舞踏会
「ではマダム、エスコートさせていただきます」
黒のテールコートを着たエドガーが、馬車から降りた私の手を取る。
あの幼い日の少年は、私の手を握り、人ごみの中を歩いていた。
でも今は立派な青年に成長し、こうやってエスコートしてくれる。
なんだか感慨深い。
「あの、チェイスさん。こうやって歩いていると、その……子供の頃の記憶が少しでもよみがえったりしませんか? 収穫祭の時、エスコートではなく、手をつないで歩いたのですが……」
ロイヤルパープルのグラデーションカラーのドレスを着た私が尋ねると、エドガーはくすくすと笑う。
「マダムは懐古主義の方なんですか。そんなに幼い頃のことが気になるとは」
「! そ、そうですよね。でも、その……こうやってエスコートいただいているのは、奇跡みたいで。まさか再会できると思わなかったので」
「マダムは随分と乙女な心を持ったまま、大人になられたのですね。でもそう言われると、なんだかマダムと手をつないだような……」
少しでもエドガーが覚えていてくれたことを、嬉しく思ってしまう。
「まあ、ウィンターボトム侯爵夫人、今日は面白い方を連れていらっしゃるのね!」
「サフラン子爵夫人、こんばんは。そうなんです。今、薔薇石英の店舗の準備を進めていまして。こちらのチェイス家具店で家具を購入することになったのです」
「サフラン子爵夫人、ご無沙汰しております。本日はビジネスパートナーでもあるウィンターボトム侯爵夫人をエスコートし、人生初で舞踏会へ足を運ばせていただきました。僕もいい年齢ですが、社交界デビューです」
「ふふ。随分遅咲きデビューですわね。ところでウィンターボトム侯爵夫人。薔薇石英でお店を出されるの? いつオープンなのかしら? 私、ぜひレセプションパーティーにはお邪魔したいわ」
ここからはもうビジネストークが始まる。
エドガーは舞踏会こそ初めてだろうが、多くの貴族の顧客を持つ。
ゆえに知り合いも多く、トークに花も咲く。
しかも今日の舞踏会は宮殿で開催されている。
エドガーの家具店を利用できる裕福な貴族が揃っていた。
そしてエドガーが顧客として会ったことがあるのは、断然女性が多かった。
つまりエドガーもまた、私同様、令嬢やマダムと話すことになるが……。
エドガーは男性である。しかも舞踏会に彼がいることは珍しい。
必然的に「ダンス、踊ってみない?」となり、エドガーはビジネストークに加え、ダンスも踊ることになる。
一方の私はひたすら令嬢やマダムと薔薇石英トークで盛り上がっていた。
「マダム」
エドガーとは別行動になり、一時間程経った。
若干、疲弊した表情のエドガーに声を掛けられた。
丁度、男爵令嬢とのトークが終わったタイミング。
「チェイスさん。お疲れのようですね」
「はい。舞踏会というのは、実に忙しいものなのですね。話して、踊って、話して、踊って……」
「ダンスが踊れず、壁の花、壁のしみになる方もいるのです。それだけ忙しいのは……人気者の証拠ですよ」
私はエドガーとはダンスを踊っていないが、きっと上手なのだろう。
「少し休憩したいのですが、そういう場所はあるのでしょうか?」
「ええ。ありますよ。舞踏会はダンスが基本。よって飲み物や軽食は手早く摂り、またホールへ戻ることになりますが」
「! 貴族の皆様は、想像以上に体力があるのですね!?」
目を丸くするエドガーを連れ、軽食や飲み物が用意された部屋に案内した。
エドガーは喉を鳴らし、白ワインを一気に飲み干している。
そう言えばエドガーは何歳なのかしら?
「僕ですか? 僕は二十五歳ですよ」
さらにお代わりの白ワインを飲みながらエドガーは答える。
「! そうなのですね。私より七歳も上だったのですね……」
あの時出会った少年。
私とそこまで年齢が離れている気はしなかった。
私がそんなことを思っている間にも、エドガーは二杯目の白ワインもあっという間に飲み干している。そして驚いた表情を浮かべ、私をじっと見た。
「マダムはまだお酒を飲める年齢ではなかったのですか!? そんなに色っぽい体をされているのに」
エドガーの目元が少し赤くなり、既に酔っぱらい始めていることが伝わって来た。だがエドガーは気にすることなく、三杯目となる白ワインを口にしている。
「チェイスさんはお酒が好きなんですね」
「お酒? ああ、これですか? これは白ワインですよ? 水みたいなものです」
そう言うなり三杯目も、あっという間に飲み干してしまった。
「ぷはーっ」と言って吐き出された息が、アルコール臭く、思わず顔をしかめそうになる。
「マダム、そちらの部屋は?」
少し目がトロンとしたエドガーが、サンルームを指さす。
簡単に説明をすると、エドガーはサンルームに続くガラス扉を勝手に開けてしまう。
「チェイスさん、ダメですよ、勝手に鍵を開けては」
「ちょっとくらい大丈夫ですよ。宮殿なんてめったに来れないんです。気になるじゃないですか」
そう言うとエドガーは、ガラス張りになっているサンルームへと出て行ってしまう。
締め切られていたのに、こんな風に鍵を開け、勝手に中へ入ったら……。
厳重注意される。
注意されるどころか、次回から招待状を送ってもらえない可能性もあった。
エドガーを呼び戻すため、仕方なく私もサンルームへ足を踏み入れることになったが……。