穏やかな日々
ウィントン伯爵は優しい人だった。そして欲もない。領民からも慕われていた。
使用人のみなとは家族のように接してもいた。
ケイは、マレビトだから上手く利用すれば何かしらの利益があったかもしれないが、そうすることはまったくなかった。
ケイは、この地になれてきたころからヴィクトールから剣と魔法を習うようにした。小学校の頃から野球をやっていたケイは、基本的な体力はあった。
鉄製の剣は、金属バットよりも重い。片手で持つことはできないが、両手なら問題はなかった。その剣を野球の素振りのように振り回した。
「振りだけはすごいな」
ヴィクトールは、感心して言う。
「実際に戦うにはまだまだだが、これならすぐに上達するぞ」
そう言われて、ケイは悪い気はしなかった。ヴィクトールに教えられた練習を、毎日繰り返すことにした。
そして魔法だ。
まずヴィクトールがやってみせた。
「 ਪਵਿੱਤਰ ਆਤਮਾ ਦੇ ਨਾਮ ਵਿੱਚ ਮੈਨੂੰ ਅੱਗ ਦੀ ਸ਼ਕਤੀ ਦਿਓ 」
よくわからない呪文を唱えると、ヴィクトールの手のひらの上に、シュボッと音を立てて火の玉が現れた。ソフトボールほどの大きさだ。
「すごい……、本当にできるんだ」
ケイの目は、その火の玉に釘付けだ。思わず手を伸ばしそうにもなった。
「熱いぞ」
そう言われて、我に返って手を引っ込めた。
「僕にもできるんですか?」
「当然だ。強さは人それぞれで、適性もあるが、誰でもできることだ」
ヴィクトールは、魔法には、火、水、雷などのいくつかの種類があり、誰もがそれを使えると説明した。ただ、適性があり、火の適性がなければ爪の先くらいの火しか出ない。
そして、呪文の種類によって、発現する魔法が違う。基本的な呪文は、誰もが知っていて、日常でもよく使われる。しかし攻撃魔法のように複雑なものになると、一部の魔法兵しか教えられていない。
剣のような金属の塊を作って飛ばすという魔法もあるそうだが、ヴィクトールも呪文を知らないので使えないという。
「騎士団にいた頃に使える者がいて見せてもらったけど、凄まじかったよ」
ヴィクトールは、それを身振りを交えて、ちょっと興奮気味に説明する。
さらに、それぞれの家だけに伝えられる秘伝の魔法もあるので、膨大な種類の魔法がこの世界にはあるのだった。
「それじゃあやってみろ。まずは基本の火球を出すやつだ」
ケイは、教えられた通り呪文を唱えた。しかし、何事も起きない。この世界の者でない自分にはできないのか。ケイは不安になった。
「魔法は、周りに存在している魔素を使うんだ。それを意識して……」
ヴィクトールは、魔法のための瞑想を、そして魔素を感じる方法を、少しずつ教えていった。ケイもなんとなくだが、わかってきたようだ。
「もう一度やってみるか」
「 ਪਵਿੱਤਰ ਆਤਮਾ ਦੇ ਨਾਮ ਵਿੱਚ ਮੈਨੂੰ ਅੱਗ ਦੀ ਸ਼ਕਤੀ ਦਿਓ 」
ケイが呪文を唱えると、ズボッ、という音とともにケイの上に巨大な火球が現れた。直径は1メートルはある。すごい熱がケイの顔を焼く。
「バカ! すぐに消せ」
「でも、どうやって?」
「意識するんだ! 消えろと念じろ!」
(消えろ……、消えてくれ……)
ケイが念じると、フッと火球は消えてしまった。ケイは、とんでもないことをしたな、とその場にしゃがみ込んだ。
「お前の魔法はすごいな。それなら、まずコントロールすることを覚えなきゃな」
ヴィクトールの説明によると、魔法の強さは、適性、才能もあるが、体力、知力の影響も大きいという。強力な魔法の土台となる体力と呪文を正しく理解し使う知力、この力は大きい。
ケイは、部活のトレーニングのおかげで体力はあるほうだった。それに知力は、学校では普通だったが、この世界の人たちからすると高い方になる。この世界の人の多くはたし算、ひき算くらいしかできない。文字も基本的なものしか読めない。小学校中学年以下の人たちがほとんどだ。だからケイの魔法も強力なのだろう。そして、適性、才能も、きっとある。ヴィクトールは、そう説明した。
それから毎日、二人で剣と魔法のトレーニングをすることになった。もっともケイには、それしかすることがなかったからでもあるが。
そしてヴィクトールは教えるのがうまかった。おかげでケイは、剣も魔法もメキメキと力をつけていった。
「どうして兵士をやめたの?」
ある日、ケイが聞いた。聞きにくいことでもあるので、今までは躊躇していたのだが、すっかり仲良くなったので、思い切って聞いてみたのだった。
「酒だよ。酔っ払って失敗したんだ……」
ヴィクトールは、ケイから目をそらして遠くを見ながら話す。
「詳しくは言えないがな……。それで行き場が無くなってしまったのだが、ウィントン様に拾ってもらったんだ。だからウィントン様には恩があるんだ」
「拾われたというのならば、僕も同じだね」
「確かに、そうだな」
ヴィクトールは、ケイの背中を叩いて笑った。
「さあ、続けようか」
そう言って、ヴィクトールは立ち上がる。
そんなヴィクトールをケイは兄のように思っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ケイは、伯爵家の人たちに、本当の家族のように扱われていた。だから、寂しさを感じることもなく暮らすことができた。
ヴィクトールが兄ならば、ウィントン伯爵は父だった。伯爵には子どもはいない。一応は貴族だから跡継ぎも必要だ。まだはっきりとは言っていないが、魔力が強く、知恵もあるマレビトのケイを、跡継ぎにしたいとも考えていたのだった。
