3-2.5 全国大会の定理・一日目の夜・温泉
山形牛を使った夕食に舌鼓を打った明智は、少し休むとサクラを部屋に残して風呂へと向かう。
こういう庭園式の高級ホテルは敷地も大きければ風呂も大きい。
内湯だけでも充実しているのに、大露天風呂まで用意されているのだ。
(ヒデト思うんだけど……入る前に寒くなりそう……寒くなってきてない……?)
不安そうに灯りを頼りに明智が夜空と庭園が見わたせる大露天風呂に、浴衣を脱いでタオルを持って向かうと、先客が数名おり、見知った顔も一人いたようだ。
その男はやや色黒ででっぷりと太っており、さっそく風呂に漬かりながら酒に興じており、何かツマミのようなものをガツガツと頬張っている。
「あ、明智さんだっけ? さっきはよくもやってくれやがったよな。それにしても、こういう山奥のでかい高級ホテルで露天風呂に入るのってたまんねえぜ。興奮してくるよな。酒飲める?」
「あぁ、どうも……えぇとヒデト思うんだけど……多分最初の対局で負けた仙台の伊達ちゃん? ヒデトさ、ちょっと下戸なもんで……晩酌とかさ、やってないんですよ……目、大丈夫だった?」
伊達は台の上に沢山置いてある黄色っぽい柔らかそうな物体を一個手渡してきた。
「もう目のことは良いからよ……今、上に月見えるだろ? でな、これ「萩の月」ってんだよ、仙台のお菓子。月見ながら食うと最高だ……一個300円くらいするぞこれ、マジで高いぞ」
伊達がそう話しているうちに、見知った顔が二人ほどこちらに近づいてくるのが分かった。
東東京代表の木下一郎名人と兵庫代表の佐伯翔太九段だった。
木下は170cmあるか無いか程度のすらっとしたイケメンで、黒髪を前に降ろしている。
一方の佐伯は一見チャラい感じの色黒の優男で、背丈は明智と同じくらいで筋肉質、オールバックだ。
明智は伊達を放置して、さっそく何やら話しながら露天風呂に入ってこようとする二人に声をかける。
「やぁ……イチ。どれくらい振りか分からないけど……ここまで勝ててる? あと佐伯、くんだっけ……2回戦まで勝った……勝ってない?」
木下はとりあえず少しばかり明智から距離を置いたところで、身体を軽く洗った上で、殆ど水面に波を立てない物理学的に合理的な動作で佐伯とともに湯船に浸かると、ようやく口を開いた。
「どうも、明智さんでしたか……先ほどは豊臣さん相手になかなか大人げないというか、協会員としてどうかと思う酷い勝ち方をしたとか……相変わらずですねえ……」
明智はそれに対してはニヤリ、と笑っただけで、すぐに本題に入る。
「それは褒め言葉として受け取らせてもらうよ……ところで、イチさぁ……ヒデトの結構マジな話なんだけど……赤塚カトリーヌって女は知ってる……知らない?」
木下は一瞬ビクリとしたが、すぐに落ち着いてすぐに返す。
「あぁ……結構古い「崩し」の友人というか、そう……自宅で殺されたんだったんでしたよね……もしかして、明智さんも彼女については、何か関係ありました?」
「殺しか?! なんや、面白そうな話やね。そういやおっさん、面白い髪型しとるね」
佐伯が割と遠慮なく関西弁で割り込んで入ってくる。
「まぁ……別にヒデト疑ってる訳じゃないんだけどさ……交友関係の中に”ピタゴラス”の名前が挙がってたからさぁ……」
「おぉっ、それイチやん! ”ピタゴラス一郎”やもんな!」
「佐伯さん、ちょっと今はこの人と話すから静かにしててもらえる……?」
「なんや、つれないなぁ……」
やたらと喋りたがる佐伯を止めながら、木下が返す。
「カトリーヌさんとの関係については、真田という名前の警察の方から聞かれました。ただ、これだけははっきりと言っておきますけど、”ピタゴラス”は多分僕ですけど、殺人事件には一切関係してないんですよ。実際、ほとんどそれ切りで警察からは音沙汰ありませんからね」
明智は「萩の月」を頬張りながら、月を見て、それから木下に言った。
「イチ、分かった……それはヒデト信じるから……多分さ、ヒデトたち、どこかで衝突する……その時はイチの動き見れば分かるよ……カトリーヌを傷つけた相手かどうかって、それで分かるんじゃないかって……ヒデト思うの」
