ウィントン伯爵領への帰還
伯爵領へと向かう道のり。みなの口数は少ない。スンナ村に入れないことは、頭では理解しているのだが、心がそれを受け付けていないのだ。そして希望だけが、エネルギーだったが、今は、その希望が見えない。
ケイにとっては2年ぶりになるからうれしいはずだが、素直には喜べない。
そうこうするうちに伯爵領の入り口が見えてきた。入り口といっても何かあるわけではない。こんもりとした森を抜け、目の前に広がる草原、その向こうに並ぶ山々、その風景が伯爵領の入り口だった。
(帰ってきた……)
さすがにリニ村、ルイス村のように住民が殺されていることはないだろう。ただ気がかりなのは、ウィントン伯爵だった。解放されたのだろうか。それとも捕らえられたままなのか。それとも……。
今まで見てきたことを思うと、不安に心が押しつぶされそうにもなる。
おそらく大きな罪にはならないだろう、ヴィクトールの言葉だけが頼りだった。
領内に入って、まっすぐ屋敷へ向かった。
「きれいなところね」
ナンナが、不安そうなケイを見て、気を利かして話しかけてくれた。
「ああ、それも自慢の一つだった……」
風景は変わっていない。2年前のままだ。ただ、誰ともすれ違わない。まさか殺されてしまったのか?領民は500人以上はいたはずだ。
歩きながら、光魔法を発動して周囲を見渡した。
街には、何人もの人が歩いていた。一緒に遺跡に行った者も見つかった。
(大丈夫だ。みんないる)
ケイはほっとして、少し顔がほころんだ。
「やっと笑ったね」
ナンナは、ずっと厳しい表情だったケイが心配でたまらなかったのだ。
「もう少しで着くから」
それから10分ほど歩いて伯爵の屋敷に着いた。あの夜、捕らえられて以来だ。
「大きなお屋敷ね」
みんなは驚く。
「ケイって、お坊ちゃまだったの?」
「いや、僕は、ここの伯爵様に拾われたんだ。それからずいぶんとかわいがってもらって……。とにかく行こう」
玄関に着いて、ゆっくりと扉を押す。鍵はかかっていないのに、人の気配はない。
そうっと、キョロキョロしながら中に入る。ナンナたちもケイに続いた。
屋敷の中は、きれいに整理されていたが、家具などがない。人が住んでいる雰囲気ではない。
「誰もいないね……」
ナンナが声をかけた。
「そうみたいだ。みんなは、ここで休んでいて、誰かに事情を聞いてくる」
ケイは、そう言い残して屋敷を飛び出した。街へ行けば、誰かに聞けるだろう、そう考えた。
イザックさんは、ヴィクトールは、ミラさんは、みんなはいったいどこへ?ケイの頭の中に、次々と顔が浮かぶ。そのたびに、不安がどんどん大きくなっていく。
「ケイじゃないか」
街の近くで、ふいに呼び止められた。
ふりむくと、ギーマだった。ギーマは、伯爵の手伝いで屋敷に出入りしている人で、ケイもよく知っていた。調査のための神殿跡の整備にも同行してくれていた。
「無事だったのか?」
ギーマの言葉に、ふいに涙があふれきた。懐かしい顔、声に、今まで我慢していた心に溜まっていたものが決壊したのだ。
「ギーマさん……」
ケイは、話したいことがいっぱいあるのに、言葉にならない。
「まあ、そこにでも座れ」
ギーマは、ケイを道ばたに倒れている丸太に座らせた。
少し落ち着いたケイは、今までのことをかいつまんで話した。その一言一言をギーマは黙って聞いている。
「苦労したんだな。でも、解放されてよかった」
ケイの話を聞いたギーマの目も少し潤んでいる。
「それで、伯爵様ですが……」
ギーマは首を横に振る。
「それじゃあ……」
「勘違いするなよ。おそらく伯爵様は無事だ。まだ戻られていないだけだ。ただ……、どこにいらっしゃるのかわからないんだ」
ギーマの話では伯爵は捕らえられて王城に連れていかれてから戻ってはいないという。処罰されたという話はないから無事の可能性は高いと噂されている。そして代わりに、メンゲレ子爵が領主代理となったともいう。
