4-4 オリンピック予選の定理 ~第4戦 豊臣天目 戦~
明智の次の相手は、落ち着いているのか、気を集中させているのか、眼を閉じていた。
「……どうも、ほう……君が、あのコペルニクスか」
豊臣天目は、チェスクロックを握り、ヒデトの方を座ったまま見上げるようにした。
「ハイ! 豊臣天目さん、ですNE? 明智ヒデトです……協会では五段ですYO」
「ううむ、君が……明智くんかね? 娘が世話になってます」
天目は目が悪いのか、てかてかにしたスキンヘッドに髭を伸ばした姿で、顔立ちは整っているが、60歳を少し過ぎたくらいの威圧感のある外見をしている。
「世話……特にしてないつもりですけど、今回はさぁ……ダッド、絶対に勝たせてもらうよ」
「豊臣天目、九段だ。では先にそちらから先手か後手かは決めてくれんかね。わしはどちらでも良い」
審判の本田が説明する。
「豊臣九段は目が見えないんですよ。だから、振り駒なんかもできないんで、明智五段の方でどっちか決めちゃってください」
「……なるほどね。じゃあさ、ヒデトがヤマ組んだら、ダッドが目隠しで獲れるって訳だ」
明智はクロックを押して、60秒としないうちに山を完成させる。
5秒後、天目は手を動かす。
まずは山全体の形を測るように、全体を両手で触れない程度に動かす。
(ヒデトまず思ったんだけど……この男、指の動きからして多分……カトリーヌ殺しとは無関係だって……)
健康的な左手の五本指をしまうと、右手の中指を使い、両側をさすり、どこまで獲れる範囲かを確認している。
明らかに崩れるのを知っての行動だ。
「ううぬ……目が見えなくなってからは、やはり駒を読むのは難しいものだ……」
やがて……駒の数が多い、天目から向かって右側の駒が崩れ出し、歩2枚が落ちた。
すぐにクロックを押す。
1ターン目 先手 豊臣天目:0点
1ターン目 後手 明智ヒデト:0点
(ヒデト思うんだけど……これで現役の「崩し」有段者ってすげえ……もはや駒の一つひとつに「気」を感じてるレベルだって……天に目が付いてるって……そんな感じする)
明智はとりあえず8秒ほど待ち、それから歩を2枚ゆっくりと取ってから、クロックの位置をずらして押した。
1ターン目 後手 明智ヒデト:歩2 2点
2ターン目 先手 豊臣天目:0点
天目は順番が回ってきたのを確認すると、5秒後、小さい方の山を下段から中指を使って山ごと少し動かし、厳しいと思われるあたりで止め、クロックを押した。
(……何ッ?!!)
2ターン目 先手 豊臣天目:0点
2ターン目 後手 明智ヒデト:歩2 2点
明智は確かにクロックの位置をずらしたはずだった。
しかし、天目は全く動じず、迷いもなくクロックのボタンの位置を当てた。
(ヒデト思うんだけど……この男……まさかクロックの位置がずれた、つまり空間把握能力を熟知している……?! やべぇ……これってヒデト、結構追い込まれてる……追い込まれてない? でもさぁ……この違和感って何?)
明智は山を丸ごと獲るという動きを察して大きい方の山から歩を一枚小さい山に移し、次の動きで鳴るように仕向けていった。
音が鳴り、再び明智は斜めにクロックを動かしてボタンを押す。
なお、チェスクロックは持ち上げたり、押す部分を覆ったりと明らかな妨害工作を行った時点で失格となるという規定になっている。
2ターン目 後手 明智ヒデト:歩2 2点
3ターン目 先手 豊臣天目:0点
「ふむ……どんな手を使ったところで、下手な棋士よりも駒やモノの動きは見えておる……」
天目は小さい方の山から歩を立て、そのまま奪い取って盤外に出した。
そしてチェスクロックも1秒ほど遅れたものの、あっさりと押すことに成功する。
「へぇ……落ち着いてるね、ダッド……たださぁ……ヒデト思うんだけど……まだヒデトのスキルって無限大だって……」
3ターン目 先手 豊臣天目:歩 1点
3ターン目 後手 明智ヒデト:歩2 2点
「……どうかな? このままどちらが根負けするか、我慢比べでも良いんだよ、明智くん……君が小技を使ったところで、わしの天道からの眼はごまかせんよ」
(まずい……ヒデトこれまずくない? とりあえず水攻めでやり口を変えていかないと……ヒデト思うんだけど……このままではヒデトがジリ貧になっちゃうって……そうならない……? あと……これ心も読まれていない?)
