プロローグ-最初の復讐-
ボッという音とともに小さな火の玉が宙に浮かぶ。
その火の玉に照らされて、少年の姿が浮かび上がった。火の玉は少年の手の上でゆらゆらとゆれている。
「やはりお前だったのか……」
禿げた小太りの男が床にしゃがみ込んだまま、少年を見上げてつぶやいた。
石で敷き詰められた固く冷たい床、同じような石造りの壁。どこかの地下室のようだ。真っ暗なその部屋で、少年の手の上に浮かぶ火の玉が唯一の光だった。
その小太りの男は、何もかもを諦めたように見えた。
「お前はもう終わりだ……」
少年は、そう言って手の上の火の玉を男に投げつけた。火の玉は、男の頬をかすめ、壁に当たり、シュッという音を残して消えてしまった。また、部屋は闇に包まれた。
「命だけは助けてくれ!」
絞り出されたような叫びが真っ暗な部屋に響く。
「お前は、そうやって命乞いをした者を許したのか?」
少年の声は落ち着いている。その声には、感情は不要だ、という響きがあった。
ボッ、また火の玉が現れ、部屋を照らす。
小太りの男の身につけている宝石がキラキラと光っている。
「まて! あのスンナの村では、全員の命を助けたぞ。全員の……」
「あそこは、まだ村人から搾り取れるからだろう。ほかでは何をした。子どもを奴隷として売るために、その両親を、家族を、村人を殺した。いったい何人だ?奴隷にした子どもたちは100人をくだらないはずだ」
沈黙の中、火の玉が宙でゆらゆらとゆれる。
「確かに……、スンナ村では、村人を殺さなかったな……。それじゃあ、今から聞くことに答えたら許してやろう。無傷で、ここを出してやる」
「本当か? 何でも答える。何でも聞いてくれ……」
「俺が知りたいのは……、ウィントン伯爵夫妻の居所だ」
「やはり、それか……」
小太りの男は、しばらくうつむいていたが、意を決したように顔を上げた。
「夫妻は……、生きている。ただし、いるのは王城の奥だ。ただ、知っているのはそこまでだ。地下なのか、塔の上なのか、場所までは知らない。でも確実に王城に監禁されているはずだ」
「黒幕は王なのか?」
「まさか……、あの王にそんな力はないよ。実質的な王……」
「ヘスか?宰相の……」
「そうだ。伯爵は、〈賢者の石〉の隠し場所を知っている……、ヘスはそう思っている。ヘスが喉から手が出るほどほしいものだ。〈賢者の石〉があれば、鉛も鉄も金になる。どんなものでも作れる。不老不死の薬も……。だからその場所を言わない限りは殺されることはないはずだ」
「〈賢者の石〉を差し出すと、ウィントン様は解放されると思うか?」
「まさか、あのヘスだ。それはありえない。今まで、約束など守ったことは一度もないからな」
少年の手のひらの上では、まだ火の玉がゆらゆらとゆれている。少年は、ヘスと会ったことを思い出していた。まだ、ウィントン伯爵の領地にいたときのことだ。狐のようにつり上がった冷たい目が印象的だった。
「これで、もういいのだな」
「ああ、約束は守る。そこから出られるからとっとと出て行け。もう何もしない。それは約束する」
そう言われて、小太りの男は、膝に手をやり、よいしょ、と小さな声をかけ立ち上がった。まだ足が震えている。それでも、命が助かった、その安堵の表情が見える。
ゆっくりと歩き始め、少年の横を通り抜け、出口に向かった。後ろでは、まだ火の玉がゆらゆらと揺れ、男の足下を照らしていた。
ここは、この男の別宅だった。何者かに狙われている、それを感じ取った男は、護衛のならず者たちと、この別宅に潜んだ。地下室は、最も頑丈な部屋だったが、それも破られた。
(なんてやつだ……)
男は、そう思いながら階段を上がる。上を見上げるが、人の気配はまったくない。
(護衛は何をやっているのだ)
吐き捨てるように言う。
男は階段を登り切り1階の広間に出た。そこで目にした光景に驚き、また階段の下に落ちそうになった。そこには、何人もの男たちが倒れている。護衛の男たちだ。誰も息をしていない。血の臭い、何か焦げた臭いが漂ってきた。
(100人はいたはずだが)
男は屋敷の外に出た。そこにも何人もの男が倒れていた。斬られた者、焼かれた者、足が潰れている者もいた。
この男の名は、アーモンといった。アーモン商会の会頭で、奴隷売買が一番の売上だった。その奴隷の確保のために、ありとあらゆる悪事に手を染めていた。しかし、王国の悪人の中では小物だ。どこにでもいる悪人だった。
そしてアーモンを追い詰めた少年は、ケイと言った。本当の名は福澤慶太。4年前に、次元の裂け目から、この世界に落ちてきたのだった。
ケイは、ゆっくりと階段を上がってきた。その間、ずっと考えていた。これからどうすべきかを……。
1階に上がり、出口のほうを見る。アーモンがよろよろと歩いて外に出て行くのが見えた。この屋敷は森の奥にある。人が行き交う街道までは数キロはあるだろう。
(助かるはずはない)
ケイはそう思った。アーモンの体力が失われていることももそうだが、それよりもアーモンにまとわりついている血の臭いが彼を生かしてはおかないはずだ。
(これで、一つが終わった……)
しかし、気が晴れることはない。
ケイは、そばにあった小さな椅子に腰掛けた。
そのときのケイの脳裏に浮かんだのは、ウィントン伯爵と過ごした1年だった。
満ち足りた、穏やかな、ささやかな幸福を感じていた日々を……。