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マレビト

 福澤慶太が、この世界に来たのは中学2年の7月だった。野球部の帰り、あまりにお腹がすきすぎて家に向かって急いでいた。

 家の近くまできたとき、道路に大きな水たまりがあった。

(こんなに晴れているのに、何だろう)

 そう思って、軽くダッシュして水たまりを飛び越えた……はずだった。しかし、それは水たまりではなかったのだ。

(水たまりに吸い込まれる)

 慶太はそう感じた。あっという間に慶太は闇に包まれた。

 何も見えない。真っ暗闇だ。しばらくすると遠くに光の点が見える。その光の点が少しずつ大きくなっていく。慶太は、その光に向かって飛んでいた。

 そして、その光が大きな球となり、その光の球に吸い込まれた。


 ドスン、慶太はどこかから落ちた。どこなのかはわからない。ただ落ちたことはわかった。高さは1メートルほどだろうか。とにかく落ちたのだ。

「あいたたた」

 慶太は、腰をさすりながら立ち上がり、まわりを見渡した。

「なんだここは!」

 慶太が立っていたのは、森の中だった。もしかしたら山の中かもしれない。とにかくまわりは木が生い茂っているだけなのだ。ちょと前まで、街の路地を走っていたはずなのに、いったいどうして。慶太は不思議でしょうがなかった。

(とにかく、ここにいてもしょうがない……、人がいるところまで行こう)

 そう思ったが、どこへ向かっていいかもわからない。間違うと確実に迷う。慶太は不思議とパニックにならず、落ち着いていた。現実感がまったくないからだった。

 耳をすますが、人の声も車の音も聞こえてこない。人がいるところからは離れているのだろう。

 それで、近くの登りやすそうな木に登ってみた。3メートルほど登ると、木々の間から山が見えた。それほど高くはないが、人が住むようなところではなさそうだ。

(あの山の反対へ行けば人がいるだろう)

 そう考えて、山の反対へ歩いた。道はないので、雑木をかき分けるようにして進んだ。


 1時間ほど歩いたが、まだ木に囲まれている。野原にでも出れば、と思うが、その気配もない。懸命に木の枝をかき分けながら歩いていた。


 慶太は、急に身体が重くなるのを感じた。そういえばお腹がすいていたのだった。部活の後の疲労もある。大会も近かったから、普段以上の練習量で、さらに朝練もしていた。気がつくと、身体全体が重く感じられてきた。もう一歩も歩けない。

(こんな森の中で眠るのは危険だ……)

 そう思って力を振り絞るが、もう無理だった。そのまま崩れるように地面に横になった。幸いなのか、たくさんの木の葉で、ふかふかになっていた。もう抗うことは無理だ。慶太の意識は消えていった。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇


(夢だったのか……)

 慶太は、まだまどろみの中で、ベッドで寝ていることを感じて、そう思った。

 しかし、目を開けて見えた光景に強烈な現実に引き戻された。

(どこだ……? ここは……)


 大柄な女性が慶太の顔を上からのぞき込んだ。日本人ではない。その女性は大きな声を上げて、それから離れていったようだった。

 ゆっくりと起き上がってまわりを見た。見たこともない部屋。慶太はベッドにいて、薄い毛布がかけられていた。


 ガチャリ、とドアが開き、先ほどの女性と一緒に西洋人風の顔立ちの男性が入ってきた。年齢は40代くらいだろうか。心配させないようにと思ったのか笑顔で近づいてくる。

 男は、何かを話しかけているが、慶太にはまったく理解できない言葉だった。


「この言葉はわかるか?」

 突然、その男性は日本語で話した。

「……わかります」

 慶太は驚きながらも答えた。

「よかった……。どうやら日本人のようだね」

「日本をご存知なんですか?」

「ああ、日本からのマレビトは多いからね」

「マレビト?」

「ああ、別の世界からこの世界に来た者をそういうんだ」

(別の世界……? ということは異世界なのか……)

 ケイが考えているところを察したのか、その男性は笑顔でうなずく。

「この世界……、ですか?」

「ああ、ここは君が住んでいた日本とはまったく違う世界なんだ」

 慶太は、にわかには信じられないと思ったが、昨日の森、そして今のこの部屋、これが現実ならば、そう考えるしかないと思った。

「ちょっといいかな」

 男性は、そう言って慶太の頭に手をあてた。慶太の頭の中で何かがグルグル回るのを感じる。

(いったい何が……)

「もう大丈夫。君は、もうこの世界の言葉を話せるようになった」


「ところでお腹はすいていないか?」

「ペコペコです」

「それじゃあ、朝食をとりながら話をしよう」

 慶太は、男性に案内されて、ダイニングのテーブルについた。テーブルには、もう一人の女性がすでについていて、慶太は向かい合うように座った。

 テーブルに、パンとスープ、そして目玉焼きが並べられた。日本でも見たような食事だ。

(本当に異世界なのか?)

