ライオネルという男
翌日の朝食の後、ライオネルがやってきた。
「調子はどうだい」
扉の小窓を開けて声をかけてきた。見ると、ライオネルは鼻をハンカチで押さえている。やはりこの部屋は臭うのだ。ケイは、そんな環境にもなれていたことに気づいて、恥ずかしくも思った。
「もう大丈夫です。魔力も回復したようです」
「そうか、よかった」
そう言って笑うライオネルは紳士のように見えた。ならず者っぽいザムザとは、そこが違っていた。
「それで、話があるんだ」
「なんですか?」
「お前は数学ができるな」
「計算くらいだったら」
「それじゃあ、俺の仕事を手伝ってくれ。ここの経理全般だ」
「経理ですか?魔法を使う仕事ではないんですね」
「ああ、あんな魔法を使うような仕事なんて、しょっちゅうはないよ」
「経験はありませんので教えてもらえればやります」
「よし。それじゃあ今から来てくれ」
そう言うやいなやガチャリと鍵が開けられた。
ケイはライオネルについて歩いた。この建物の中は、光魔法で把握はしていたからよく知っていた。そこは建物の奥のきれいな空間だった。ここで働く奴隷はいない。掃除のために女性奴隷がときどき来るだけだ。
通されたのは、机が一つの小さな部屋だった。
「ここに座って待っていてくれ」
ケイは、椅子に座った。窓からは明るい日が差し込んでくる。薄暗い独房とは全然違う。床にはちり一つ落ちていない。
そして独房と違うのは、臭いがないことだった。むしろいろいろな良い匂いがある。机の木の匂い、紙の匂いすら、独房の臭いと比べると格別だ。
少ししてライオネルが、書類の山を抱えて戻ってきた。
「ここに書かれている数字を全部足して、ここに書いてくれ。それだけだ。ただし、絶対間違うな」
「わかりました。やってみます」
「うん、時間が来たら呼びに来るから……、トイレは、そのドアを出て右だ」
(トイレがある!)
これはケイにとってうれしいことだった。これが当たり前なのだが、まるでご褒美のようにも感じられた。
それから机に向かって、ひたすら数字を足していった。
よかったのは数字や演算記号などが前の世界と同じだったことだ。マレビトが伝えたのだろう。
そして、通貨の単位もYenで円に近い。発音はイェン。昔はドルとセントだったそうだが、2種類あるのは面倒だと、Yenになったのだという。
間違うわけにはいかないから、同じ箇所を何度も計算して確かめもした。計算用紙がほしいところだが、紙は貴重品だ。暗算で進めるしかない。どうしても必要なときは、手や腕に書いて計算して、後から擦って消していた。
経理の仕事をやるようになって、食事のパンが2個になった。それから必ずスープがつく。
「出世ね」
ナンナはそう言う。どうやら奴隷の中でもランクがあって、食事で差をつけているらしい。今までの食事は最低ランクで、それがワンランクアップしたのだ。
ナンナは、小さなころからここでの奴隷生活で、今のケイと同じランクという。
「長くやっていると、上がるようになっているの」
小さいことだが、こうした目標をもたせて、不満をそらそうというのだろう。
しかし、ケイは満足はできない。やはり甘味がほしいのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うん?、これは?」
ある日、計算していた数字におかしなことがあることに気づいた。
慣れてきたので、数字だけでなく、その項目も見ていたら、それは2日ほど前に計算したもののはずだった。しかし、数字が違う。
(どういうことだ?)
仕事が終わり、ライオネルが迎えに来たとき、何気なく聞いてみた。
ライオネルは、驚いた表情でケイを見る。
「よく気づいたな」
「??」
ケイはよくわからない。
「これは二重帳簿だ。まあ、ごまかしているんだ。所長の命令でな」
「ごまかし……ですか?」
「ああ、そうだ。例えば、これ。食事の材料の小麦を少ししか買っていないのに、たくさん買ったことにする。その差額は?」
「所長の懐……、ですか?」
ライオネルは、うなずいた。
「パンが一個ずつというのも……」
「そういうことだ。本部は、2個とか3個だと思っているだろうな」
パンだけでなく、いろいろとあるんだろう。
話を聞くと、売上もかなり抜いているようだった。
「それで、こっちが所長用。そしてこっちが本部用だ。間違うなよ」
ライオネルの目が厳しくなる。
「いいか……、これが見つかったときは、お前が勝手にやったと言うんだぞ」
「それで僕だったんですね」
またうなずく。ライオネルは紳士だと思っていたが、大間違いだった。
「いやとは言えないぞ」
「言うと……?」
「ボン!だ」
そう言って、指を首にあてた。奴隷の首輪だ。
「その前に、僕が言ってしまうとか……」
「誰に言うんだ? ここの連中はみんな知ってるよ。ボーナスもはずんでいるからな」
ケイは、ライオネルの完全に手のひらの上だ。逆らうことはできない。
(こんな不正で、奴隷たちが苦しんでいる。それでいいのか)
ケイの中で、正義感がムクムクと頭を上げる。
そんなケイをライオネルがじっと見つめる。その眼は、ケイの心の中まで見透かしているように感じられた。
(だめだ。勝てない)
「わかりました……。誰にも言わずに、このまま仕事を続けます」
「それがいい」
そう言ってライオネルは出て行こうとした。
「待ってください」
ケイは、そのライオネルを引き留めた。ライオネルは、なんだ?という顔で振り返った。
「お願いがあります……。言うとおりにします。だから……、できれば、たまにはケーキを……」
「ケーキが食べたいのか?」
「ケーキでなくても、何か甘い物をお願いします」
それを聞いたライオネルは、ニヤリと笑った。
「そうか……。それならば、俺が邪魔だと思っている連中を排除してくれ」
「排除? 殺せということですか?」
「そこまでする必要はない。ただ、この施設からいなくなってくれればいいんだ。お前くらいの魔法ならできるだろう。連中がいなくなると俺も動きやすくなるんだ。それが3人だ。方法はまかせる。成功したら、好きな物を食わせてやる」
ケイは考える。ケーキだ。甘味が食べられる。
(殺さなくてもいいなら……)
「わかりました。やります」
きっとよくないことだろうとケイは思った。でも、断れない。ケーキの、甘い物の魔力に心も身体も取り込まれていたのだ。