木下は真面目な表情で言った。
「それなら、問題ありませんが……果たして五段の明智さんに、僕の「山」が崩せますか? 割と皆さん即死する系の結構危ない「山」ですが、それでも踏み込めますかね……僕の懐に」
明智はハハハと笑い、すぐに返す。
「そういえばイチさ、ヒデトが「崩し」を始めた理由知ってる? それまでは物理の講師専門でやってた……でもさ……ヒデト、もう「崩し」無しでは生きていけなくなった……愛するカトリーヌのためにもさ」
「へぇ、本将棋ならまだしも、あまり40代でこの業界に敢えて挑戦する人は少ない……僕のようにギャンブルが目的だという人は見かけるが、そういう訳でもない……つまり、絶対に引けない事情があるんですね」
「ええっ、この人40代なん?」
佐伯が思わず驚く。
木下の言葉に、明智は肩を乗り出すようにして、思い切り畳みかける。
「あのさぁ……ヒデトの「崩し」はアメリカ仕込みだからさ……国際的なワザ舐めんなや……悪いけど、どんな手を使ってでも勝つから……「崩し」ってさ、そういう勝負だって、ヒデト思ってるの」
「イチ、なかなかえらい癖のあるライバルの人やね、有名人?」
佐伯の横からの突っ込みに、木下が答える。
「そうですね、この人ともし当たれば、その時は僕は負ける訳にはいかない……! 佐伯さんも侮っていると足元をすくわれるかもしれないね、この人に」
「そやね、その時はよろしゅう頼みますよ。九段の実力、存分に味わわせてやりまっせ」
佐伯に挨拶され、明智も言い返す。
「まあ……ヒデトは誰と当たっても容赦ないよ……悪いけど、手加減とかやってないからさ」
「おっと……のぼせそうだ、それじゃ、このあたりで失礼しますよ。明智さんも湯あたりには気を付けてください……万全じゃない体調で対局になったらこっちが困りますからね」
明智は立ち去っていく二人に顔を合わせず、手を振る。
「……センキュー」
横からだいぶ出来上がった伊達が、別の菓子が入った袋から棒状のものを取り出す。
「これ「ままどおる」ってんだけど、食わない? 多分これのパクリのお菓子結構あるから、食ったことあるかもしれないけどさ。福岡とかにね」
伊達の食欲は無尽蔵のようで、しばらく無駄話をしながら、適度にのぼせ始めたところで、ようやく風呂から上がった。
――
一方、女湯では……
「あ、テマリちゃん、みーっけ! さっきの明智って男と対戦したことがあるって話みたいね」
豊臣琉花が、露天風呂に入っている朱麻里を見つけて早速声をかける。
髪型と肩幅も目立つが、左口元のホクロがやはり目立つ。
琉花は豊か過ぎるほどの胸を隠そうともせずにその脇から身体を洗い流して入り込もうとしてくる。
やや不機嫌そうに、タオルで髪型を固定するようにして湯に浸かっている朱麻里が返す。
「テマリじゃなくて……朱麻里ですけど……あぁ、あなたは……あの、2回戦で無様な負け方をした……それもあの……明智に」
琉花は、湯に浸かると、短い髪を自由にして、身体をわざと浮かせるようにした。
「そう……シュマリさん、変な名前ね……おや、あたしとそんなに身長の差が無かったと思いますけど、座高の差が凄いのね……頭一つ分くらい軽くあるじゃないの!」
「シュマリ……これはおばあちゃんから付けられた名前で、アイヌ語で「キツネ」という意味だとか。別に物凄く珍しい名前ではないわ。漫画のキャラクターとかにもいるし」
琉花は目も合わせようとしない朱麻里に続ける。
「シュマリさんはこの世界で戦いを続けている意味はあるの? 実はそれなりの年齢で、介護士をしているけど、実は他の副業で稼いでるってとこまで調べあげてはいるけど……」
「あなたのようなさっさと2回戦で明智に負けたおチビさんに答える必要はない……介護は体の弱い両親がいざって時のためになる仕事だし、私にとっては「崩し」も本業の一つだし、ギャンブルでもしっかり獲るところでは容赦なく獲る……生きるためにね。そして……この大会で優勝する。そして頂点に立つのが目標よ……本将棋でも女流でそれなりの段位にはなったのだから……決して夢ではない。あなたのような何もしなくても良いお嬢様とは違う!」
