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6-1 明智ヒデトの最終定理 ~佐藤六三四 戦~


「暑い……まだ5月なのに暑くない……? ヒデトさ、ヤングドーナツもいいけど、チョコバッキー食べたい……食べたくならない?」


「先生、そんなに暑がってたら、これからは地球温暖化なんだから、生きていけないよ」


 6年生になった藤井桜が、ヤングドーナツを頬張りながら、明智と一緒に埼玉と東京の県境付近を歩いている。


 目的はあの「みつみや」でチョコバッキーをねだること。


「サクラ、だいぶ大人になったね。あ、服装がそれっぽいだけか……でもさ、いつかシュマリとか超える日がくる」


「そんなことない、わたし、髪型も変わったもん」


 確かによく見ると、だいぶ伸びたらしく、ポニーテールになっている。

 

「みつみや」の周囲は異様な雰囲気に包まれていた。

 

「よう、ヒデト……立派になって来たもんだぜ。俺ァ、和光市”崩し王”佐藤さとう三三さんぞう、この界隈じゃ結構有名なのは分かってるよな」


「あぁ、マスター……でもさ、もうヒデトも世界チャンピオンだ……だからさ、チョコバッキーさ……今日もあったりする……もうない?」


 佐藤は胸を張るように言った。


「おうよォ、特大の「ビッグ・王・チョコバッキー」を用意してあるぜ。しかもだ、てめェ、知らねぇのかもしれんが、「崩し」の影響で、将棋の駒の形のチョコバッキーだよ。最近インフレ酷くてよ、これ一本で510円もするんだけどな。それをな、これから紹介する相手に勝ったらくれてやる。もうサイン会みてぇなのも終わっただろ」


「おーい、ムサシ!」


「あいよー!」


 どこかで聞いたことのある声。



 それは、あの織田が登場するはるか以前、「将棋の神の申し子」として」最年少記録を多く取った、名人位も獲得したこともある、「むさしん」こと佐藤さとう六三四むさし九段の姿で間違いない。


「やあ。もう80歳になるけどさぁ、ボクと「崩し」で一局やってかない?」


「ハロー、むさしん。世界チャンピオン防衛戦だよね。是非ともやらせてください……ヒデト、絶対勝つから……」


 六三四はボケているのか、正気なのか、座椅子にあぐらをかいた状態でその上にみかん箱のダンボールを載せ、さらにその上に1.5cm厚ほどの桂の板を載せている。


 チェスクロックも公式用に設定されて置いてあり、六三四はトントン拍子でジャンケンと振り駒を開始して、明智に勝ってしまった。


「じゃあ、良く見とくんだよ……これがね、当時の将棋界を圧倒した、伝説の棋士の作り出す、「山」ってもんですよ……!」


 六三四のペースに乗せられ、明智、佐藤、サクラの三人が、奥の茶の間に一緒に座って対局の様子を見ている。


 明智も同じタイプの座椅子に座らされている。


「な、なんという物体……これは……”バベル・タワー”……?!」


 駒の山がその姿を現す。


 それは、コーン型をしたタワーのようなものだった。


 磁力のようなものを一切使わず、指を箱に入れるだけでこの後期高齢者がそこまでできるとは明智も予想だにしていなかったのである。


「これが、”ザ・スカイ・タワー・オブ・MU・SA・SHI”……」


「……すげぇ……ヒデト思うんだけど……これの重力負荷とかどうなってんの?」


 墨田区の方にあるタワーにどこか似ているようで似ていないそれは、とてつもない威圧感を放っていた。


「まあ良いのよそれは……ヒデトが全部獲れば良いだけだからさ……じゃあ、I☆KU☆ZE……」


 明智が手を伸ばすも、僅かにゆらゆらと揺れる盤が不安定で、全く手が出ない。


 辛うじて桂と歩の2枚を引き抜くも、揺れる地面のせいで時間がギリギリだ。


 なんせ、盤の下には対局相手の下半身があるのだ。



1ターン目 先手 明智ヒデト:桂歩 3点 

1ターン目 後手 佐藤六三四:0点


「ヒデト思うんだけど……昔の地図でそういうのあったよね……クジラの上に大陸が乗ってるやつ……まさに今の状況ってさ……それ……でもさぁ、”コペルニクス的転回”ってそういうのを覆すことだから……悪いけど……そういうことだから」


「んー、むさしんは、獲りません、ソレ!」


 10秒後、六三四がクロックを押す。


(これ、ヒデト思うんだけど……完全にミスを誘ってる……タワー壊れたら失格やばい……やばくない……?)


