作業所を包む。
「いけえー!」
ケイは、それから立て続けに、氷の塊を投げつけいく。
作業所の建物の左右を破壊して、中で避難している奴隷の周囲へも落としていく。その周囲の火を消すのが最優先だ。
氷の塊が屋根を突き抜け、床で砕け散る音が響く。それが燃え上がる火にかかるたびにジュッという音とともに水蒸気が巻き上がる。
集まっていた人々は、口を開けたまま、ケイと作業所を交互に見ているだけだった。
50本ほどの氷を落とすと、建物は奥の一部を残して骨組みだけになってしまった。中の様子も見えてきた。あれほど燃え上がっていた火もおさまってきた。
光魔法で見ると、全員が無事だ。
(よかった……)
ケイは、力が抜けて地面にへたり込んでしまった。魔力が尽きたのだ。今まで全力で魔法を使ったことはなかったから加減がわからなかった。もう限界だった。
上司の男が、その様子を見て、指示を出した。
「よし!中に入って、まだ燃えているところを消していけ」
ケイが落とした氷は、1つが100キロほど。それが50本だから約5トンの水、ドラム缶25本分がばらまかれたことになる。
穴だらけで骨組みだけになった作業所の中を、奴隷の男たちが、火に水をかけていく。火の勢いはほとんどなくなっていて、洗面器1杯の量でもなんとか消していける。
「無事だ!!みんな無事だぞ!!」
中から大きな声が聞こえてきた。避難して隠れていた奴隷たちが、無事に発見された。少し火傷をしている者がいるそうだが、その程度ですんでいる。
「けっ、奴隷なんかよりも、機械だろう。いったいどれくらいの損害なんだ」
ザムザが悪態をつく。
「いや、そんなことはないぞ。奴隷は、それを捕まえるやつ、運んでくるやつに相応の金を払ってるんだぞ。それを考えると無事でよかったじゃないか」
上司の男は、ザムザをたしなめる。どうやら話がわかりそうな男だ。ケイは、そう思った。
この上司の男は、ライオネルと言った。後から聞いたのだが、ここの所長の片腕とも言われる男らしい。
ライオネルは、地面に座り込んでいるケイの所に来た。
「ありがとう。助かったよ。それにしてもすごい魔法だな」
「元騎士の人に教わったんです。みんなこれくらいと思ってました」
「そいつはすごいな。ここまでの魔法が使えるのは、めったにいない。お前の使い道を考え直さなければな」
ライオネルは、そう言ってケイの肩をポンと叩き、笑いながら行ってしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
鎮火した後、ケイは独房に連れ戻された。もうヘトヘトだったから、ほとんど引きずられるようにして歩かされ、ベッドの上に放り投げられた。それでもケイはまだ動けない。
ガチャリと鍵がかかる音がして、ケイは普段の生活に戻された。
この世界の魔法は、空気中の魔素を使うが、魔素を吸収しながら使うのではない。それだと魔力が足りない。体内に、ある程度溜めてから使うのだった。
ケイは、その魔素をたくさん溜められるのだったが、ほとんど使い切ってしまっていた。
特に、ケイの場合は、食事の栄養が足りない部分を魔素で補ってもいたのだ。そうでなければパンと水だけで健康でいられるわけがない。ほとんどの奴隷もそうだった。
だから、体内の魔素が切れると、体調も悪くなる。下手すると死ぬこともあるのだった。
「ケイ……、大丈夫?」
扉の向こうから、ナンナの声がした。
「大丈夫だよ」
ケイはゆっくりと起き上がって扉に向かった。
「今日のご褒美だって」
扉の下から入れられた食事は、いつものパンだけでなく、小さな肉が入ったスープと小さなケーキがついていた。白いクリームがスポンジの上に乗っている。それだけのケーキだが、ケイにとっては大事件だった。ここに来てから初めての甘味だった。
「半分にわけよう」
「えっ、いいよ。ご褒美なんだから一人で食べなよ」
「いや、一緒に食べたいんだ」
「そうなの……、それじゃあ」
ケイは、ケーキを手で二つにわけて、一つを下の扉からナンナに渡した。指についたクリームをペロリとなめる。
(甘い。なんて甘いんだ……)
「あまーい。これがケーキなのね」
ナンナの顔が、思い切りほころぶ。ナンナも初めての甘味だった。
「おいしいね」
ナンナの笑顔を見れて、それだけでもケイは満足だった。
「それじゃあ、僕も」
ケイもケーキを頬張る。一口で食べられる量。それでも甘みが口いっぱいに広がる。
「本当においしい」
「また、食べたいね」
「ああ、また食べられるようにがんばるよ」
ナンナは、それを聞いて、ホントにうれしそうに笑った。
しかし、このケーキは、ライオネルのしかけだった。
このケーキを食べて以来、甘味が頭から離れない。寝ていても思い出してしまう。せっかく忘れていたのに……、それを思い出してしまった。
ナンナも同じだった。また食べたい。なんとかしたい。 前の世界ならたいしたことではないことだろう。しかし、人間の基本的な欲望の一つだ。身体にしみつけられた欲望。甘味のためなら何でもやる……、まるで麻薬に取り付かれた中毒者のようだった。