朱麻里の眼は本気だったが、それでも琉花はからかうように続ける。
「これでも23歳なんですけど……あと、胸がおチビさんというか薄っぺらい女に身体のことで言われる筋合いはないわ。28歳にもなっていちいち煽りにも乗ってきて、まるで耐性がないのね……そのままだと、あの明智という男に負けるわよ……もしかしてあなたも、「女流」というのが嫌で、この世界に来た? あたしは子供の頃からずーっと将棋やってて、そう思って「崩し」を本気でやろうと思ったクチだけど」
「そうなの、豊臣さん、てっきり高校生ぐらいかと思ってました。えぇ……そうなんです、そこだけは気が合うみたいですね……もちろんその通りですとも。だって本将棋ではどれだけ頑張ったところで「頂点」に立てない訳ですもの。今やLGBTの時代だってのに、その体制だけは当たり前のように変わらないみたいだから……男女無関係のこの世界を制覇して、日本一になる……それが目標ってことだけど?……悪い?」
琉花は突き出している朱麻里の肩をつつきながら、からかう。
「そう……介護の仕事を頑張ってる振りをして、水商売にまで手を染めて、さらにはギャンブル狂いで地下世界でもやりたい放題でもそれ言える? 日本一になったところで、そういう過去を暴露されて終了よ……所詮は北海道から出てきたチンピラの一人に過ぎないのよ、あんたなんてね……」
(この小娘、くだらないことまで調べ上げやがって……!)
朱麻里は琉花が最後まで言う前にその腕を掴んで捻った。
「そこまで……! 大人しくしてないと、ここでその生意気な頭を叩き割るわよ」
琉花は本気で怒っていると思われる朱麻里の獣のような眼つきを見て、ブルッと肩を震わせると、そっと彼女から離れて、そのまま湯を上がっていった。
「……はいはい、じゃあここらで退散しますね、ケマリちゃん」
朱麻里はその言葉の放たれる方向を無視すると、思い切り石の壁に腕を叩きつけ、黙って空に浮かぶ月を見上げた。
(お母さん、お父さん……今日も月が綺麗……北海道もそうなのかな……?)
――
「湖上の煙……ア・ファイア・イン・ザ・スカイ……」
伊達と一緒にそれなりに長い風呂を終えた午後8時過ぎ頃、明智はラウンジで湯気の立ち昇る庭園のライトアップを見ながら洋楽らしき歌を音を派手に外しながら口ずさみ、右手で将棋崩しの動作を、そして左手でフレミングの法則の型を維持しながら、物思いに耽っていた。
「あら、明智五段さん……でしたね? 隣、良いでしょうか?」
高くてどこか張りのある声は、鶴川朱麻里に違いないと明智は思った。
「肩、当たってるよ……てか、肩幅広くない……あと、座高も結構高くない……?」
朱麻里は体型を気にしていたかのようにボソボソと話す。
「……そりゃ、高校出た後にバカ食いして、結構激太りして、それからまた戻ったから……成長期の時期に余計なとこも成長しちゃうと、こうもなりますよ……で、話は聞いてる?」
明智が眼を逸らして再び庭園の方を見ているのを確認して、朱麻里がムッとする。
「あぁ……そうか、シュマリ、ベスト8まで生き残ったの……でなきゃ、とっくにユーのようなプライドの塊みたいなガールなら帰ってると思ったからさぁ……」
先ほどまで1回戦負けの伊達と無駄話をして明智が結構なレベルにまでのぼせてしまったことを、朱麻里は知らない。
座高が明智寄り少しばかり高い朱麻里は、少し前にボブヘアーの頭を出して、その美しくも妖しいつり目が目立つ位置で首の角度を明智の方に向け、ホクロの目立つ口元に不敵な笑みを浮かべながら言う。
「さっきお夕食の後で、小学生の女の子と楽しそうに部屋に入って行くところを撮った写真、あるんだけど……SNSで拡散されたくなければ、お酒に付き合いません? ダイorデッド?」
「ガール……あのさぁ……」
明智は閉口した。
※女流※
「女流」という概念は本将棋と違って存在せず、将棋崩しは男女、子供も大人も関係のない無差別対決である。NSKKの存在とこの業界のことがマスメディアに取り上げられ、全国的に有名になった時期に「LGBTの枠を超えた神聖な対局」と本将棋と対比されて絶賛された。