明智は、麦茶のペットボトルを取り出すと、雑に大、小の山の間にぶちまけ、そのうえで歩を先ほどのように、小さい方の山に引っ掛けていった。
音が鳴らなかったので、二つ目の歩も小さい山に垂らし、音を鳴らす。
3ターン目 後手 明智ヒデト:歩2 2点
4ターン目 先手 豊臣天目:歩 1点
「ほう……歩が二つ動いたな……? それから、なにやら液体……麦の匂いがするぞ」
天目は落ち着いた様子で小さい方の山に手をかける。
歩が下に落ちるはずだが、ここで予想外の事態が発生。
なんと、明智がばら撒いた麦茶のおかげでゆっくりと駒が沈降していったおかげで音は鳴らず、さらに小さい山が滑らかに横へと向かって進んでいく……そして、盤外へと山の全ての駒が落ちた。
(……シット! な……なんだって?!)
明智の眼がギロリと見開かれる。
4ターン目 先手 豊臣天目:王角角金銀桂桂香香歩5 43点
4ターン目 後手 明智ヒデト:歩2 2点
「今、40点くらい入った感じかね?」
「よ、41点です!」
審判の本田が慌てて計算する。
「ヒデト思うんだけど……もう全方位から攻めるしかないって……もうこれさぁ……」
明智は両手で天目の眼を覆い、机をドンと叩くと同時にチェスクロックの反対側から、右手と左手でフレミングの法則の構えをしながら天目に向かって歩いて近づいていく。
「今ヒデトさぁ……磁力と磁場を弄って、磁界を操ってる。ヒデトの計算によればローレンツ力の方向はこれから変わる……必ずね」
「何をしても無駄なことよ……」
そして、右手の手の磁界を止め、机に手を置いて、再び麦茶を将棋盤内にぶちまける。
少しばかり天目のズボンに落ちてきた麦茶がかかり、顔をしかめさせる。
「ヒデト思うんだけど……そういえばさぁ……残りって何点?」
「お前さんが2点で、わしが43点だから、つまりは、101-43が何点か、分かるかな?」
ピッ……ピッ……
10秒を切った音が鳴る。
「えぇと……ヒデトが思うに、それは57点。そんなのさ……小学生でも分かる計算だよ……ローレンツ力にやられちゃったのかな……?」
明智が大きな駒の山へと手をかける。
「……58点です」
ピーッ……
5秒を切った警告音が鳴る中、審判の本田は冷静に正確な点数を教えてくれる。
「ヒデト思うんだけど……もしかして……これさぁ……」
「いや……まさかな、もしや……?!」
天目の手はわずかにボタンに届かず、鳴り終わってからクロックが押された。
勿論――天目側のボタンの。
5ターン目 先手 ●豊臣天目:王角角金銀桂桂香香歩5 43点(時間切れ負け)
5ターン目 後手 〇明智ヒデト:歩2 2点
「つまりだ……あの机を叩いたあたりで君が先に押していた、という訳だね?」
明智は大げさに手で表現しながら、指パッチンをする(実際には鳴らない)。
「そう……ヒデト演技しただけ。40秒のマジックに勝てるか、それとも負けるか、それに賭けた……ダッド、つまりヒデトの勝ちで……あなたの負けだ」
天目は腹を抱えて笑い、そしてやがてそれは乾いた笑いに変わった。
「ははははは……!! ”天王山のコペルニクス”が詐欺師とは、とんだお笑い草だな……ははははは!」
「HAHAHA!! 奥の手”40秒☆デ☆支度シナ”が上手くハマったね! ……あとヒデト思うんだけど……」
明智が真顔になってまだ座っている天目の耳の前でそっと囁く。
「……ダッド、目……見えてない? 動きで分かった……あとさ……本当に見えない人って、30秒が感覚的にバレるよね」
「……ふっ、かなわんな、君には」
天目は静かに口を開き、静かに片目だけを開いて明智を見た。
――
5戦目の相手までの間、明智は妙に時間が空くのを不思議がっていた。
しかし、その声を聞いた時、まさかの事実を受け入れざるを得なくなっていたのである。
(ヒデトの相手はヒデトと同じ……つまりは全勝している……ってことは何? あの、シュマリがあの四人相手に全勝……あり得ない……あり得なくない?)
だがしかし、明智はその現実を受け入れざるを得ない。
※チェスクロックの仕組み※
公式のチェスクロックは「30秒将棋」の状態においてアラームが鳴るのは残り10秒から1秒刻みで「ピッ」という短い音、残り5秒から「ピーッ」という長い音が出るものを使用している。そして意外と高価なので取り扱いは丁寧に。