だから折に触れて、伯爵家のこと、この領地のことを、ケイに話すのだった。
「この地はな、軍事的にも価値はないし、特筆する産業もない。それでも王国がこの地を大事にしてくれるのは、この地が魔脈の上にあるからなんだ」
「魔脈……ですか?」
「そうだ、魔素が流れる道筋を魔脈と言うんだ。魔法のもとになる魔素は、地下の奥深いところで発生して、魔脈に沿って地上に出てくるんだ。その場所の一つがこの土地なんだ。もし魔脈が乱れると、魔法に影響がでてくる。魔法は、人々の生活に欠かせないし、軍事的にも使われている。それが使えなくなると大問題だ。だから、ここは王国の要地として扱われているんだ」
こんな小さな土地の領主が伯爵位に叙されたのは、それだけ王国にとって重要な土地だったからだった。
「王国の直轄ではないの?」
「この地の管理は、我々しかできないからな。魔脈を管理する魔法は、この地の長老しか、つまり我が伯爵家にしか伝えられていないんだ」
この領地は、住民が500人程しかいないが、その住民も、魔脈の管理のための初級の魔法が使えた。伯爵と住民が協力して魔脈を守っているのだった。
このように、伯爵は、食事のときや散歩をしながら、ケイにこの地域のことを話していた。それはあるときは、この地に伝わる物語だったり、伯爵家に伝わる歌のときもあった。
そして侍女のミラは、ケイにとってお姉さんだった。
ケイは料理はできないが、こんな料理があるよとミラに伝えると、工夫して作ってくれるのだった。その料理ががまた好評だった。
「また、教えてね」
そう言って笑うミラは美しかった。
ケイは、ミラに憧れみたいな気持ちを持ちはじめていた。美人で、優しい。でも、深夜にミラがヴィクトールの部屋を訪れているのを見て、二人がしていることを想像して悶々としていたことも何度もあった。なんせ中学生だったのだからしょうがない。
それでもケイは二人を大好きなので、心の中では二人を応援したいとも思っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ケイは、しばらくして外へ出ることも増えていった。必ずヴィクトールが一緒だ。
村の人たちには伯爵家の遠縁と紹介されていた。
だからだろうか。村の若い娘たちの視線は熱かった。
「ケイさーん!」
遠くから、声をかけてくる女の子が何人もいる。
それでも、部活ばかりで彼女がいたことがなかったケイは、顔を赤くして手を振ることしかできなかった。
村の人口は500人だから全員が顔見知りだ。そして全員で魔脈を守っている。
魔脈を守る基本は、神殿の管理だった。
山の中腹に、大きな石を組み上げて築かれた神殿だった。魔脈の最も重要なところだとも言う。ここから出た魔素が、地下を流れ、一部分は空へ放たれ、王国中に広がっているのだ。
だから村の人たちも大切にしていて、いつもきれいに清掃がされていた。
「きれいな建物ですね」
ケイがそういうと、
「そうだろう。これをご先祖様たちが、苦労して造ったんだ」
村人たちは、自信満々に言う。
「あそこの祭壇の真下に魔素が湧き出る魔脈の源があるんだ」
見ると、石造りのテーブルのようなものの上に文字が書かれた石板があった。
「なんて書いてあるんですか?」
「いや、全然読めないんだ。なんでも魔脈の魔素の流れをよくする呪文が書かれているらしいんだ」
ケイは、その石板を見つめた。特に理由があるわけではないが、何か……、気になったのだ。
それから、村人たちと神殿を掃除していった。
神殿を流れていく清らかな風に、静謐な雰囲気に、ケイの気持ちが解きほぐされていくのを感じていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ケイにとって、そんな穏やかな日が続いていく。
それでも前の世界のことを忘れたことはない。時々家族のことを思い出す。野球部の仲間のことを思い出す。
「試合が近かったな……。次はレギュラーだったのに……」
無意識にそうつぶやいていたこともあった。
「宿題を忘れた!」
そんな夢を見て飛び起きたこともあった。
しかし、天井をみて、部屋を見渡して、現実に引き戻されるのだった。
それでもウィントン伯爵の温かい思いやりで、ケイは少しずつこの世界になじんできていた。だから、ウィントン伯爵の役立つことができればと、ケイはいつも考えていた。
いくつか思いついて伯爵に相談したこともあったが、ほとんどはこの世界にもあった。先にこの世界に落ちたマレビトが伝えていたのだ。
それか、この世界の技術では作れない物だったりもした。電気製品などがそうだった。精密な部品をつくる技術がない。また、その材料自体を作れない。知恵とアイデアはあるのだが、それをどう実行するか、それがなかったのだ。
だから、この世界に落ちてきたときに抱えてきたカバンの中にあった教科書を読むことにした。やはり勉強は大事だ。
「あわてる必要はない」
ケイは、自分にそう言い聞かせて、毎夜、教科書を開いていた。
数学、理科を中心に読んだ。中学までの内容ではたいしたことはないが、それでもこの世界では最先端だった。
そしてヴィクトールとの魔法と剣の練習、そして勉強。それがケイの毎日だった。
そのケイがこの世界に来て、1年が経とうとしていた。
平穏な日々というのは、決して長くは続かないのだった。
ブラウザで翻訳ができる方は、翻訳してみてください。呪文の意味がわかります。