1ターン目 後手 佐藤六三四:0点

2ターン目 先手 明智ヒデト:桂歩 3点 


 手番開始5秒、揺れが始まったあたりで明智が動く。


「”ノーベル物理学掌ぶつりがくしょう!!”」


 ノーベルのダイナマイトの原理のように、明智の作戦は”ザ・スカイ・タワー・オブ・MU・SA・SHI”を安全に崩落させて、とりあえず即死を防ごうという作戦だ。


 ガラガラと崩落するタワー。

 しかし、ダイナマイトの絶妙な配置と着火のごとく、ギリギリのところで盤外を免れたが、これは明らかに六三四に有利に働く。


2ターン目 先手 明智ヒデト:桂歩 3点 

2ターン目 後手 佐藤六三四:0点


「じゃあ、むさしん貰っちゃうね!」


 ごっそりと王、飛、角、桂、歩2枚を奪う。

 六三四の指は肥満体だが長く、余裕で半数以上の点を奪っていく。


2ターン目 後手 佐藤六三四:王飛角桂歩2 30点

3ターン目 先手 明智ヒデト:桂歩 3点 


 次はないかもしれない……そう思った明智は、急いで玉を狙うことにした。

 

 ユラァ……


 なんと、六三四の頭がゆらゆらと動いて、催眠効果を誘っているのだ。


「なんか昔、こういうのさ、テレビで見たかもしれない……むさしんの頭がゆらゆらして、結構盤が見えなくなるのって……なんか懐かしいっていうか、ヒデトなんか眠いって……ハッ!!」


 慌てて玉を含む角、銀、歩を盤外にその長い中指で明智が落とした。


3ターン目 先手 明智ヒデト:玉角銀桂歩 25点

3ターン目 後手 佐藤六三四:王飛角桂歩2 30点


「こりゃぁ……むさしんの勝ちかなぁ……えぇ?」


「まずいって……これ……ヒデト結構まずいよ……冗談抜きでさ……」


 六三四は落ち着いて、凝視するように飛、角を押さえ、さらに桂、香2枚、歩を落とした。


3ターン目 後手 佐藤六三四:王飛飛角角桂桂香香歩3 47点

4ターン目 先手 明智ヒデト:玉角銀桂歩 25点


 ユラァ……


 再び5秒が経過すると、ゆらり、ゆらりと上下対称に揺れる頭、そして安定したバランス感覚。


 盤上には殆ど駒は残っておらず、一度で獲り切るのも難しいが、全てが一段もしくは二段で不安定な盛り上がりはない。


(そう……眠くなってくる中でヒデト思うんだけど……その安定した動きとバランス感覚……そこに一点の隙のようなものが見えるって……そうしないと必ず負けるって……思うの)



「あんたがたどこさ……♪」


「……あ?」


 明智が突然わらべ歌を歌い始めた。


 それも結構下手糞な声で。


 ――ただし、そのリズムは六三四の頭の動きに合っている。


「肥後さ……肥後どこさ……♪」


「おいおい……ヒデト、とうとうおかしくなったか?」


 三三が明智の謎の歌にツッコミを入れる。


 サクラもその状況を、怪訝そうな顔で見ている。


 そして六三四は若干、居眠りにすら入っていた――


 そのとき、



「”KU☆MA☆MO☆TO☆SA”!!!」



 明智は胡坐あぐらの姿勢から「熊本さ」の掛け声で一気に右脚を出し、みかん箱めがけて猛烈な速度の真空回し蹴りを放った!


「く、くまもと……?!」



 ボコーン!!

 

 トン……


 六三四はぽかーんとした表情で状況がまだ把握できていない。


「これで”位置エネルギーの保存”できたね……つまりさぁ……」


 六三四が膝の上に乗せていたみかん箱は部屋の横に吹っ飛んで潰れ、そして彼の膝には将棋盤が先ほどと全く配置が変わらない状態で乗っている。



 そして、不思議なことに、将棋の駒は全く鳴っていない――!


4ターン目 先手 〇明智ヒデト:玉角銀桂歩 25点

4ターン目 後手 ●佐藤六三四:王飛飛角角桂桂香香歩3 47点(盤に触れて反則負け)



「まさか、むさしんの……負け? あり得ない!!」


「そう……ヒデト勝ったよ……ごめんね……ヒデトさ、お年寄りだから手加減とか、そういうの、やってないんですよ、常にヒデト容赦ないから……これさぁ……勝負だから……どんな状況になってもさ……地球って常に回ってるし、もし止まってもヒデトが動かす……悪いけど、そういうことだから」



 冷凍庫に手を突っ込み、最初に「ビッグ・王・チョコバッキー」にかぶり付いたのは、明智だった。




次回で最終話!


※バベルの塔※

旧約聖書の「創世記」中に登場する巨大な塔。神話とする説が支配的だが、一部の研究者は紀元前6世紀のバビロンで建設開始されたエ・テメン・アン・キのジッグラト(聖塔)と関係しており、これが永久的に空を目指して造られたものであるという伝説が残っている。六三四はそれぐらいのインパクトの高さの「山」を作ったということである。

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