「代理がついているから、領主自体は、まだ伯爵様のままなんだ。だからご無事なんだろう。ただな……メンゲレは好き勝手してやがる」
ギーマの話だと、〈賢者の石〉を探すために領民を動員してあちこちを掘っているという。火山のまわりにもいくつもの穴を掘った。それでも賢者の石は見つかってはいない。
ひどいのは、ヘスの命令で堤防を壊して洪水を起こしたことだった。この地に困難が起きれば竜が助けてくれる、その竜が〈賢者の石〉だと考えていたからだった。
しかし洪水が起きても竜は現れない、〈賢者の石〉は見つからない。ただ、広大な畑が水浸しになっただけだった。
「おかげで作物はとれなくて、食うもんも無くて大変だったよ」
それと別の大きな問題もおきていた。穴を掘るために領民を動員したから、神殿の管理ができていない。それにあちこちを穴を掘ったせいで、魔脈がみだれてきているともいう。
「そういえば、みんな魔法が弱くなっていると言っていたな」
「そうなんだ。魔脈が乱れて空気中の魔素が減っているんだ。だから、料理をするのに火を熾すのにも、うまくいかなったりもしているんだ」
ケイは、元々魔力が強いせいか、それほど感じていなかったが、あちこちで魔素不足の問題が起きているのだった。人が多い街ではすぐに魔素が足りなくなっている。
「イザックさんはどうなんですか?屋敷にもいなかったし」
「大丈夫、無事だ」
「あの隠れ家ですか?」
「隠れ家を知っているのか?そうだ。普段はそこにいて、伯爵様を待っているんだ。あの隠れ家を知っているのは、この領地でも俺を含めて数人だ。俺は連絡がとれるから今日にでも伝えておくよ」
そう聞いて、ケイはようやく一息つけた気がした。
「お屋敷には何にもなかったろ。メンゲレのやつらが金目のものは根こそぎもっていきやがってんだ。それでもミリーさんが時々掃除に来ているんだ。戻られたときのために……」
ミリーさんらしいなと、ケイは思う。
「ただな、あの屋敷は早く出た方がいいかもな。メンゲレの配下が見回りに来るからな」
「わかりました。隠れ家の場所はわかりますから、すぐに行ってみます」
「そうするといい。俺もすぐに馬を飛ばして、ケイが戻ったことを伝えておくよ」
「お願いします」
それからケイは急いで屋敷に戻った。イザックたちはみんな無事という、わずかな希望が見えた。そのわずかな希望がケイの力にもなる。
屋敷に戻ってみると、馬に乗った3人の男たちが玄関前にいた。兵士の雰囲気ではない。ギーマの言っていた見回りだろう。
(ヤバい)
ケイはすぐに火魔法で小さな火の塊を飛ばした。ねらいは馬の尻だ。
ヒヒーン!火は小さくても十分だ。馬は、驚いて暴れる。男たちは、それを取り押さえるのに必死だ。
そのすきにケイは、光魔法で自分の姿を隠して、屋敷に滑り込んだ。
屋敷の中ではナンナたちが一番奥の部屋で身を潜めていた。
「大丈夫か?」
ケイは声をかける。
「馬の鳴き声がしたの」
それで、屋敷の一番奥の部屋に隠れたという。
「僕にまかせて。じっとして声をださないで」
ケイは、光魔法を展開して、みんなの姿を消した。
コツコツと見回りの男たちが廊下を歩いている音が聞こえてくる。
ナンナは、じっと身を縮めるように身体を丸める。光魔法があるから関係はないのだが、ついそうしてしまうのだ。
ガチャ、ガチャ、ドアを開ける音が近づいてくる。
ガチャっという音とともに、ケイたちが潜む部屋のドアがあいた。男は、中には入らないで廊下から中を見渡す。
そのとき、ケイはまた火魔法を外の馬に向けて飛ばした。
ヒヒーン! 馬のいななきが外から響いてくる。
「チッ、またか」
男は、舌打ちをして、急いで外に向かって走って行った。
「何もなかったな」
馬を取り押さえながら、男たちは確認するように言う。
「何もなかったし、誰もいなかった」
「よし、それじゃあ戻ろう」
