【番外編】彼の失策
「……な、そんなことを言われても……。自分の中で、ミルフォード伯爵家の令嬢と言えば、アイリしかいないんだ」
「いや、いや、いや、ライル団長! 世間の常識はそうではないから! ミルフォード伯爵家の令嬢と言えばユーリだと、ここにいる騎士全員に聞いてもそう答えると思いますが?」
「……そうなのか……!」
「そうですよ、団長!」
戦場では凛々しいライルが、今、この瞬間は青ざめる。
そんなライルを見るのは……少し面白い気もするが、そうではない。
ユーリとの婚約と結婚は、ライルが望むことではないのだから。
「て、訂正はできるだろうか」
ライルが声を震わせている。
そこで急ぎ、確認をするが……。
国王陛下はザーイ帝国の敗北を心底喜んでいた。
その立役者であるライルの願い。
即叶えようと思ってくれた。
ゆえに。
ライルの願いを託した書簡は、既に早馬でミルフォード伯爵家へ向かっていた。
そしてミルフォード伯爵家の屋敷は王都にあり、宮殿からそう遠いわけではない。
「今すぐ、早馬の到着を阻止したい!」
「ああ、分かったよ、ライル。試してみよう」
これには他の騎士達もなんだ、なんだと集まり……。
夕食を終えた騎士達は、まるで戦場にいるような迅速さで馬に飛び乗り、ミルフォード伯爵家の屋敷を目指すが……。
時、遅し。
役目を終えた早馬とばったり出会うことになる。
この時のライルと言ったら……。
まるで帝国軍に敗北したかのような表情をしている。
そしてこんなことを言う。
「……自分はユーリという令嬢と結婚するつもりはない。それならば修道院に入る」
そんなことを言い出す始末。
そこまでアイリが好きなら、きちんと名指ししないとダメだろう!と思うが……。
侯爵となり、団長であるのに。
ユーリと結婚するぐらいなら、その地位と名誉をあっさり捨てる覚悟ができているなんて。
アイリ・ミルフォード。
探っても「誰だ、それ? まさかミルフォード伯爵の娘? え、ミルフォード伯爵はユーリ以外にも娘がいたのか?」なんて反応ばかりだというのに。
ライルは心底彼女を愛しているようだ。
なんとかしてやりたい。
しかし。
国王陛下自らが書簡を用意し、早馬を出させたのだ。それなのに「実はユーリ嬢ではなく、アイリ嬢の方なんですよ。訂正していただけますか?」などと言えるわけがない。相手はこの国の頂点なのだから。
絶望し、完全に心がどこかにいってしまったライルは部屋で寝込んでいる。
ここはわたしが動くしかない。
宮殿のメイドに頼み、つてを頼りに侍従長に確認すると……。
「ウィンターボトム侯爵の求婚の件? 陛下は『ライル・ウィンターボトム侯爵に、娘を嫁がせるように』と書簡に書かれたと思いますが」
これを聞いたわたしは大急ぎでライルに報告する。
まだ可能性は残っていると。
国王陛下は『娘を嫁がせるように』としか書いていないと。
だがライルは……。
「世間一般でミルフォード伯爵家の令嬢と言えば、そのユーリという女性が認識されるなら。ミルフォード伯爵も、国王陛下が言う娘はユーリと思うはずだ。自分の領地にはローズロック修道院というのがあり……」
ダメだ。
ライルは使いものにならない。
既に頭は修道院のことでいっぱいだ。
というか国王陛下は許すのか?
褒美で与えたユーリとの結婚を拒み、修道院に入るなんて。
二重の意味で失礼だ。
褒美を受け取らない。団長職まで辞す。
非礼の極みだろう。
いくらこの国の英雄でも、その名は地に落ちる。
だが三兄弟の一人、ロークがこんな報告を自分にしたのだ。
「団長のこと、社交界の令嬢達は“野獣”と評し、恐れているそうです! 団長は血の雨を浴びながら、勝利を得た歴戦の猛者、体中傷まみれだと!」
ロークがニコニコと笑顔で報告するので、その頭を軽くはたく。
「何喜んでいるんだ! “野獣”はライルのことではなく、ソード騎士団の団長だろう!? ライルのどこが“野獣”なんだ!」
「あ、そうですよね。団長はさながら……戦場の貴公子、でしょうか。うん、そうだと思います!」
「……そうだな。ローク。お前、いいこと言うな。……いや、そうではない。なんなんだ、その“野獣”とか、血の雨を浴びながらって! こっちは命懸けで帝国軍を退け、敗北させたというのに! ライルは“野獣”なんかではない! この国の“英雄”だ!」
この時の自分は激高しかけたが。
“野獣”という不名誉過ぎる呼び名のおかげでライルは、ユーリとの婚約ではなく、アイリと婚約できたのだ。
ユーリは噂によると、この国の第二王子に好意を抱いているらしい。
第二王子は見るからの優男。対するライルは血の雨を降らせる“野獣”。そして国王陛下は『ライル・ウィンターボトム侯爵に、娘を嫁がせるように』としか指示をしていない。
「ミルフォード伯爵は、アイリという娘をそなたの嫁に出すと言ってきたが、それでいいのか? ユーリの方ではないのか?」
「陛下、自分はアイリ・ミルフォード伯爵令嬢との結婚を望んでいます。アイリ・ミルフォード伯爵令嬢と結婚したいのです。どうかアイリ・ミルフォード伯爵令嬢と婚姻する許可をください」
今度のライルは徹底していた。三度も国王陛下の前でアイリの名を告げたのだから。これには国王陛下も「う、うむ。良かろう。アイリ・ミルフォード伯爵令嬢を娶るがいい」と応じたと言うのだから……。
まったくライルのやつ。ヒヤヒヤさせやがって!
ようやくライルがいつも通りに戻り、その後は花嫁を迎えるためのリサーチが始まり……。
だがこの後に。
とんでもないことをライルが自分に持ち込むとは……この時のわたしは、まったく想像できていなかった。