六、ナツヒの病気
次の日、ナツヒの部屋を開けたキサラは、はたと気付く。
昨日と空気が変わっている。
昨日よりも乾燥した空気は、部屋の植物が効果を発揮しているのだと思う。
「おはようございます」
「おはよう」
ナツヒは昨日と同様に、寝台の上に座っていて、扉を開けたキサラの方を振り返る。
しかし、毛布は膝掛け程度で、黒い髪と赤い瞳がこちらを向いていた。
「お体の加減はどうでしょう」
「ああ。すこぶる良い」
その通りで、声にもはりがでてきているようだ。
髪もつややかになり、赤い瞳はさらに深みがある。
キサラが寝台に近づくと、微笑みを向けてくる。
キサラはそれを見ないように、診察を始めようとした。
「見るか?」
「ええ」
「カーテンを開けてほしい」
「……はい?」
いつも通り、暗い室内でと思っていたキサラは動きを止める。
ナツヒをみるが、表情はこわばっているわけでもなく、無理をしているわけでもない。
ただ、強い瞳がそこにあった。
「大丈夫ですか……?」
「大丈夫だと思う」
「………難しそうなら言ってください」
キサラは窓に近づき、寝台から一番遠いところのカーテンから引いていく。
窓は磨りガラスで、カーテンは厚いカーテンひとつだけ。
三箇所あるカーテンを順番にひき、最後に日の光が直接ナツヒを照らすカーテンをひく。
「……」
ナツヒは一瞬、日の光に目を細めるが、声を上げることなく、ゆっくりと目を開いていく。
「大丈夫だ……」
「無理はしていませんか?」
「ああ。薬がよく効いたんだ。それにこの植物も」
昨日の昼頃においた植物たちは、キサラが指示した通りの場所にかわらず置いてあった。
場所を移動した形跡も、燃やされた形成もない。
「君が来る前のことを考えたら、信じられないほど、調子がいい」
日の光に照らされた黒髪はどこまでも漆黒だ。
その合間に左右に顔を出す赤い角は、日の光に照らされただけなのに、存在感を放っている。
「それに」
ナツヒの赤い瞳は、日の光の中でも、強い光を抱え、キサラを射貫く。
「やっと君の顔を明るいところで見ることができた。俺は幸せだ」
日の光でみる、鬼の微笑みは、キサラでなければ、男女問わず虜にしただろう。
* * *
初日にあった手足のむくみはまだ残っているが、まぶたや顔のむくみはとれていた。
脈も違和感はない。
やはりキサラの調合した薬は効いているようだ。
「調子はよさそうです」
「よかった。今まで磨りガラス越しでも、日の光はヒリヒリしたが、それがない」
「元々は火を扱う鬼ですから、日の光に対する抵抗は早めにとれるのかもしれません」
「やっぱり病気のせいか」
キサラは日の光の下で記録を続けた。
薬を開始して二日。
効果が早いのは、本来火を扱う鬼だからなのかもしれない。
「結局、この病気はどんな病気だ?」
「体に水がたまりすぎる病気です。時間をかけ、体に余分な水がたまっていき、手足や顔にむくみが出てきます。火や風の属性を持つ妖怪だと、水の調整が難しく、症状が強く出ることがありますが、ナツヒ様の場合は、火のお力が強いので、症状が出にくかったのでしょう」
「日の光は?」
「日の光は、水を蒸発させます。体の中にある水が蒸発するのを恐れて、日の光を嫌った、という説や、体の中で水の移動がおこるからという説など、さまざまです」
「なるほど。どっちでもしっくりくるな」
「水が過剰であったり、水の分布が不自然だと、火の力は出しにくいはずです。ですが、徐々に復活するでしょう」
それまでは薬を飲んでおいたほうがいいだろう。
「ふむ。治るとすればどれぐらいだ?」
「数ヶ月かけて、薬を減らすことになります。薬をやめることができるかは、様子をみながら判断することになります」
「では、君はまだまだここに必要だな」
キサラは聞こえなかったふりをして、記録を続けた。
最終的には薬の微調整は、坂城でもできるだろう。
それに、悪くなったときに、呼び出されるだろうし、それでよいと思った。
「ところで、君の出身は?」
「”北西の巴”です」
『巴』というのは、この国にある四カ所の地域を指す。
この国を治める五つの領土のうち、三つの領土の境界。
そこには、力の弱い妖怪や、人間が多く住んでおり、統一が崩れやすい場所。
”北西の巴”は、水・土・風の性質が重なり、そのときの妖怪の分布によって妖気や気候がかわる。
キサラが育ったときは風が強く吹いていた。
「そうだよな」
ナツヒがうんうんと頷く。
「キサラは結婚してないね?」
「質問の意図がわかりません」
「他のやつの気配はないから、結婚してないな」
「よくわかりません」
「これが治ったら結婚しよう」
「許嫁がいるんじゃないですか?」
通常、鬼は鬼と、人間は人間と結婚する。
特に、紅のような名家の鬼で、次期当主の証である角を持って生まれたものは、同じ火の属性の鬼と許嫁を作ることがほとんどのはずだ。
目の前のナツヒも例外ではないだろう。
「許嫁はいないな。よかったなぁ、キサラ」
「いたことはあるでしょう?」
「この病になってから、婚約を断られた。父親や母親でさえ見に来ない。結婚の話は一度滞った。でも、俺はキサラに会えた。俺は断られてばかりだけど、今回は違う。俺はなんとしても、君と結婚する」
「人間と結婚は、紅家としてはまずいのでは?」
「関係ない。俺は君でないといけない」
ふふん、と機嫌よく鼻をならすナツヒは、キサラの意見を聞く気もない。
ああ、ずいぶんと鬼らしい、とキサラは内心思った。
やはり彼は鬼の次期当主なのだ。
「いずれにしても、私からは何もお答えできません」
「君は、結婚することに同意してくれればそれでいいんだけど」
「それはできませんので、ご了承ください」
キサラは笑顔でそう言い残し、ナツヒの部屋をあとにした。