そう言って、男たちは馬にまたがり、帰っていった。
ケイは、光魔法で外の様子を探る。誰もいない。男たちは遠くまで行ったようだ。
「もう大丈夫だな」
緊張が解けて、全員が床に座り込んでしまう。
それからケイは、隠れ家のことを説明した。
「そこに行けばもう安全だ」
昼間にぞろぞろと歩くと目立つので、夕暮れを待った。
まわりを警戒しながら、屋敷の外に出る。ケイは、光魔法を発動して周囲の警戒を怠らない。中途半端な知り合いに遭うのも面倒だ。できるだけ誰にも遭わないようにして行こう。ケイはそう考えた。
隠れ家のある隣の領地の境までは3時間ほどだ。その領地は伯爵の奥方のオリヴァイアの実家でもある。だから融通がきくのであった。
とはいえ、夜に森の奥にある隠れ家に行くのは、極めて危険だ。夜行性の肉食獣がうようよしている。
そこで境界を越えたところにある宿屋に行くことになっていた。夜遅くでも大丈夫なように、すべてギーマが手配してくれていたのだ。
それは小さな宿だった。周囲の森は豊かで、鹿やイノシシ、それに山菜が採れる。そんな猟に来た人たちのための宿だった。
ケイたちが着いたのは、夜の10時をまわっていた。それにもかかわらず、女将さんは笑顔でみなを迎えてくれた。その女将の後ろに見慣れた顔があった。
「イザックさん……」
そこには執事のイザックがいた。ギーマから連絡を受けて、先に宿に来ていたのだ。
「ケイ!」
ケイは、強い力で抱きしめられた。イザックの妻の侍女のミリーだった。
「ほんと、無事で……。よく帰ってきたね。おかえりなさい」
ミリーの目は潤んでいる。
「ケイ兄ちゃん」
足下に、ミリーの娘のアーミが抱きつく。2年の間に、ずいぶんと大きくなった。
「みんなも無事で……」
ケイも言葉にならない。
「さあ、みんな疲れているでしょう。夕食も用意してありますから、こちらへどうぞ」
宿の女将さんに案内されてテーブルについた。
久しぶりの温かい食事に、ナンナたちもほっとした表情だ。
それから、ケイはイザックに捕らえられてからのことを話した。ただ、光魔法を獲得したことは秘密にした。ケイはイザックを疑っているわけではない。でも、こんな大勢の前では話すべきではない、そう考えただけだった。
「苦労したのね」
話を聞いたミリーがまた泣く。
「ヴィクトールとミラさんは?」
ケイが聞くとイザックの顔が少し曇った。
「二人ともいないんだ」
「どういうことですか?」
みんなが隠れ家に来てから1月ほど経った頃だった。ミラは伯爵領の街へ買い物に行った。それから帰っていないという。
「私が行けばよかったの」
ミリーが泣きながら言う。
「目撃した者がいたんだが、誘拐されたようなのだ」
「誘拐……、ですか?」
イザックはうなずく。
「そして、ミラを探しにヴィクトールも出て行ったんだ。ヴィクトールからは、この宿宛に時折手紙が届く。王都で元気にしているらしい。でもミラはまだ見つかっていないんだ」
「ミラさんが……、どうして?」
「どうやら、襲撃されたときに、目をつけられたらしい。それで、奴隷商が探し回っていたようだった。それを知っていれば……」
そう言って、ミリーは顔を伏せた。食卓には沈黙が流れる。
ケイは、ミラも奴隷のような扱いをされているのではないか、いやそれ以上のことを考え、心が揺れる。
そんな様子を見て、ナンナがケイの肩に手をやった。その温かさが、ケイを救う。
「ありがとう……。大丈夫だよ。さあ食べよう」
ケイの一言に、食事を再開した。といっても言葉は少ない。静かなまま食事が進んでいく。
その夜、みなは久しぶりのベッドでぐっすりと眠りについた。誰もが長い距離を歩いて、疲れも溜まっていた。
しかしケイは眠れないままだ時間だけが経っていく。窓の外には星がきらめく。やはりミラのことが気になるのだ。
遠くの山の端が明るく輝き始めた。もうすぐ夜が明ける。