 慶太は、パンに手を伸ばして口に入れた。

(日本と、まったく同じようなパンだ)


「それじゃあ、マレビトのこと、この世界のことを説明するね」

 男性はウィントン伯爵といった。横の女性は奥さんのオリヴァイア。そう自己紹介してから説明を始めた。


 この世界と慶太の前の世界は平行世界となっているらしい。”らしい”と表現するのは確実なところがわかっていないからだった。この二つの平行世界には、”次元の裂け目”と呼ばれるワームホールができ、行き来ができるという。慶太は、その次元の裂け目からこの世界に落ちて来たのだった。

 そうした次元の裂け目から来る人々のことを、この世界ではマレビトと呼んでいた。そして、マレビトは、年に数人程度来ているという。


「ただね、次元の裂け目を通ってきても、海の上だったり、砂漠の真ん中だったりすると生き残れないんだ。だから君のように無事なのは、そんなに多くはないんだ」


 そして、この世界は、マレビトが伝える文明、文化で発展してきたという。


「今食べているパンも、料理人だったマレビトが伝えたものなんだ。政治家だったマレビトは社会制度を、技術者だったマレビトは技術を伝えて、そのおかげで発展してきたんだ」

 そう言われるが、まだ電気も無いようで、日本とはかなりの差がある。ケイは、まずそれを思った。

「僕は……、中学生ですから、できること……、たぶんないです」

「気にすることはないよ。全員がそういう文化を伝えたわけではないからね」


 それから、この世界には魔法があった。前の世界、日本でも魔法を使えるはずだが、その魔法の源となる魔素が、前の世界には全くなかった。だから使えなかったのだった。しかし、この世界には潤沢に魔素がある。人々は魔法を使いながら生活をしていたのだった。今、慶太が言葉を使えるようになったのも魔法の力だった。

 そして魔法があるせいで、文明の発展が遅れていたのだった。不便があるからそれを克服するために新しい技術ができる。しかし魔法があれば、そういう技術を開発する必要はないのだ。

 戦争も魔法で戦うから、鉄砲や大砲などの武器を開発する必要もない。だから、地球と同じような進化をしてきたのに中世レベルの文明でとまっているのだった。


「一番多かったマレビトは、英語を使う人たち。日本人も多かったから、日本語を翻訳する魔法ができたんだよ」

「日本人が多かったのですか?」

「歴史的にね……。今はどれくらいいるのかわからない」


「あの……、僕は日本に戻れるんでしょうか?」

「原理的には可能だと考えられている。運良く次元の裂け目を見つけられたら……、でも、その先は、おそらく前の世界だろうけど、どんなところかわからないんだ。広い海の上かもしれないし……。だから次元の裂け目に入ったというマレビトはいるらしいけど、無事に帰れたかどうかはわからないんだ」

 それを聞いて慶太は肩を落とした。顔を伏せると大粒の涙がポタポタと落ちてきた。これが現実だとわかってきて、様々な感情が押し寄せてきた。

 オリヴァイアが、立ち上がって慶太の横に来て、肩をそっと抱いた。

「泣きなさい。思い切り」


 慶太は、しばらく泣いた後、顔を上げて食事を続けた。”現実逃避”、今はそれしかなかった。食べて、何かをして気を紛らわせる。それしかないと慶太は思っていた。


「ところで、君の名前は?」

「慶太です」

「ケ・イ・タ」

 ウィントン伯爵が繰り返した。

「ケイで、いいです。まわりからはそう呼ばれてました」

「ケイね」

 オリヴァイアが言う。

 それから慶太は、この世界でケイとなった。


「あと、これから気をつけてほしいんだけど……、マレビトであることは極力秘密にしておいたほうがいいんだ」

「どうしてですか?」

「マレビトの知識が金になると考えている連中が多くいる。だから誘拐して利用しようとするんだ。だから出歩くときも、1人ではなくて、必ず誰かと一緒にいるようにしてくれ」

「わかりました。僕もしばらくは外に出ないようにします」

「それがいい」


 それから、屋敷で働いている人を紹介された。

 大柄な女性は、侍女のミリー。30代後半で、家事全般を担当している。5つくらいの女の子、アーミがいる。

 もう一人の侍女が、ミラ。10代でケイより少し上のお姉さん。ブロンドの髪の美しい少女だ。

 執事のイザックは、ミリーの夫で、屋敷の事務全般を担当している。一見厳格そうだが、実際にはそうでもないようだ。

 屋敷の力仕事全般を担当しているのがヴィクトール。20代半ばで、元兵士。屋敷の護衛もかねていた。

 貴族だが、使用人はこれだけだった。領地も大きくなく、これで十分なのだ。


 ウィントン伯爵は、長くこの地の長老の一族だったが、この地が王国に編入されることになったときに、伯爵位を叙爵され、そのまま領主となった。

 領地は、森と山に囲まれた自然の豊かな土地だった。ぜいたくはできないけど、食べるのには困らない土地だとウィントン伯爵は言う。


 ケイの、とりあえずこの地で暮らしを受け入れることにした。

 運命というものがあるのならば、それを受け入れるのか、それとも、それを乗り越えて、新しい運命を創り出すのか……。ケイは、その岐路に立っていた。


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